1 怪異の噂を聞く
湊は最近、新しい趣味に目覚めた。
木の精探しである。
何しろ精霊の宿る木は珍しい。樹木だらけの御山ですら、ほとんど見かけないのだ。
そのうえ播磨曰く、精霊が視え、かつ意思疎通ができる者は極めて珍しいという。
ならば、精霊に関してもう少し詳しくなってやろうではないかと思ったのだ。
ゆえにまず己の生活圏内から調べようと、気になる高木を見つけたら近寄ってみることにした。
そうして先日見つけたのが、最寄りのバス停に近い神社のケヤキであった。
その木は、神社の横手に生えている。
ケヤキといえば、箒を逆さにしたような樹形の代表格であるが、そのケヤキも例外ではなかった。
が、幹が大きく湾曲し、根も地上にむき出しになっており、まるでいまにも歩きだしそうに見えるという、やや奇妙な佇まいをしていた。
まだ巨樹とはいえないサイズで、樹齢も到底百年にも満たないであろうが、その幹に触れると精霊の気配を感じた。
しかしながら、今日もその周囲をぐるりと周ってみるも、精霊の姿はない。
樹冠を見上げる湊は、残念な気持ちを隠せなかった。
「今日もはっきりと姿を見せてはくれないのか……」
つぶやくその髪は短い。先日、意図せず長髪になってしまったが、すぐにトリカが切ってくれて元の長さに戻っている。
それはともかく、根の間に緑の毛玉がかすかに見えた。
即座に視線を下ろすも――いない。
今度は頭上で、入り組んだ枝の間を緑色の物体が高速で横切るのが、視界の端でかろうじて捉えられた。
そう、このケヤキは、本性をチラ見せしかしてくれないのである。
「単にいじわるなのか、てれ屋さんなのか」
幹の反対側から毛玉が半分だけその姿を晒した。しかし眼がない。おそらく後ろ姿だろう。
まったくもってつれないお方である。
湊はこれまで、数体の木の精と接したことがある。
南部稲荷神社のイチョウ、播磨の祖神の神域では老樹――おそらくカイヅカイブキ、そして楠木邸のクスノキである。
とりあえず、奇妙奇天烈な己がご神木のことは置いておくが、それらには共通点がある。
人のそばにいるということ。
一方、御山の精霊が宿る木は中腹以上にあり、ほとんど人が立ち入らない場所にしか生えていない。そちらの木の精は決して本性を見せてくれない。
以上を踏まえると、人里に生えている木に宿る精霊は、人間に好意的だということになる。そう湊は結論づけた。
ゆえにめげない。
とはいえいつまでもここで待ってばかりもいられないため、日を改めることにした。
「じゃあ、またね」
ひと声かけると、枝の股にぼんやりと毛玉が現れ、微弱に震えた。
お、顔を見せてくれる気になったかと思った時、人の話し声が聞こえた。途端、毛玉は煙のごとく消えてしまった。
「――なかなか心を開いてくれなさそうだ」
つぶやきながら、湊はケヤキから離れ、人が集まっている方へ向かった。
そこはベンチが設置されており、地元民の交流場所となっている。
今日は四人いた。
年配者が二人と中年女性が二人。年配者たちとは面識があった。一人は仙人のごとき白い顎ひげをたくわえた翁であり、ここのヌシのようにほぼいるから話したことがある。
もう一人は、裏島家の媼だ。
小柄で杖をつく彼女は今日も小綺麗な衣服に身を包み、うっすら紅を差してめかし込んでいる。ここで他者と交流するのを楽しみにしているのだと、先日ここへ車で送ってきた孫娘――裏島千早が言っていた。
その二人がベンチに腰掛け、二人の中年女性は立っているのだが、みな困惑の表情を浮かべており、場の空気もややおかしかった。
とはいえ帰り道はそちらのため、通らぬわけにもいかず「こんにちは」と笑顔であいさつをすると、四人はすぐさま、にこやかに返してくれた。
しかしむりやり表情をつくったようにしか見えなかった。
もしかして己のことを噂していたのではないか、と考えてしまうのは自意識過剰だろうか。しかしやはり、妙な家に住んでもいるから、そう考えてしまっても致し方なかろう。
