3 お休みは大事
座卓の下を通された冊子を、湊は手に取った。
紙面を飾るのは、色とりどりのきび団子だ。老舗きび団子屋の特集ページであった。もちろん住所も記載されている。
雄大な御山を含む方丈町の北部に楠木邸、南部にきび団子屋がある。
「案内してくれるって言ってたきび団子屋さんって、この南部のお店のこと?」
「左様、周防庵という。我のイチオシぞ」
「期待しかないけど、それにしてもまた、いいタイミングで特集を組まれてるな……」
疑問しかない。ともあれよく見ると、折り目のついたページがいくつもあった。
ペラペラとめくってみたら、すべて和菓子絡みの箇所であった。抜け目のないことで。
山神は先刻までの眠そうな様子から一転、起き上がって尾を振っている。
高揚を体現するその尾は今日も爆風を巻き起こす。庭木たちの葉が御山へふっ飛んでいった。
苦笑した湊が、狼の木彫りを座卓に置いた。
「休んだあとに、御山の所有者さんのことを調べるよ」
「それがよかろう。急ぐ必要などどこにもないうえ、誰も逃げも隠れもせぬ」
「――そうだね。じゃ、明日、ここにいきますか。俺、まだ南部には、買い物にいったことないんだよね」
「うむ、そうであろう、そうであろう。お主は新規開拓など一向にせぬ、冒険心なぞ欠片も持ち合わせぬ御仁ゆえ」
「俺、ディスられてる?」
「なんぞ?」
通じなかった。盛大に疑問符を飛ばしている。
それなりに横文字に慣れてきているが、現代用語――若者言葉には精通していない。
「なんでもないよ、それで?」
「我もその店あたりには、とんと赴いておらぬが、なぁに、案ずるな。きび団子屋の次の頁に描かれた地図に沿って歩けばよき」
「――ああ、散策マップか。確かにこの通りにいけば、南部の中心地を余すことなく周れそうだね。『季節の花々の鑑賞もお楽しみください』って、季節ならではの見どころも細かく載ってる。……気が利いてるし、親切ー」
いささか棒読みになってしまったのは、致し方あるまい。あまりに都合がよいうえ、出来すぎであろう。
先日湊は、山神からこの情報誌の版元――武蔵出版社社長の先祖と、知り合いだったと教えられている。
雑誌の表紙に幅を利かせる狼のロゴマーク、かつ出版社自体のロゴにもなっているそれは、山神がモデルなのだという。
そして、毎月和菓子特集が組まれているのは、山神に気を使っているからだとも聞かされていた。
「この特集記事は毎回、『山神様、どうぞお越しくださいませ』っていう感じがひしひしするな……」
雑誌に散りばめられた和菓子――もっぱらこし餡の写真を見ながら、湊がぽそっとつぶやいた。
ただ毎月、四季折々の花が添われており、色使いなどもやけに華やかなのが気になるところだ。
もしかすると記事の担当者は、女性なのかもしれぬ。
そう思って記者の名前を見たら、男女どちらともとれる中性的な名であった。
それを眺める湊の髪も服もなびいている。明日への期待感から山神の尾が止まらないからである。
おかげで空気がかき回され、夏みかんの芳香が振りまかれた。
竹籠を引き寄せた湊は、山神へ向ける。
「この夏みかん、さっき銀の鯉の方にいただいたんだけど、これは人用? それとも神様用?」
「人用ぞ。お主が食べてもなんら問題ない」
「じゃあ、いただこう。あと、神霊さんにも一つ供えてみたんだけど……」
かえりみても、夏みかんは変わらぬ場所にあった。
「食べてくれないか……。欲しがってるように思ったんだけど、違ったのかな」
「そのまま放っておけばよい。葛藤しておる」
「食べようか、食べまいかって?」
