20 湊が恐れること
神の力をもつなど他者に知られてしまえば、称え、祀り上げつつも、利用しようとするだろう。
神の力ならば、誰しも万能だと思うからだ。
己が願いを叶えてくれと、殺到されるに違いない。
それを想像しただけで、湊はおぞけが走った。
いかに切望されても、叶えてやることなどできやしないからだ。
たしかに湊は、風神とアマテラスの二神から力を与えられている。
しかしそれは風を扱えるだけ、なにがしかのモノを閉じ込められるだけ、という限定された力にすぎない。
けれども人はそう思うまい。
勝手に期待し、できないと知れば勝手に失望する。
そして最悪の場合、異端者扱いあるいは嘘つき呼ばわりして排除しようとするだろう。
大昔から人間がそういう行動を取ってきたのは、歴史が証明している。
鬼七はしばし唸っていたが、組んでいた腕を解き、あっけらかんと言った。
「なーんにもいいアイディアなんて思いつかないや。まぁ、あの手の者には極力関わらないようにすればいいんじゃないの?」
すこぶるいい加減であった。
半目を見やると、にっこりと笑われる。
「俺、仕事はきっちりするけど、それ以外は適当なんだよね。絶対タダ働きもしないタイプなんでそこんとこよろしく!」
「――じゃあ、さっきの女性の件は仕事だったと?」
件の女を尾行する前に、ただ見ているだけでいいよと言われたからだ。
「そ、五兄からの依頼だったんだ。五兄が晩飯おごってくれるっていうから、頑張っちゃいました~!」
輝く笑顔で、大げさに両腕を広げた。
冷淡かと思いきや、チョロそうだ。
いや、おそらく違う。兄限定だろう。愛想はよく、愛嬌もある。しかし線引きは明確なタイプだ。
湊がそう分析していると、その斜め後ろで、山神は女が去っていった脇道を眺めていた。
――あの女は諦めまい。
山神は憂う。
己の未熟な呪物を強制的に解かれ、その痛みを身もって知ってなお、その魂の穢れは晴れなかった。どころかより一層穢れ、悪臭を放つようになった。
そんな醜悪な姿に、在りし日の女が重なった。
江戸時代、南部の商店街を訪れると、山神はすぐに視える者たちに取り囲まれたものだ。
その日も即座に人垣ができた。
とはいえ、間に空間が空いている。みな弁えているからだ。
いくら気安くとも神は神。貴とき存在であり、己たちとは違うのだと態度で示してくれる。
が、そんな者たちの間に割り込む女がいた。
「ねぇ、ちょっとどいて、通してよっ」
両手で人をかき分け、近寄ってくる。
まとめ髪に刺さった赤珊瑚のかんざしが陽光を弾く。その輝きが着乱れた女の形相に似つかわしくなく、ひどく美しかったのを覚えている。
「どいてっ! 山神様に言いたいことがあるんだから、どいてってば!」
すっと両側の者が脇へ避けた。それがあまりに唐突で、女はよろめき転けた。
かなりの勢いがあり、握りしめていた物で怪我をしたようだ。血が付着していくそれは、山神が与えたやや尖る小石であった。
幾度も甘味を捧げてもらった礼であり、三つの願い事を叶う力を施していたモノだ。
だが、もうその効力はない。
「山神様、お願いっ。もう一度私の願いを叶えて!」
声高に懇願した女は倒れたまま、小石を握る手を伸ばしてくる。
しかしその手も目線も、山神の顔の位置から微妙にズレている。
そのうえ煤けた魂から悪臭が漂ってきた。
女はすっかり変わってしまった。
山神は不快げに鼻梁に皺を寄せた。
かつてのいやな光景を、山神は頭を振って消そうとした。
だがしかし、風に紛れて耳障りなあの女の声が聴こえる。
――や゙……ま……、み゙……さ……ぁ……。
同時、するりと地面から這い寄るモノがあった。
常人には視えないそれは、束になった蛇のようだ。うねうねとのたうち、絡みつこうとしてくる。
