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19 神を狙う愚者






『ええ。あそこまで達した者たちはたいがいそうですわね』

『ほけほけしておろう』

『ええ、ほんとに。いつでもまったりのんびりしていますわ。もうなにも急ぐ必要などないのだと、本能的に悟っているからでしょうね』


 湊と男子は見た目こそ似ても似つかないが、その魂は酷似している。

 形は真球。色は澄み渡り、そして微塵も臭わない。

 幾多の転生の果てにたどり着く、一歩手前まで達することができた魂の特徴である。


『そばにいさせるだけでこちらまでゆったりした気持ちになれよう』


 山神が笑いながら訊けば、龍神も双眸を細める。


『ええ。だからこそ、神に目をつけられてしまう。かわいそうに』


 ふふふと妖しく嗤う龍神も己が神域に男子を住まわせているのは、神気に包まれた男子を見れば一目瞭然だ。男子と交流を重ね、本人の了承を得ることもなく引き入れたに違いない。


『微塵も思っておらぬことをぬかすでないわ』


 己と同じ所業をしたであろう龍神を山神は鼻で嗤う。それから、戸口を流し見た。

 閉ざされたそこから、外はうかがえない。窓もないが、障害物なぞ意味がない山神にはみえていた。


 通りを挟んだ店舗の陰に身を潜め、戸口を凝視する女を。


 粘ついた視線に、穢れきった魂。汚泥のごときその色は、叶わぬ想いに焦がれ、我欲に走る人間の特徴であった。


「龍神よ、よからぬ輩に目をつけられておるな」


 龍神が体の中の空気を出しきりそうなため息をついた。


「ええ、そうなの。あの人間の女は、どれだけすげなくあしらっても一向に諦めてくれませんの。本当に困っていますのよ……」

「ぬしへの想いごとバッサリ断ち切ってやればよかろうて」

「できませんわ、そんなこと! かわいそうでしょう……」

「お優しいことよな」


 あえて湊たちに聞こえるよう話した。

 男子は顔を強張らせ、湊も真顔でこちらを見ていた。


「山神さん、いまのどういう意味――」

川神(かわかみ)さん、いまのって――」


 二人が同時に問おうとした時、戸口から鞍馬店員が戻ってきた。

 やけに表情が硬い。ただの兄弟間の問題ではなかったようだ。このめざとい店員のことだ、外の女にも気づいたろう。

 しかし鞍馬店員は、まったく別のことを言い出した。


「ここのところ、街によからぬ念が渦巻いているようです。どうも狙うのは、神様だけのようで。――神様方、どうか十二分にお気をつけくださいませ」





 南部の目抜き通りを男子と龍神が歩んでいく。

 浮遊する龍神が右側の店舗へ、左側の店舗へと自由気ままに行き来するのを男子は嫌がる様子もなく、あとについていっている。

 しばしそんなやり取りをしていたが、龍神が男子の上腕に巻きつくと、脇道へそれた。

 華やかな通りから一本入るだけで、途端にうらぶれた印象となる。古びた家々もだんだん少なくなり、ひとけもなくなった。

 長いコンクリート壁が続くなか、男子の腕からふいに龍神が離れた。

 その瞬間、脇道から人影が飛び出した。

 女だ。

 二十代であろう。小太りで、背も低い。

 何かを握りしめるその手から、黒いモノが出ている。

 濃い煙のようなそれで手そのものが見えないほどだ。

 その黒い煙の筋を引きながら、女は男子の背中へ、腕を振りかぶった。


 瞬間、その腕を背後からつかんだのは、鬼七であった。


 軽く握っているように見えても、女は微塵も腕を動かせない。盛大に顔をゆがめ、叫び出した。


「ちょっとあんた! なにするのよ、放して! 放しなさいよ!」


 必死に腕を取り返そうと暴れる女の手から黒いモノが出続けている。煙めいていたそれが徐々に液状化し、ぽたぽたと地面へ落ちた。


「放すわけないじゃん」


