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波島遥の場合

 見渡す限りの草原の中で、俺は一人歩いていた。

 空には漂う雲ひとつなく、太陽みたいな光源体だけがぽつりと空に浮いている。小さな石ばかりが転がる一本の砂利道が続き、その側面には腰よりも高い葉が漫画みたいに見える限りを埋め尽くしていた。

 なんだか酷く頭が痛い。ぶつけたような痛みがするが、触ったところでこぶの感触もない。それにどこか酩酊に似た気分もあって、吐こうと思えば吐いてしまえそうだった。

「失礼、もし」

 歩き進んだのだろう。砂利道の上に、変人が立っていた。

 その変人の、見た目だけは最上級に綺麗だ。青い髪の毛は長く腰辺りまで伸びきって、手入れが大変そうなのにどこかが跳ねているわけでもない。白いワンピースは袖が手首までと長く、裾は脛まである。

 だが、一番目を惹かれるのは、そんなへんてこりんな服装やらじゃなく、その下に詰まった豊満そうな胸だった。学校で一番大きいヤツを抱いたことがあるが、そんなのよりよっぽどでかそうだった。

 大人だか子どもだかわからないその見た目にそそられるが、しかし色合いや服装がたまらなく変だった。率直に言えば、頭がおかしそうだ。

 その変人はたぶん俺に話しかけているのだろうが相手をするのも面倒そうだった。

 が、胸の大きさを今一度確認して、とりあえず話しだけでも聞こうかと立ち止まった。

「なんだよ」

 まず舐められないようにする。それは大事なことだ。女だったら暴力を使わないでも脅せるから、力の差を示すというのは大事だ。

 ポケットに手を入れながら、腕に力を入れる。筋肉があるかは知らないが、少しは逞しく見える上腕二頭筋(本来、腕を曲げないと現れないものだ)を主張させる。目の前の変人は、ああまたか、みたいな呆れた表情をしていた。美人は美人で苦労する、というのをアピールしていると思うと、癪に障る奴だと思った。

 自称美人の、変人は一息吐いてからやおら顔を上げた。

「私は道先案内人です」

「・・・・・・はあ」

 生返事もいいところだったけれど、それ以外の反応を返せなかった。道先案内人。だからなんだよ? 自己紹介でもすればいいのか?

「俺は波島」

 高校生、と付け足すのはやめた。初対面のこの変人の年齢が見る限りでわからない以上、安易に年を教えて、年上面されるのは厄介だ。

 それに、平々凡々な肩書きを、わざわざと出す理由もなかった。

 風が弄ぶように周りの長草を擦らせていく。木も岩も見当たらないからきっと存在しないのだろう、風の通り道を遮るものはない。

 幼稚な考えに捉われていたらいつの間にか顔が下がっていた。癖で頭を振りながら顔を上げると、苦しげな変人がいて、それは沈痛みたいな二文字がぴったりの表情だった。

 変人は衣擦れの音を静かに立てて、右手で真後ろを指した。

『良い人は右

 悪い人は左』

「いや、右とか左とか何言って・・・・・・は?」

 なんだこれ。

 一本道だったはずの砂利道は、彼女の後ろの看板を起点にして二股に分かれていた。

 右にも左にも、まるで鏡で写したみたいにそっくりな道が、音も残像も風さえ起こさずに存在していた。

「な、なんで、さっきまでずっと一本道で・・・・・・なんなんだよ!」

 こんがらがった頭がしかし警鐘だけは鳴らす。唐突な現状が呑み込めないが理解する。これはやばい。普通じゃない。現実じゃない。じゃあ夢なのか。

 とにかく、こんな訳のわからない場所から逃げるべきだ。

「くそっ! 動け! 動けよ!」

 恐怖と困惑で凝固した足を何度も叩く。全力で叩く。握り締めた拳からも痛みだけは伝わるのに、膝から下を動かすことが出来ない。

 足に力を入れて踏ん張っても、セメントで固められたみたいにぴくりともしてくれない。

 何度も叩いていると、やがて、靴底が砂利を滑らせて膝から落ちる。

 そのまま体ごと草の中に突っ込むが、力を入れてすぐさま立ち上がる。

 これで逃げられる!