「――どうかしたんですか?」
勇気を振り絞って尋ねると、裏島が愛想よく答えてくれた。
「それがねぇ。ここのところいろんな人が変なことに遭っているみたいでね。その話をしていたのだけど……」
他の三人も顔を曇らせた。
こちらに白い目を向けてはこないから、楠木邸絡みではないらしいと安堵した。
「変なこととは、どんなことですか?」
さらに追及すると、険しい顔の翁に逆に問われた。
「あんたは遭っとらんのかい。カカシの行列に」
なんてことだ。田の神絡みであったか。
と思うも、湊は顔面に力を入れ、驚かないよう努めた。
「――いえ、遭っていないです」
噓はついていない。カカシの御一行様には邂逅していない。
単体とはわりと会っているけれども。
そこで、はたと気づいた。
カカシだからといって、田神にまつわる事象とは限らないだろう。
田神さん、疑ってしまって申し訳ございません。
と心の中で謝罪していると、翁が語り出した。
「実を言うと、儂もまだ遭遇しとらんのだがな。――これは、高校生の孫から聞いた話だ。それは早朝のことだったらしい。朝練に向かおうと、田に挟まれた通学路を歩いとったら、いきなりカカシが現れたそうだ。それもたくさん。左右にずらりと整列し、まっすぐに延びる道の先までずぅっと続いとったんだと。そして、全員にじぃっと見つめられたというておったわ……」
やだ、こわぁ~いと一人の中年女性が肩をすくめる。その様子から、未遭遇なのだろう。
だが、もう一人の中年女性は違った。しきりに首を縦に振っている。
「そうそう、私の時もそうだった!」
まあ、と口元に手を当てた裏島も実際に行き遭っていないようだ。
ならば、この場で奇妙な出来事の体験者は、中年女性ただ一人となる。
湊は冷静にそう思いながら、彼女の体験談に耳を傾けた。
「私も突然現れた時、もちろん心臓が止まりそうになったけど、なによりその見た目が怖くて怖くって! カカシってただでさえ不気味じゃない? 私すごく苦手なんだけど……。でもその時はなにかしてくるわけでもなく、ただ見つめてくるだけだったのよ。顔にへのへのもへじって書いてあるだけだから変な話だけど。――でも視線を感じたのよ、間違いなく! それも全部のカカシから……!」
とてつもない恐怖を味わったのだろう、中年女性は青ざめ、己が身体を抱きしめて震えている。
「さぞ、怖かったろう。儂ならちびりまくっていただろうよ」
翁がおどけると、中年女性は強張っていた顔も身も和らげた。
こういうところが、この翁の人気がある理由なのだろう。この御仁の周りには、いつも人が集っているからだ。
ともあれ、カカシである。
田神に関わりがあるのか確かめるべく、湊は遭遇者に探りを入れることにした。
「お孫さんの通学路と同じ場所でカカシの行列と遭ったんですか?」
「いいえ、違う場所みたい。私はうちの田んぼの近くで遭ったから」
「じゃあ、時間帯は一緒だったと?」
「そうね。私もまだ日が昇って間もない頃だった」
「――カカシに関してお聞きしたいんですけど、顔以外になにか特徴がありませんでしたか? 今風の服装を着ていたとか、昔の服のようだったとか」
「――わからない。とてもじゃないけど、カカシを観察する余裕なんてなかったのよ。とにかくそのカカシの行列の間を走り抜けるのに必死で……っ」
話している最中、女性がハッとなった。
「待って、思い出した! カカシの行列の末端に、今時の野良着を着たカカシがいたわ! 麦わら帽子のピンクのリボンが風になびくのを見たのよ」
やはり田神であった。
湊は天を仰ぎたくなった。耐えていると、その下方で翁が訳知り顔であごひげをひっぱった。
「そうか、そうだったのか。カカシは、田の神様の仕業だったのか」
ぎくりと、思わぬ発言に湊は肩をはねさせてしまった。




