27 ゲートオープン!
小ぶりな座布団にちんまり収まった、手乗りサイズ。
真白の被毛に覆われた体躯は大福のよう。
何よりも、くりくりの大きな黒眼が印象的であった。
「――エゾモモンガだ。かわいい……」
思わず声に出てしまった。
前足で持つ小房を口元に添え、たるんだ頬肉がもごもご動いている。しかと味わっているようだと思ったら、立ち上がった。
その後ろ足が見えた時、よろっとモモンガがグラついた。
「え?」
ピシャンッ。無慈悲に窓が閉ざされた。
「なにかおかしかったような……?」
やや怪しい所作に感じられたのは、気のせいか。
火袋は沈黙してしまい、中の様子はうかがえなくなってしまった。
しばらく待ってみたが、なんの反応もない。
諦めた湊が石灯籠から離れていく。
その後ろ姿を、クスノキの木陰に集う四霊が眺めていた。
円陣を組む四匹の眼差しは、やけに真剣で鋭い。
常時、半眼の霊亀の瞼も全開になっている。
『湊に与えた加護は、依然として効果を失ってはおらんぞい』
『然り』
応龍が同意し、翼を広げる鳳凰も異論はない。
『確かに。与えた時とほとんど変わらん状態を保っているな』
『そうですね。なにも問題もありません』
麒麟も頷いた途端、一斉に胡乱な視線が集まった。
『あの時は、ひどいもんだったぞい』
『やる気かと思おうたわ』
霊亀は嘆き、応龍はヒゲを逆立てて威嚇した。
『――意気込みだけは買うが……』
鳳凰だけは、いちおうフォローを入れた。
しおしおと麒麟はしおれる。
『……あの時は、実に、実に申し訳なかったと反省しております』
四霊が言うあの時とは、彼らが湊に加護を与えた時のことだ。
――それは、まだクスノキが大木で、御池もひょうたん型だった頃のことだ。
一番手は、いの一番に楠木邸の住民になった霊亀からであった。
早朝、湊は日課である御池のチェックをしようと、池の縁にしゃがみ込み、水底をのぞき込んでいた。
その背後に影が忍び寄る。
ペトっと。前足が湊の腰元に触れた。
かすかに押された気がした湊が、かえりみる。
「ん? 今なにか当たった……?」
見渡しても、のそのそと遠ざかっていく霊亀の後ろ姿があるだけだ。
日課の散歩だろう。そう思う湊には、いたく満足げな霊亀の表情は見えていない。
また御池へと向き直ったその腰元に、くっきり付いた足跡が淡く灯っている。
その真珠色は、常人の視界に映ることはない。
二番手は、ややもったいぶって楠木邸の住民になった応龍であった。
竹箒を駆使し、清掃に勤しむ湊の背後に音もなく近づく影、再び。
そして、ちょんと。その鋭き爪を広げた前足が湊の右肩に触れた。
わずかな風の流れを感じ、湊は振り向いた。
空中を軽やかに飛ぶ応龍の背中が小さくなっていく。その尻尾が楽しげにゆれているが、普段通りである。
「――気のせいか……?」
竹箒を握り直すと、頭上でクスノキの葉がざわざわとゆれた。
「なんか、うれしそうだね」
見上げた湊の口角も上がっていた。
三番手は、ヒロインも真っ青な囚われの身であった鳳凰であった。
外出の準備を整えた湊が窓を開け、石灯籠に向かって声をかける。
「鳥さん、買い出しに出かけるけど、どうする? 一緒にくる?」
「ぴ!」
とう! と石灯籠から鳳凰が華麗に跳んだ。
まっすぐ飛来し、湊の左肩を小さな鉤爪でがっちりつかむ。ぱっと真珠の光が散った。
湊の肩に残ったその小ぶりな両の足跡には、しかと加護が付いている。
わりと加護を振る舞いがちな鳳凰であるが、通常の五倍を与えていた。
「うおっ、今日はやけに気合入ってるね……?」
飛んできた勢いしか感じられなかった湊の反応はそんなものだ。
一方、座布団に横たわって目撃していた山神は、両眼を細めた。
「大盤振る舞いよな」
『……そうか?』
「なにが?」
とぼける鳳凰と気づけない湊は、同方向に首をかしげた。
そうして、トリを飾るに相応しき、麒麟である。
他の三匹が加護を与えた翌朝。クスノキの木陰に四霊が集結し、先達たちが麒麟に助言しようとしていた。
霊亀は、真正面の麒麟を見据え、厳しい声で言った。
