美桜という名前
「しかしまあ、すごい人だね」
俺は列に並びながら言った。
イベント当日、グッズ販売は午前中にあるというので早く集まったんだけど、駅からもう行列が確認できるほど人が居た。
「今日は会員限定なので少ないほうです!」
美登利ちゃんは俺に向かって興奮しながら言った。
これで少ない……? 少し背伸びをして前と後ろを見たが、正直列の最初も一番後ろも見えないくらい人が並んでいる。ここに並んでる人全員がグッズ買うの?
ええ……?
江崎のグッズ……アクキーとか……? と心の中で笑ってしまったが、バンド名が書かれたシンプルなもので少し安心した。でも全てナンバー入りで、それを入力すると専用のSNSで返事がくるとかで、俺にはよくわからないが、ファンにはたまらないものらしい。
「ひとり一つなので、つばさと玲子さんがいてくれて助かります」
美登利ちゃんは白いパーカーのチャックを一番上までギュッと締めて気合十分だ。
「イベントは並ぶ時間も多いもんね」
美桜ちゃんは販売品リストを見ながら言う。
「つばさが付き合ってくれるの初めてだもんね。あ、つばさじゃなくて美桜って呼ばないとね」
「べつにつばさでもいいよ」
田上つばさ=美桜ちゃんは苦笑した。
俺が聞きなれてるだろう……と気をつかって、美登利ちゃんは女の子の服装をしている時、つばさのことを美桜と呼ぶことに決めたそうだ。
美桜ちゃんも今日はシンプルなワンピースに白いパーカーで、夏っぽくて可愛い。
美登利ちゃんも同じような白いパーカーなので、待ち合わせの駅でもすぐに分かった。
苗字が違うけど、本当の姉妹みたいにそっくりだ。
でも数か月前までは兄と妹だったのか。
俺は横の二人をチラリと見る。
……想像できない。
美登利ちゃんは美桜ちゃんにツイと近寄って
「だって、玲子さんの前で美桜って呼ばれるの、つばさは嬉しいでしょ」
と言い、俺の方を見てニヤニヤした。
「美登利!」
美桜ちゃんが叫んで制す。
呼ばれて嬉しい……? なんで? と視線で聞くと美桜ちゃんは恥ずかしそうにうつ向き
「……あの……えっと……中田川のお花見祭りの時……ランスも出店してますよね」
と小さな声で言った。
中田川?
中田川は、商店街近くを流れる川で、川沿いに桜の木が沢山植えてある。春には見事に咲くので、商店街総出で川沿いに店を出して盛り上げる。
たしかに毎年、うちの店も出してるけど……。
「雨が降ったのを、覚えてませんか?」
「んー……?」
俺はからっぽの脳内を掘り起こすが、雨など降ってない。むしろ今年は延々と晴れていて暑くて、アイスコーヒーを増産した気がするんだけど。
「去年です」
「あ、ごめん、そうなるともう記憶が死滅しちゃうかも」
「死滅ですか」
美桜ちゃんは目を細めてほほ笑んだ。だってこんな俺好みの子、一目見たら忘れない。そこまで考えて、美桜ちゃんが女の子になったのはつい最近だと思い出した。ということは、田上つばさの時に、女装した俺に会ってたってこと……?
美桜ちゃんは小さな声でぽつぽつと話し始めた。
「色々あって。一人で桜を見てたんですけど雨が降ってきて。でもなんかどうでもよくて、ただぼんやり雨に打たれてたら、玲子さんが傘を貸してくれたんです」
傘……? たしかに雨がふると商店街はお客さんに無料で傘を貸す。
貸し傘というもので、返してくれること前提で、誰でも持って行ってよい傘だ。
それを貸し出すのを、確かに俺もそれを手伝った。
「玲子さん、私に大丈夫? とか、貸すよ、とか言葉は何もなかったんですけど、ただ静かにビニール傘をさして渡してくれて」
「え、それ逆に怖い人なのでは……」
「でもきっと。あの時、大丈夫って聞かれても大丈夫って答えたし、貸すよって言われても要らないって言ったと思うんです」
「そう……」
きっと俺は、わー雨降ってきたびしょ濡れの子がいる、貸そう! レベルの思考しかなかったと思う。
「その時、傘にたくさん桜の花びらが付いてキレイで……それで女の子になった時、この【美しい桜】って名前にしたんです」
ああ、それで美桜。
めずらしい名前を自分で決めたもんだと思ってた。
中田川の桜をバックにほほ笑む美桜ちゃんを思い浮かべる。
「……似合ってると思う」
俺は静かに言った。そして
「来年のお祭りは、美桜ちゃんも手伝ってね」
と言った。
桜の下でアイスコーヒーを売る美桜ちゃん、絶対可愛い。
俺が店頭に立つより100倍売れる気がする!
勝手に妄想して納得している俺を見て、美桜ちゃんが目じりをさげて少し泣きそうな表情になった。
え? また俺何かした?!
「未来に普通に居られて、うれしい」
美桜ちゃんは染み出すように静かに、でも押し出すように言った。
「へ?!」
「……ありがとう」
そう言って横に立って、頭をコツンと俺の腕にぶつけた。
その近さと体温に俺に頬はカカカと熱くなる。
「玲子さんはさー、ほんとありのままを丸ごと受け入れる感がすごいですよね」
横で美登利ちゃんが言う。
「いや、脳が弱いだけなのでは……」
自分で言っていて悲しくなる言葉だ。
「普通あれこれ聞きたくなるじゃないですか、てか聞きたいことが山盛りなはずなのに、いつも静かに聞いて、受け入れる。なかなか難しいと思うんですよねー。私なんて我慢できなくて全部聞くし説明求めちゃう」
「それが美登利だよ」
ふふっと横で美桜ちゃんが笑った。
「美桜、嬉しそう。良かったねえ。ず~~っと玲子さんと一緒に出掛けたいって言ってたもんね」
「美登利!」
美桜ちゃんが再び叫ぶ。
「上手に誘ってあげた私に感謝してほしい。あ、もうすぐ順番くるよ! 美桜は一番、私は二番買うから、玲子さんは三番買ってくださいね!」
いうだけ言って美登利ちゃんはレジに走っていった。俺は火照る頬を手で扇ぎながら、歩き始めようとしたら、ツン……と服を引っ張られた。視線を下すと美桜ちゃんだった。
「こっちのレジのが空いてそうです」
その瞬間、人の多さにギュッと押されて美桜ちゃんが潰れそうになったので、俺は自然と美桜ちゃんを抱き寄せて守った。そして人の塊が去った。
「あっぶな……美桜ちゃん大丈夫?」
「……商店街で守って貰った時も思ったんですけど……玲子さんって、腕長いですよね」
「へっ?!」
俺は美桜ちゃんを抱き寄せていた腕を離した。美桜ちゃんは離したはずの俺の腕にツイと抱きついてきて
「私もこっちのレジに行きます」
とつぶやいた。ふわりと甘い香りがして、正直抱き寄せそうになるが……ていうか、女友だちってこんなに密着してイチャイチャするものなのか?! 正直男としての気持ちが持たないんだけど……!! 俺はふううーー……と長くため息を吐いた。女友だち、大変だ。