ふわふわで甘い夜
ポケットでスマホが揺れている。
取り出してみたら江崎からのラインだった。既読にしなくていいや。俺は画面を落としてポケットに戻した。
俺の横には、落ち着いたけど、まだ動く気になれないらしい田上が膝を抱えて丸まっている。数秒すると今度は田上のポケットが明るく光った。田上も取り出して画面を一瞬見るが、ポケットに戻した。
俺と田上は目を合わせて「出るか」と頷きあった。
外に出るとむわっと湿度に包まれた。でも川沿い特有の風は気持ちよくて、俺はやっと大きく深呼吸をした。田上は何も言わず、俺の一歩後ろを付いてきている。
たぶん結構泣いていたから、横に並びたくないんだろう。
凛ねえも、七々夏もよく泣くけど、そのたびに「顔見るな!!」とキレる。女は泣いた顔を見られたくない生物らしい……とそこまで考えて、男も同じように泣いた顔なんて見られたくないわ、と思った。
というか、歩く速度が遅いのは階段から落ちたときに、どこか痛めたのかも知れない。わりと派手にずり落ちていた。背中も赤くなっていたし……と思い出すと少し心臓がバクリと動いた。俺は立ち止って振り向いて
「荷物持つか?」
と田上に聞いた。田上はわりと大きなリュックを抱えてきていた。
田上はムッとした顔になった。
「さっそく女扱いか。何も変わってない、優しくしなくてもいい」
と睨んだ。
「いや、さっき背中赤くなってたし、腕もほら、擦ってるから言ったんだけど……」
階段から落ちたら俺も痛いけど……と普通に付け加えたら田上はハッ……とした表情になって、うつむいた。
デリケートな話をしたから、まだ不安定なのかもしれない。
今花火は休憩時間らしく、少し静かな川辺。俺はぽつぽつ話ながら歩く。
「昔小学校で、階段二段飛ばしが流行ってなかった? 俺もぴょーんぴょーんと降りて行ったら見事に落ちて足首捻挫したわ。めっちゃ痛かったからさ」
俺が昔のアホ話をしながら場を和ませようとしていると、横にツイと田上が追い付いてきた。
「……ごめん、女とか自分で言ったら、距離感分からなくなった」
俺は心の中で苦笑した。俺が田上を避けていたのはそれが理由なんだけど。
「何も変わらないんだろ?」
俺がそう言うと真横にきた田上はコクンと頷いた。目元をこすりすぎたのか赤いし、腕も擦れてる。しかも結構血が滲んで痛そうだ。
「あ、待てよ。俺……」
立ち止って鞄の中をゴソゴソ引っ掻き回した。今日は服装が地味だったので凛ねえの黄色のリュックを借りてきた。凛ねえなら……やっぱり持っていた。
「ほら、かさぶたの代わりになるやつ。保健室でもくれるから、男も女も関係ないだろ」
てかそれをわざわざ言うのが変じゃね……? 付けくわえて俺はそれを田上に渡した。
「……確かに」
田上は頷いてそれを受け取って、腕のケガに貼った。そして「ど?」と俺に見せた。それって風呂で痛くないから発明だよな? と俺が言うと「わかる」と田上も頷いた。
川の向こうでドン……と再び花火が上がった。俺と田上は視線を合わせて同時に言った。
「もう少し近くで見とくか」
俺たちは「橋はあっち? こっち?」と探しながら歩き始めた。
対岸に渡るための橋を見つけて歩いていたら、橋の前に中華料理屋があり花火を見に来た客目当てに商品を外に並べていた。でも八割が売り切れで、やっぱり人が多そうだけど屋台まで行くかー……と動き始めたら店員に話しかけられた。
「あれ春馬ちゃんじゃない?」
商店街の集まりで会った事があるおばちゃんだった。
でも俺の商店街とは離れてるし、なんでここに……? と思ったが、娘夫婦が出している店らしく、今日は手伝いなんだと重たそうなペットボトルを氷の中に入れた。
「花火の日はもう何売っても売れるから」
「わかります」
俺はおばちゃんが店内からペットボトルの入った段ボールを抱えてきたので、それを手伝い、箱をあけて入れたり畳んだり、氷を追加したりした。
この辺は慣れで体が勝手に動いてしまう。ランスも花見の時に屋台を出すが、とにかく冷たいドリンクと軽食は飛ぶように売れる。うちは喫茶店だからフランクフルトとか出せないけど、そういうのが一番売れる。
「一年分のドリンクが全部売れるわ」
「わかります」
俺は重たいラムネの瓶を持ち上げて、どんどん冷やした。冷やしたそばから子供が買いに来るので、一番冷えてるのを探して渡してあげた。浴衣を着た小さな子供は無条件で可愛い。
「春馬ちゃん手伝ってくれてありがとう。これお友達とどうぞ」
「あ、すいません!」
子供にラムネを渡して立ち上がると、おばちゃんが焼きそばと餃子を包んでくれていた。奥のお店の人にもお礼を言った。娘さんだろうか、笑顔で手を振ってくれた。あと花火見るなら穴場はあっち側! とも。
「めっちゃラッキーじゃね?」
俺は二人分の夕飯を抱えて教えて貰った穴場に向かった。
「小野寺すげぇな、自然に」
気が付くと田上はぽかんとした顔をしていた。
俺は何が凄いのか全く分からない。というか、少しの間田上を放置してしまった。ごめん……と小さく謝る。田上は何度も首を振って「いや、ほんと、すごいわ」と言っていた。
俺はきっと商店街っていうものが好きなんだと思う。小さい商店が集まった集合体、そこに行けば「いつもの人」がいる場所。
「いいじゃん」
俺たちはおばちゃんオススメの場所にきた。
この川は途中から細く分岐していて、中洲に入れる所がある……とおばちゃんが言っていた。一週間以上雨が降ってないし、上がれるんじゃない?
