14 鳥遣いさんウォッチング|とある庭師
甲高い鳥の声が住宅街に響いた。
庭師――信濃は、依頼人宅の庭先で振るっていた刈込鋏を止め、空を見上げる。
「――今日も鳥がいっぱいおいでなすったな」
脚立に乗っているからこそ、全貌が余すことなく見えた。
正面の空のみならず、反対側からも黒い点状の鳥の群れも迫ってきている。
一様に、ここから近い商店街へ買い物をしにくるわけではない。
「そろそろお目当ての鳥遣いさんが、ここを通るな」
したり顔でつぶやいた。
本当は、一度庭の手入れを依頼されたから、町の有名人たる『鳥遣いさん』の本名を知っている。が、あえてあだ名で呼んでいた。
「お、きたきた」
角を曲がって現れたのは、二十代の若者である。
ひょろりと背が高く、線が細い。温厚そうな容貌は、初対面の時となんら変わらない。
そんな若者が多くの鳥に囲まれ、または引き連れて歩いてくる。
正直、異様である。
しかしながら、中心人物が微笑んでいるうえ、周囲の鳥も好意的なことがいやでもわかる。ゆえに、町の人々も一種のイベントとして、その光景を楽しんでいる。
真下を通る鳥遣い氏が見上げてきた。
「こんにちは」
同じ言葉を返すと、朗らかな笑顔が返ってきた。
「お仕事お疲れ様です。まだまだ暑いですね」
「ホントに。秋が待ち遠しいですねぇ」
他愛のない会話を交わすのは、いつものことだ。鳥遣い氏は会えば必ず声を掛けてくる。
そのため知人や見知らぬ者に、彼の本名と住まいを訊かれることが度々あった。
むろん毎回、空とぼけている。
プライバシーは守られるべきだろう。ゆえに、誰に聞かれてもいいよう、本名で呼ばないように気をつけている。
有名になりすぎるのも大変に違いない。本人からそんな気配を感じたことはないけれども。
興味深げに庭木を眺めた鳥遣い氏がいう。
「今日の庭木は普通なんですね」
「そうですよ。ていうか、いつもこんな感じなんですが」
鳥遣い氏は快活に笑う。
以前見られたハニワに刈り込んだ庭木の印象が強いらしく、まともな庭にするのが不思議なようだ。
あれは自身の趣味もあったが依頼されたからである。
そんな斬新な刈り方ばかりしていたら、亡き父も草葉の陰で泣くだろう。
鳥遣い氏が管理するかの家に出入りしていた父は、突然死んだかというと、そんなことはない。
その前から兆候があったため、再三仕事を控えろと止めていた。
にもかかわらず父は頑として聞き入れず、あの家から帰った矢先に倒れ、そのまま息を引き取ったのだ。
そしてそれが移ったように、信濃自身も体調が悪くなった。
常に身体が重く、ろくに肩も上がらない。そんな症状が、かの家の庭を片付けて以来、ぱったりなくなったのだ。
あれはいったいなんだったのだろう。
時折思い出して不思議に思うこともある。
ともかく、いまは弟子もできた。仕事も順調で、健康そのものだ。
贅沢をいえば、そろそろお嫁さんがほしいところである。
なかなか出会いがない自身に比べ、鳥遣い氏は多そうだ。目立つがゆえに頻繁に声をかけられているからだ。むろん若い女性も多い。
今のところ特定の人はいなさそうな鳥遣い氏なのだが、じかに接していると強く思う。
不思議な人物だなと。
話し方、立ち振る舞い、まとう空気。ことごとくまったりしている。
会話していると、一度だけうかがったあの庭の縁側でお茶を飲んでるような気分になるのだ。
うっかり時間を忘れそうになるが、鳥たちにそれを阻まれる。決して人間に危害を加えない鳥ばかりであるが、どこにでもフンをするのは避けられない。
それを危惧しているのであろう鳥遣い氏も、同じ場所に長くとどまることはない。
「じゃあ、また」
と言った鳥遣い氏が背を向ける。
十数メートル先の金物屋に差し掛かった時、リスザルに飛びかかられた。
店主のお付きのサル吉である。
鳥遣い氏にたいそう懐いているようで、いつも彼が店の前を通る際やいき会った時に、行く手を阻む。そして、背中にしがみつくのだ。
その様相はまるで親子のようで、見かけた者たちはことごとく、微笑ましそうに眺めている。今回も、かわい〜と言っているギャラリーがいる。
そんな彼らの前を、大急ぎで駆け抜ける娘があった。
近隣の中学校のセーラー服をまとうその女子は、やけに焦っているようだ。
何かあったのだろうか。
鳥遣い氏もリスザルを背中にひっつけたまま、その人物を視線で追っている。
「電車の時間に遅れるとかかね?」
信濃が思いつきを口にした時、下方を白い影が掠めた。
見れば、脚立の根元に白い毛玉がいた。
「なんだこれ。タンポポの綿毛にしてはデカいな……?」
やけにキラキラと輝いている。
気になって仕方がなくなり、信濃は脚立から降りるべく刈込鋏を閉じた。
✽
日向工務店の親方――日向は、商店街のやや奥まった食事処から出てすぐ、空を見上げた。
「鳥が多いな」
「鳥遣いさんが来てるんでしょ」
続けて暖簾をくぐってきた弟子がこともなげに言った。
続々と引き戸から出てくる他の弟子も誰一人訝しがることもなく、ただ空を仰ぐだけだ。
食事処の建物だけでなく、左右に棟を寄せ合う店舗の屋根や屋上、通りの向こうのアーケード。さらに電線にも所狭しと鳥が羽を休めているにもかかわらず。
この異様な光景に、初見の者はたいがいおののく。弟子たちも最初はびびり散らかしていたものだ。
しかしそれは、一人の人間が商店街にくる時限定であることを知り、かつ幾度も続くと嫌でも日常風景となって、驚くこともなくなった。
「慣れとは怖ぇものだな」
「まあ、そうかもっすけど。親方だって人のこと言えんくらい鳥に好かれるでしょうよ」
弟子の言葉を証明するように、電線から飛んできたハクセキレイが肩に止まった。
駐車場を走り回る姿がよく見られる、尾の長い小鳥である。
「なんだ、おい。いまはオメェ用のメシなんか持ってねぇぞ」
脂下がりそうになる頬を叱咤し、そっけなく言った。
とはいえ、弟子たちにもバレているようで、生ぬるい視線を送ってくる。なかには余計なことを言ってくる者もいた。
「親方、そんなニヤついてたら、喜んでること隠せてねぇっすよ」
「うるせぇよ」
つい憎まれ口を叩いてしまった。
なぜか突然、すさまじく鳥に好かれるようになったのだ。
理由は皆目わからない。
しかしよくよく考えてみると、身体の不調が治った頃からだったように思う。
あれもいったいなんだったのだろうか。
誰しも歳を重ねると何かしらの不具合を抱えているものだ。
日向もむろん例外ではなく、とりわけ若い時分から身体を酷使し続けたせいもあり、肩と腕を壊していた。
それでも、自ら認めたくないのと、若手が育っていないこともあって、無理をして仕事を続けていた。
そんな時、あの鳥遣いの青年に出会ったのだ。
抱えた木材ごと倒れそうになった時、突如強い風が吹いて――。




