7 デタラメな眷属たちの神域
「すっごくいい所だよ!」
と声も体も弾ませたウツギのあとに歪みを抜けたら、拓けた台地に出た。
足元は芝生、頭上には空が広がっている。
しかし、その空模様はおかしかった。
澄んだ透明な青空、ひつじ雲が漂う空、鉛色の空、薄曇りの空、と四つに区切られている。
下方を見れば、大海原だ。異なる空のもと、四つの島があった。
形状は円形とさほど差はないが、それぞれにそびえる山が違う。
連なる緑の山脈、円錐形の独立峰、皿をひっくり返したような形の岩山、白銀の雪に覆われた山。
自然界ではありえない光景である。
そんな島々がかろうじて確認できる現在地は、四つの島の中央に浮かぶ浮島であった。
そこから見下ろすと、足がすくむ。
浮島の面積は広いとは言いがたいが、ほとんど風が吹いていないのは幸いだろうと思っていたら、ウツギが説明してくれた。
「この浮島は、地上と同じ環境にしてあるんだよ」
どうりで高所にもかかわらず、寒くもないはずだ。
何はともあれ、あまりの予想外の景色と状況に、湊は言葉が出てこなかった。
肩のカエンが自慢げに尋ねてくる。
「どうじゃ?」
続いてウツギも跳ねながら言う。
「ここはね、湊のために新しくつくった神域なんだよ~!」
「こら、ウツギ。それは言わない約束だったろう」
トリカの声に振り返ると、歪みからセリと並んで歩いてくるところであった。
「まったく仕方がありませんね」
セリも同様のことを口にし、嘆息している。
「わざわざ俺のためにつくってくれたんだね。ありがとう」
心から礼を述べると、カエンが横からのぞき込んできた。
「なに大したことないのじゃ。そしてここは、四霊の加護の力を発揮できんようにしたのじゃ」
「そうだよ〜。だから野生動物が寄ってくることはないし、集られることもないからね!」
楽しげに言ったウツギが鼻先で示す足下には、飛び交う大型の鳥がいる。いずれも浮島の方――湊に注意を向けてくることさえなかった。
「ここでなら、釣りも好きなようにできるぞ」
トリカの言葉に心躍る一方、しみじみと思った。
「楽しみだよ。でも神域はそんなことも設定できるんだね。あっ」
先日、クロにその加護をはがされたことも思い出した。
「そういえばこの間、クロに麒麟さんの加護をはがされたんだけど」
「それは致し方ありません。四霊は霊獣ですから、神の力には敵わないのです」
「そうだったんだ……。あの時、異様に不安な気持ちになったんだけど、それはなんで?」
眷属たちは顔を見合わせ、セリが静かな眼を向けてきた。
「通常、人間の運気には波があります。なにをやっても上手くいく日や、なにをやってもてんでダメという日があるでしょう」
「たしかにあるね。――いや、あったね」
四霊に加護を与えられる前は。
そこはあえて言葉にしなくとも承知しているであろうセリは、訳知り顔で頷く。
「そうです、常人はいい時と悪い時を繰り返すものなんですけど、湊の運気は常にいい時、それも頂点の状態を保っているんです」
「加護のおかげで、だよね」
「そうです。ですので、それがなくなったら、反動で悪い方に振り切れるということです。クロにはがされた時、その予感がしたのでしょう」
湊は息を呑んだ。
セリたちをはじめ、カエンまで困った顔をする。
「正直、四霊は加護を与えすぎなのじゃ。しかし責めることはできん。その強さは恩人たる汝への感謝の気持ちの表れなのじゃから」
「だよね~。だから麒麟は、二度とはがされないよう白虎の力も遣って与え直したんだよ」
ウツギにそう言われても、湊は不安をぬぐえなかった。
ある意味、爆弾を抱えた状態ではないだろうか。
もし、悪意をもつ神やいたずらが過ぎる神に出くわそうものなら、ひと思いにはがされる恐れもあるのだ。