その通り、川の水は少なくて歩いて中洲に上がれた。
そこにはビール片手に花火を見ている地元のおじさんや、子供連れが何組かしか居なかった。前に進むのも困難な花火大会でレアすぎる。
俺たちも焼きそばと餃子を持って花火が見えそうな場所に座った。
割りばしを開くころ、ちょうど第二部が始まった。
手前に橋があるけれど、その奥にド迫力の花火が広がり、お腹にドン……と音を響かせてくる。これはひょっとして……と俺は横になり、目を閉じた。
すると全身を太鼓にして叩かれたようなドン……と重い響きが身体を駆け抜けた。
マジ気持ちいい。
「田上も転がれよ」
と目を開いたら
「うま」
と田上は口をリスのようにして焼きそばを食べていた。
顔が丸すぎて、俺は寝転がったまま笑った。
すると田上は
「おなかすいてた」
と箸片手に目頭をさげて、口角をあげて、ほほ笑んだ。
目元はまだ赤くて腫れてて痛々しいけど、それでもほほ笑んだ。
ああ、その笑顔が見られて良かった。その笑顔は俺が先に好きになった美桜ちゃんの笑顔なんだ。それを田上の姿で見られて良かった。
本当は「女の子の服装でバイトしてることも知ってる」って言ってしまったほうが楽なんじゃないかと思った。でも「女になったと伝えた事で距離感が掴めない」と一歩離れていた田上を見ると、美桜ちゃんの服装で居る時は「なりきれる」けど、田上の時はまだ田上のままなんだな。
全部言って楽になるのは、きっと俺だけだ。
だからきっとそれは、俺が言うことじゃない。
田上が美桜ちゃんになるまで、俺は待とう。
どっちも、好きだから。
好き……。
そう考えると、好きな子と二人で花火見てるの、すごくないか。
俺は目を固く閉じて唇を噛んだ。
すると上から田上の声がふってきた。
「餃子たべてい?」
目を開けると、田上が口をリス状態のまま餃子のパックを持っていた。なにこれ可愛い……。俺は花火が上がっていて聞こえないふりをした。
「ん?」
田上は俺に一歩近づいて口を押えながら、でも大きな声で
「餃子、たべていい?!」
俺は我慢できずに噴き出して笑った。
「きこえてんじゃん」
田上は餃子の入れ物をバリッと開いた。もう好きに食べてくれ。俺はお腹いっぱいだ。
花火も終わり、俺たちも帰ることにした。
食べ終わったゴミを袋に詰めて再び細くなった川を渡る。よく見ると少しは水が流れてるんだな……とジャンプして後ろを見たら、田上が一時停止していた。どうした?
「……靴が穴にハマった……」
かなりの暗闇で見えないけど、石の隙間に水が溜まっていたようだ。
「ご愁傷さま」
俺はそのまま道に出た。田上はズッチョズッチョ……と不快な音を立てて道に出てきた。道路に出ると……両足首までぐっしょり濡れている。しかしまあ、仕方なくね?
「……帰るか」
「……優しくしてくれても良いぞ」
「ん?」
さっきと言ってることが180度違うだろ!
「友達だろ?」
わがままな友達路線な。
「よし、荷物もってやるから、貸せよ。あららケガして……」
「100均とか無いのか」
「帰ろうぜー」
田上はクソ……と文句を言いながら後ろを付いて来る。
グッチョングッチョンと音を立てながら。
その音が、あの子供が履く音がするサンダルみたいで、俺は我慢できなく腹を抱えて笑った。
帰り道に袋に入った綿菓子を買って、二人でたべながら帰った。
ふわふわで甘い夜。




