2 この世界の常識
「山神、いつですか? 今からアレを振りまくのですか!?」
「だな。できるだけ早い方がいいんじゃないか!?」
「そうだよ、すぐやろう、いまやろう! やっぱやめたって心変わりしないうちにやろうよ~!」
山神のことを誰よりも理解しているからこそ急かすのだろう。たしかに時間を置けば、『はて、我はそんなこと云うたか?』とすっとぼけそうだ。
急ぐに越したことはなかろうが、湊は訊かずにおれなかった。
「あの、山神さん。幸運をくれてやるって、どうやって? 振りまくとは?」
「毛玉である」
意味がわからない。セリが気をきかせてくれた。
「一般的にはケサランパサランと呼ばれているモノです」
「えっ、あれって山神さんにまつわるモノだったの!?」
一般的には、生き物なのかもはっきり知られていない謎のブツだ。見つけた、あるいは手に入れた者に幸運をもたらすという。
「うちの山神だけでなく、山の神がつくっていますよ」
わりと衝撃的なことをあっさりいったセリは続ける。
「山の神は定期的にケサランパサランを人里へ放つものなんですけど、我らはまだつくったことすらないんです」
「ああ、じゃあ張り切りもするよね」
まだ一歳そこそこのセリたちは、鼻息荒く意気込みをあらわにした。
そんな三体をツムギは微笑ましげに眺めている。
「ツムギのところもつくるの?」
天狐は山の神ではないが、山にお住まいだからだ。
「つくらないんだじょ。うちはお守りやお札にちゃんと加護をつけてるんだじょ」
教えてくれたのは、膝に顎を乗せたメノウである。
なるほどと、言いつつその頭をなでていると、真正面で光が弾けた。
それにつられて視線を上げると、真白な山神の足元から徐々に、金色のベールが覆われていくところであった。
実に神々しい光景である。
が、いかんせん眩しすぎる。
湊は両目を限界まで細めつつ、物申した。
「山神さんはさぁ、いつもいきなりだよね」
「いまからやるぞ」
「遅いんですけど」
「耐えがたいなら目を閉ざしておくがよい」
ちっとも悪びれない山神は、含み笑いしながらさらに光を強めた。
その光が一挙に山神の眼前に集約し、一つの大きな塊となった。
「おおっ」
感嘆の声をあげたのは、湊のみであった。
他のモノも眩しげであるが、神の眷属たちにとっては、それがなんであるかは周知の事実なのだろう。
しかしながら、湊は知らぬ。ただ驚きがすぎれば、困惑するしかなかった。
「あの山神さん、それなに……?」
その塊はいままで見てきたモノとは異なり、湊の太ももよりやや太い円柱状をしている。
「うむ、まあ、見ておくがよい」
山神がそれに前足を振り降ろすと、爆発するように綿毛が飛び出した。
次々とあふれ出し、一帯が毛玉だらけになって、湊は半身を引いた。
「なにそのとんでもない数の毛玉……! っていうか、ガマの穂みたいだ」
水辺に生えるソーセージめいた植物のことである。
「左様、よう似ておろう。似せてつくったゆえ」
笑う山神の足元もすでに毛玉に埋もれているが、いまだ毛玉の放出は止まらない。
それを見て、我慢できなかったのが一体いた。
「雪みたいなんだじょ!」
湊の膝から跳んだメノウが、毛玉に喰らいつく。そのままゴロゴロと毛玉が降り積もる床を転げまわると、ツムギが血相を変えた。
「メノウ、やめるのです! これらは遊ぶものではないのです!」
「なに、構わぬ。これらはまだ単なる毛の塊ゆえ、おおいに遊ぶとよい」
すぐさま山神に軽い口調で言われても、ツムギの表情は硬いままだ。
「ですが山の神、お仕事の邪魔をしてしまうのです」
「我は気にせぬ。メノウはまだ赤子ゆえ」
山神は赤子に対してはとことん寛大である。
その言葉に偽りがないことを、発する神気が穏やかなことと、のんびりと毛玉をかき集めていることからツムギもわかったのだろう。
「ならば、よいのです……」
前のめりになっていた姿勢を戻したツムギは、ようやくやわらかな雰囲気に戻った。
一方、メノウは綿毛ダルマになって転がっている。
へくち! とクシャミをしたため、湊はその顔周りの毛玉をかき分けてやった。
「すごいふわふわになっちゃったねぇ」
「ワレも大きくなったらこれぐらい毛深くなるんだじょ!」
「毛深いって言葉はいただけないな。もふもふっていうといいんじゃないかな」
「んじゃあ、もっふもふになるんだじょ~!」
メノウがまた毛玉の海に突っ込んでいった。
「まったくメノウは、お子様だね~」
澄ましていったのは、ウツギだ。
が、毛玉をタワーのように積むその前足はかすかに震えている。
隣のトリカが不思議そうな様子から一転、合点がいったような顔になった。
「ああ、あれか。己も同じようにはしゃぎたいが、歳下にいい格好をしたいがために、毛玉を縦に積んで気をまぎらわせているのか」
「トリカ、そういうことはわざわざ声に出していうものではありませんよ」
めっと諫めたセリは涼しい顔で、毛玉をかき集めた。
さて、ケサランパサランである。
湊は、自らの膝頭にひっついている毛玉を取り上げた。
手のくぼみに収まる大きさで、中心に核めいた珠があり、それから細く長い毛が放射状にびっしり生えている。
「タンポポの綿毛みたいだ」
じっとそれを見つめた。
自ら動く様子は微塵もなく、ただ長毛を風になびかせるのみだ。
――山神の神気をまとっているが、ごくごくわずかにすぎない。
湊は首をかしげた。
「なんだろう、すごい違和感しかないんだけど。――なにかが足りない気がする」
「ほう、よう気づいたな。左様、今しがたも云うたように、これらは単なる毛玉にすぎぬ。まだこれを入れておらぬゆえ」
ぬん! と山神が気合を入れるとともに、その足元に金の粒子が集まり出した。急速に形をなしたそれは、山神の頭部よりやや大きく、輪郭が波打つ様子はしごくやわらかそうだ。
さながらつきたての餅といったところである。
「山神さん、それは?」
「幸運の大本である。見ておくがよい」
厳かに告げた山神は、やおら餅状のモノを踏みつけた。
もちっと切断された部分が、ソフトボール大の珠に変化し、ふわりと山神の目線に浮き上がる。
「ぬしは、五穀豊穣をもたらす素である」
その御言葉を受けた珠が、赤い光を放った。
点滅するそれをセリの方へ押しやり、山神はふたたび大本の塊を踏んだ。また一部がころりと離れ、珠となった。
「ぬしは……勝負運が上がる素である」
山神の御言葉を吸収した二つ目の珠は、青い光を放った。
「とまぁ、かように我がつくったこの素を眷属らが分けて、毛玉に詰め込む。さすれば、人間らに幸運をもたらす、けさ? けそれん……?」
名を思い出せないらしい。湊は小声でこそっと教えた。
「ケサランパサラン」
キリッと山神が顔を引き締め、背筋を伸ばした。
「けさらんぱさらんとなるのである!」
力強い宣言が下り、「おお〜!」と湊はやや大げさに驚いてみせ、ついでに拍手も送った。
「はいはい、あとは我らにまっかせて〜」
と万歳するウツギのもとへ、山神は瞬く青い珠を前足で蹴りやった。
受け止めたウツギが鼻先でお手玉のように扱うのを見ながら、湊は感心するほかなかった。




