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8 ささやかな歓迎会





 湊は歩きつつ、おもちゃを上下に振ると、クロが宙で上下にはねる羽根を目掛け、飛び上がった。


「高い!」


 あろうことか、湊の顔面の高さまできた。その敏捷さ、反応。何より眼つきがいままでとは段違いである。

 本気だ。

 のんびり床に座って、ただ釣り竿を振るだけではすむまい。

 こちらも相応の態度で挑まねばならぬ。

 湊の闘志に火がつき、釣り竿を強く握りしめた。


 前後左右、斜め上下、そして回転。

 縦横無尽に振り回す釣り竿につれ、同じようにまたは変則的に羽根が宙を舞う。その動きに後れを取ることなくクロは食いついてくる。

 ずっと。

 かれこれ、一時間近く。


「た、体力、ありすぎでは!?」


 湊は息が切れ、腕も重だるくなっている。にもかかわらず、クロは息すら乱れていない。


「そ、それに、だんだん速さも高さも上ってきてるよねっ」


 いまや羽根の軌道を読み、待ち構えるようにまでなり、高さは軽く湊の背丈――百八十センチを超えている。

 あまりのことに湊は震えた。

 手のひらに汗が吹き出るも、神の竿ゆえか汗は吸収されるのか蒸発するのか知らないが、滑ることはない。

 ゆえに、いつまでも竿を振っていられる。ただし、それを扱う湊の体力は消耗する一方である。


 さらに一時間後、とうとう湊は、廊下に両手膝をつけた。


「も、もう、げんか、い……!」


 喘鳴を響かせるも、竿はしかと握ったままである。借り物を粗末に扱うわけにはいかないからだ。

 そしてそれにつながる羽根は、クロががっちり咥えている。

 鳥を仕留めた肉食獣以外の何ものにも見えない絵面である。幾度もはんで、クイクイと引っ張る。

 もっと遊んで。

 その仕草でもってねだられた。


 しかし残念ながら、湊の肩はもう上がらないうえ、時間の都合もある。

 山神が寝たまま元の渡り廊下に戻し、だいぶ傾いたお天道様の視線を感じつつ、湊は露天風呂に入った。

 山神のゆは、特別である。

 しばらくぼ~っと浸かっているだけで、それこそ水に流れるように疲れがとれていく。ついでのように汚れも一緒に落ちるから、洗剤いらずでたいそうありがたい。


 身も心もスッキリとなった湊があがる頃には、夕方となっていた。

 青色から黄金色へ。何層にも分かれる空のもと、クスノキの木陰は暗い。

 しかしそこには、際立つ白さの大狼がいる。

 そのうえ、その手元が焚火めいた明るさを放ち、照明いらずであった。


 何かをこねているようだ。


 また、何かを産み出すのだろう。

 思いながら近づくと、その光の向こうにクロがいた。鎮座して魅入られたように、山神の手元を凝視している。


「クロ、興味津々みたいだね」

「そうさな。己も同じようにつくられたゆえであろうよ」


 山神がこねるたび、クロの尻尾の先端も同じように床で動いた。ともに作業しているかのようで、微笑ましい。

 湊は笑みを浮かべつつ、露天風呂で考えていたことを提案した。


「山神さん、クロの歓迎会をしようと思うんだけど」


 一時とはいえ、楠木邸の新たなメンバーとなったからだ。

 山神は手元から眼を離すことなく、言った。


「よいのではないか」

「クロは食べることができるの?」

「うむ、食う気になれば好きに食うであろうよ」

「そっか。まぁ、無理やり食べさせる気はないんだけど。食べたくなったら食べてくれたらいいよ」


 そう言ったら、クロはチラリとこちらを一瞥するだけで、ふたたび山神の手元へ視線を落とした。


 そんなわけで、歓迎会を開くこととなった。

 メンバーの集まりはやや悪く、湊、山神、クロだけである。鯛はいまだ温泉満喫中だ。


「豹といったら、やっぱり肉でしょ」


 野生動物と同じはずもないのだが、やはり肉食獣の代表格の外見であるからして、食事内容に悩むことはなかった。

 むろん、場所はクスノキの部屋である。

 定番のバーベキューコンロで豪快に分厚く、脂が乗りに乗った牛肉を焼いている。


「この肉の焼ける音と匂いに、飢餓感を知るといいよ」


 ふふふと妖しい笑い方になってしまったのは、むろん己も腹が減っているからだ。とはいえ、野生動物は本来生肉しか召し上がらない。

 ゆえに、生の牛肉もどうですかと、焼く前にクロにすすめてみたが、ちらりと見られただけで終わった。


 が、馬肉には反応があった。


 とはいえ自ら食べるのではなく、それを食す山神を真横からじっと見ている。

 その視線を気にすることもなく、山神は豪快に舌で馬刺しを絡め取った。スライス玉ねぎ、大葉、カイワレ大根を巻き込みつつ。つけだれは、すりおろしにんにく入り醤油である。

 山神がしゃくしゃくと咀嚼するなか、一本だけ飛び出たカイワレ大根が上下している。それに合わせてクロの頭部も動いているが、手を出す様子はない。

 一方、山神はひたすら味わっている。


「脂が甘いっ、そして舌の上でとろける……! まさか、生の肉がここまで美味とは!」


 眼をかっぴらいてヒゲを震わせ、衝撃を受けているようだ。こちらも生肉オンリーそうな見た目にもかかわらず、はじめて食べたらしい。馬刺しはわりと地域限定だからだろうか。


「だよね。たまに食べたくなるんだよね。馬刺しにはショウガのすりおろしもいいけど、やっぱりにんにくが合うよね」

「うむ。しかしさっぱりとしたショウガもまたよき」


 ついでショウガの醤油にひたしてかぶりついている。山神は薬味を好むゆえ、たっぷり載せているようだ。

 なお玉ねぎは、絶対に犬に与えてはいけないが、山神は犬ではなく、通常の動物でもないため、なんら問題はない。


 さて、クロである。

 焼肉では釣れず、生肉でもいま一歩。

 ならばと湊は、座卓に置いていたホーロー鍋の蓋を開けた。ほわりと湯気が上がると同時、熟されたトマトの香りも広がる。


「骨付き鶏肉のトマト煮込みだよ」


 ぐりんとクロの顔がこちらを向き、近寄ってきた。上を向く鼻を絶えず蠢かせている。


「――一番反応がいいみたいだね。鳥がいいのか、煮込み料理がいいのか」


 言いながら、湊は浅鉢によそった骨付き肉の解体に勤しむ。


「まだクロは小さいから、骨はやめておこうか」


 加熱した鳥の骨は砕けやすく、尖る場合が多い。神がつくりし獣ゆえ、ものともしなさそうだが、万が一を考慮すべきだろう。

 あまり長い時間煮込めなかったが、肉片はたやすく骨から離れた。せっせと箸を動かす間、クロは周囲をうろうろしている。

 しまいには座卓に伸び上がり、手元に鼻を寄せてきた。眼もらんらんと輝いている。


「ここまで反応がいいのは予想外だった。つくってよかった」


 しかしいざという段階で、迷った。


「山神さん、冷ましてあげた方がいいよね?」

「――問題あるまい。与えて様子をみるがよい」

「わかった。――クロ、まだ熱いから気をつけてね」


 ことりと浅鉢を床に置いた。さっそくクロがぺろりと舐めた。


「んぎゃあ!」


 飛び上がり、前足で何度も舌をこすっている。軽いやけどを負ってしまったようだ。



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