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23 異相の神



「ところでキミ初めて見るけど、最近引っ越してきたの?」


 北部には小中学校が一校しかないため、同年代ぐらいなら知らぬ者はいないせいだろう。


「去年引っ越してきました。御山のすぐそばにある新しい家の管理人として、ですけど」

「新しい家……? まさか、あの家無事に完成したの?」


 二人の間に、名状しがたい空気が流れた。


「御山のすぐ近くよね? かなり広い敷地の?」

「はい、一軒だけポツンとある黒い外観の日本家屋ですね」

「外観までは知らないの。私が見たのは、まだ土台ができて、ようやく骨組みに着手し始めた頃だったから……」


 湊は楠木邸の正確な名――相続人の姓名を告げる。

 なお相続人は建てた人物の甥で、さる資産家である。

 その方に管理を依頼されたと話すと、女性は神妙な様相になった。


「――じゃあ、建てたあの方も亡くなったのね」


 あえて言わずとも、察してくれようだ。

 それにしても〝も〟というのならば、湊の遠い親戚、庭師の父親以外にも死亡者がいたのだろう。


 湊も、考えなかったわけではない。

 山神でさえ弱った悪霊の巣窟となった家だ。

 建築する前も最中も後も、多大なる人的被害が出ていてもおかしくなかろう。


 女性は、それ以上語る気はないようだ。

 なにせ初対面である。双方相手がいかなる者か知らず、信じられるのは互いの言葉しかない。


 その内容がまことなのか今すぐに確かめようもないうえ、田舎はそう簡単によそ者を受け入れない。

 湊の実家界隈も同様なため、理解できる。通常地元の醜聞など、気軽にもらさないものだ。


 ただ彼女は湊の頭から足まで見やり、健康上に問題なさそうだと知るや安堵したようだ。


「じゃあキミ、うちのご近所さんになるのね。私の家は、車道を挟んだ反対側にあるの」


 いささか距離があっても、同じ地域である。


「近所といえば近所ですね。大声で呼んでも届きそうにないですけど」


 淡く微笑んだ女性は、すぐさま表情を改め、硬い声で問いかけてきた。


「ちょっと聞いてもいい? うちのおばあちゃんのこと、知らない?」


 四年も経つなら、あらゆることが変わっているだろう。身内がすでに鬼籍に入っている可能性もある。


「小柄で七十……今はもう八十歳になるのね……。キミの家に至る道の入り口近くにあるお地蔵さんによくいくし、そこからうちの御山に向かってお祈りしてるんだけど……」

「うちの御山……」


 引っかかった事柄を、湊はついつぶやいてしまった。


「全部じゃないんだけどね。大部分はおばあちゃん名義なの」


 湊は気づいた。

 自らが御山の所有者を知りたいと強く望んだからこそ、この神域に入れた。

 そのうえ、つながりのある彼女と出会ったのだと。

 四霊の絶大なる力を改めて感じて、空恐ろしさを覚えた。


 かすかに身震いした湊に気づかず、女性は祖母の特徴を挙げていった。


「――片足が悪くて、杖をついてるんだけど」


 あの老女だ、と湊は悟る。

 おそらく祖母は、地蔵と御山に向けて孫娘の帰りを祈っていたのだろう。

 真摯でひたむきな姿は、思い出すだけでも胸に迫るものがあった。


「つい先日、お地蔵さんの所にいらっしゃいました。『おかあさん』と呼びかけた年配の女性のミニバンに乗って、帰っていきましたよ」


 それを聞くや、女性は胸に手を当てて大きく肩を下げた。


「そっか。――やっぱり帰らなきゃ」


 またも決意を口にした女性は、いったん家屋に戻って神にあいさつするという。

 湊もともに赴くことにした。なにぶん不可視の門はもう消えており、無理やり神威入りの風で斬って出ていくわけにもいかぬ。


 己も神に会わないと、ここから出られない旨を女性に説明した。

 並んで家屋へ歩き出すと、彼女が「あ」とつぶやく。やや前屈みになって、湊のほうを向いた。


「まだ自己紹介してなかったね。私、裏島(うらしま)っていうの。キミは?」


 絶句した湊は、自らの名を告げるのにやや時間を要した。




 いざ、神の住まいへ。

 裏島の様子からあまり気負う必要のない相手なのかもしれぬ。

 だが、油断は禁物だ。

 そう湊が気を引き締めた時、カラカラカラ。なんとも庶民的で和やかな音――引き戸が鳴りながら開いていった。


 神のお出ましである。


 家屋までまだ距離はあるが、湊と裏島は足を止めた。

 口元を手で覆い、裏島はこそっと教えた。


「あの玄関、私が開け閉めしてもあんな賑やかな音は鳴らないの。不思議よね」


 湊は、反応に困った。

 数時間前、御身を現す時は、音を鳴らすのはどうかと山神に提案したが、この音はいかがなものか。


 コレジャナイ感がひどい。

 微妙な気持ちで湊が見つめる先、全開になった玄関は暗く、詳細をうかがえない。

 その御身は果たして、人型なのか、動物体なのか。


 びよんと大きな一歩で、一本足のモノが飛び出してきた。

 細いその御身は人体を模しており、腕を水平に広げている。野良着をまとい、頭には麦わら帽子。その白面には、へのへのもへじと書かれている。


 案山子(カカシ)であった。


 神気の濃さから神なのは、間違いない。

 初めてお目にかかるタイプの御身に、湊は呆気に取られた。

 一方、裏島は動じない。玄関前で通せんぼをする格好のカカシに近寄り、真正面に立った。


「カカシさん、私、家に帰ります」

「――そう。それはとても残念だ」


 への字口は動かずとも、そこから発せられた神の声は、男性のようであった。

 高くも低くもないその声は、ひどく耳に心地よく響いた。