「左様。あやつも麒麟同様、難儀な性質をしておるわ」
「そっか。けどこの夏みかん、普通の物なら傷むよね。腐る前に回収するよ」
山神が喉奥で嗤った。その視線は石灯籠に向いたままだ。
再び湊が振り向くと、夏みかんは影も形もなくなっていた。火袋のガラス窓もきっちり閉まっている。
電光石火の早業で、かっさらっていったのであった。
「……俺が会える日は遠そうだ」
浅くため息をついた湊は、視線を落とした。
たんまりある夏みかんは、湊一人では持て余すであろう。
なお山神は、生の果実は好んで食さない。
「セリたち食べるかな?」
「うむ。喜ぶであろうよ」
「じゃあ、山神さん持って帰ってあげてよ。しばらく自宅に戻ってないし、ちょうどいいよね」
「しばし待つがよい」
半眼になった山神の耳が、後方へ倒れた。
眷属と交信中だ。御山に帰るのも億劫で喚びつけている。
お気に入りの座布団に根を張ったように動かぬ物ぐさな神は、ほとほと困った神である。
ややあって、山側の塀にウツギが現れた。
「山神〜、喚んだー?」
眷属三匹の中、随一の俊足を誇る末っ子は、今回も素晴らしき速度で馳せ参じた。その後に、セリとトリカは現れない。ウツギだけを喚んでいた。
とんと、軽やかに敷地内へ降り立ったウツギが縁側へ至る。
「わ、夏みかんだ〜。おいしそうだね!」
「まだ食べてないからわからないけど、香りからして美味しそうだよね。銀の鯉の方からの頂き物なんだ。いる?」
「いるいる! ありがと〜」
果実を好むウツギは、ぴょんと跳んだ。
「湊さぁ、銀の鯉だけ『銀の鯉の方』って呼ぶよね。なんで?」
「あの方だけ、他の鯉と違うような気がするんだよね。なんとなくだけど」
一つ差し出された夏みかんを受け取ったウツギは、その眼を弓なりにしならせた。
「正解。あの銀の鯉だけは眷属じゃない。神だよ」
「やっぱり、そうだったんだ……」
その魚体から発する気――神気が濃いと、湊は感じていた。
ただそれは、まだ漠然としたものだ。
「神気を抑えて眷属のフリしてるみたい。湊も違いがわかるようになってきたんだね〜」
にこやかなウツギが褒めた。
「少しだけだよ。ほんの少しだけ」
謙遜する湊をよそに、ウツギは夏みかんに鼻を寄せた。その香りを楽しんだあと、瞬時に前足の間からそれを消してしまった。
「……食べてないよね?」
「うん。我の神域に入れたんだよ」
自慢げに告げたウツギは、前足を出す。そこへ夏みかんを二つ乗せると、今度もすぐさま消えた。
肉眼でまったく捉えきれなかった湊は、目をしばたたく。
「――全然どうやってるのか、見えなかった。それにしても、いつの間にか自室を持つようになったんだね。修行の成果?」
「うん、そう。まだちっさい部屋しかつくれないけどね!」
眷属たちは相変わらず、初物は一緒――同時に食べる。独り占めをする考えはない。追加で三個渡されたウツギは、ぽいぽいと自らの部屋に仕舞った。
それから、山神を一瞥する。
なんと、山神は喚ぶだけ喚んで、寝てしまっていた。
黒い鼻先から提灯が出たり、引っ込んだり。それは、眠りが浅い時にしか出ない代物だ。そのうち目覚めるであろう。
湊はウツギに向き直った。
「明日、山神さんと南部に出かけてくるよ」
「わかった。ここの護りも我らに任せて! のんびり遊んでくるといいよ」
「ありがと。そうする」
「じゃあ我、家に戻るね。お土産期待してるよ〜!」
情報誌の地図に洋菓子屋も少し載っていた。
それを思い浮かべつつ、湊は笑顔で了承した。
きゃらきゃら楽しげに笑ったウツギが駆け出す。一蹴りで大きな放物線を描き、御山の木立へ紛れていった。




