発覚
「玲子さんは、高校生ですか?」
机を拭きながら美桜ちゃんに聞かれた。うーん、ここは素直でも問題ないはずだ。
「四月から高校二年生。もう春休み終わるね、早すぎる」
俺は両肩をあげておどけた。
「えっ、私も高二です。玲子さんしっかりしてるから、もっと年上だと思ってました」
美桜ちゃんが目を輝かせる。
「玲子がしっかりしてる……?」
コップを磨いていた凛ねえが俺の方を見てクスリと笑う。俺はジロリと睨むが、凛ねえは「何か口答えできるの?」と言った表情だ。
そりゃ冷静沈着な凛ねえには敵わないけど、女装してる時はわりとしっかりしてる……つもりだ。
俺は力を入れて窓ガラスをふいた。
「玲子さん、身長高いからいいですね。私ももう少し身長あったら、この制服も似合うのになあ……」
美桜ちゃんが俺のよこでチョイと背伸びして言う。
身長が高いのは男だから当たり前だ……でも一般的な175cm以下だと思う。正直男としては物足りない。
ヒールをはいた女の子が横にくると、目線が同じ高さにくることもある。
その点美桜ちゃんは少しヒールのある靴を履いても155cmぐらいだろうか、標準よりかなり小さめなのは分かる。
でも「よっと!!」 と少し高い場所を磨こうとしている姿が単純に可愛くて見守ってしまう。
「学校始まっちゃいますね……正直、行きたくないです」
高い場所は諦めて手が届く机を拭き始めた美桜ちゃんがつぶやく。
嫌なことでもあるのだろうか……。
俺は正直学校は嫌いじゃないので、そんなにイヤじゃないし、友達とダラダラ過ごすのも好きだ。
でもそんなことでマウント取っても、偉そうに意見するのも、なんか違う。
そりゃ休みのが気楽だ。
「クラス変えはあるの?」
俺は聞いた。
「三年間無いから、ちょっとね……」
俺の学校と同じだ。確かに悪いことも、良いこともある。
「まあ、新鮮味はないよね」
俺は美桜ちゃんの雑巾を受け取って、バケツに入れた水で洗って渡した。
「リセットしたほうが良いことも多いですよね」
美桜ちゃんは苦笑した。
イジめられたりしてるのだろうか。俺が守ってあげるのに……とか出来もしないことを思う。
そもそも個人情報だから聞きにくて、どこの学校かもお互い知らないのに。
でも。
俺はぎゅっと雑巾を絞った。
平日数時間、休みの日は毎回美桜ちゃんに会えるから、今はそれだけで十分だし、バイトが少し楽しくなってきた。
「ほい、出来上がり」
「行きます」
俺は凛ねえが作ったナポリタンを持ってテーブルに運ぶ。
うちの喫茶店のメニューは創業当時から変わってない。ウインナー、たまねぎ、ピーマンが入った少し甘めのナポリタン。
調理師免許は母さんと凛ねえだけが持っている。俺もPCで絵を描くのが好きなだけで、将来別にやりたいこともないし、調理師免許でも取ろうかなあと漠然と思っている。
なにしろ調理師免許は仕事に役立つ。
俺がバイトに入ることになってから、お母さんはおばあちゃんの介護食を全て手作りしてたら評判になって、栄養豊富だけど美味しいスープをご近所の方に差し入れているらしい。
初めて行った場所にもすんなりなじめるのは、料理の力もあったのだろう。
「ナポリタンです、どうぞ」
「わあ、美味しそう!」
小学校入学前くらいだろうか、幼い子がナポリタンを前に歓声を上げた。
そして子供用の少し小さいフォークで上手にくるくると巻いて、それを口に運んだ。丸く膨らんだ口に垂れる眉毛と溢れる笑顔。
悪くないなあと思うのだ。
凛ねえは子どもの扱いになぜか慣れていて、子供用はスパゲッティを半分に折って茹でている。
それに味付けも少しだけ酸味が減るように砂糖をザラメにしている。
俺もひとりひとりに寄り添った食事を提供できたら、楽しいかもしれない。
……女装じゃない状態で作りたいけれど。
「おつかれさまでした」
美桜ちゃんは制服の上に上着を羽織った。
「今日は忙しかったね、おつかれさまでした」
凛ねえはお店の中に忘れ物が無いか確認しながら出入り口に行き、表の「営業中」の表示をひっくり返して「閉店」に変えた。
俺も店の中から、帰っていく美桜ちゃんを何となく見送る。
美桜ちゃんも俺のほうを見て、なんとなく手をふってくれる。