 鬼七の口調は軽い。笑んだその顔も軽薄に見える。しかしその目つきはひどく厳しい。


「おねぇさん、こんなろくでもない呪物で神を我が物にしようだなんて、無謀だよ。返り討ちに遭うに決まってるでしょ」


 握りしめられた女の手を鬼七が片手で包んだ。反対の手が、印を結ぶ。

 途端、二人の手を帯状になった梵字が螺旋状に取り巻いた。


「キャア!」


 女が悲鳴をあげようと、鬼七はその手を放さない。


「ちょっと痛むだろうけど、耐えなよ。自分がかけた術で死にたくなかったらさ」

「っ!」


 冷え冷えとした声で一喝された女は、冷や汗を垂らす。


「こんな中途半端な呪物つくるなんてねぇ。これさ、相手にちゃんと届かなかった場合、自分にはね返ってくるんだよ。わかってんの? 全然対策してないみたいだけど」

「そ、そんなこと知らないっ」

「そんな基本的なことも知らずに、呪術なんてやっばいモノに手を出したんだ。――ばっかだねぇ」


 語気を強めた鬼七は女の手を放すと同時、梵字の帯が引き絞られる。

 女がか細い悲鳴をあげると、すっと文字列は消えた。

 その手から黒い塊が落ち、乾いた音を立てて地面に転がる。女も膝からくずおれた。

 肩で息をして震える女を、鬼七は感情のない目で睥睨している。

 そんな一連の出来事を、その後方から湊はただ見ていた。




 死にたくないなら二度と半端な呪術は使わないように、と鬼七が釘を差すと、女はよろめきながらも逃げていった。

 鬼七と二人になり、湊は地面の黒い塊を見下ろした。


「もう解呪したからそれは呪物でもなんでもなくなったよ」


 鬼七の言う通りだろう。女の手にあった時、心臓が冷えるほどの禍々しさを感じたが、いまはない。

 炭化して元の形を想像もできないそれは、今しがたの女が呪術を施したモノだという。

 そして、鬼七はそれを無力化してしまった。


 術者はそんなこともできるのだ。

 ならば、鳳凰を捕えようとしたあの禁呪にも対抗できるのではないだろうか。


 鬼七はこともなげに行っているように見えた。しかしそれは、なんらかの鍛錬の果てにできるようになったに違いない。一朝一夕で行使できるものではないだろう。

 しかし、鍛錬すればできるのなら、己も今後のために遣えるようになっておくべきではないだろうか。

 対抗策は、もっているに越したことはないからだ。


 湊は鬼七と向き直り、まっすぐに見つめた。


「いまさっきの術、俺でもできるようなれるかな?」

「無理でしょ」


 あっさり言われ、湊があからさまに意気消沈する。


「――そうなんだ……」


 鬼七は湊の頭から足先まで流し見た。


「だって楠木さん、霊力はからっきしだからさ」

「霊力かぁ。それって先天的なモノなんだよね?」

「そ。どれだけ修行に励もうと、後天的には身につかないよ。でもさぁ――」


 鬼七は今一度、見据えてきた。

 今度は胸部のあたりを。


「楠木さん、神の力を持ってるでしょ。それさえ行使すれば、人間の術なんてどんなものでも簡単に破壊できるんじゃないの?」


 神の力を有することについては、疑問形でもなく確信をもった言い方をされた。

 いまさらながら、なんでもわかる者なのだと思う。

 おそらく相当稀有な人物だろう。

 彼のような者が陰陽師であれば、播磨たちも心強いであろうに。

 頭の片隅で思いつつ、湊は本音を吐露する。


「――うんまぁそうかもだけど。あんまりというか、絶対にその力は人前で遣いたくないんだよね」

「あー、それもそうか。バレたら、有象無象どもに神の子みたいな扱いされて利用されそうだ。いや、間違いなくされるね」


 腕を組んで難しい顔になった鬼七は、いわずともわかってくれたようだ。


 そう、湊はそれをもっとも恐れていた。

 

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