『――麒麟や、ええか。断じて力みすぎてはならんぞい』
『……わかっております』
小生意気に答えるも、総身の毛が軽く逆立ち、尾も忙しなく動いている。表情からまとう雰囲気まで異様に硬い。ガッチガチである。
なにせ麒麟は、人間に直接加護を与えるのは、初になる。異様に緊張していた。
パサっと翼を広げた鳳凰が、重々しく告げた。
『かといって、以前和紙に付けたように、付加したとも言えん加護ではいかんぞ。ほどよく、確実に。数年、いや、数十年は効果を発揮するように力を加減せよ』
『……鳳凰殿、ずいぶん難しいことをおっしゃいますね』
眼を伏せる麒麟に向かい、応龍が軽く鼻を鳴らす。
『どこがだ。簡単だろうが』
反射で毛を逆立てた麒麟であったが、即座に気を静めた。
その眼を縁側へ流した。そこを横切る湊の肩には、応龍の足跡がしかと付いている。
そこから発する光と他二箇所が真珠色の糸を引き、湊が通ったあとには、計三本の光の筋を残していく。
いずれも変わらぬ明度を誇り、霊亀と応龍の加護も、鳳凰と同様、ふんだんに付加されていることになる。
『――大変悔しいのですが、わたくしめと同じく、ろくに加護を振りまかない応龍殿が与えた加護も、完璧ですからね……』
ため息交じりの麒麟に称賛され、応龍は首を振ってヒゲをしならせた。
『むろん』
ファサッと羽を広げる龍体の輝きたるや、龍神さながらであった。
ともかく、せっせと洗濯物を干す湊に付いた三種の足跡は、余裕で数十年以上、招福効果を発揮する。
深呼吸した麒麟が背を向けた湊を見やった。
『では、参ります』
クスノキの枝葉が声援を送るように、ざわざわ震えた。
ザクザクと槍のごとき鋭さで突いてくる視線を湊は感じていた。
誰ぞ。
と、今さらそんな警戒をするはずもない。往々にしてあることだ。慣れとは恐ろしいものである。
タオルを叩いてシワを伸ばすその手は止まらない。
「麒麟さん、なにか用?」
洗濯カゴからシャツを取り上げつつ、問いかけた。
――返事はない。
普段であれば、足音を立てるなり、視界に映る位置に瞬間移動してきたりするのだけれども。
刺さる視線の圧は変わらぬ。
もしかして、麒麟ではない別のモノなのか。
訝しんだ湊がかえりみようとしたら、ゴスッと肩甲骨の真ん中に麒麟の前足がめり込んだ。
「いったー!」
悲鳴があがり、霊亀、応龍、鳳凰が一斉に天を仰いだ。屋根まで飛んだ麒麟が焦っている。
とはいえ、前屈みになった湊の背中には、くっきり蹄の跡が付いていた。
そんなこんなで、四霊の加護は与えられた。
最後のみアクシデントに見舞われたものの、湊には今も変わらず四つの足跡は残っている。
『――なに失敗は糧にすればいいだけだ。そうだろう、麒麟』
鳳凰の明るい声が、通夜のごとき空気を一掃した。
キリッと麒麟が面を上げる。
『――そうですよね。鳳凰殿の仰るとおりです。わたくしめ、次こそ、次こそはッ、必ずうまくやり遂げてみせます!』
ギラついた眼が、縁側の座卓の下を見た。そこには、二つの木彫りが鎮座している。
トサカが際立つひよことふてぶてしい狼。むろん、鳳凰と山神をモデルにした代物である。
『次の木彫りこそ、わたくしめでしょうから、それができた暁には、文句なしの加護を付けてみせましょう!』
麒麟の意気込みを耳にした霊亀と応龍が気色ばむ。
『麒麟や、次は予ぞい。なんべんも言わせるでないわ!』
『なんの、なんの。次なるは朕であると、幾度申せば其の方らは聞き分けるのか!』
『貴殿方、いい加減諦めてください。次は、わたくしめでーーすッ!』
『朕の耳元で叫ぶでないわッ』
応龍と麒麟の角が激突。粒子が飛散するその下方、二回連続でモデルを務めた鳳凰はだんまりである。
霊亀ともども見上げた青空を鷹が羽ばたいていった。
喧々轟々と火花を散らし、角をド突き合う傍らを、湊――罪な男が過ぎていく。
「喧嘩するほど仲がいいっていうよね」
ざわわっ。クスノキに同意され、頷きつつ滝へ向かっていった。
なお、四霊全員から加護を与えられた者は、湊が人類初である。




