怪物さん、お嬢ちゃん
音楽を食べる怪物に会った。どうやら、最近の音は喉につっかえるらしい。私は音なんて食べたことないから、味なんてわからない。彼にとっては最近はつまらないらしく、音響設備をよくして質を高めてるそうだ。ただの食わず嫌いじゃないかと思うんだけど、そんなこと言ったら逆鱗に触れるので絶対言わない。
「怪物さん、生演奏とか聴きにいけばいいと思うのだけど」
「お嬢ちゃん、君は俺に半生の豚肉が出てきたとしても食べろと言うのかい」
お気に入りのカセットテープをデッキに入れながら彼は言った。少しおちゃらけた声色に私はついむっとなってしまう。それを見た彼はにやにやしながら私の頬をぐりぐり指でつつきだした。
「いたいれすけど」
「頬っぺたぷにぷにだねぇ」
伸びたカセットテープの音があちらこちらに響き渡り、飛び散る。本来の音ってこんなんじゃなかった気がする。何回も聞いたのだろうな、ノイズ混じりのこの音が私も心地いいと思えるようになってしまった。
「なに考えてるのかな、お嬢ちゃん」
頬をつついてた彼の手がすーっと上に行き、頭を優しく撫でた。それは子供と接してるような対応で、少し切なくなる。
「今流れてる曲、ノイズ混じりだなって」
「確かにそうだな、でもそこが良いと思わないかい?」
「良いと言うかなれました」
「そうかそうか、なら次第に好きになってくよ」
「ならまだまだ時間が必要です」
「じゃ、お嬢ちゃんにはもっと俺の家に通ってもらわないと」
きっとお嬢ちゃんもこの音が好きになるよ。彼はとても幸せそうに言った。音でお腹が満たされてる、彼は前にそう言っていたが今まさにその状況なのだろう。満たされてることはとても幸せなことらしい。私は満たされない。音なんか食べれない。むなしい気持ちになる。側で彼は幸せそうなのに私はどうだ、幸せなのか。ゆっくりと横になりカーペットに寝転がる。
「お嬢ちゃん、ココアでも飲むかい?クッキーもあるよ」
「うん欲しい」
クッキーが近くに置かれた音がする。がさがさと袋の音。お湯を沸かす音。彼の動く音。音が転がっている。
「いろんな音がする」
「部屋に人が一人増えるだけでも違うからな、音の量」
「雑音は美味しいの?」
「雑音ってか、生活音だな。美味くも不味くもない」
生活してるから出る音。雑音と別なのか。
「でも嫌いじゃねぇな、今の部屋の音」
「それはよかった」
この部屋には私と怪物さんだけだ。そして彼は臆病だ。人混みはとても苦しいと言う。だからここは彼の楽園だ、彼を脅かす音はない。私の音は彼の食べ物にならないが生活音の一部、だから私はここにいれる。
「お嬢ちゃん、なんであんたはこんな怪物に会いに来てくれるんだ」
少し重い雰囲気になった。
「怪物さん、あなたは何故自分のことを怪物と言うの?」
「疑問を疑問で返さないでくれないかな」
顔を彼の方に向けて、表情を読もうとするがわからない。下から見上げてるからか、彼が立っているからなのか、とても大きな存在に思えた。
「俺はね、音を食べて生活してるんだ。一般的な食事だけじゃ満たされないんだよ」
「世の中には、砂を食べる人だっているわ」
「目にみえない、音を食べてるんだ」
「人間の目には認識できない物なんてたくさんあるわよ」
彼に優しく話しかける。緩やかになくなる彼との距離に視界が暗くなた。彼が抱きつくように覆い被さるから、なにもみえないし動けない。近くにあるもう一つの心臓の音が、一定のリズムできこえる。私の音もきこえてるのだろうか。
「怪物さん、少し切ないわ」
「どうしてだい、お嬢ちゃん」
「こんなに近くに居るのに、ちっとも貴方のことが見えないもの」
彼の服からお日様の臭いがする。心臓がどくどくうるさい。彼はますます抱き締める力を強くした。
「おじさん、苦しいわ」
「あぁ、ごめんよお嬢ちゃん。怪物のおじさんは少し人肌が恋しくてね」
怪物さんは優しい人だ。抱き締められるととても落ち着く。彼の心臓の音は居心地が いい。
「怪物さん、私の音聴こえてる?」
「聴こえてる」
「私も怪物さんの音聴こえてる」
彼の息づかい、言葉が耳に当たってくすぐったい。
「お嬢ちゃんの音がね、さっきから好き好きって囁くから怪物さん困ってるんだよ」
ぎゅうっと抱き込みながら彼は嬉しそうに笑う。首筋に頭を擦り付けるように甘えてきた。
「私の音でお腹がいっぱいになれる?」
「それは難しいかな」
「そっか」
「でも心は満たされるよ」
カセットテープが巻かれる音が、静かな空間に響く。B面の曲が、ジャズが、恋の歌が流れ出した。フランス語だったと思う、恋の歌詞を思い出すと顔が真っ赤になった 。意識しなければ、気づかなければと思いながら私の音は思いとは裏腹に加速していった。
「怪物さん、離れてちょうだい」
「どうしてそんなことを言うんだい」
「もう帰らないと、ココア飲まないままでごめんなさい」
私は彼の下から出ようとするがなかなか動けない。
「意地悪しないで怪物さん」
「意地悪じゃないんだよ、お嬢ちゃん。ここで離してしまったら俺らの話はもう終わりになってしまうように感じるんだよ」
「そんなことないわ」
彼はきっと私のこと好きなのだ。こんな子どもな私が。私も彼が好きなのだ。子どものように無邪気に笑ったりする彼が。
「お嬢ちゃん、また遊びにおいで。これは約束だよ、忘れちゃいけない。君は次第にノイズ混じりの音楽に愛着がわくはずだ、そのためにも遊びにおいで」
「愛着がわくまでの道のりは長そうね」
「長いのは悪くない。一緒にまたこうやって話をしよう」
「お話は顔を見合せながらがいいな」
「俺はこの体制が一番落ち着くんだ」
彼は私に約束を取り付けた。約束はおまじないと似ている。私の心が赤いリボンで蝶々結びされてるような気がしてならない。彼を背に家の扉を開け、外へと歩きだしたのだが彼の温もりがいまだに包まれてる気分だ。少し気になるのは、扉を閉めるとき怪物さんが何か言ったいたと思うのだが、聞き取れなかった。また今度聞くことにしよう。いつ訪れるか分からない未来のことだが。
「愛してるよ、お嬢ちゃん」