21 夜も働く陰陽師
住宅地からやや離れた洋館は、静まり返っていた。
月明かりに浮かび上がる外観は、随所に優美な装飾が施され、重厚感に満ちている。歳月を偲ばせる古びた佇まいと荒れた庭も相まって、ただただ不気味でしかない。
かつてさるお大尽の住まいだったこの洋館は現在、空き家となっている。
その正面玄関前に、洋装と和装の男が佇んでいた。
播磨と葛木である。ここに巣食う悪霊を祓うべく訪れたばかりだ。
葛木はパナマ帽のツバを上げ、外観をひと通り眺めた。しばらくして何事かに合点がいったように頷く。
「この迎賓館みてぇな造り、どこかで見たような気がすると思ったら、あれだ。お前さんちと似てんな」
「確かにおっしゃる通りですが、うちはちゃんと手入れしていますから、こんなに荒れていませんよ」
不本意そうな播磨は、玄関の鍵を開けた。事前に不動産会社から鍵は預かってある。
ゆっくりと扉を開けた。その瞬間、瘴気が漏れ出した。
播磨が顔をしかめ、葛木は耳の横を煩わしげに払う。館内に悪霊が巣食っているのは先刻承知のため、あえてその事柄には触れず、軽口を叩いた。
「そうだな。お前さんち結構な年代物の館なのに、いつでも綺麗に保ってるよな。あれだけデカいなら維持管理が大変だろ」
「そうですね。そこそこ金食い虫ですよ」
「和風建築の俺んとこもだけどな。修繕費がかかってしょうがねぇわ」
同時にため息をついた。両家とも、なかなかの旧家だけに似た悩みを抱えている。
その二人の視界に映った館内は、ほの明るい。建物に不似合いな非常灯が灯っているおかげだ。
播磨が先に戸口をくぐり、そのあと玄関ホールへ入った葛木がかすかに胴震いした。
「うわ、寒みぃ。いま梅雨だってぇのに……。悪霊がわんさかいるせいもあるだろうが、石造りって異様に冷えるよな」
やけに声が反響する中、縦に並んで進む。すぐに現れたのは、大理石の大階段。途中から左右へ分かれる構造になっている。
その片方――手すりの隙間をすり抜けた黒い獣が跳ぶ。
迫りくるその悪霊に、播磨は刀印を結んだ指を向けた。
中空で悪霊が爆散。あっさり祓い終え、足を止めることもなかった二人は会話を続ける。
「この手の造りの建物は、冬はもっと寒いですよ。底冷えしますから、毎年、暖房代が頭の痛い問題ですね」
「こたつはいいぞ〜。お前さんちには似合わんだろうけど」
「――そうですね」
こだわりの強い両親は受け入れまい。
思う播磨だが、年中国内を飛び回っているため、あまり本家には戻らない生活を送っている。
播磨は吹き抜けの天井を見上げたあと、葛木へ目を向けた。
「とりあえず、一階から片付けましょうか」
「おう、そうだな」
角を折れると、厚い絨毯の敷かれた廊下が一直線に延びていた。
アーチを描く天井、鈍い光を放つシャンデリア。片側の壁面には、いくつもの扉が並び、反対側には絵画が掛かっている。それに描かれた人々の等身は、二人と変わらない。
何もかも日本の個人宅の規格から逸脱していた。
「なんじゃこりゃ、美術館かよ。しかも扉多すぎだろ。いくつ部屋があるんだよ……」
葛木が呆れたようにいうや、播磨は涼しげな声で答える。
「資料によると、小部屋も含めて三十でしたね。うちとあまり変わらないようです」
葛木が口元をもごもごさせたのは、予想以上だったからだろう。
「よしきた。一号二号、出番だぞ〜」
気を取り直し、懐から形代を取り出して宙へ放った。
すぐさま実体を取ったのは、サメとペンギン。式神たちは言葉も合図もなく二手に分かれ、天井と廊下の隅へ飛んだ。
そこに、はびこるまだ形を取れない悪霊を、まずは大口を開けてその牙で噛み砕いて、まずはクチバシで仕留めて。それぞれの武器を用いて、捕食しはじめた。
