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田上からの告白

「暑いー。でも夏休みだー!」

 終業式しかない一学期最終日。先生を待っている教室は蒸し風呂のように暑い。

 そりゃそうだ。ここは窓際で、カーテンは湯葉のように薄い。

 クーラーは付いているけど、一時間目は全く機能しない。

 俺は目の前でうな垂れるように机に突っ伏している田上の背中をぼんやりとみてしまう。

 細い肩、薄い背中。よく見ると指先も細くて綺麗なんだ。

 そこにツイと江崎が近づいた。

「なあ、これ新曲。軌道ヤバくね? 田上できる?」

「余裕」

「マ?! 行こうぜ。なあ春馬、今日ゲーセン行こうぜ!」

 江崎は振り向いて言った。俺は静かに首を振った。江崎は「うえ?!」と心底驚いたような声を出して

「夏休みだぜ?! 田上も行くぜ。な? 神の音ゲー見とけって!」

「バイト増やしちゃったんだ」

 それに田上も行くって今聞いたからこそ、余計に行きたくない。

「ん」

 前の席の田上が振り向いて、俺のプリントを回した。

 俺は目を合わせずそれを受け取って後ろに回して、自分の分を鞄にねじ込んで立ち上がった。

 江崎は「また連絡するー!」と能天気な声で言った。田上がこっちを見てるのが視界のふちに入ったが、俺は逃げるように教室から出た。

 正直、保健室で足……というかパンツを見てから、田上を意識しすぎて辛い。

 ヌーの時も可愛すぎたし、さっき江崎と音ゲーの曲を二人で聞いてた時は、俺完全に嫉妬してた。田上を『女の子だと意識しないで男としての距離を持てる江崎』に嫉妬してたんだ。


「アホらしい」

 俺はジャガイモを潰した。知れば知るほど近づけなくなるなんて。女の子だと知らなかったら、江崎みたいにグイグイ行くのに! ……いや、女の子だと知らなかったら友達になってなかったかも知れない。実際一年生の時は無関心だった。

 女の子の美桜ちゃんを先に知って、好きになった。そしてそれが田上だと知って近づいたんだ。俺は今、田上の顔して座っている美桜ちゃんが、性転換病になった田上を好きなんだよなあ……。

「くそ……」

 頭をカチ割って田上=美桜ちゃんって記憶を消して、友達から始められないかな。

 いや、田上で、美桜ちゃんだから、好きなんだよなあ。

 俺はぐるぐると同じことを考えながらジャガイモを潰した。

 スマホが鳴り、見ると「来週佐多川で花火大会があって、屋上でフットサルするから来い!」と江崎からラインが入っていた。

 写メの後ろ、小さく映り込んでる田上は相変わらず甘すぎるクレープを食べているように見える。

『今日断ったんだから、花火&サッカーは来いよ! 頭数に入れたからな』と強制的な内容……。俺は仕方なく了解のスタンプを押した。

 田上もくるのかな……。

 田上と花火はちょっと見たい。でもクラス行事に来るかな?

 でも……。

 俺は天気を確認してしまい、やっぱり一緒に居たいんだよなあ……と頭を抱えた。



 指定された場所はマンションというより商業ビルだった。

 1階に巨大薬局が入っていて、2階は写真スタジオ、その上がすべてマンションになっていた。

 12階に住居者専用のラウンジがあって、そこから非常階段をのぼるとフットサルのコートだった。

 江崎が指定したことを考えると、事務所の持ち物かも知れない。

「お、春馬きた! 見てろ俺の炎のぉぉぉ~~~トルネ~~~ド!」

 中に入るとそこは半分野外のコートで、人工芝の真ん中で江崎がグルグル回転していた。

 何してんの。

 それをクラスメイトたちが撮影して笑っている。

 俺はなんとなく確認する。田上は……やっぱり居ないか。そうだよな、こんなクラスの奴らが集まるイベントに田上が来るはずがない。

「春馬、一緒に雷神ブレイクしようぜ」

 江崎は腕をぐるぐる回して俺にアピールした。雷神ブレイクってお前アニメ好きだな。てかあの技、空浮いてない?

