2.工房の仲間
「ちゃんと寝ないと身体壊すよ?今日で何日目だと思ってるの?」
「そんなのいちいち覚えてない。ねぇ、テト?」
シオはミハルからのお説教を受け流し、隣の椅子でうつらうつらしている黒猫、正確には黒猫型の守護像に同意を求めた。
彼女は親方が作った守護像で、シオが初めて守護像を見たときに棚の上で丸まっていた子だ。
今は香箱座りをしているので見えないが、普通の猫とは異なり、肉球は乳白色の星形で、尻尾が根元から二股に分かれ、胸元には幾何学模様が美しい月が彫られていた。
親方渾身の一作で、何度も売りに出そうとしたらしいのだが、引き渡しの日になると彼女はどこかへ姿をくらまして、結局上手くいった試しはなかったという。
そんなこんなで、売れ残り扱いを受けていた彼女だが、シオのことを気に入ったらしく、工房を出るときに付いてきた。他に売りに出してもまた戻ってくることは明白なので、親方が餞別代わりにと彼女を譲ってくれたのだった。
テトは守護像として工房を守るだけでなく、今や工房の看板娘となっている。
お客には愛想の良いテトだが、今は虹色の瞳でシオを一瞥しただけでまた眠りに戻ってしまった。
自分のことを気に入って付いてきたはずなのに、ずいぶんな態度だとシオは思う。
「都合が悪くなるとすぐテトに話を振るんだから」
ミハルは呆れながらシオに木の器を渡した。
湯気が立ち上る器には、黄色いスープがなみなみと注がれている。木製のスプーンでとろみのついた液体を口に含むと、ふわりと甘みが広がった。
(美味しい)
口元がほころぶ。
蜜かぼちゃと人参もろこしのスープはシオの好物だ。少し焼き目の付いた白パンに手を伸ばし、スープに浸しながら食べる。
テトの寝息が聞こえ始め、朝のちょっとした幸福感を噛みしめていたのに、
「いくら仕事が好きだからって言っても倒れたら元も子もないんだからね?ちゃんと分かってるの?」
追い説教に一気に気分が落とされた。
向かいの席に腰を下ろしたミハルに睨まれ、食事の手を止める。
「分かってる。だからお説教なんかしてないで、ミハルも早く食べたら?冷めちゃうよ」
せっかくの美味しい朝食も、お小言が続くと不味くなりそうだ。
ミハルの口を食べることに使わせようとしたのだが、どうやら逆効果だったらしい。
「僕もお説教したくてしてるわけじゃないんだからね?何度も言われたくないならシオも徹夜はやめたら?そもそもシオはー」
スプーンを指揮棒のように振りながらガミガミ言うミハルに辟易する。隣で寝ていたテトもわずらわしそうに耳を伏せた。
シオがミハルから顔を背けたその時、木の扉がわずかに開いていることに気がついた。
「……いるなら入ってくればいいのに」
眉をひそめると、入ってきたドアと対極に位置する木の扉がゆっくりと開かれた。
「タイミングを見計らっていたんですよ」
やれやれ、とため息交じりに入ってきたのは艶やかな黒髪をうなじで緩く束ねた若者だった。鼻筋の通った端整な顔立ちに銀縁眼鏡がよく似合っている。
「クロードさん!いつからいたんですか?」
ミハルも少し驚いた様子でお説教の言葉を止めた。
「君が小言を並べ始めた辺りからです」
小脇に抱えた手紙の束をテーブルへ無造作に置き、椅子に座って足を組む。そんな何気ない動作にも、そこはかとなく品が漂うこの男―クロードは、シオの工房の経営を担当している。
通常、独り立ちできるほどの腕を持った職人であれば、親方のようにパトロンとの仲立ちから、客への売り込み、売り上げの勘定まで一手に担う。
しかし、腕はピカイチでも他がからっきしなのがシオである。石にかまけて経営もろくに考えず、石に埋もれて息絶えるシオの姿が目に浮かんだ親方から、巣立つ条件として出されたのがクロードを経営者にすることだった。
豪商一族の端くれらしく、顔も広く、商才もあるクロードのおかげで、シオの工房は1年ほど経った今でも、小さいながらも潰れずにいる。
「しかしよくもまぁ、君たちも飽きませんねぇ。昨日も一昨日も同じ様な会話をしていましたよ」
くぃ、と銀縁眼鏡を押し上げて呆れた顔をされるが、聞いていたんならさっさとと入ってきて小言を止めて欲しかった。
「クロードさんからも言ってくれませんか。僕が言ったところで全く聞いてくれないので」
告げ口をしながらクロードのためにコーヒーを入れるミハルに、シオは閉口する。
「そうですねぇ」
クロードがこちらを値踏みするように見てきた。
(何か文句でも?)
