雨と風と背中
「なんだこの風は!!」
俺は家のドアを開けた瞬間に叫んだ。
「春馬、今日は上着きていきなさい」
玄関で凛ねえにウインドブレーカーを渡された。ええ……カッコ悪い。風が強くて傘なんて使えないわ。凛姉は「はい!」と服を指さした。
母さんが大阪行ってから凛ねえのオカン化が止まらない。あっという間に世話焼きババアになるぞ……はやくまともな恋でもして出て行って欲しいと思うが、凛ねえに関して恋愛方面を期待するのは無理だと知っている。
言われたとおりにアウトドアメーカーの上着を羽織りビニ傘さして外に出た瞬間に傘が折れた。マジか!!
「ほ~~ほほほ~~~見て完璧だわ~~」
七々夏が上下カッパにツバが長い帽子をかぶり、野鳥の会の長靴まで履いた状態で現れた。そして自転車に乗って消えていく。
この風の中自転車大丈夫なのか?! と思ったけれど余裕で消えていく。
羞恥心を消し去った女は強い……と思ったら凛ねえは傘の骨がめっちゃ多くて絶対折れないという触れ込みの傘をさしてハイヒールで出て行った。うん、カッコイイ。
これはさすがにタオル持って行こうと鞄に入れて、鞄自体も上からゴミ袋で包んで外に出た。
「見ろ俺のライフハック!」
江崎はジャージで登校して、学校で制服に着替えていた。
いや全然ライフハックじゃない。びしょ濡れになった体操服が、四時間目の体育までに乾くと思えない。それを伝えたら
「保健室で乾かしてもらおっと!」
と消えていった。あいつ先生たちに甘えすぎだろ。
「おはよ」
右側から声がした。この声は田上だ。うす……と言いながら顔を上げて俺は叫んだ。
「え?!」
「うん、どうしよ」
登校してきた田上は、頭の先から鞄から足先までぐっしょり濡れていた。
もはや滝行してきた状態だ。どうしたらこんなに濡れるんだ!
「途中で傘が折れて諦めた」
「いやいやいや……ほれタオル」
俺はカバンからタオルを出した。田上は一瞬躊躇したが「ん」と受け取って拭き始めた。見ると鞄も濡れている。ということは中の体操服も死んでるんじゃないか。
「コンビニで傘買えば良かったのに」
俺が言うと
「折れた直後にかなり濡れたから諦めた」
と田上は答えた。ああー……すげえ気持ちは分かるけど……俺は田上の背中を見て叫びそうになった。下着が透けてきてる!
あれってたぶんサラシ的な何かだろう。胸周辺に布の束が透けて見える。
無防備にも程があるだろう!
「っ……田上、体操服は?」
「鞄の中で死んでる」
だよな!!
「俺の体操服貸してやるよ!」
鞄からゴソゴソ出して差しだすと
「悪いからいい」
と断られた。ちがーう! お前の下が透けてきてるんだよ!
たしかに田上=美桜ちゃんは女の子で言う所の貧乳に入ると思う。つい最近女の子になって巨乳化するほうが変だ。いや女の子になる時点で変だけど……じゃなくて!
この雨風だと保健室のレンタル着替えも全部消えてそうだし……あ!
「俺の美術用の服貸してやるよ!」
俺は後ろのロッカーに走って行って、インクで汚れている黒いTシャツを差し出した。
これは俺がクラス旗の絵を書くときに来ている服だ。汚れても良いようにウニクロの780円真っ黒な安い奴を使ってる。一週間くらい洗って無くて汚いかもしれないけど、何より黒だ。透けない!!
「いいの?」
Tシャツをみた田上はまだ聞くので
「トイレで着替えてこい、今すぐ!」
と俺は背中を押した。指先にぐっしょりと濡れたサラシが触れて、あれはどーするんだよ……と思ったけど、とにかく透けないからセーフだろ。
「助かった」
「よし!!」
俺は着替えてきた田上をみて大きく頷いた。透けない、見えない、胸も……うん分からない。俺は今更胸なんかでドキドキしないぞ、七々夏なんて夏はノーブラでTシャツでウロウロしてるからな。しかも七々夏はDカップでデカいからな、そんな田上の貧乳で動揺しない。
動揺しない……俺は目の前に座っている田上の背中をじ~~っと見る。サラシが見えないな、段差がない。てことは下着も何も着ないで俺のTシャツ着てるのか? 乳首が危なくね?! 俺は今日は寒いかもーと着てきたVネックのセーターを脱いで前の席に投げつけた。
「?」
肩にセーター投げつけられて、田上は不思議そうに振り向いた。
「そのTシャツ、インクがめっちゃ汚いから上から着とけ」
「気にしない」
田上は断ったが俺は何度も首をふった。着とけ着とけ着とけ。
俺のオーラに怖気づいたのか田上はTシャツの上から俺のVネックセーターを着た。変な服装だが、問題ない!!