「球投げてくれよ、新田、一緒にやろうぜ!」

「おう!」

 なんだかよく分からないけど、江崎と新田がすごい勢いで走りこんできたので、俺は普通に避けた。そのまま二人は球とすれ違って人工芝に転がった。

 もう一回聞くけど、なにしてんの?

 クラスの半分くらいがフットサルに来ていたが、走り回って遊んでいたのは数人だ。俺も汗かくのイヤだわ……と壁際にあった椅子に座った。ここは屋上のコートで川が良く見える。花火は反対側だけど、よく見えそうだ。花火が上がる向こう側は道沿いに提灯の光が見えている。それがずっと遠くまで繋がっていて、星の道みたいだ。

「向こう側、天の川みたいだな」

「お、良いこと言うね」

 話しかけられて、首を戻すと、横に田上が座っていた。

「っ……」

 俺は一瞬体を固くする。

「ん」

 田上は俺にオレンジジュースを渡してきた。また俺が好きな銘柄……。サンキュと小さくお礼を言ってそれを開けた。田上はこういうイベントに絶対来ないと思い込んでいた部分と、一緒に花火が見られると喜んでる気持ちがあって、複雑だ。

 目の前では江崎が「炎のレモネードぉぉぉ」と言って何度も球を踏みつぶしていて、それを皆が動画に撮って笑っている。

 フットサルというより、江崎鑑賞会だ。

「……人前に出るのが、天職なんだな、江崎は」

 横で田上がしみじみという。そっか、田上は俺より江崎と付き合いが長いんだ。

 江崎は俺が知らない田上を知ってるんだ。

 そんなことで胸がチクリと痛む。俺は「ん」とだけ答えてジュースを飲んだ。

 そんなことを面白くないと思ってしまう自分が一番面白くない。 

「……小野寺は野球してたの? サッカーは?」

 田上がオレンジジュースを飲みながら聞いて来る。田上が連続して話しかけてくるなんて珍しい。でも、心がとげとげしていて、上手に言葉が出てこない。

「少し」

 と言って再び、押し黙った。

 どうしよもない沈黙が流れて、田上は立ち上がった。

「帰る」

 俺は追うことも出来ない。かといって話し続けることも出来ない。俺は……と思って田上が居た場所をみたら、田上が座っていた場所に何か置かれたままになっている。

 銀色の袋に入った……あれこれって、薬なのでは?

 その瞬間思い出した。そうだ、美桜ちゃんが倒れた時に行ったかかりつけの病院ってこの近くだ! ひょっとして中に入ってるのは性転換病の薬……?

「田上!」

 俺はそれを持って追った。田上はもう非常階段を半分降りていた。俺を一瞥して、階段に消えていく。違う、ちょっと待て! 田上は踊り場を折り返している。

「これ忘れてる!」

 俺は手に銀色の袋を持って叫んだ。田上は「?!」と俺の手元を見た瞬間足を滑らせて階段からずり落ちた。

「田上!」

 俺は階段を降りて駆け寄った。田上は階段を五段くらいずり落ちた所で止まっていた。後ろから見ると背中のTシャツがめくりあがって、下着が見えている。あれって着物とかに着るときに着ける胸を潰す服……?! たしか七々夏が持ってたような。その後ろのホックが外れかけていた。ヤバい!!

「大丈夫か?」

 下から上がってきたクラスメイトの浅野が声をかけてきて、田上に手を伸ばした。

「触んなくていい、大丈夫」

 俺は階段を下りながら言った。姿勢戻したらブラが外れるんじゃ……!