もし声が出ていたなら、高笑いでもしていそうな雰囲気である。
「こら、五号。お前さんの出番はまだだって」
葛木の懐で形代が暴れている。己も食べたいと不満を訴えていた。
本来式神は、術者の霊力を注がれて実体化するモノであり、形代の状態では動けないモノだ。
けれども葛木の持つ三体の式神は、生ける伝説と名高い彼の父によってつくられたため、他の術者の使役する式神とは一線を画す存在となっている。
式神たちが廊下を飛んで、歩いて戻ってくる。葛木が形代をなだめているうちに、見える範囲にいた悪霊を喰らい尽くしていた。
絨毯の上をペトペト歩いてきたペンギンが、扉前に立つ播磨の足元で止まる。
見上げるその顔で『はよ扉開けて』と急かす。式神は大飯食らいゆえ、まだ腹が満たされていなかった。
「相変わらず、よく喰うな……」
『当然だろい!』
ペンギンはクチバシを開閉させ、フリッパーをバタつかせた。
式神たちは葛木と思念で言葉を交わせても、播磨とはできない。さりとて、わかりやすい挙動でその意図は汲むことは可能だ。付き合いが長いおかげでもあろう。
無言の播磨は鍵を開けた。扉を開けると、隙間からペンギンが滑り込み、そのあとに続こうとしたらサメに割り込まれた。その身をミチッと扉へ押しつけられる。
ウリウリと無理やり体をねじ込んできたサメが過ぎゆく途中『どいた、どいた〜』と眼で告げていった。
播磨は物言いたげに振り返る。背後にいた葛木が、ニッカリと歯を見せて笑った。
「うちの腹減りたちがすまんな」
ちっとも悪びれていない。
葛木はとことん式神に甘い。基本的に彼らの自由にさせているものの、悪霊を根こそぎ喰らってくれるおかげで、組んだ陰陽師から苦情が出ることはほとんどない。
「――頼もしいですけどね……」
播磨とて大きな不満はない。ただちょっと出張りすぎではないかと思うだけである。
ビチャビチャ、ぐちゃぐちゃっ。積極的には聞きたくない咀嚼音が木霊する室内へ、播磨と葛木も踏み込んだ。
だだっ広い空間に、調度品は一つも残されておらず、隠れる所はさしてない。
窓から差し込む月光に照らされた暖炉くらいだろう。
案の定、そこへ集まった式神たちがお食事中だった。
部屋の中央で首をめぐらす播磨の傍ら、聴覚をフルに活用した葛木が暖炉へ歩み寄る。
「悪霊は暖炉にしかいないみたいだな」
二人は、ヘドロ状の悪霊を喰らう式神たちを眺める。その二匹にかかる月光が影によって遮られた。
播磨の眼球が動く。縦長のガラス窓に人型の悪霊がへばりついていた。黒く染まった顔の中に、真っ赤な目が二つ。その残光を引き、窓をすり抜けた人影が式神たちへ襲いかかった。
式神は、弱い悪霊しか捕食できない。明確に形をなした悪霊を相手取るには、分が悪い。
弾かれたように式神たちが面を上げた時、迫りかけていた人影は播磨によって祓われていた。砂塵のように散りゆく悪霊の残滓を刀印を結んだ手で斬り払った。
宙に浮いたサメが大口を開けて礼をいう。
『あんがと、播磨の坊』
「気にするな。その代わり、雑魚を頼む」
播磨は、式神たちに〝播磨の坊〟と呼ばれているのを知らない。
『合点承知!』とヒレ、フリッパーで応えた二匹は、暖炉の煙突に突っ込んでいった。
「――戻ってきたら真っ黒に汚れてるんだろうな……」
葛木が乾いた笑いをもらす。
「まぁ、洗濯機で丸洗いすりゃ、すぐ綺麗になるからいいけどよ」
「つくづく変わっていますよね。葛木さんが使役する式神以外でぬいぐるみの型は見たことありませんよ」
「だろ。全員、親父が昔つくった物なんだが、預けられてそのままになってるんだよ。つっても便利でなぁ。助かる助かる」