「波島さん」

 ぴたりと、戒めるような言葉ひとつで、俺の身体は凍結されたように動かなくなった。

「御自分の身体にそのようなことをしてはいけません」

 吊り上げられるように、顔を前に向けさせられる。諭すような言葉を出した重宝人が悲しそうな顔をして、俺から見て左に一歩ずれた。

 その行為で彼女のなかでは一段落がついたのか、再びしなやかだが品のある笑みが顔に戻り、俺の身体も動くようになった。

 なんだ、いまの。

 やっぱり危険だ。刃物を持った人間なんか比べもんにならないくらい、こいつは、この場はおかしい。

「波島さん。あなたはどちらの道へ進まれますか」

「・・・・・・」

 踵を返す。変人の質問を無視して、通ってきたであろう道をひたすら逃げるように走る。

 さっきまで動かなかった足が嘘のように軽く、休むことなく前へと進む。

 俺は逃げたのだ。

「・・・・・・そうですか。無理、でしたか。強情ですね。そういう人間は多くありません。それは選択の一つとして許されています。私はそれを間違いだと言い切れません」

 砂利を踏みしだきながら変人との距離を離していく。どこに繋がっているかはわからない。見渡す限りには草と空と砂利と、たったそれだけの世界だが、ここに俺がいつの間にか連れてこられたのだとしたら絶対に帰り道があるはずだ。

 それまでは足を止められない。

 段々と小さくなっていた声が、けれどまた響くように大きくなった。

「が、あなたは一度逃げていますから。・・・・・・『墜ちろ』」

 澄んだ空まで何もない空間に彼女の一言が強く反響する。

 とたん、音もなく目の前の道が消えてしまった。

「っ!」

「ふう・・・・・・。波島さん。お戻りください」

 つま先が境界線となって、その先の全てが絵本の余白のように真っ白になる。一瞬前には確かに存在していた変化のない空も、なびく草も、細々とした砂利道も、全てが消えて空白と化していた。

 悪戯で絵本にクレヨンで書き込みをしていた保育園のときを思い出す。一種の走馬灯が頭の中を駆け巡っていく。

 上も下も、左右さえ、境界線より先の世界は抜け落ちたみたいに何もない。ない。存在しないということへの、本能的な恐怖が脳より体にダメージを与える。

「うっ、ヴぇ」

 えづく。不快な音が鳴るほどに胃が閉まるが、嘔吐するものがないのか、胃酸どころか涎の一滴さえも出てこない。

 空咳のように喉を酷使して、何度も痛いと唸りながらえづいて、それでも血の一滴さえ、涎の雫さえ吐き出せなかった。

 実感をする。ここは現実ではないのだ。

 吐き気だけが抑えられず、中身がないのに繰り返し吐く動作が続く。痛覚だけが敏感に反応していっそ死にたくなる。しかし、その痛みが夢でないことを嫌でも伝えてくる。

 ここはなんなんだ。

 全身を痙攣させる俺に、この世界で唯一の他人、青い髪色の死神の足音が近づいてくる。

「波島さん」

 喉を震わせて、疲れたような声音を出す。

 そして、変人がこの場における唯一の人間で、女であることを思い出す。

 こんな訳のわからない場所にいて、非現実な超能力を使って、あの変人は普通の人間じゃない。だが、ナリだけは普通の人間で、ついでに狂うぐらいの美人だ。

 普通じゃ法に問われることであっても、ここでなら、それは簡単に。

 蹲ったまま俺は知らず笑みを浮かべる。それは引き攣って歪んでどんなに醜悪な笑みであろうと、後方にいる変人に見られてはいない。

「・・・・・・なあ」

「はい。なんでしょう」

 突然の呼びかけにも淡白な声で応じる。変人は俺が弱っているものだと信じている。もし俺を殺したいだけならば、とっくにさっきみたいな魔法で俺をひき潰しているだろう。

 変人からすれば、俺はたやすく捻れるが、生かしておきたい人間なのだ。

 俺がハンコウに出れば、すぐさまさっきの力で俺のことを消し去る。だが、さっき変人は声を出して、それを木霊させていた。ならば変人の口さえ封じ込めてしまえば、変人は俺が何をしたとしても、きっと手を出せない。

