6 みんなで指導
世話をかけるとクロを湊に託し、播磨は帰っていった。
置いていかれたクロが激しく鳴き叫ぶかと危惧したが、そんなことはなく。
湊の腕から身軽に床へ降り立った黒豹は、頭を下げ、クスノキを背にして横臥する山神へ忍び寄っていく。
ザ・狩りモードである。
播磨の祖神がつくりしモノゆえだろうか。
だが、力量差は歴然。山神に翻弄されて終わるに決まっている。
止めるべきか迷っていると、クロと山神の間に三つの白い影が舞い降りた。
「ここから先にはいかせませんよ」
「だな。我らが相手になるぞ」
「そうそう、まずは我らを倒していけってね!」
戦闘態勢をとるのは、セリ、トリカ、ウツギであった。
実は、クスノキの樹冠に身をひそめていたのである。
「眷属なんだから、まあそうなるよね」
湊が言うと、山神はけだるそうにあくびをした。
「――むろんぞ。神がじきじきに相手をするなぞありえぬ」
そのまま組んだ前脚に顎を乗せるのを、クロは悔しげに見た。
意外にも表情豊かだと思っていると、ウツギが背を丸め、びょんびょん跳びはじめた。己を鼓舞しているのもあろうが、クロを挑発しているのだ。
クロはそれにあっさり乗り、ウツギに躍りかかった。
二体が取っ組み合う様をセリとトリカは静観している。集団で襲うような真似はしないようで、安心した湊も座布団に腰を落ちつけた。
クロとウツギが忙しなく上下を入れ替えているが、吠えることはないため、山神との会話に支障はない。
「やっぱりクロも頑丈なんだね」
双方、容赦なく噛みつき、爪も立てているようだが、血が出る様子もない。山神はあくび混じりに言う。
「むろん。あやつも神がつくりし獣ゆえ」
「眷属とは違うのかな」
「ちと違う。あの身に神の魂は入っておらぬであろう」
湊は、前脚で抱え込んだウツギを後ろ足でケリケリしているクロを凝視した。
「――本当だ。入ってないね」
「主に霊力を生成するためにつくったようであるが、あの眼鏡の親族が身の内に持っておる武器と似たようなモノぞ」
「播磨さんのお姉さんたちのことかな? そんなモノを身体の中に持ってるの?」
「うむ。己の意のままに出し入れでき、悪霊や妖怪のみならず、物、人間をもぶった斬れる武器をな」
「と、とんでもないね」
「左様。身内かわいさに、かの神が与えておるのよ。――ようやるわ」
山神は呆れたように息を吐き、クロを見やった。
「あやつは純粋に戦うこともできるぞ」
「そうみたいだね。でも、相手になれる人も動物もいなさそうだ」
「左様。あやつもそれを理解しておるゆえ、物に挑みかかっておるのであろうよ」
クロは今、嬉々として戦って、というより、遊んでいる。
なにせ、ウツギをはじめ眷属たちは己と同等、否それ以上に頑強かつ体力もある。ゆえにいくらでも遊び相手になってくれるのだ。
とはいえ、ただ遊ぶだけではダメである。
ガブリとクロがトリカの胴体に噛みつくと、より強く噛みつき返され、クロは怯んだ。
「――ちゃんと加減を教えてあげてるんだね」
通常の動物も同様である。幼少期に兄弟や母親と取っ組み合い、力加減を学んでいくものだ。
そしてクロはトリカとも戦い終え、次はセリかと思いきや、なんとカエンであった。
しゅたっと樹冠から落ちてきて、クロの前に立った。
「え!?」
湊は度肝を抜かれた。いくらなんでも体格差がありすぎる。神といえども、敵うまい。
が、そんな心配は無用であった。
クロを見上げるカエンは、オールを握っている。カエンもなかなか好戦的であり、鍛冶の神で刀剣も扱うせいか、オールを木刀さながらに扱えるようだ。
それとクロの牙や爪がぶつかるたび、甲高い金属的な音が鳴った。
「クスノキ強し! って褒めたらいいのかな?」
湊が複雑そうな表情を浮かべるも、山神は喉を震わせて嗤う。
「そうさな。誇るがよい、己が育てたクスノキを」
そう、オールも湊の手作りである。材料は初代のクスノキであった。
「これ! そんなに強く噛みつくではないのじゃ!」
クロに咥え込まれたカエンがそこから抜け出しざま、ばちんとクロの眉間にオールを叩き込んだ。後方へ吹っ飛んだクロがクスノキの幹に当たる。
「ギャオオ!」
悔しげに吠えたクロは、あろうことか幹に伸び上がり、ばりばりと搔きむしった。
「あー! それはダメだよ!」
これはさすがの湊も許しておけず、その両脇をつかんで引き離す。クロを抱え込み、幹を見た。爪あとはついていない。
「よ、よかった。樹皮もはがれてない」