 いや、でも……と手を伸ばす浅野に向かって俺は叫んだ。

「触んなって!!」

 その大声に浅野はビクッとなって手を引いた。 

 俺は田上の後ろに追いついて、捲れあがってたTシャツをバッと戻した。浅野は俺の勢いに言葉を失っている。

「あの、さ、階段とかから落ちたら、あんまり派手に動かすと、痛めた所が酷くなるから」

 俺はしどろもどろに答えた。浅野は「大丈夫ならいいけど」と俺たちをチラチラ見ながら上がっていった。

「……っ……痛っ……」

 田上が体を起こす。

「大丈夫か」

 俺は田上に手を伸ばした。田上は俺の方をまっすぐに見て、俺の手をグッと握って、立った。冷たくて、細い指。田上は足を軽く引きずって歩き始めた。

 俺たちは非常階段を下りて、マンションのエントランス横の空間に座った。


「……助けてくれて、サンキュ」

「あ、ああ」

 エントランス横の接客空間だろうか……そこのソファに俺と田上は座っている。照明は暗く絞られていて、俺たちは押し黙っていた。そこにドン……と大きな音が響いて、ガラスがパリ……と小さく振動した。花火が始まったようだ。

「……最近、小野寺、俺を避けてるだろ」

 花火の隙間に田上が言う。俺は何も言えない。

 ドン……と花火の音がして、田上の輪郭を七色に見せる。田上は俺のほうを見た。まっすぐな目。逃げられない。

「小野寺さ、保健室で何か見た?」

 心臓がバクバクと大きく音を立てて、花火の音が遠ざかる。田上の後ろで花火が上がり、大きな音がしてるはずなのに、自分の心臓の音しか聞こえない。

「何か見ただろ」

「……足と……」

 ドン……と花火が上がる音で俺の言葉が消される。

 まっすぐに俺を見ていた田上の目が伏せられた。そしてため息をついて、口を開いた。

「……薬、サンキュ。あのまま忘れたらヤバかった」

「あ、うん」

 俺は薬の袋を田上に渡した。

 田上は中から薬を出した。そこには『性転換病のための薬』と説明書が付いている。

 俺が見たことを確認して、田上はそれを袋の中にねじこんだ。

 ドン……ドン……と花火が上がり、俺たちの影を濃く映す。

 屋上で花火を見ているクラスメイトたちの歓声が小さく聞こえてくる。

 でも俺に一番聞こえてくるのは、自分の心臓の音だけだ。

 田上は背筋を伸ばした。それだけで俺はビクリとしてしまう。

「さっきもサンキュ。ブラ見られたら危なかった。お前コレ、知ってるの?」

 やっぱり……という気持ちと何て言うのが正解なのか分からなくて唇を舐めた。

「姉貴がいるんだっけ。だから知ってるのか。着物用みたいだな、最近胸がデカくなってきて困る。なんだこれ」

ドクドクドクドク心臓が早く動きすぎて息ができない。

 田上が、俺の目の前で、女であることを認めている。

「あの……あのさ……」

 俺は「あの」しか言えない星人に成り下がっていた。

 田上は気が楽になったのか、今まで見たことがないほど饒舌に話し始めた。

「別に胸なんて大きくなってきたつってもBカップくらいしかないし、小学生じゃないんだから、友達にちんちん見せることもないし、大丈夫かと思ったけど、保健室か……甘かったな」

「ち……ん?!」

 田上が発している言葉になんて返せばいいのか分からない。

「あーーー。でも、なんだろ、すげぇ楽。あれ、なんだろこの気持ち、すげぇ楽」

 田上は膝を抱えて、トンとアゴを置いた。そして続ける。

「知られたらやべえって思ってたけど……なんでだろ、知られたのが、小野寺だったからかな。お前なら、誰にも言わないもんな……小野寺なら、大丈夫だ」

 俺は無言で何度も頷いた。言わない。絶対に言わない。

「……やべえ、痛てぇ……」

 転んだ所が痛むのか?

「大丈夫か?」

 俺はやっと意識が戻ってきて普通の言葉を田上にかけた。田上は膝の上にあった頭をコテンと動かして俺の方を見て

「バレたのが……小野寺で良かった。なんだろ、泣けてくる、気持ち悪いね。とりあえず嫌われてなくて良かった、お前、避けるから……」

「ごめん、どうしたらいいのか分からなくて……」

 避けるしか出来ないアホでゴメン。俺は小さな声で続けた。

 田上は膝の間に顔をうずめたまま、何度も頭を振った。肩が小刻みに揺れて……泣いてるのかもしれない。

 俺は横で座っていた。ただ座っていた。

 花火がドン……ドン……と上がり俺たちを照らし続けていた。


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