段ボールと運命
「遅いじゃん!」
「いやいや、江崎が早すぎるんだろ」
俺とつばさは教室に到着後、クーラーの真下にある段ボールの山に座り込んだ。
文化祭用に集めた物だけど、誰かが寝たりして遊んでいたのだろう、絨毯のように敷かれていた。
重すぎる荷物を運んだせいで、10月だと思えないほど汗だくになってしまい、クーラー嫌いの俺だけど20度に設定して転がった。
満員電車からなんとか降りたけど、京山線が止まっていてホームに人が溢れ江崎とはぐれてしまった。開き直った俺とつばさは人ごみに流されながら、ゆっくり学校に戻って来たんだけど、どうやら江崎はダッシュで学校に戻ったようだ。
そして
「凛さん、まだなんだけど、連絡してみて!」
と俺の横で騒いでいる。暑い、だるい、疲れた。三拍子そろって、眠い。
連絡はまだかと壊れたスピーカーのように叫ぶのでポケットからスマホを取り出したら、江崎が俺の指を掴んで勝手に指紋認証した。犯罪だろ!
そして勝手にLINEを確認。そこには15分前に「今から行きます」とあった。
「車で出たならそろそろ着くんじゃね?」
俺は汗を拭きながら言ったら、もう江崎は目の前から消えていた。ユーチューバーは瞬間移動もできるんだ、すげーなマジで。
荷物がくるなら行こうぜーとみんなぞろぞろ校門に向かい、教室には俺とつばさが残された。
クーラーがグイインと頑張って俺たちの所に冷たい風を送り込む。
誰かがつけたキラキラとしたリボンが、風に揺れて竜のように踊っているのを俺もつばさも、ぼんやり見ていた。
「……先生がアメリカ行くこと、江崎知ってんのかな」
俺の横で椅子に座っているつばさが呟く。知らないだろ……と俺は床から起き上がった。つばさは俺を見て、ぷはっ……と袋に小さな穴が開いたように吹き出して笑った。そして俺の方に手を伸ばしてきて、後頭部の髪の毛をツンと掴んだ。
「めっちゃ跳ねてる」
「マジで?」
俺は後頭部の髪の毛を撫でつけた。たしかにめっちゃ立ってる!床に寝転んだから……! その時廊下の奥から人が声がした。
「クラス誰か残ってるー? 荷物多いから手伝ってー!」
誰かが呼びに来た。行くか……と立ち上がろうとしたら、つばさが椅子から降りて、俺の横にチョンと移動、床に座った。そして同時に俺の背中の服を引っ張った。勢いで俺はまた床に転がる。
何?!
「誰もいないー。俺たちでやるかー」
廊下の声は遠ざかって行った。
再びクーラーが風を吐き出す音だけが静かに響く。
「……どうした?」
と言って横を見ると、すぐ隣に床に肘をついて、俺の方を見るつばさが居た。そして
「疲れたから、もうちょっと二人でサボろ?」
と俺の横に転がった。それこそ猫が居間で転がるように、ごろんと背筋を伸ばした。
え、そんなの、俺もやる。
うんしょと声を出してつばさの横に転がる。
限界まで冷やされた段ボールが氷のように冷たくて俺も背筋を伸ばした。
学校の天井を転がってみるのは初めてかもしれない。
トンと振動を感じて横を見たら、つばさが頭突きしてきていた。
俺もなんとなく頭突きしかえす。トンと軽い振動と同時に甘い香りがする。
めっちゃ頭痛いけど……幸せすぎる。
もうずっとこうしていたいのにスマホの通知がブンブンうるさい。
確認すると江崎だ。内容は「凛さんきた! 凛さんきた!」。
わかってますよ。
でも姉がきて無視することも出来ず、俺たちは立ち上がった。
どうやら江崎と凛ねえは家庭科室でうちの店が貸した物のリストをチェックしているらしい。俺とつばさはC棟に向かった。
外は文化祭の準備がはじまった特有の華やかさで騒がしい。