「本当にごめんなさい」


 裏島は深くお辞儀した。心から申し訳なく思っているのが伝わってくる誠実な態度であった。


 彼女はここで数時間過ごしているうちに、世間では四年もの歳月が経過しているのを知った。

 にもかかわらず、神に恨み言をぶつける様子はない。

 彼らの間は、よき間柄であったのだろう。

 神をカカシさんと、親しみを込めて呼んでもいる。


 その間、湊は一声も口を挟まなかった。

 神はまったくこちらに意識を向けておらず、不必要に邪魔立てする気もなかった。


「では、部屋に置いたままの荷物を取ってくるといい」

「はい」


 神に促された裏島が湊に声かけたあと、カカシの横を通り、玄関へ向かう。

 その両足が敷居を越えた直後、引き戸が勢いよく閉まった。

 裏島が閉めたのではない、神が閉ざした。


 ――彼女をそこから出さぬように。


 そうとしか思えない速度であった。

 警戒心と緊張感が一挙に高まった湊に、神の意識が向いた。

 家屋一軒分の距離を空けて、湊とカカシが相対した。


 しばし無音の時が流れる。神は話さない。その文字の表情も変わらない。

 が、威圧を湊に与えていた。それは、広大な領域を有するに相応しい強さであった。


 けれども山神、天狐、いつぞや楠木邸に訪れた青き龍神――四神(しじん)青龍(セイリュウ)には遠く及ばない。


「――はじめまして、神様」


 湊が探るように切り出した。


「ワタシからすれば、初めての気はしないがね。――この間、アオサギの声にずいぶん驚いていたようだ」


 含み笑いに合わせ、その身も小刻みにゆれる。

 つい先日のことだ。田んぼに佇む優美なアオサギに話しかけてみたら、返ってきた予想外のダミ声に飛び上がったのは。

 やや目を泳がせた湊が告げる。


「――見ておられたのですね」

「ああ、ワタシは、()そのものだからね」

「もしかして、田の神(たのかみ)様ですか……?」

「そうだ」


 納得の姿のような、そうでもないような。

 たいていの自然神は、好きな形態をとれると、湊は山神から聞かされている。


 ならば、田の神もそうかもしれぬ。

 思いながら、湊はカカシの背後へ視線を流した。

 家屋から物音は、何一つとしてしない。


「――田の神様が、先ほどの女性をここに喚ばれたのですか?」

「いや、喚んでいない。たまたまワタシと波長が合ったから迷い込んできたんだ」

「じゃあ、彼女と俺をここから出してもらえますか?」

「嫌だ、と言ったら?」

「それは……」


 表情の変わらぬカカシは不気味だ。その垂れた袖だけが風で膨らんだ。


「ここに人が迷い込んでくるのは、ずいぶん久しぶりでね。そのうえワタシの姿を見ても怯えず、話ができる者がくるのは、いったいどれくらいぶりになることか……。まだまだ話がしたいんだ」


 愉快そうに笑い、頭を左右に振った。


「彼女の帰りを待ち続けている家族がいます」


 両の拳を握った湊が抑えた声で告げた。


「それがなんだ? ワタシには、よくわからない。家族がいないものでね」


 どこまでも軽い口調であった。湊とのやり取りでさえ、楽しんでいる節がある。


 ならば、俺が残るから、彼女だけ出してください。

 そんなことを言い出す自己犠牲精神は、さすがに持ち合わせていなかった。


 今ここで過ごしている間にも、外界では早回しのごとく時が過ぎているのかと思うと気が急いた。

 神の気の済むまで話に付き合い、ようやくここから脱出できたとしても、世間は何年の月日が経っているのか。想像するだに恐ろしい。


 山神たちは何も変わらないままいるかもしれない。しかし、寿命がある家族とは二度と会えまい。


 固い表情の湊を前に、後方宙返りしたカカシが、その場で軽く跳ねた。


「ここは、ワタシの領域(住まい)なんだ」

「……はい。存じてます」

「ここでなら、なにもかも思う通りにできる。田の神であるワタシでもね。風も起こせるんだ。こんな風に――」


 一本足を軸に急回転して、繰り出された突風が湊を襲う。


「ッ」


 稲を含む土煙は、鋭く重い。

 が、湊は顔面だけを腕で庇い、反撃しなかった。


「おや? なにもしないのか。――なぁ、稀有(けう)な人よ。見せてくれ、その身に貸し与えられた風神の力ってやつを」

「――戦えと?」

「ずいぶん大げさなことを言う。単なる遊びだよ、遊び。興味があるんだ。神の力を内包する人間など、初めて会ったからね」


 神の力を貸し与えられたばかりに、これから先にも出会うかもしれぬ神々にも、興味を持たれて挑まれるのだろうか。

 一抹どころではない不安に苛まれる湊をよそに、カカシは飄々と宣う。


「しかも二神分だ。キミ、極めて珍しいね」

「そうなんですかね……」


 風神の力も、アマテラスの力も大変ありがたい。

 しかし、厄介事とセットだったとは聞いておらぬ。

 神には見られただけで知られてしまうため、隠しようもない。

 湊は内心で頭を抱えた。

 カカシが、ゆうらりとやじろべえのように振れる。


「ワタシは、退屈している。時間を持て余しているものでね。――だからワタシと遊んでくれ」

「――そのあと、ここから出してもらえますか?」

「ああ、いいだろう」


 直立し、ぐるりと首を回した。

 軽い言い様であったが、言質は取った。問題あるまいと湊は思う。

 神は必ず約定を守るのだと、山神から聞いたことがあった。


 ただし、アマテラスの時のように、寝落ちして出してもらえなかったこともある。

 かの女神との再会が、ある意味楽しみだ。

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