「何か田上のオカンみたいだな、春馬」
結局保健室で服を貸して貰った江崎がギターいじりながら笑う。
ああ、凛ねえがオカン化する気持ちが理解できて辛い。
天気は午後から一気に回復して、制服はカリッカリに乾いた。
田上も制服に戻っていたので「Tシャツは?」と聞いたが、田上は「洗って返す」と言った。取れないインクと汚れが酷いので、そのままでも良かったんだけど……まあ良いか。
放課後、俺は美術室に寄らずに財布だけ持って外に出た。それを江崎が追ってくる。
「置いていくなよー」
「布買いにいくだけだから」
「お、田上も一緒にいく?」
江崎が声をかけると後ろにカバンを持った田上が立っていた。もう帰るのか。俺は今日のバイトのシフトを思い浮かべてみる。今日は美桜ちゃん入ってないと思うんだけど……と考えて我ながらキモいと思った。どこまで田上&美桜ちゃんのスケジュールを知りたいんだ俺は。バイト以外に用事があって当たり前じゃないか。
「田上だって用事があるだろ」
俺が言うと
「いいよ、どこいくの?」
と普通に答えられて、え……大丈夫なの? と思ったが江崎はもう自転車に跨って発進していた。
あいつマジでマイウェイすぎる……。
バイトしてる喫茶店がある駅に向かう。駅の東側に喫茶店があるんだけど、駅の西側に安い布の店があるんだ。七々夏が衣装とか作る時に見つけた店で、商店街の奥深くにある。一見古びた服屋しか見えないんだけど、その店の中を通った奥にあって誰も気が付かない。
一般の人も買い物OKなんだけど、ここは無理だろ。
だいたい商店街自体が今どき珍しいくらい入り組んでるんだ。
こっちから行った方が良さそうに見えるのに行き止まりだったり、店に見えるのに奥に道があったりする。俺はこの古い商店街が大好きだ。
「めっちゃラーメン屋あるじゃん」
江崎は初めて来たようできょろきょろしながら付いて来る。チラリと田上をみると「ほー」みたいな表情で付いてきている。東側に慣れると西側にはほとんど来ないからな。今度こっちにあるラーメン屋も美桜ちゃんと来たい。俺はここの煮干し醤油ラーメンが大好物で……
「あら、春馬。こっち側で珍しいわね」
「うわ!!」
お気に入りのラーメン屋から凛ねえが出てきて俺は叫んだ。同時に目を大きく開いて左右に高速で首をふり、余計なことを言うな!!……というのを無言で醸し出す。江崎にここら辺にバイト先があることを知られたくないし、美桜ちゃんは田上状態だし! でもそこはさすが凛ねえ。
「あら、江崎くん。久しぶりね」
とニッコリ外向けの表情で微笑んだ。江崎はパアアと笑顔になり
「凛さん! こんな所で会えるなんてめっちゃ嬉しいです!」
と叫んだ。あー、そういえば江崎は凛ねえを気にしていた。
「文化祭以来かな。色々頑張ってるみたいね」
「はい! あの春馬からチケットって受け取りましたか?!」
はれー? 俺渡したっけ……? そう思っておでこを揉んでいると
「知り合い?」
と店の中から小清水先生が顔を出した。ということは
「あ、春馬お兄ちゃんだ!!」
亜稀ちゃんだ~。小清水先生の子供、亜稀ちゃんも店から出てきた。
凛ねえは高校の時の担任教師、小清水先生をずっと好きで押しかけ女房みたいなことをしている。もう10年以上不毛な恋をしてるんだけど……それって江崎に言ったっけ?
チラリと江崎の顔を見ると、冷凍みかんみたいな顔してた。
言って無いわ、ごめん。
「あれ? あれれ?? 今朝のお兄ちゃんじゃない?! 傘貸してくれた!!」
亜稀ちゃんが田上をみて叫び始めた。
田上は俺たちのやり取りを遠くで見ていたが「あ!」と小さく声を上げて亜稀ちゃんに近づいて「大丈夫だった?」と話しかけた。
どうやら今朝学校に行くと途中で亜稀ちゃんの傘が折れてしまい、困っていたので田上が傘を貸したようだ。亜稀ちゃんの学校は私立でうちの高校から近い。
「とんだご迷惑を……」
と小清水先生は頭を下げたが、田上は
「学校行けた?」
と優しい表情で亜稀ちゃんに話しかけている。よく考えたら美登利ちゃんと年齢が近いかもしれない。だから扱いも慣れてるんだ。
「お兄ちゃんありがとう! 亜稀めっちゃ頑張って学校行ったよ」
「そうか、良かったね。お兄ちゃんは、この人の服を借りたから大丈夫だよ」
突然話をふられて俺は驚いたが「おう」と返した。
三人は家族のように仲良く商店街を歩いて去っていった。
なるほど……西側には来ないほうがいいな……俺はこっそり決意していた。
あの三人は複雑で実は苦手だ。
とくに小清水先生に関しては正直一言も二言も言いたくなってしまう。
「春馬くん……? 俺は話を聞かせてもらうまで一歩も動かないよ……」
振り向くと江崎がラーメンの旗横で置物みたいになっていた。
「諦めろ」
俺は無視して店に向かった。なんでだよぉぉぉおお……と後ろで雄叫びが聞こえる。俺のよこにトンと田上が並んで
「こっち?」
と聞く。
「そそ」
俺と田上は江崎の嘆きを聞きながらクスクス笑い店に向かった。
実の弟の俺が諦めてるんだ。江崎も諦めた方がいい。




