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悠久のアルト  作者:
4/5

quarto

 歌えなくなったシレーネは、虚無感から海に飛び込んだ。人間ではない。そもそも生きてはいないはずの、ただの石像。重い身体は底へと沈んでいく。

 楽しい時には楽しい歌を、嬉しい時には嬉しい歌を歌ってきた。もし歌えるのだとしたら、今はどんな歌を歌おうか。海の中を彷徨いながら、悲しみという感情を、憐れみという愛情を、彼への思いが恋情だということを知った。

 身体は硬直していく。それでも彼女は、海に飛び込んだのを後悔しなかった。塩辛い涙のカラメッラは、海水に紛れるのだから。


 シレーネの姿が消えたことに、アルトゥーロは気付けずにいた。進行は思いのほか早いもので、彼の眼は殆どのものを映し出さなくなっていた。シレーネが居るのか、居ないのか、それすらも判らないまま、彼は彼女に謝り続けた。


「君の色が出せない。君の色がわからなくなってしまった」


「視力のせいじゃない。僕の力量では、君の魅力を到底、表現しきれない」


「前兆はあったんだ。あるいはその石かもしれないが、君に心を奪われてから、僕は自分の作るものをすべて拙いものに思うんだ」


「僕は芸術家として生きられない。もう何も創れなくてもいい。だから、また歌ってくれないか」


「きっと僕はもうじき潰える。君の歌はすべて記してある。でも、僕は君に何を遺せるかな」


 いつからか視界を覆うのは、完全に暗闇だった。欠けてしまった海の石の色はとても美しいものだったが、彼には視えていない。



 一人の芸術家の死に、多くの人間が悲しんだ。アルトゥーロ・ビアンキーニ、享年60。

 彼の創るどの作品にも独特の個性があり、類似するものは一つとして存在しなかった。だからこそ、彼がいつしか、とある一つの同じ題名でしか作品を作らなくなっていたのを、彼の作品を愛する者の多くが疑問に思っていた。

 しかし、シレーネという名の作品は、彼等が知るまだ他にも数十枚程が、未完成のままアトリエに残っている。外見や表情は様々な女性が描かれていたが、共通していたのは、瞳にだけ色が乗せられていないことだった。


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