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3 怪異の真相





 なんとも言えない。湊には想像もしがたい感情だ。

 何しろ、相手は神である。しかも狐の御姿。

 どうしてそうなったと思うが、世の中には無機物へ恋情を抱く者もいる。そのあたりは深く追及しない方がいいだろう。


 気の毒なのは、ツムギである。

 うんざりとした態度を隠そうともせず、適当にあしらっている。

 それはまるで南部稲荷神社の眷属――白い狐を相手にしていた時と同じだ。

 かの若い狐は、惚れているツムギに微塵も相手にしてもらえず、喧嘩を吹っかけていたのだが、湊が諌めたのだ。

 その後のことは知らないため、メノウに訊いてみた。


「あの南部稲荷神社の若い狐は、ツムギに迷惑かけてないかな?」

「いまのところ、近づいてもこないんだじょ」


 ふた月、ツムギには近づかないと約束したおかげだろう。己の命をもかけた重い契約であった。


「よかった。あのコはちゃんと守ってくれているんだね。――自分の命がかかっているなら当然か」

「まだひと月も経っていないんだじょ」

「それもそうか……。というか、よくそのことを知ってるね」


 白い狐と契約を交わしたのは、楠木邸の前だ。しかも夕方で、周囲には何モノの気配もなかった。


「風の便りがあったんだじょ」


 メノウは空とぼけた顔をし、首の回りをくるくる回った。ほわほわの毛がくすぐったい。

 両手を器にすると、そこへポンと降り立つ。器用にそこで鎮座し、見上げてきた。


「ミナト、心配はいらないんだじょ。御姉様にはナイトであるワレがついているんだじょ!」


 いくら勇ましかろうと、両手に収まってしまう小さな小さな体軀である。

 絶えず振られる先っちょの白い尾も、たった一本だけ。

 それに見合う弱々しい神気しか感じられない。

 これでは、何モノにも勝てまい。

 そう思った時、空から神気を感じた。

 見上げると、宙を漂う神がいた。ひらひらとしたお召し物を風になびかせる、女神であった。

 時折、もっと上空を天女さながらに舞う姿をうっすら視たことがあったが、ここまで降りてきたのははじめてだ。


「あらあら、おかわいらしい」


 袂で口元を隠し、弧を描く目でメノウを見ている。おそらくメノウ見たさにわざわざ降りてきたのだろう。

 なにせ、メノウはその存在だけで見るモノを笑顔にできるほど愛らしい。そのうえ精一杯胸を張っているのだから、微笑ましさしかないだろう。


 納得していると、今度は横手の茂みから別の神気を感じた。

 視線のみ向けると、はじめて見る若い男神であった。

 長衣をまとう御身を茂みに半分隠し、ツムギを見つめている。

 その視線に恨みがましさを感じ、神気も荒いと思った途端、ツムギの神気もとげとげしくなった。瞬時に隣にいた宮司が、かちんこちんに固まるほどに。

 神気のみの決戦は、ツムギに軍配が上がる。怯んだ男神は、音もなく姿を消した。

 メノウが盛大に顔を歪めた。


「いまの男神、主が何度フッても諦めないんだじょ。しつこすぎるんだじょ」


 なんということだ。天狐に袖にされたオトコであった。

 愛憎渦巻くご近所さん物語に戦慄していると、正常に戻ったらしき宮司が話しかけてきた。


「先日、お宅の家の方に、異常な数の赤トンボが集まっておりましたな」

「――ええ、まぁ……」


 ウツギのやらかしである。新たにつくった神産物の汁が飛んだら、なぜか赤トンボのみ大量に集まってきたのだ。

 むろん真相を言えるはずもなく、とっさの言い訳も思いつかず曖昧に笑っていると、宮司は朗らかに笑った。


「地元の者たちの間でやや騒ぎになっておりましたが、いいことが起こる前触れと申しておきましたぞ」


 とウインクをしてきた。

 なかなかどうして、融通の利く御仁のようだ。

 まさか近所に事情を説明せずとも察してくれ、なおかつフォローしてくれる者がいるとは思わなんだ。


「誠にありがとうございます……!」


 湊は深々と頭を下げ、感謝を表したのであった。




 ツムギたちと別れ、家路をたどる。その途中の路傍に佇む地蔵は、今日も素敵な微笑みを浮かべていた。

 赤い前掛けもたいそうお似合いである。


「こんにちは」


 湊はいつものようにあいさつし、通り過ぎた。その先の角を曲がると、楠木邸への一本道となる。

 田んぼに挟まれたそこへ、一歩踏み入った途端、日が陰った。

 やけに暗い。目をつむると、澄んだコオロギの鳴き声がした。


 ――少し妙だ。


 訝しさに目を開けると、道の両脇にカカシが並んでいた。

 ずらりと田の端まで続いている。


「うわぁ、これはたしかに不気味かも」


 とはいえ、カカシ本体がうっすら田神の神気を発しているため、恐ろしさはなかった。

 いずれの身にも、田神の御魂は入っていないようだ。


「少しだけ神気を感じるのは、田神さんの残り香的なものなのかな」


 疑問を口にしつつ、家の間近まで続く行列を見やった。

 衣服は異なるが、網代笠をかぶっているという共通点がある。他にも頭の高さと、腕の長さも同じだ。そこは厳密に規格が決められているのだろう。

 水平に伸ばされた腕の先がほど近く、みんなで手をつないでいるように見えた。

 仲がよさそうともとれるが、黄金の田を背に両腕を広げる姿は、軍隊めいている。

 実際、田の神は田を護ってくれているのだから、間違いではないだろう。


