23 霊獣の加護は脆いのか
それはともかく、麒麟は語り続けているため、そちらを拝聴することにした。
『――それがですね、白澤とは一度ではなく、何度も会ったのです。まずは鮮やかな青い海に囲まれた南の島で、お次に北の氷に覆われた大地で、それから東の人間だらけの都会で、最後に西の闇市でもです』
最後の場所は不穏でしかなかったが、霊亀はそこに触れることもなく、訳知り顔で頷いた。
『白澤のやつめ、相変わらず珍しい物を探し歩いとるな。この世のすべてのモノを把握しておかねば気が済まんとは、変わった神獣ぞい』
『然り。変態ゆえ』
応龍が辛辣に言い放ったが、鳳凰は違うようだ。翼を忙しなくはためかせた。
『そう言ってやるな。余はその行動がよくわかる。余も人間のつくり出すモノに惹かれてやまんゆえ、一人でも多くの職人を知りたいと思うからな』
そうかもなと思いつつ、湊はいまさらながら思った。
己は、すごい環境にいるなと。
一般人ならまずもって知り得ないことまで知ってしまうというのが大きい。むろん誰にも言わない、言えないのだけれども。
思いながら、そっとその場を離れた。
クスノキの部屋へ延びる廊下の中央あたりで、二体の獣が肉弾戦に明け暮れていた。
トリカとクロである。
その体格にあまり差はない。しかしいくらクロがバネでも入っていそうに高々と跳躍しようとも、トリカはなんなく追いつく。
もとより経験値の差は歴然だが、クロの動きがやや精彩を欠いていた。水が苦手ゆえ、大池に落ちないよう気をつけているからだろう。
それは克服できなかったなと思いつつ、湊がその直前にまで至ると、二体はすっと離れ、それぞれ廊下の端へ寄った。向かい合って座す姿は、神社を護る狛犬のようだ。
「湊、道行の邪魔をしてすまない。さあ、通ってくれ」
トリカが殊勝に言うと、クロも顎をあげ、ギャオ~と鳴く。通ってどうぞと申しているようだ。
「ありがとう。ところでトリカ、セリとウツギは?」
山を護る眷属たちは、毎度そろってここにくるわけではないため、必ず訊いてしまう。
時候のあいさつに近いそれに、トリカも律儀に答えてくれた。
「セリは御山を見回っている。ウツギは今日は休みでな。趣味に没頭しているぞ」
「また新たな神産物をつくってるのかな?」
「そうだ。自分の部屋にこもって励んでいるぞ。カエンも一緒にな」
「ああ、だからカエンの姿も見えなかったんだ」
今度はどんな妙なモノをつくろうとしているのか。あえて訊かないことにした。
ともかく、カエンもぼちぼち活発に動きまわるようになってきた。
「カエンも山を歩き回るのかな」
「いや、それはまだだ」
「うっかり人と出くわす恐れがあるからとか?」
「たぶんな。まだ人間への忌避感が完全にはなくなっていないのだろう」
とはいえ、やがて御山へ居を移すからいつまでもそのままではいられまい。
カエンもわかっているからこそ、自ら積極的に行動するようになったのだろう。
「――俺もそっちにいこうかな」
「ああ、いつでも泊まりにくるといい」
前々から、山でお泊まり会をやろうとウツギと話していたからだ。カエンのためにもそろそろ実行すべきだろう。
湊がともにいったからといって、劇的に改善することはないだろうけれども。
そのうえ、そろそろ夏も終わるから、ひさびさに山でキャンプを楽しみたかった。
なお、山遊びは裏島家からいつでもお好きにと許可をもらっている。
「あ、そういえば、あの中年男性は? 元気にしてる?」
自身の軽率な振る舞いで、肉体から魂が離れやすくなった中年男のことだ。
あれからまだひと月も経っておらず、セリの神域で養生中なのはわかっているが、やはり安否は気になった。