『うっとうしいわッ』
山神は突如、その身を巨大化した。
金の粒子が拡散し、その存在感が増す。あっさりと蛇の束のごときモノ――邪念を消し去った。
鬼七が飛び上がった。
「うわっ、おっかな!」
その視線は山神の顔からややズレている。
視えてはいないが、気配だけはわかる人間だ。いまのいままで神気を極力抑え、距離を取っていたから気づかなかったのだろう。
神の気配は知れても、神を厭う人間らしい。こちらに向けてくる感情に嫌悪感がにじんでいる。
いかなる経験のせいでこうなったのか、知る由もないが、さして興味もない。
山神が構う素振りもみせないと、相手も背を向けた。
「んじゃあ、楠木さんまたいつか!」
「ああ、うん。またね」
韋駄天のごとき勢いで逃げるのを見送った湊が、こちらに向き直った。その顔がやや強張っているのは、あの濁った声で山神を呼ぶ声が聴こえたからだろう。
「いまから、うっとうしいモノを始末しに参るぞ」
「――わかった」
一も二もなく返事が返ってきた。
山神は背を向け、ついてくる湊の足音を聞きながら、足を速めた。
◇
そこは近代的なビルに囲まれた狭い場所であった。
南部の一等地であろうと不自然に方形の空間が開いており、中央に石祠がある。
「ここはその昔、我が武蔵とともによう通った甘味屋があった所ぞ」
いまやその面影は微塵も残っていない。舗装されておらず、日も差さないそこは湿度が高く苔むしている。
そこを目前にした湊は、動けなくなったようだ。
「そうなんだ。――いまはすごく不気味だよね」
真っ黒になるほど穢れた所であろうと、なんの影響も受けない身でも、やはり妙な雰囲気というものはわかるのだろう。人間が近寄りがたい空気が漂う場所は、特別に敏感ではない者も警戒し、近づかないものだ。
ここもそうだ。
この地に面したビルの窓は、いずれもすりガラスがはめ殺しとなっている。むろんこの場に人はいない。人間が寄りつきもしないのは、石祠に花や水が供えられていないことからも明らかであった。
「こんな状態じゃ、祀ってるようで祀れていないように思うんだけど」
「祀りたくとも祀れぬのであろう。ここに近寄っただけで、鈍感な人間さえ精神に変調を来すであろうよ」
湊と話しつつ、山神は石祠を見た。
長方形のそれは、前面に開口部が開いている。中に安置されているのは、石仏だ。暗がりでほとんど見えないのだろう、湊は目を細めた。
「中にあるのは……石仏かな? それがうっとうしいモノなの?」
「否。あの石祠の下に埋まっておるブツのことぞ」
石祠から黒い煙が絶え間なく立ち昇っている。
鼓膜をひっかくような不快な女の声とともに。
――や、ま……が、み……!
湊は顔をしかめ、耳に手をやった。
「いまの声、女の人だったよね?」
「左様。地下にろくでもない呪物を埋め込んだ女の声よ」
いったん言葉を切り、山神は深くため息をついた。
「我を待ちわび、待つことに耐えきれず、呪物を用いてでも我を喚ぼうとしたのであろう」
「そんなこと、できるんだ……」
「否、できぬ。人間の術程度で神を喚ぶことも、まして操ることなぞ、できはせぬ。あげく、女の呪術は中途半端であったがゆえに妙な具合に変質しておるわ」
「そんな、うわっ」
突如、圧が波のように押し寄せ、湊の身体が後方へ傾いだ。
――ま、が……さ、ま!
女の喚ぶ声はやまない。
むろん返事なぞ、してやるはずもない。
ぐるっと喉を鳴らしつつ、山神は土がむき出しの敷地に踏み込む。境界を越えた瞬間、石祠から蛇めいた黒いモノが無数に伸び、襲い掛かってきた。
「小賢しいわ」
一喝で、触手めいたモノらを蹴散らした。
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