『あやつが護るのは、己を信仰する者の田のみぞ』と山神に聞いているけれども。

 神は基本的に依怙贔屓が激しいと、経験上知っているため、取り立てて思うことはない。


 湊は二列のカカシの間を進みつつ、カカシの観察を続けた。


「みんな綺麗なままだ」


 汚れなど一つもなく、経年劣化すら感じられない。おそらく、カカシは奉納された時の状態を保っている。

 時を止められているのだろう。


「それだけ、大事にしているんだ」


 そうとしか思えなかった。ほっこりしながら一体ずつ正面に立ち、その顔面を見ていく。


「へのへのもへじの文字もそれぞれ違う。個性が出てるなぁ」


 困っているような、不機嫌そうな、笑っているような顔たち。一つとして同じものはなく、見飽きない。


「カカシと同じ表情になっているよ」


 突然、田神の声が聞こえた。


「えっ、俺、笑ってました?」


 羞恥を感じ、湊は頬をさすりながら、かえりみた。

 真後ろに、麦わら帽子のカカシが立っていた。

 風になびくピンクのリボンは、見渡した時はなかった。網代傘のカカシと一瞬で入れ変わったようだ。

 田神は毎度神出鬼没のため、いまさら驚くこともない。田神もしてやったりといった態度もとらない。

 そのへの字口は動かず、顔面全体から平たんな声を発した。


「ああ、ニヤけていた」

「――せめて微笑んでいたと言ってほしかったです」

「今度から、そう言うことにしよう」


 田神は言葉を額面通りに受け取るタチである。

 そして、それを忠実に守ってくれる。やや心配になる純粋さも持ち合わせていた。


 少し前、田神に人間と気軽に交流するようになるにはどうすればいいかと相談されたことがある。

 その際、アドバイスしたのは、二つ。姿を現す前には何かしら前触れをすることと、時間帯を選ぶこと。

 ゆえに、今しがたコオロギの鳴き声で『今から出まっせ』とお知らせしてくれたであろうし、町民が出くわしたカカシの行列は早朝という、怪異現象に相応しくない刻限であった。そこはわかっていた。

 カカシ隊の意味だけは、わからない。

 ご本神に直球で訊くのが、一番だろう。


「田神さん。ちょっとお聞きしたいんですけど、どうして町の人たちにカカシを並べて見せているんですか?」

「そろそろ新しい体を捧げられる時期なんだ。だから、いままでのもちゃんと保管していると、伝えるべきだと思ってね」


 田神なりの気遣いだったと受け取ればいいのだろうか。

 微妙な表情を浮かべてしまうと、田神は心外そうに言ってくる。


「もちろん相手は選んでいる。このカカシの製作者らの子孫だ」

「そ、そうですか」


 とうてい気づけまいよ。数代前の先祖がつくった場合もあるだろうから。

 その時、思い出した。


「――あ、そうだ。カカシが奉納される時の話を聞きましたよ」


 麦わら帽子のリボンがひるがえり、田神の声に喜色もにじんだ。


「そうか。毎年違う家が用意してくれるから、その都度そこにお邪魔しているんだよ」

「ああ、やっぱり実際に行かれているんですね」

「当然だよ。ワタシのために、食事と風呂も用意してくれているのだから」

「お風呂までですか……。すごいおもてなしですね」


 しかしながら、かの翁は田の神がいるのかはわからないと言っていた。それでもそれを忠実に行ったのだ。

 歴代のカカシの制作者たちも同じであったろうことは、丁寧につくられたカカシを見ればたやすく想像がついた。


 ――たぶんはるか昔は、田神さんのことが認識できた人もそれなりにいただろうけど。


 そう思ったら、案の定、田神が憂いた声で言った。


「ワタシの気配に気づける者は、年々少なくなってきている」

「そうらしいですね」


 現代人はすこぶるニブイと、山神をはじめ、いろいろな神からも聞いたことがある。

 ふっと息をついた田神は、声の調子を変えた。


「――だから、考えた」


 突如、カカシ隊が一斉に後方へ傾き、腹部から神気を放出した。その余波で頭を垂れる稲穂の群れがざわめき、楠木邸の輪郭が歪んだ。

 あたりには、むせ返りそうな濃い神気が漂っている。


「普段からもっとワタシと関わればいいと。そうすれば、嫌でもワタシの神気に慣れるだろうと」


 湊は腕を組み、唸った。

 果たして、それは効果があるのだろうか。

 いや、しかし己も毎日山神と四霊に関わるようになったからこそ、神や霊獣の気配だけでなく、声も聴こえるようになったのだと思う。

 だとすれば、決して無駄ではなかろう。

 そのうえ、もし人々が神気に気づけるようになったら、双方にとっていいことだろう。

 先ほど会った者たちも、田神に好意的だったのだから。


 ――己にできることは、何かないだろうか。


 むろん、同族の心の負担を軽くすることであろう。

 湊は田神をまっすぐ見た。


「田神さん、他の人にカカシの行列の意味を伝えてもいいですか?」

「ああ、構わない」


 かすかに小首をかしげる田神は、不思議そうだ。


 田神は人間に興味をもっていても、その心に寄り添う気はさらさらない。人の機微に無頓着である。

 しかしこれから先、人間との関わりが増えれば、少しは人に配慮してくれるようになるかもしれない。

 なるといいな、と思う湊の視界の端で、「ぎゃあ! これがカカシの行列かよ!?」と飛び上がる裏島岳の姿があった。


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