1 【朗報】約千年ぶりに山神がやる気に
おはようございます。しばらくぶりです。
更新が途絶えていた間も応援ありがとうございました。
10章もお楽しみいただけたら幸いです!
道端でコスモスが咲きはじめ、赤トンボが空を飛び交う。
そんな秋の気配がしはじめた日の昼下がり、楠木邸の庭に大勢が集っていた。
大狼――山神、三体のテン――セリ・トリカ・ウツギ、黒狐――ツムギ、赤毛の子狐――メノウ、そしてここの管理人、湊である。
ちりーん。
一同の頭上で、クスノキにぶら下がる風鈴も涼やかな音を奏でて存在を主張した。今年はうっかり箱から出すのを忘れていたため、いましばらく活躍してもらうつもりである。
ちりんちりん。
短冊を元気よく振っているのは、暇を見つけてはちょっかいをかけるカエンがいないせいだろう。
かのエゾモモンガの姿をした神は、縁側近くの石灯籠の中で眠っている。神は総じて、朝起きて夜寝るような生活は送らないものだ。
さておき、ご近所さんたちが雁首をそろえて何をしているかというと、井戸端会議であった。
湊は順繰りに座卓を囲う面子を眺め、あらためて思った。
人型は己だけだなと。
大変いまさらであり、かといって、自身がここにいることに取り立てて違和感を覚えることはない。
思いながら、おかきを口に運んだ。
「わさびがきいておいしい」
「なによりなのです」
それを手土産として持ってきてくれたツムギは、にこやかに笑った。
いつも必ずお土産を持参してくれるのだが、たいがい神の実である。ひと欠片でも口にしようものなら不老不死になれる代物は、そうなることを微塵も望まぬ湊からすれば、正直ありがた迷惑でしかない。
しかし今回はなぜか普通の茶菓子で、しかも甘い物を好まない湊好みの渋いセレクトであった。
機嫌よく味わっていると、膝の間に陣取っているメノウが大口を開けて催促してきた。
「湊、ワレも食べたいんだじょ」
はいよと、その口におかきを放り込む。ぱくっと口が閉じた瞬間、ずわっと毛が逆立った。
「お子様にはまだ早かったかな?」
「そ、そんなこと、ないんだじょっ」
涙目で四肢をじたばた動かしている。
大人ぶりたいお年頃かもしれないが、そこからどこうとしないあたり、甘えたさんである。
今しがたツムギとともに元気よくやってきたかと思えば、あいさつもそこそこに膝に乗ってきたのだ。
「あ、そうだ。メノウ、はじめてのお役目はどうだった? ちゃんと果たせたかな」
先日、外でばったり出くわした折、今からお役目――悪霊祓いをしにいくのだと張り切っていたからだ。
仰向けの姿勢のまま、メノウは顎を上げた。
「もちろんなんだじょ。オバァに憑いていた悪霊どもは、ぜ~んぶ祓ってやったんだじょ!」
得意げに言ったあと、双眸を弓なりにし、声を落とす。
「あの程度の雑魚など、ワケないんだじょ」
この子狐さんは時折、やけに黒い面をのぞかせることがある。
主たる天狐を彷彿とさせるが、メノウはまだまだおこちゃまゆえ、かわいらしいものだ。
「そっか、おつかれさまでした」
湊はその頭から背中をわさわさとなで回した。
きゃっきゃっとメノウの笑い声があがるその正面で、山神が厳しい顔をしている。射貫かんばかりに見下ろすのは、座卓に楚々と並ぶ二つの甘酒饅頭である。
紅白のそれらは、むろん山神の御用達店――越後屋の物、かつ十三代目となるであろう若者の作だ。
山神は頭の位置を変え、あらゆる角度から饅頭を観察している。
「――ぬぅ、形は申し分ない。しかし、肝心なのは中身である」
ぎりぎりまで近づけていた鼻を遠ざけた。
そして、いざ実食。
前歯で、ほんのり表面をかじり取った。
「あんなちょっぴりで味がわかるんだじょ?」
メノウが首をかしげて不思議がる一方、山神の隣に並ぶ――セリ、トリカ、ウツギは深く頷いた。
「当然です。食べ慣れておりますから」
「だな。というより、本当はわざわざ食さずとも、香りだけで判定できているんだがな」
「そうそう。ちょっともったいぶってるだけなんだよね~」
ジロリと己が眷属たちをねめつけた山神は、口周りをひと舐めした。
「なにを云うておる。己が舌で味わってこそであろうが」
職人への礼儀なのかもしれない。
思う湊が見つめる先で、山神は舌で甘酒饅頭を舐め取った。もちゃもちゃとエンドレス咀嚼がはじまる。
実に狼らしくない所作で飲み下した山神は、口をひらいた。
「やりおる」
たったひと言。けれどもその台詞が、山神にとって最上級の誉め言葉であることを、メノウ以外は知っていた。
「十三代目、いよいよ免許皆伝ですね」
「だな。よかったよかった」
「ほんとだよ~! それでこそ、十二代目に活力を与えた甲斐があったってもんだね!」
セリ、トリカ、ウツギが華やぐも、湊は遠い目にならざるをえなかった。
そう、山神の神業のおかげで病を患っていた十二代目は快復し、以前にも増して精力的に仕事をこなせるようになったため、弟子となった孫も育て上げることもできたのである。
「まあ、うん。十二代目の方に、事前にお知らせしてあげてもよかったのではないかと思わないでもなかったけど……」
何しろ、あまりにも唐突であった。
山神はある日、地域情報誌をにやけて眺めていたかと思えば、やにわに神気を練り上げた珠をぶっ飛ばしたのである。おかげで、この庭に嵐まがいの風が吹き荒れた。
当時はまだ山神という神に慣れていなかった頃で、湊も相当ぶったまげたものだ。
ずいぶん遠い昔の出来事のように感じるが、あれからまだ一年と少ししか経っていないのだ。
「わたくしも、あれは突然すぎたうえ、与えすぎだったと思うのです」
お茶を飲みながら、ツムギがぼそりといった。ご近所ゆえか、ご存じだったようだ。
そんな風に周囲が好き勝手に話すなか、山神はとりわけ返事もせず二個目の甘酒饅頭を堪能していた。
ごくんと嚥下したのち、静かに面を上げた。
「どれ、ひさびさに人間らに幸運をくれてやろうぞ」
唐突すぎる厳かな宣言である。
セリたちが「わあ!」と歓声をあげるも、湊は疑問に思った。
〝人間ら〟というのなら、十三代目のみに送るわけではないのだなと。
とはいえ、その対象が多いのならば、必然的に喜ぶ人も増えるということだろう。いいことだ。
湊はあえて口を挟まなかったが、代わりのようにツムギが甘酒饅頭を割りつつ、山神に言った。
「山の神、アレを振りまくのですね。懐かしい。おおよそ千年ぶりではありませんか?」
「うむ、それくらいよな」
ツムギは双眸を細めた。
何かを懐かしむようであり、いつくしむような雰囲気でもあり、湊は不思議に思った。
「ツムギは、そんな昔から山神さんと知り合いなんだね」
「――ええ、仲よくさせていただいているのです」
やや圧のある笑顔を向けられ、それ以上、訊くのは憚られた。
視界の端で、やにわに立ち上がったセリ、トリカ、ウツギが、山神に詰め寄った。