 えづく振りをして、ちらと変人を窺い見る。

 変人の見目は幼くも大人にも見えるが、高校生の腕力に勝てるような腕ではない。華奢で白く艶かしい細腕をしていた。

 いけると確信した。

「悪い、手を貸してくれないだろうか」

 せき込むふりをする。弱ったと思わせ、変人が近づいてきたらすぐさま口を塞げばいい。もし噛まれでもしたら、強引だが喉を突こう。気絶すればいいし、声を奪えれば重畳。

「はい。わかりました」

 変人の声は相も変わらず淡白で、汚れきった心に芽生えた粗末な疑心は、すぐさま劣情の前に刈り取られた。

 頭を地面に近づけ、変人の足音に耳を澄ませる。一歩、また一歩と近づいて来る。

 やけに長く感じた足音は、最後に砂利を踏みしめる音をして止まった。

 失敗は許されない。鼓動は早く、体温が上がるのはこの後の情事を考えたからだけではないだろう。

 一度大きく深呼吸し、彼女の動作が始まる前に俺が動き出す。

 理性を飛ばして感情だけで体を動かす。すぐさま扇情的でたおやかな肉付きを持つ変人の体に飛び掛ろうと、膝をついたまま体を反転させた。

 だが、動作の途中で俺は停止してしまった。

 目の前には、片足で立っている変人がいた。

 踏み込まれた右足を軸足にして、左足を後ろで大きく構えている。

 暴力的なその姿に驚いただけならば咄嗟に受けの構えを取ることもできただろう。つまり、驚いたのはそれだけじゃなかった。

 変人は、唇を噛み締め、暴力を振るうことを悔やむように涙を流していた。

「三度目です、波島さん。地獄へ」

 噛み締められた口はほんの少ししか開いていなかったはずなのに、その言葉はよく聞こえた。

 そして、変人の足は無防備な俺のみぞおちを蹴り上げ、身体を空白の世界に飛ばした。

 俺は動けないまま、俺を見下げる変人を瞳に映しながら落ちていった。



 見渡す限りの草原の中で、俺は一人歩いていた。

 空には漂う雲ひとつなく、太陽みたいな光源体だけがぽつりと空に浮いている。小さな石ばかりが転がる一本の砂利道が続き、その側面には腰よりも高い葉が漫画みたいに見える限りを埋め尽くしていた。

 なんだか酷く頭が痛い。ぶつけたような痛みがするが、触ったところでこぶの感触もない。それにどこか酩酊に似た気分もあって、吐こうと思えば吐いてしまえそうだった。

 気付いたとき、前方にとんでもなくイイ女がいた。

 足を止めることなく進むと、彼女は俺から見て左手側で佇んでいた。

 なんでこんな場所にこんな女がいるんだ? そもそもここはどこだ?

 周りを見渡してみるが、見覚えがあるようでない。少なくとも現実的な風景ではない気がする。

 例えるなら、天国みたいな。

「失礼、もし」

 佇んでいた青い髪の女が喋りかけてきた。

 数珠でも持っていれば喪服と見間違えるような黒いワンピースとは裏腹に、バリトンのような低音で、けれど快活とした声だった。

「なんだよ」

「いや、これはこういう挨拶なんだよ。私たちの決まり台詞みたいなものさ。気にしないでおくれ」

 片目を短めの髪で覆い隠した女は嫌そうにそんな言葉を吐く。嫌なら言わなきゃいいのに。

「そんな訳にもいかなくてね。一応神様のお達しだからね」

 宗教かなにかか? 

 いや、その前に、俺は今喋ったか?

 怪訝な視線を送ったのがわかったのか、女は肩をすくめていた。

 なんとなくだが危険な香りがする。

俺はその女を危ない奴だと確信づけて、その場を立ち去ろうと、また歩き出す。

「ここは04。仏の顔も三度までってね、まあ君は覚えていないだろうけど」

 無視に限る。見た目はクールでド直球でも、明らかに異常な雰囲気を醸し出していた。深く関わるのはよそうと先に進む。

「真っ直ぐ進めば門が見えるよ。波島くん」

「・・・・・・」

 大体、なんで頼ってもいないのに道案内のようなことをされなければいけないのだろう。

 そもそも、ここはずっと一本道なのだから、真っ直ぐ以外に道はないだろうに。まさか草の中を突っ切るとでも思われたのだろうか。

 釈然としないまま数歩進んで、おかしなことに気付く。

 今の変人は、俺の名前を呼ばなかったか?

 後ろを振り向くと女はそこにおらず、延々と広がる草原で、俺は一人だった。


あとがきその1

主人公じゃなくてサブキャラの波島の話が先に出来上がってしまったので投稿です。これだけだと設定がさっぱり読めないので、主人公君の話が出来上がり次第、差込ならなにやら考えます。


あとがきその2

どこぞで聞いた話で「悪人キャラにも三つくらいのいい点を挙げられなきゃただの屑」という、読者がキャラをどう思うかの目星みたいなのがあるそうです。短編だからと言い訳するわけではありませんが、波島のいいところが全然上がらないので、必然こいつはクズということになりますね。大体合ってる。


あとがきその3

いつもより会話数多めにしようと、書く前には考えていました。登場人物が足りないのかな?

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