第1話 『宰相のヅラ盗んできた!』
セレスタイト王国の王太子は変人と名高い。
『問題児』 『台風の目』『外見詐欺師』『そいつの奇行からは逃れられない』などなど。
数多くある貴族から様々な異名を評される青年、名を『シリウス=トリックスター・ロワイヤル・セレスタイト』。
この国の王太子、後の国王として君臨する王子である。
そして、
「ベル!宰相のヅラ盗んできた!」
「今すぐ返して来てこい!!!!!」
スターベリル公爵家第五子、ヴェルガレータの婚約者でもある。
「オッケー!王宮正門に飾ってくる!!」
「馬鹿か!こっそり返しに行ってこい!!盗まれた物が正門に掲げられてるとか宰相閣下も大困惑だろ!!常識どこへ捨ててきた!!!」
「強いて言うなら揺りかごの中かな!」
「クソ序盤じゃねえか!取り戻してこい!!」
「多分既に弟に拾われてると思う」
「お前の常識なんか拾ってたら第二王子殿下が不憫だ」
「ベルってばひどい」
「日頃の行いを振り返ってほざきやがれ」
方や天使の微笑みと称される表情、方や可憐な容姿に眉を寄せてげんなりとした顔で軽口を叩き合う二人は、貴族の男女とは言えぬほど親しいものであった。
公に出来ない身分差がありながら、婚約者でもあり、良くも悪くも有名人であるこの二人。
そんな二人の友情(?)物語。
そもそもの前提として、ヴェルガレータ=ヴェーニュス・フォン・スターベリルは、前世『犬飼鈴奈』の記憶を持つ転生者である。
身分差などとっくの昔に廃止され平等を掲げる、魔法などおとぎ話の中でしか存在しない科学技術が発展する、令和の世を堪能する女子高生であった。
ひょんな事から、ベタにも程があるベッタベタな展開が今目の前にあるのだと気が付いたのは五歳の誕生日を迎えた後。
(ああ、ここはゲームの中か)
そう唐突に思い出した。
何の変哲もない、いつも通りの朝食を食している最中。水面に浮かび上がる気泡の如くポツポツと記憶の欠片が顔を表し、食事を終える頃にはそれは『前世の記憶』という形を成していた。
ゲームの内容はどこにでもある在り来たりな内容だった。
貴族が通う学園を舞台とした恋愛ゲーム。
学園生活を送りながら多種多様な女性と恋に落ちるという、所謂『ギャルゲー』と呼ばれるものだった。
前世の兄が気に入っており、前世の彼女もよく巻き込まれてコントローラーを握らされたものだ。
その攻略対象の一人が、犬飼鈴奈が転生したヴェルガレータである。
王家に次ぐ権力を持つスターベリル家の令嬢と紹介される。
しかしヴェルガレータはスターベリル公爵の実子ではなく、公爵と血を分けた、平民の男性と駆け落ちした妹の忘れ形見として生を受けた少女である。
ヴェルガレータの母は少女を産んですぐに亡くなり、また父親も少女が3歳を迎える前に事故にあって亡くなっていた。
独りになったヴェルガレータを引き取ったのが、可愛い末妹を血眼になって探していた公爵だ。
まあそんな出生のため、周りからは公爵が妾に産ませた私生児と認識され、義理の兄妹ですらヴェルガレータを快く思っては居なかった。
とはいえ、ヴェルガレータはそんなに悲観していなかった。
悪役令嬢ならともかく、ヴェルガレータは攻略対象の一人だ。
追放もなければ断罪もない。
ゲームの紹介では攻略対象の中でもヴェルガレータは5、6番手ぐらいの位置だった。
まかり間違っても攻略はされないだろうし、されたとしてもそれはそれで良しと考えた。
記憶が戻って数日後、セレスタイト王国王宮にて。
国王陛下への謁見のための登城を恙無く終えたヴェルガレータは、一般貴族に解放されている庭園を散策している最中、ふと見てしまった。
「ヒィイイイイイイイイィィハァアアアアアアアァァァァ!!!!」
意味不明な叫び声をあげながら、垂れ下がる蔦を用いて王宮の騎士達を追い回している少年を。
「おんぎゃあああああああ!!!!近寄るな!お願いだから見逃してぇええええ!!!」
「鬼さんお待ちなすってぇえええええええ!!!俺に退治されやがれぇええええええええええ!!!!」
敬虔なる王妃陛下の慈悲の下、この美しさを民にも知ってほしいと公開されている王宮の庭園。
自由に生い茂らせながらも整った木々の隙間からヴェルガレータが見たのは、宙に浮いているとは思えないほどに尋常ではない速さで器用にも木々から垂れ下がる蔦から蔦へ伝い、狂った声をあげる少年と、その少年から死に物狂いで逃げる騎士達であった。
そう、まさに生死を賭けた鬼ごっこの最中であった。
「????」
ついうっかりヴェルガレータは宇宙の果てまで意識を飛ばしそうになる。
それもそのはず、セレスタイト王国に限らずどの国でも貴族社会とは、常に狐と狸と狢の化かし合いである。
私利私欲の富を得ようと、上へ上へと、のし上がろうとする貴族連中、食うか食われるかの過酷な心理戦は、年端もいかない子供の頃から課される。
誰を信じていいか分からない、手探りで情報を掴み取る者が多い中、__恐らく両者は貴族であろう__敵も味方も分からぬ者を満面の笑みで追い回す少年。
少なくとも王宮という場所で、あってはならない光景が広がっている。
「ほらほらほらほら!!王太子に付かず離れず追いかけ回されるなんて、お前騎士の自覚あるのか!?戦え!立ち向かえ!!お前が騎士であるならば!!!!」
「逃げ惑うしか選択肢を与えなかった人が何をおっしゃってます!?つーか、王太子はっや!!えっ何こいつはっや!!!」
煽る少年と泣き叫ぶ騎士達を遠目に見やりながら、ヴェルガレータは首をかしげた。
(王太子とは…?)
