3.守護像の目覚め
「うん、良い感じ」
シオは凝り固まった肩を解すように、大きく伸びをした。
手は削り出した石の粉で白っぽくなっている。頬や鼻の頭にも少々粉が付いているが、シオは気にすることなく手元の守護像を見てニンマリした。
リス型の守護像は、仕上げの微調整と磨きを残すのみとなっていた。今朝は曖昧だった毛並みや手の形もくっきりとしている。
背に入っている独特の蔦草模様も彫ったとは思えないほど緻密に絡み合い、所々咲く小さな花は立体的で本当に咲いているかのようだった。
丸みを帯びた五枚の花弁が西日にきらめく。
いつしか日は傾き、室内を橙色に染め上げていた。
「ん?なに?テト」
温かい暖炉の前に陣取り寝入っていたテトがおもむろに起き出した。
今日は接客お休み日らしい。ずっとそばにいる。
テトは、んー、と手足を突っ張って伸びをしたかと思うと、トンと机に飛び乗った。
守護像に鼻を近づけ、フンフン、と匂いを嗅いでいる。耳もピンと前を向き、興味津々のご様子だ。
ちょいちょい、と前足でリス型の守護像をつついている。
テトは、守護像に対しての好奇心が強いようで、シオが造った守護像にはいつも積極的に絡んでいた。
自分に対する態度との違いに、毎回複雑な心境になるシオである。守護像に対する興味の半分でも良いから自分に向けて欲しい。
石が好きで守護像も大好きなシオとしては、テトとはもっと仲良くなりたかった。
できることなら、もっとテトと触れ合いたいし、石と思えないほど柔らかそうに見える毛並みを全身くまなく磨き上げて、毎晩鑑賞会を開きたいぐらいだった。
ミハルに言われても徹夜での仕事を止める気にはなれないが、テトが一緒にベッドに入ってくれると言うなら喜んで寝るのにと思ってしまう。
テトを胸に抱き、視界をまどろむ虹色でいっぱいにしながら眠りについたら、どんなに幸せな夢が見られるだろう、などと考えていると、
「なーん?」
テトから抗議の声が上がった。
邪な考えが伝わってしまったのかと一瞬身構えたが、そうではないらしい。
ちょちょい、と前足で軽く触ってもピクリとも動かない守護像がどうやらお気に召さないようだ。
「ちょっと待ってて」
シオはテトの頭を一撫でし、机の横にあるチェストからインク瓶と羽根ペンを取り出した。
台座と蓋が真鍮製で、卵形の小ぶりなガラス製のインク瓶。その半分ほどを満たしている液体は、光の加減で赤にも青にも緑にも見える。
虹インクと呼ばれる守護像職人に代々伝わる物だ。羽根ペンも普通とは異なり、ペン先に細かな彫り物が施され、切っ先はナイフのように鋭い特別仕様となっている。
これらの道具は守護像職人にとってなくてはならないものだ。これがないと、守護像を眠りから目覚めさせることはできない。
シオはインク瓶の蓋を開けると、羽根ペンの先をインクに浸した。
反対の手でリス型守護像を持ち、彫り込みの少ない腹面を上にして、手を固定させる。
十分インクを吸い上げたのを確かめると、羽根ペンを瓶から引き上げた。
「テト、動いちゃダメだからね」
手元をのぞき込んでくるテトに念を押す。
テトは、少しだけシオから距離を取った。
シオは、すぅ、と息を吸うと、守護像に意識を集中させた。リス型守護像の顎の下、胸辺りに狙いを定める。
そして一息に、自分の名前を刻み込んだ。
虹色のなめらかな線が描かれる。
シオは羽根ペンをインク瓶に差し、目をつぶっている守護像をそっと両手に乗せた。
何も変化は起こらない。
シオはまだ乾ききっていない、てらてらと光る自分の名前に、ふぅ、と息を吹きかけた。
次の瞬間。
リス型の守護像の内側から温かい風が吹き上げた。身体の色と同じ橙色の光が溢れ出し、守護像の全身を包み込む。
淡く発光していたリス型の守護像だったが、やがて光は収まり、室内に元の静けさが戻った。
「あれ?おかしいな……?」
すぐに現れるはずの反応がない。
テトも、おや?というように近寄ってきた。
すると、リス型守護像のまぶたがわずかに動いた。ピクピクと痙攣した後、薄く何度か瞬きを繰り返し、パチリと目を開ける。クリッとした瞳でシオを見ると、
「ちぃ?」
守護像は小さく鳴き、小首を傾げた。
シオはホッと胸をなで下ろす。
守護像を起こすのに失敗したかと思った。
守護像は、ただ彫り出せば目覚める、というわけではない。守護像職人が特殊なインクとペンで像に名を刻むことで眠りから覚ますことができるのだ。
そしてこれは、守護像が完成したときに行うのが普通である。
しかし、仕上げを残した段階で名を刻み、眠りから覚ますのがシオのやり方だった。
仕上げを残しておけば、実際に動いた守護像を見て、動かしづらそうな箇所や細かい彫りの修正をすることができるからだ。
この一手間によって、守護像たちはより活き活きと動くことができ、さらに守護の力も増幅させることができる。
