56.あの日⑤
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空気も凍る夜更けの静けさを、馬のいななきが破った。祖母の訃報を受けた両親が、馬車を飛ばして帰宅したのだ。
そのさざめきを、リリーはベッドの中で聞いていた。
あれから、どうやって家に戻ってきたのか、どうやって過ごしたのか、よく覚えていない。
ただ、脳裏に繰り返し浮かぶのは、祖母の楽しそうな笑顔と冷たく横たわる姿だ。
どうしても寝付くことなんてできなかった。
リリーはそっとベッドから足を下ろすと、室内履きを履いて廊下に出た。無性に両親の顔が見たくなったのだ。
小さな明かりが灯る廊下を抜け、両親の部屋の前まで来ると中から声が漏れ聞こえてきた。
「ポポがいながら、どうしてこんなことが……」
母の声だ。ひどく狼狽している。
リリーは扉の前で立ち止まり、耳を澄ませた。
部屋の中からは、コツコツという音が聞こえている。おそらく父が室内を歩き回っているのだろう。やがて、足音が止まり大きなため息が聞こえた。
「はぁ……守護像の力は、万能ではないんだよ」
リリーは息を詰めた。
(どういうこと……?)
ソロソロと扉に耳を近づける。
「なぜ守護像が、主と常に一緒にいるのか……いや、なければならないか、知っているかい?」
父の問い掛けに、少しの沈黙が下りる。
「いいえ……守りやすいからではないの?」
「それもあるがね、もっと根本的な必然性があるんだよ」
ドサッと音がした。どうやら父が椅子に身を沈めたらしい。
「守護像の守りの力はね、守る対象から一定の距離以内にいないと発揮されないんだ。だから家を護るタイプの守護像は、家を離れることができない」
その言葉に、心臓がドキリと跳ねた。
(離れちゃ、いけないの……?)
ドクン、と耳の奥で鼓動が大きくなり、頭の芯がじんじんと痺れてきた。喉が締め付けられたかのように苦しくなる。
「それじゃあ……」
母が息を呑む音が聞こえる。
ギシッと何かが軋む音がした。父が椅子から立ち上がったようだ。再び重たいため息が聞こえた。
「あぁ……ポポが、主である母の傍を離れたために、守りの力が失われたんだろう。だから母は――」
「っ!」
最後まで聞くことはできなかった。リリーは猛然と走ってその場から逃げ出した。
「はぁっはぁっ」
全速力で部屋に戻って、ベッドの中に潜り込んだ。頭からすっぽりと布団を被って、きつく目を閉じる。ドクン、ドクン、とやけに大きな心臓の音が頭の中に鳴り響いた。
(私のせいだ……)
じんわりと嫌な汗が全身に纏わり付く。
ギュッと身体を丸め、唇を噛みしめた。
(私のせいで、おばあちゃんは死んじゃったんだ……!)
じわり、と口内に鉄の味が広がった。
閉じた目の裏側に、いつも一緒だったポポと祖母の姿が浮かんだ。
(私がいなければ、ポポはおばあちゃんから離れなかったのに……)
それなのに、一番大切な場面で二人を引き裂いてしまった。
(ポポはおばあちゃんのこと、大好きだったのに……私のせいで助けられなかった……!)
息を吐き出すように、つぶやく。
「ごめんなさい、ごめんなさい、おばあちゃん、ポポ……‼」
その場にいない二人に向けて、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返したが、つぶやくごとに、どんどん胸が苦しくなっていった。
自分のせいで、大好きだった祖母は亡くなり、ポポは一番守りたかった人を守ることができなかったのだ。
自分で自分が許せなかった。
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「本当に、ごめんなさい……」
全てを語り終えたリリーは、ぐったりとした様子で顔を上げ、ポポを見た。
「だから私は、ポポと一緒にいる資格なんてないの」
感情を押し殺した固い声に、シオはこれまでのリリーの行動に納得した。
(ポポが嫌いになったわけじゃなかった。むしろ逆だったんだ)
仲が良かったから、なおさら自分のしたことの罪の重さに堪えられなかったのだ。ポポの大切な人を自分が奪ったという罪の意識に。
だから、リリーはポポを遠ざけ、ずっと自分を責め続けていたのだろう。
(でも、ポポは……?)
シオは傍らにいるポポを見下ろした。ポポはじっとリリーの言葉に耳を傾けていたが、すっくと立ち上がって口を開いた。
「ぽぽぅ、ぽうぽうっ!」
吠えるような声に、リリーがビクリと肩を振るわせる。ますます身体を抱え込むように丸くなり、ポポから目をそらした。どうやらリリーはポポが責めていると思っているようだ。
「ごめんなさ――」
「違う」
謝りかけたリリーの言葉を、シオは思わず遮った。
「え……?」
リリーが顔を上げ、こちらを見てくる。その瞳が困惑で揺れている。
シオは、傍らのポポを見下ろしながら口を開く。
「ポポは、自分のせいだって言ってる」
「ぽぽぅ、ぽぅぽぅ……」
ポポがこちらを見上げ、訴えてきた。その言葉に、シオは唇を噛みしめる。
(そんな言葉、伝えたくない)
そう思うものの、ポポが必死に見上げてくるので、シオは小さく息を吐き、再び口を開いてリリーを見据えた。
「……自分の力が足らなかったから、助けられなかったんだ、って。自分は守護像失格だって」
その言葉に、リリーはハッとした顔でポポを見つめた。
「そんなこと……!」
きっとポポは、リリーの拒絶の理由が自分にあると思っていたのだ。守護像なのに祖母を助けられなかったから、リリーが自分を責めているんだと。
(それでもポポは……)
ポポはトテトテとリリーに歩み寄った。リリーはギクリとして身体を引こうとしたが、ポポはそのままリリーの身体に寄り添った。
「ぽーぽぅ、ぽっぽうぽぽぅ。ぽぽぅ、ぽっぽぅ」
ポポは下を向きながら、必死にリリーに語りかける。自分の思いを伝えようとしている。シオは、ポポの気持ちが少しでも伝わるように、願いを込めながら言葉を紡ぐ。
「それでも、リリーと一緒にいたいって。リリーのことが、大好きだから」
リリーは呆然と自分に寄り添うポポを見つめた。
「リリー、ポポ」
声と共に、それまで沈黙を保っていた会長がシオの隣にかがみ込んだ。
リリーの肩がピクッと跳ねる。
会長は穏やかな眼差しをリリーに向けた。
「母さんは……おばあちゃんはね、いつもリリーとポポと一緒に過ごす時間を楽しみにしていたんだよ」
その言葉に、リリーは驚いたように父を見た。
「そうよ」
会長の横に、夫人もかがみ込んだ。
「二人が自分のせいで一緒にいないだなんて知ったら、きっと悲しむわ」
夫人の柔らかな声にうながされるように、リリーはポポを見た。
「ぽぽぅ」
ポポが前足をリリーの足に乗せる。
「ポポ……」
リリーは真っ直ぐにポポの目を見た。
「いいの……?」
ポポもリリーの目を真っ直ぐに見返した。
「ぽっぽうぽぽぅ」
―― 一緒にいたい
シオが伝えるまでもなかった。
リリーの顔がクシャッと歪んだかと思うと、その手はポポの身体をしっかりと抱きしめていた。
「ごめん……ごめんね、ポポ……!」
「ぽぅ」
「……助けてくれて、ありがとう」
ポポは応える代わりに、小さな翼をパタパタと動かした。
「56.あの日⑤」おわり。
次回、最終章「57.別れの挨拶」につづく。