『王太子』といえば、王位を継承する称号。
現国王陛下の嫡男に与えられる位。
つまりあのターザンの如く木々を飛び回る少年は、この国の第一王子というわけだ。
ヴェルガレータの脳裏に某錬金術バトルマンガに登場する糸目の王族キャラクターの台詞が思い浮かぶ。
『民なくして王はあり得ない』
その言葉通り、王とは幾千、幾万もの民の上に君臨する象徴とされる御方である。
この国の誰よりも高貴な血をその身に抱え、時には国の盾となる。
公爵家の名を持ってはいるが、他の兄妹より劣る血筋を持つヴェルガレータとは雲泥の身分差がある。
女の身ではあるが、その事は家庭教師からこんこんと教え込まれていた。
そう、ヴェルガレータにとっての王とは、間違っても涙と涎と鼻水で面をぐちゃぐちゃにした、自分より大きな大人を追い回し奇声を発しながら、常人の走る速度よりも倍以上の速度で木々を飛び回るものではなかった。
「王太子と言えども新人騎士をイビるのはいかがなものかと!!!!」
「鬼ごっこは仲良くなるために必須項目だからな!!!」
「もしかしてお言葉が通じてない!?」
(言葉通じねーなぁ)
ヴェルガレータは話したことも対面したこともない男性と気持ちが通じ合った気がした。
そもそも鬼ごっことは。
子供の屋外遊びとしては最も古くから存在するものの一つであり、一般的に、メンバーから鬼を一人決め、それ以外のメンバーは決められた時間内に逃げ、鬼が他の子に触れば鬼が交代し、遊びが続くという形式のものをさす。
決して鬼役を追いかけ回し、恐怖に陥れ、挙げ句の果てには退治するなどという蛮行が許される遊びではなかったはずだ。
王太子とは、騎士とは、王宮庭園とは、鬼ごっことは。
幼い脳ミソに詰め込んだ自分の常識を根底から覆されそうなヴェルガレータに、少年はラストスパートと言わんばかりに叫んだ。
「悪鬼の王よ!!覚悟!!!」
「どっちが悪鬼だよ!!!」
(悪鬼はどっちだよ)
またもや重なる騎士の叫びと、ヴェルガレータの心。
恐らく今だけは身分関係なく少年に対する言葉が一致した、奇跡の以心伝心である。
そしてヴェルガレータは思った、「こいつぁやべぇ」と。
その後、地に足を着け、華麗に蔦で騎士を凪ぎ払った少年と、「月夜ばかりだと思うなよぉおおおおおおおお!!」という負け惜しみを最期に地に伏した騎士達を見たヴェルガレータが、無意識のうちに哀れな騎士向かって、戦地で儚く散ってしまった騎士を追悼する祈りを唱えてしまったのは仕方の無いことだろう。
しかし近くにいたヴェルガレータに気付いてしまった王太子が、ヴェルガレータの目の前にまでやってきて、
「HEYお嬢ちゃん!俺で妥協しねーかい!!」
「慎んでお断り申し上げます」
などという、ナンパ紛いの鬼ごっこの勧誘を丁寧に辞退したはずのヴェルガレータを持ち上げ、さながらジェットコースターの如き浮遊感に晒しながら庭園を飛び回り、それを発見してしまった騎士達が慌てて追いかけてしまい、大規模な鬼ごっこに発展してしまった事はヴェルガレータは許していない。
とまあ、これが転生令嬢の攻略対象ヴェルガレータと、変人王太子改め、主人公シリウスの出会いである。
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