「ぎゃおお……」
クロは力なく鳴き、尻尾もだらりと垂らした。山神がその心情を代弁してくれる。
「クスノキの感触が気に入ったようぞ」
「――クスノキで爪とぎがしたいと?」
浅く口を開けたクロが、煌めく眼で見上げてきた。
クロは人語を解している。しかと目も合わせて態度にも表すから、意思の疎通はそう難しくもないように思われた。
播磨の制止をきかないのは、単にクロが播磨に甘えているだけではないだろうか。
思いつつ湊は、今一度クスノキを見た。
今回、傷はつかなかったが、執拗に爪を研がれたら、そうはいかないだろう。
頭上でざわざわと葉どころか枝まで大きく動かすクスノキも、耐えきれる自信はないと言っている。
「クスノキで爪とぎをするのは許可できないよ」
ややきつめに言うと、クロは眼を伏せた。
意気消沈され、湊は焦った。
「――あ、えっと、そうだ! 樹皮が付いたままの木材もあるから、そっちならいいよ!」
クロを抱えたまま縁側へ駆けた。
縁側の端には、別の神域の入口が存在し、そこに初代のクスノキの木材を保管している。
縁側にクロを置き、湊はその入口――薄い膜のようにゆらめくそこへ手を入れた。
湊自身、中に入ったことはない。
そこは、時間が経過しないように設定されているからだ。ただ手を差し込んで望めば、木材が手のひらにひっついてくるようになっている。
ざらつく樹皮の感触がして、湊は手を引き抜いた。それはかまぼこの形をしており、クロの全長よりやや長い。
「これでどうかな?」
床に置くと、クロがまたがり、爪を立てた。最初は軽く、徐々に力強く。それでも樹皮はほとんどはがれなかった。
「よさそうだね」
にこやかに言うと、クロはぎゃおと満足げに鳴いたあと、それから離れた。
とことこ歩いて保管庫の入口へ行き、頭を突っ込む。ためらう素振りすらなかった。
「――物おじしないコだな。そこには木材と麒麟さんの鱗と田神さんからいただいたお米しか入ってないよ……あっ」
するりとクロは中に踏み込んだ。しかもその尻尾まで完全に入ってしまうと、入口が消えてしまった。
目を見張った湊は、クスノキの部屋へ声を張った。
「山神さん! 入口がなくなっちゃったんだけど!」
「案ずるな。我が閉じた」
「なんで!?」
「クロに学ばせるためぞ」
山神のすげない言葉に、その傍らに座す眷属たちも頷く。
「そうです。好奇心の赴くままに行動するものではないと、身をもって知らなければなりません」
「だな。ここでならいいが、よそでやったら痛い目に遭うこともあるのだからな」
「そうだけど、クロ、すっごい鳴き叫んでるね~」
「うむぅ。ちとかわいそうであるが、致し方ないのじゃ」
虚空を見上げるウツギとカエンは、クロの様子がみえているようであった。
それから数分後。
山神によって入口が開かれた途端、クロは弾丸の勢いで跳び出してきた。真正面にいた湊は、腹部に直撃を喰らう。
「うぐっ」
「ギャオ、ギャオ!」
しがみついて離してくれない。
どうどうと何度もその身をなでていると、どうにか落ちついてくれた。そのまま抱えてクスノキの部屋まで戻ると、クロの瞬きが徐々に遅くなった。
「あれ、眠くなったのかな? うおっ」
頭突きをかまされ、後ろに倒された。クロが腹の上を歩き回る。
「まさか、俺を寝床にするつもり? ちょっ、お、重い……!」
クロは骨太である。体重もおそらく八キロ以上はあるだろう。胸に前足を乗せられるとピンポイントで体重がかかり、息が止まりそうだ。
身をよじるも、クロは器用に乗っている。
が、不満げに尻尾を横っ腹に叩きつけてきた。
「踏み心地が気に入らんと云うておるわ」
山神は愉快げに嗤い、クロも半眼で見下ろしてくる。
コレジャナイ。
その眼が言っていた。
「――もしかしてあれかな。播磨さんと違うって思ってるとか?」
ふすっと鼻を鳴らされた。失礼な黒豹を半目で見上げる。
「すみませんね、薄っぺらくて」
比べられるのは甚だ遺憾である。播磨はあれでなかなか筋肉質ゆえ。
それにしても、播磨は毎回これをやられているのだろうか。それで快眠できるのならば、意外に神経が図太いのかもしれない。
思っていると、ひょいとクロが飛び降り、山神の前脚の間に体をねじ込んで丸まる。ガジガジと山神の脚の付根を噛みはじめた。
播磨がいない寂しさを紛らわすためか、先ほど神域に閉じ込められた腹いせなのか。
いずれにせよ、山神はそんなことをされても気にもとめず、大あくびをかますだけであった。