というのが表向きの理由で、本当はただ石と戯れる時間を長く取りたいだけだった。
「初めまして。ちぃ」
シオは早速リス型守護像をちぃと名付け、顔の高さまで持ってきた。
仕上げの磨きはまだであるものの、全身鮮やかな橙色で、夕日を染め落としたような美しさだ。
「君はどの部分が虹色になるのかな」
守護像の特徴の一つは身体の一部が虹色に輝いていることだ。しかし初めからあるわけではない。
契約をすることで、身体の一部が虹色に輝くのだ。
守護像との契約は、契約したい者の血を守護像に一滴垂らすことで完了する。そのとき初めて守護像の身体の一部が虹色に輝き、守りの力を発揮するようになるのだ。
虹色に輝く部位については、守護像職人であっても分からないので、シオの楽しみの一つになっていた。
ちぃはヒクヒクと鼻を動かし、クリクリした目で辺りを見回している。
ふ、と傍らに佇むテトと目が合うと、ぴょん、とシオの手から飛び出した。
「え、ちぃ!?」
何をするのかと思ったら、あろうことかテトの背中に飛び乗った。
そしてなぜかテトの背中の毛繕いを始めてしまった。といっても、テトは生きているように見えても守護像で、石でできているので毛はない。
毛並みを表現した深く彫り込まれた溝の掃除と表現した方が正しいかもしれない。
ちぃはテトの背中を行ったり来たりしながら、溝掃除をしては顔を上げ、辺りをキョロキョロしたと思ったら、耳の中に顔を突っ込んだりしている。
なんとも好奇心旺盛で活発な守護像だ。
「なぁん」
これにはテトも困り顔でこちらに訴えてきた。
新入りの守護像が気になっていたようだが、こうも積極的に来られるとどうして良いのか分からないらしい。こいつをなんとかしてくれ、と言っているようだ。
まぁ確かに、無理矢理口に手を突っ込まれたら助けも求めたくなる。
「ほら、ちぃ。こっちにおいで?」
シオは苦笑しながら、ちょこまかと動き回るちぃに手を伸ばした。
が、思ったよりも素早いちぃは、シオの手をすり抜け、ぴょん、と飛ぶとシオの腕を伝って来た。
「えっ、ちょっと、ちぃ?!」
捕まえるよりも早く背中に回られ、シオは思わず立ち上がった。そのとき、勢い余ってバタンと椅子を倒してしまった。
「ちぃっ」
ちぃは椅子が倒れた音に驚いて、シオの頭まで駆け上がるとそこから机にダイブした。
「あっ」
と思った時には遅かった。
机に着地したちぃは、ダダッと机の上をジグザグに走り回り、その拍子にインク瓶をひっくり返してしまった。
「大変……!」
慌ててインク瓶を戻したが、中身の半分以上がこぼれてしまった。机の端を伝って床にまでしみを作っている。
シオは急いで手近にあったタオルで机の端から垂れるインクと床のインクを拭き取った。
「あ」
ふと自分の身体を見下ろすと、胡桃色のエプロンワンピースにもインクが所々飛び散っていた。
「ふたりとも、大丈夫?」
膝立ちで机の上を見ると、もう落ち着いたのか、机の端でキョトンとしているちぃと、半眼のテトと目が合った。
インク瓶を倒した張本人は何の被害も受けないようだが、先輩守護像は火の粉を被ってしまったらしい。
「なぁん」
テトの両前足が虹色に染まっていた。
見ようによっては、両足に虹色のソックスを履いているようで可愛らしいが、テトは親方の最高傑作だ。余計なシミは作りたくない。
「仕方ない。一緒にお風呂に入ろうか」
その瞬間、テトはビクッとして後ずさりをした。テトは猫型守護像だからか、水が苦手だ。
「テト!洗わないとシミになるから」
シオは暴れるテトを抱え上げた。浴室はシオの部屋には付いていない。裏庭を通って、浴室棟へ行かなければならなかった。
「ちぃはちょっと待っててね」
後で磨いてあげるから、と机の隅にいるちぃに声を掛けると、シオはバタバタと部屋を後にした。
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テトの前足を綺麗に洗い流し、シオも久しぶりのお風呂でさっぱりした頃にはすっかり日も暮れていた。疲れた様子のテトが店の方へと行くのを確認し、シオは自分の部屋に戻る。
「ごめんね、ちぃ。お待たせ」
まだ濡れた髪をタオルで乾かしながら部屋に入ると、室内は薄暗くなっていた。
暖炉で揺らめく炎に薪がパチリとはじける。
「ちぃ?」
呼んでみるが、返事はない。
先ほどまでちぃがいた机に近寄るが、そこにも姿はなかった。
嫌な予感がする。
自分はテトを抱えて洗面所に向かうとき、扉はちゃんと閉めただろうか。寝不足がたたっているのか、記憶が曖昧だった。
「……どうしよう」
シオの顔からさぁっと血の気が引いた。
もうすぐ辺りは夜の帳に包まれる。
「3.守護像の目覚め」おわり。
「4.捜索」につづく。