うう、嬉しい。
うちの店は19時には閉める。一時期は夜23時くらいまで営業していたのだが、それより営業時間を早めてモーニングを充実させたほうが客足は良かったし、なにより客層が良かった。夜営業しているとお酒を飲んだあとに「一杯コーヒーを飲もうか」なんてお客さんが多くて、そのまま眠ってしまう人も居た。女ばかりで営業しているこの店に、眠った男性客をおこせる人はいなくて、何度も警察のお世話になった。そして早朝7時からの営業に切り替えたのだ。
「卵ぷちぷち、手伝おうか」
「お、お願い」
営業時間が終わると、俺のこっそりとした修行タイムが始まる。
明日のモーニング用に茹で卵をストックするのだ。卵のお尻に画びょうで小さく穴をあけてから茹でる。穴をあけるのは卵のカーブがゆるやかなお尻の方。最初はそんなことも分からなくて卵を割ってしまったりした。今は触った瞬間に分かる。
凛ねえこだわりの、高いけれど美味しい卵。
穴をあけてから茹でると剥きやすくて、お客さんからも好評だ。
俺は無心でぷちぷちと穴あけを始めた。
「ねえ、これって美桜ちゃんのカーディガンじゃない?」
店の奥からレタスを持ってきた凛ねえが手に持っていたのは、たしかに美桜ちゃんが羽織っていたカーディガンだった。
「まだ間に合うかも。春馬持って行きなよ」
俺はこの店で女の子の恰好してるときは玲子だっつーの。
なんとなく心の中で悪態をつきながらそれを受け取って、俺は店を出た。
美桜ちゃんは電車で通ってることだけは知っている。まっすぐに駅に向かった。
さっき出たばかりだから、間に合うはずだ。
息を切らして駅前まできた。でも美桜ちゃんの姿は見えない。
「わあ、可愛いメイド服」
通りすがりの人たちが俺のことを見る。
なんていうか、本当に女装だってバレないんだな……。
いや、そうじゃなくて。
周りを見渡すと、トイレに入って行く美桜ちゃんの後ろ姿が見えた。間に合った! トイレなら出てきたら渡そう。
俺は駅前のベンチに座って待つことにした。
「メイドカフェですか?」
「ええ?」
突然男の人に話しかけられて、俺は焦った。
「駅前にあるんですか?」
大学生くらいだろうか、俺のほうをみてニコニコとほほ笑んだ。
「いやうちは、メイドカフェとして営業してるのではなく、普通の喫茶店です。駅前のアーケード奥にあります。喫茶店ランス。ぜひ来てください!」
「ありがとうー」
男の人は俺に手を振って去っていた。
おお……俺営業もできるのでは。あ、でも今日の営業は終了してますー! と、心で叫ぶ、やっぱり営業向いてないわ。
チラリとトイレの方を見るが、まだ美桜ちゃんは出てこない。
遅くないか……? トイレで倒れてたり……? いやもう少し待とう。
その間俺は二人くらいに店の場所を聞かれた。やっぱり営業に向いてる。
「あ、出てき……た……?」
トイレから出てきた人は、美桜ちゃんと同じリュックサックを背負っている。
それは特徴的で、とあるアウトドアブランドの別注品で、あまり他の人が持っているものではない。
リュックを揺らして歩く人が駅に向かって歩いていく。
それは同じクラスで知り合いの「田上つばさ」だった。
「……はああ??」
俺はカーディガンを持ったまま立ち尽くした。
美桜ちゃんと同じリュックサックで同じ靴を履いた田上つばさは、改札に向かう。
……いやいや、美桜ちゃんと田上を見間違えるはずがない。
田上はれっきとした男だ。というか、俺の学校は男子校だっつーの!!
俺はきっとどちらかを見間違えたのだ。
そのまま田上のほうに近づいていく。冷静にチェックしよう。
リュックを確認……美桜ちゃんと同じゲームのキーフォルダーが付いてる、同じリュック。
靴も同じコンバース(白)。いやいやいや……。
もっと近くで見れば何か分かるかもしれない。
そこまで考えて、俺はバイト先の制服(メイド服ひらひら)のまま駅構内に入ろうとしていることに気がついた。
逆にこれ田上か美桜ちゃんか分からないけど、見つかったらヤバい。
その場で壁に隠れた。
美桜ちゃんは定期を鳴らして改札から中に入って行った。
ええ……? ええ……?
俺は壁に張り付いたまま動けなかった。