さすれば、いかほどの不幸に見舞われることになるのだろう。今までのあり得ない幸運を一挙に清算する羽目になるのではあるまいか。
「湊、そう心配するな」
トリカのやわらかな声に顔を上げると、みな朗らかに笑っている。
「そうじゃ。ろくでもない神の類にはがされるやもと考えておるのじゃろうが、そんなことは、ほぼほぼ起こらんのじゃ」
「そうだよ~。湊はその手のヤバイのとは、出会うことすらないよ。もっちろん四霊の加護のおかげでね!」
カエンとウツギに太鼓判を押され、セリを見ると力強く頷かれた。
「そうです。いままでもタチの悪いモノに遭遇したこともないでしょう」
「――たしかにそうだね」
みなのいう通りだ。
そのうえこの晴れやかな天気のもと、起こるかどうかもわからないことにくよくよ悩んでいても致し方ないだろう。
湊は気持ちを切り替えることにした。
この面白そうな神域は、眷属たちがわざわざ用意してくれたのだ。楽しまなければ、損である。
湊は浮島の際に立ち、見下ろした。
現在いる位置は、四つの島の中央――海の真上だ。そこを十字に区切って風の流れも異なるようで、雲の流れも同様であり、雪山の吹雪など海上で消えていく不思議仕様であった。
「これ、場所ごとに季節も違うみたいだね。凝ってるねぇ」
「みんなの意見がまとまらなくてさ~」
「だな。だから、区切りをつくってそれぞれ好きなようにつくってみたんだ」
ウツギとトリカの言葉に、セリとカエンも首を振って同意を示す。
「そうなんですよ。途中から楽しくなって悪乗りしちゃったんですけど」
「そうなのじゃ。雪山はどう考えてもいらんかったとあとで気づいたのじゃ」
「――そうだね。さすがに吹雪の中、釣りをしたいとは思わないよ。間違いなく凍える」
肌の露出は最低限な登山服を着ているとはいえ、冬装備ではない。
湊は厚い雲の隙間から見える冬山を見やった。海も大しけで、白波が立っているうえ、巨大な渦まで巻いている。
恐ろしい魔の海域のようだ。
「あれ、いまのは……?」
渦の下方に黒い魚影が通ったような気がしたのだけれども。
しかしこの高さから明確にわかるほど、巨大な魚などいるものだろうか。
疑問に思ううちに雲に覆われ、見えなくなった。
「湊~、どこの島がいい? どこでも渓流釣りも海釣りもできるよ!」
わくわくといった様子を隠さないウツギに促され、ちょいと悩んだ。
ひさびさに渓流で、フライフィッシングもいいかもしれない。
しかしながら、クロを遊ばせるために竿を振りまくったのは記憶に新しい。
「緑の山脈の島は春だよね。そこがいい。そして海釣りがいいな」
のんびり釣り糸を垂らしたい気分であった。
「よし。ならば、ゆくのじゃ!」
カエンが張り切って片手を上げると、それは湊の前に忽然と出現した。
巨大な鉄製の鳥である。
両翼と尾羽が広がった形状で、くり抜かれた背中に座席がある。それはいいが、至る所から歯車やボルトが飛び出しているという、手作り感満載の逸品であった。
「こ、これはまさか、鍛冶の神様お手製の飛行機!?」
のけ反ってたまげると、カエンが高らかに言う。
「そうじゃ、麿がつくったのじゃ!」
とう、と滑空したエゾモモンガが操縦席に乗り込む。その前足が握る操縦桿は、当然ながらカエン仕様のミニサイズであった。
ポンコツそうな飛行機の外観に、初心者であろう操縦士。
不安しかない。
「あの、これに乗って地上に降りると? それにカエンが運転するの?」
「むろんじゃ」
「――ハンドルはいらないのでは?」
何はともあれ、神なのだから。動力も神力であろうから。
「気分は大事じゃ」
キリッと言い放った操縦士カエンは、その大きな眼にゴーグルを装着した。