シオはクロードを睨め付けた。町娘ならその視線を浴びただけで耳まで赤くなるのだろうが、生憎、シオはクロードにこれっぽっちも興味がない。それどころか、あまり好ましく思っていなかった。
「職人は今のところシオ君しかいませんからね。ちゃんと仕事をしているのなら、文句は言いませんよ」
クロードの言葉にミハルは気落ちしているようだが、シオはその言葉に引っかかった。
「何だか含みのある言い方な気がするけど」
ご明察、というようにクロードは極上の笑みを貼り付け、顔を近づけてきた。
「明後日、例の守護像を引き渡すということは分かっていますよね?」
シオは静かに目線を外した。
例の守護像とは、ついさっきまで彫り進めていたリス型の子である。
「……分かってるよ」
自然と声が小さくなってしまう。
そんなシオを見て、クロードは笑みを深くした。
「ということは、明日、最終確認をすると言うこともー」
「分かってる」
強い口調でクロードの言葉を遮った。笑顔の重圧がのし掛かる。
守護像には、契約者の護衛をする守護像と、契約者が住む家を警護する守護像の2種類が存在する。守護像の大きさや性格でどちらの守護像になるかは変わってくるのだが、どちらにしても安価な物ではない。買い手はある程度の財力を持つ者がほとんどだった。
今回の顧客も例外ではなく、この地域で古くから地主をしている老人だ。金に加え、権力がある。
そのため、クロードはいつも以上に神経質になっているのだ。
しかし、この金持ち老人は自分のために守護像が欲しいわけではないらしい。なんでも隣村に住む娘夫婦に初孫が生まれたらしく、その子のための守護像を所望とのことだった。
生誕100日目に合わせたい、という親馬鹿ならぬ孫馬鹿の、もうろく爺に多めの報酬を握らされ、クロードがすんなり引き受けてしまったのがちょうど一週間前のこと。
クロードのこういうところがシオは気にくわなかった。制作期間は最低でも一ヶ月は欲しい、と前から言ってある。
技術的には、女の拳ほどの大きさの守護像であれば、一週間という期間で間に合わせることも不可能ではない。
しかし、石と向き合って丁寧に作り上げていきたいシオにとって、そういう流れ作業的な造り方はしたくなかった。
できれば、どんな人が守護像の契約者になるのかも知った上で、守護像を彫りだしていきたかった。それなのに、である。
今回はサプライズにしたいから、と契約者本人は店にすら来ていない。
シオは飲みかけていたスープを勢いよく流し込むと席を立った。隣で眠り込んでいたはずのテトもいつの間にか起きて椅子から飛び降りた。
「え、シオ、もういいの?」
クロードの前に熱々のコーヒーを置きながら、ミハルは慌ててシオを引き留めようとする。
「おかわりは?」
まだいっぱいあるよ、と鍋の中を見せるミハルに、シオは首を振った。
もう少し味わっていたかったが、
「ごちそうさま」
今日のスープも美味しかったよ、と声を掛け、シオは台所を後にした。テトが続けて外へ出る。
職人として、約束の日までに依頼品を完成させるのは当たり前だとシオは思う。だが、期日に間に合わせるためにいい加減な仕事をするのはごめんだった。
クロードに言いたいことは山のようにあるが、言ったところで期日が延びるわけではないし、守護像の完成度が上がるわけでもない。
それなら少しでも石に向かう時間を増やしたかった。
●
シオとテトが出て行くと、ミハルはため息をつきつつ椅子に座った。コーヒーを飲みながら気怠げに手紙に目を通すクロードに批難の視線を投げかける。
「ちょっと、クロードさん。僕はシオに徹夜しないように言って欲しかったんですけど?」
逆効果になってるじゃないですか、と口を尖らせるミハルに、クロードはフンと鼻を鳴らした。
「私が言ったところで聞きやしませんよ」
それは確かにそうなのだが、視線を手紙に落としたままの、なんとも投げやりな返答に、ミハルはムッとする。
「そもそも無茶な依頼は引き受けないでくださいって僕からもお願いしましたよね?」
シオは石のこととなると周りが見えなくなりがちだ。親方の工房で人目が多かった時でさえ、寝食を忘れ彫像に没頭し、倒れたのは一度や二度ではない。
親方の工房を出て1年、シオが倒れることがなかったのは、ここまで切迫した依頼は受けないようにしていたからだ。
「クロードさんはシオが倒れても良いって言うんですか?」
クロードは手紙から目線を上げ、
「ミハル君、シオ君に対して過保護すぎません?」
残念な者を見るようにミハルを見てきた。
「心配しすぎですよ。シオ君だって子供じゃないですし、疲れたら休みますよ」
クロードは言うだけ言うと、再び手紙の束に目を落とす。
「だと良いんですけど」
ミハルは重たい息を吐いた。
シオは、このまま順調にいけば明日までに守護像を造り終えることができると考えているようだったが、ミハルは嫌な予感がしてならなかった。
そして残念ながら、ミハルの勘は的中することとなる。
2.工房の仲間 おわり。
3.守護像の目覚め につづく。