きちんと座したトリカは、快く教えてくれた。
「ああ、ピンピンしているぞ」
「それはよかった。ちなみにセリの神域ってどんな感じなのかな」
とても気になるところであった。
何しろ、眷属たちの個室にはおじゃましたことも見たこともない。
「もともとなにもない空間だったんだが、あの男を入れっぱなしにしておかなければならなくなったので、急遽うちと似た山と小屋を用意したんだ。とはいえ当然ながら電気、水、ガスは通っていない。明るいうちにしか行動できず、その間に飲料水や風呂の水を山の湧き水で確保し、食料は自ら畑で育てた物と山で仕留めた獲物をさばいて食っている」
トリカは淡々と言ったが、あまりに予想外の内容で湊は驚いた。
「そんな原始的な生活を送ってるの!? 寝たきりの状態だと思ってたよ」
「いや、神域にいれば魂が離れることはないから、普通に過ごせるんだ。ただ我らは上げ膳据え膳してやるほど、優しくはない。自分の面倒は自分でみろと環境を整えてやって、好きにさせている」
「そ、そうなんだ。音を上げていない?」
なにせ、快適な生活にどっぷりつかっている現代人だ。
そんな大昔の生活スタイルには、ついていけないのではないだろうか。
しかしトリカが首を左右へ振ることから、杞憂であったようだ。
「いや、まったく。それどころか生き生きしているぞ。ああいうのを水を得た魚というんだろうな。昨日なんて、死ぬまでここにいたいなんてぬかしていたぞ。セリが断固拒否していたが」
半笑いになったトリカと、湊も同じ顔になってしまった。
そうしてトリカとクロの間を抜け、クスノキのもとに至ると、そこには大狼が寝そべっていた。
四肢を横に投げ出す姿勢で、巨大座布団を占領している。規則正しく胴体が上下しているが、寝てはいないようだ。
閉じた瞼の奥に映し出される、御山ならびに眷属の神域を観察しているのかもしれない。
思いながら、湊は座卓に視線を落とした。
そこには、護符が整然と並んでいる。
完全に座卓を埋めているそれは、乾燥中である。微塵も動いていないのは、横風が吹いていないおかげだ。
代わりのように樹冠から微香を含む風がほんのり降りてきている。
クスノキが送ってくれていた。
見上げてクスノキに礼を言うと、木漏れ日を受ける風鈴も目に入った。
艶めくガラス風鈴に絵付けされた二匹の出目金に注目されていた。
しれっと風鈴が見ていたのである。
風鈴は風鈴でありたいだけだという。
ゆえに付喪神とはいえ、自ら動かない。
頑なにそうあるべきと己に課しているようだが、実は微妙に動いている部分がある。
それが、赤色と黒色の出目金だ。
ぱしぱしと瞬きをし、時折その背びれや尾びれがゆらめくことさえある。
それに気づいていても、湊はあえて指摘しないようにしていた。風鈴はプライドがお高いようなので。
湊は半笑いで、墨文字に指先で触れた。
「もう乾いているみたいだ」
束ねようとしたその時、背後からナニモノかが忍び寄ってきた。
ふすふす。クロが背中に鼻をぴたりと押しつけ、執拗に嗅ぎはじめた。
そこには、麒麟の足跡――印がある。
「クロもそれを気にするんだね」
通常の動物――出先で会う動物たちも同じように、そこの匂いを嗅ぎ、前足で触れたうえ、身をすりつけてくることも多い。
人間もなぜかご利益がある銅像などに触れたがる傾向があるから、似たようなものだろう。
そんな動物たちの微笑ましい行為を〝麒麟参り〟と称している。
いつものことのため、湊は動じない。
されるがままになっていると、クロがふいに鼻を離す。
そして、前足で麒麟の印を引っ掻いた。
べりっ。はがれる音に次いで、硬いモノが床に落ちる音がした。