搬入トラック、巨大な布、とにかく段ボールを並べている人たち……色んな人が出入りしたりして、とにかく派手なんだ。
俺はこの学校のそういう所は好きだと思う。
渡り廊下を歩いて家庭科室に入ろうとしたら、江崎の声が聞こえてきた。
「凛さん、彼氏、アメリカ行くんですよね」
?! 俺とつばさは目を合わせた。話してる。
俺たちは窓の下に二人でずるると座り込んで隠れた。江崎知ってたんだ……。
「大鍋2。蓋も2……ね」
凛ねえは江崎を相手にせず、備品のチェックを続けている。おーい……我姉ながら厳しいのう。
江崎も負けずに続ける。
「あの、僕、春にまたライブやるんです。単独で」
「そういえば曲、聞いたわ。頑張ってるわね、昔より声が遠くに届くようになってる」
「聞いてくれたんですか?!」
江崎の叫び声と共にガシャーンと何かが金属系のものが落ちた音が響く。大丈夫かー? 俺がすすすと窓から顔を出そうとするのをつばさが引っ張って止める。
なんだよ、気になるんだよ! というか邪魔したいんですけど!
つばさはツーンとして俺のほうを見てくれない。何? 応援してる側?!
凛ねえの声が続く。
「駅前で歌ってた頃の経験、生きてるのね」
駅前……? つばさを見ると「あー……」と小さい声で言って、俺のよこにピョンと近づいてきて小声で話し始めた。「昔駅前でゲリラ的に歌ってたって、聞いたことある」え? 凛ねえはそのころから江崎を知ってたんだ……。
「あの」
ガタンと立ち上がる音がする。おいおい江崎、凛ねえに何かするなよ……?
俺が再び覗こうとするのを、つばさがまた止めた。えーやだやだ!
「僕は先生より若いし頼りないけど、たぶん、結構、良い男だし、わりと凛さんと運命感じるんですけど、凛さんはどうですか」
江崎の発言に、俺は目を漫画みたいにかっぴらいてつばさを見た。あいつ、すげぇ自信だな?! 大丈夫? さばいて海沿いに並べて干物にする?! 天日で干す?!
つばさは「まーまー」と俺をなだめるように両手を平行に動かした。
静かな凛ねえの声が続く。
「あのね、運命って、タイミングだと私は思うの。私が10年若くて、江崎くんと同い年だったら、それもありだったかも知れない。でも今は無い。恋とか運命とかって、きっとそういうものだと思う」
ちゃんとタイミングが合う子を探しなさい? と凛ねえは続けて、再び備品の確認に戻った。その後、江崎の声は聞こえてこない。
俺は座り込んだまま思った。運命はタイミング……。
なんか心の中に、ポン……と何がか落ちた。それは真っ黒な空間に咲く小さな花のように、正確に。すごく暑い朝に頬に落ちてくる冷たい水のように明快に今が見えてきた。
横のつばさを見ると、俺のほうをまっすぐに見ていた。そして俺の左手の下につばさが手を滑り込ませてきた。
俺はゆっくりとその手を握る。
冷たい、いつも通りのつばさの手。
その冷たさが俺の指先に伝わって、それは雪が初めて地面に着地した瞬間のように、とろけて、一つの温度になっていく。
つないだ俺たちの手は、最初からひとつの塊のようになった。
俺はその塊を、掌を、体ごと引き寄せた。一緒にふわりとつばさの温度がやってくる。
俺が女装してバイトして無かったら。
つばさがその俺を見て無かったら。
そして性転換しなかったら。
俺の店に来なかったら。
そして駅前で着替えないで俺が美桜ちゃんがつばさだと気が付かなかったら
今俺たちはここで手を繋いでないんだな。
俺がつばさの手を握ると、つばさはコテンと首を動かして肩に乗せてきた。
俺たちは、静かにこの時間に、感謝した。




