13 飛んでけ、最後の一人のもとへ
「あれは、一人に幸運を授けたあと消えてしまうモノですよね」
「ああ、そのはずだ。しっかしそもそも、ケサランパサランが大量に現れること自体がおかしいだろうよ」
一個ですら珍しいのだ。
十年、あるいは百年単位と、滅多に世に現れないものである。普通であれば、単なる噂として片付けられることだろう。
それがどうだ。
子どものみならず、大の大人までも本気で取り合っていた。ならば、なにか別の要因があるのではないだろうか。
――と思考を回すも、いまいち集中できなかった。
クロが、いくども尻尾で太ももを叩いてくるからだ。
「きゃおっ」
昼食をとれといっている。
クロは健康管理に厳しい。仕事よりも寝食を大事にしろと促してくるのである。
とはいえ、すんすんと店に向けて鼻を鳴らしていることから、自身も食べたいに違いない。
すっかり食いしん坊になってしまった。
楠木邸に預ける前は、飲み食いなどまったくしなかったにもかかわらず。
かの家は動物体のモノが多いから、影響されたのだろうと思っている。それは別に構わないのだが、舌が肥えすぎたのはいかがなものか。
これは父が悪い。クロの味覚を育てるべく、父がいろいろな物をつくったり、買ったりして与えるせいだ。
はーっと、播磨はため息をついた。
なんにせよ、この状態を放置して、のんきに食事などできるはずもない。
『ごはーん!』『まだだ』とクロと視線のみで戦っていると、視界の端に光がかすめた。
即座に見ると、光に包まれた白と黒の毛玉が店舗の庇を転がっていた。
「あれが、ケサランパサランか」
播磨もはじめて目にしたが、すぐにそうだと知れた。
あまりにも神々しかったからだ。
毛の一本一本が光り輝き、まるで小さな太陽のようだ。
黒色とは予想外の色だが、禍々しさなど微塵もなく、高貴な色としか感じられない。
白い方など、三本の長い毛が出ているのは、たてがみのようにも見える。
そんな白黒の毛玉は、点滅したり、半透明にもなったりして、この世ならざるモノだと主張していた。
「俺もはじめてみたが、これはまた……」
絶句した葛木は片耳を押さえた。
この二つのケサランパサランは、凄まじく神気が強い。常人でも、自ずと畏れを抱くだろう。
二つの毛玉はぴたりとくっついている。ゆえに、気づくのが遅れたが、それぞれ別の神気をまとっていた。
白い方は、かの山神の神気だ。
「これなら、争いが起きても仕方ないな……」
つい本音が漏らすと、葛木も顔をしかめたままいう。
「ああ、だろうな」
「神気も濃いですから、この二つのケサランパサランが一人に幸運を与えたあと、ふらりと次の者のもとへ旅立ったのではないでしょうか」
「ああ。それで、逃げられたと勘違いした者が、探し回っているんだろうさ」
「――味をしめたんでしょうね」
「たぶんな。気持ちはわからんでもない。――このまま放置はできん。二号、頼む」
葛木の懐からペンギンが跳び、ばくっと二つの毛玉を咥え、地に降り立った。フリッパーを広げてよちよちと歩いてくるそのくちばしで、ケサランパサランは大人しくしている。
「人ではないから逃げないんでしょうか」
「ああ、予想通りだった」
にやりと笑う葛木だが、ペンギンが近づくと、後ずさった。
「二号、ストップ! それ以上、俺にそれを近づけないでくれっ」
幸運を授けてくれる代物を嫌がる人間も珍しかろう。
播磨は好奇心から訊いてみた。
「葛木さんの耳には、どんな音が聴こえているんですか?」
「あー、あれだ。神社のでっかい鈴があるだろ」
「拝殿に吊るされた本坪鈴でしょうか」
「そうだ。あのガランガランいうあれが、いくつもがなり立てるように鳴り続けているような感じだ」
相当頭に響きそうだ。
やませてやりたいところだが、さてどうしたものか。
これは、人心を惑わすモノだ。ふたたび世に放つわけにもいくまい。
山神のもとにお返しするのが一番だろう。
おそらく人々のためによかれと思って放ったモノであろうが、いかんせん、強すぎる。
形容しがたい気持ちのままよくよく集中すると、黒い方の神気は弱いことも気づいた。こちらの方はおそらく、あと一人に幸運を与えたら消えるのではないだろうか。
ふいに腕からクロが地に降り立った。ペンギンのもとへ歩いていく途中、口にチョウチンアンコウを出現させた。
「――いまどこから出した? いや、いまさらなような気もするが……」
動揺する葛木には、クロの正体を伝えている。
祖神からのいただきもので、親族がもつ武器――神器と同じであることを。
ともあれチョウチンアンコウは、クロの意のままに出現させることも、消すことも可能だ。
チョウチンアンコウを咥えたクロは、ペンギンの前にそれを置いた。おもむろに提灯をぺしぺしと叩く。
「ギャオ!」
「その提灯に、ケサランパサランを当ててくれといっている」
播磨がクロの意図を伝えると、両耳を押さえつつ葛木が指示を出す。
「二号、言われた通りにしてやってくれ」
らじゃ! とフリッパーをあげたペンギンは、くちばしを突き出した。ぺとっとくっつけると、白いケサランパサランの神気が見る間に減っていく。その光が弱くなるに反して、提灯に光が灯った。
神気を吸い取っている。
クロが満足気に提灯を引っかくように放した時には、白いケサランパサランの三本の毛は、しおれた草のようにへたれていた。
どうだとクロが自慢げに見上げてきて、播磨は頷く。
「これなら、あとせいぜい一人分にしか、幸運を与える力はないと思います。世に放っても問題ないでしょう」
ふと息をついた葛木も反対はしなかった。
「――そうだな、せっかくの神からの施しだからな……。まあ、事態もやがて収束するだろうさ」
耳から手を離した葛木がいうや、ペンギンがくちばしをひらいた。白と黒のケサランパサランはふんわりと蛍めいた動きで、上昇していく。
「ろくでもないやつに捕まるなよ」
陽光の眩しさに目を細めつつ、播磨はついいってしまった。
その声が届いたのか、届いてないのか。
二つの毛玉は加速し、方丈山へ向かって飛んでいった。
見上げる葛木の懐からサメが飛び出す。パクッとチョウチンアンコウに喰らいつくと、クロが牙をむき、しゃー! と威嚇した。




