拠点で
何度目かの朝日が東側の窓から差し込んできたのに気が付いた一刀は手に目を通している竹簡を持ったまま呆然と呟くことしかできない。
「俺、いつになったら寝れるんだ?」
一刀が寝台として使えそうなほど大きな事務机の上に山のように、そして所せましと積まれた竹簡の報告書を見上げてため息が漏れるのを抑えることはできなかった。
このところ連日の徹夜でほとんどの文官たちは倒れ、医務室に運ばれていったので普段は何十人もいるこの部屋で働いているのはわずかに数名の姿が見えるだけとなっていた。
「お~い張魯~。生きてるか~?」
「あい・・・・・」
山の向こうからいつも一刀のそばにある机で作業している文官の悲壮感漂う返事が返ってきて一刀は顔が引き攣りながらも残っている人数を数えてもらうと、いつもなら上級文官だけで二十人ほどいるこの部屋にはいつの間にか五人ほどとなっていたらしい。
残っているのが比較的若手という事を聞いた一刀は早めに若手の採用を急がなければと考えながらも選別していっていると、窓の外からきびきびとした掛け声と空を切る木刀の音が聞こえてきた。
「外で華雄が訓練でもしてるのかな・・・・・」
「一刀様・・・・。絶対に逃げないでくださいね・・・・・・」
「わ、わかったって」
羨ましそうに窓の外を眺めていた一刀だったがまた新たな竹簡の束を持っていつの間にか後ろに立っていた張魯ににらまれ視線を元に戻して作業を再開した。
あれからゴットウェイドー(五斗米道)の秘儀によって復活し、不自然なほどやる気にあふれていた文官たちが一気に仕事を片付けていき、昼ごろには山みたいにあった仕事は全て終わってしまった。
「何があったんだ?」
「若いごとうえいどう?の継承者が治療してくれたんです」
そう一刀に話す文官は先ほどまで青白い顔色をしてまるで骨と皮でできているような姿だったのだが、今ではまるで鍛え続けた兵士のようにがっちりとしていて、腕は一刀の首程まで太くなっていた。
劇的な変化に苦笑いしながら珍しく仕事が昼に終わったので昼食を食べようと街に出た。
どの店に入ろうかとひやかしながら街で一番大きな通りをぶらついていた一刀に気が付いた住民たちが至る方から声を掛ける。
「大将。今肉まんが蒸かし終わるから持って行かないかい?」
「お、うまそうだ。一つくれ」
「大将さんっ。寄っていきなよ。以前教えてもらったふらいを商品にしたんだ」
「すげぇ。ちゃんと俺の知ってる味になってるよおばちゃん」
「あ、大将さんだっ!!」
「ほんとだっ!!」
「元気か?」
「ほっほっほ、大将様お久しゅうございます。相変わらずお若いですな」
「長老も元気そうだな」
一刀は住人一人一人と言葉を交わしながら街を歩いていく。
そんな彼に住人達も嬉しそうに笑顔を浮かべながら一刀に答えている。
一刀は住人達と話しながら彼等のおすすめの店で昼食を済ませるとまた街を散策する。
もちろんこの街に滞在している警備隊のほかに後ろで隠れて待機している精強な兵士たちが一刀を守っているのでこのように一刀は安心して街を歩けるのだが、それでも間に合わない時や、都合が悪い時もある。
「まったく・・・・・。なんでこんなことになるんだ・・・・?」
野次馬うしろでどうしようかと悩んでいる一刀の視線の先には幼い少女を脇に抱えてその首に包丁の先を向けて叫んでいる男が身代金を要求していた。
武装している警備兵や兵士たちも助けようと画策しているが、警戒されているためにむやみに近づいて捉えることができず地団駄を踏んでいた。
「金を用意しろっ!!早くしねえとこのガキの首を掻っ切るぞっ!!」
男は頭に血が上っていてすでに遠巻きに兵士たちが包囲を完成させているのすら気づかずに道の真ん中で騒いでいる。
そしてすぐそばの屋根の上には狙撃手が隠れながら場所を確保して各々の武器を持って時を待っていた。
隠れてみていた警備隊長が合図を送って少女の危険を承知で男を捕らえようとした時、人込みを分けて一刀が男の前に出て行った。
「なんだてめぇ!?」
「ここの街に住んでいる者だ。今俺が持っている銀はこれだけしかないが、その子を離してくれないか?」
一刀は懐から銀の粒がたくさん入ってパンパンに膨れている小さな革袋を取り出すと男に見せる。
値踏みするように一刀の来ている真っ白な着物を見て頷いた。
「いいぜ。こっちへその袋を投げろ」
「その子を離してからだ」
一刀がそうきっぱりと言ったが男は声をさらに荒げた。
「駄目だ!!が、この街を出たら離してやる。だから早くその袋を投げろっ!!」
「・・・・・・わかった・・・」
今にも激昂しそうな男に一刀は袋を山なりに投げて渡す。
少しばかり男の頭の上を越えそうだったので男は少女を離して両手でずっしりと重い銀の入った袋を受け取って期待しながら中を覗こうとした。
少女が男から少し離れ、男の視線も袋を見た次の瞬間には恐ろしく鋭く重い拳が男の胸板に叩き込まれ、ちょうど兵士たちが集まっている場所まで文字通り飛んでいった。
「小さい子供を人質にとる奴なんか信用できるわけないだろ?」
先ほどまで男が立っていた場所に立ちながら呆れている一刀の声はすでに意識を失っている男には聞こえない。
男は静かに兵士たちによって連れて行かれ、次には爆発したような歓声と一刀を押しつぶさんばかりの人が集まってきた。
そして思い思い一刀を男たちが叩いたり、殴ったり、子どもたちが飛びついたり、町娘が接吻していったりと揉みくちゃにされ、騒ぎを聞きつけて飛んできた華雄はそれに呆れながらも住人たちからの激しい賞賛にぐったりとして大きなぬいぐるみのようになった一刀の腕を思いっきり引っ張って助け出した。
それからチクチクと背中に突き刺さってくる主に若い娘たちからの視線にいたたまれなくなった華雄は一刀を担いだまま兵士たちを連れて走り去っていく。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ。相変わらずですなぁ大将様は」
老人は昔と変わらない光景に笑い声を上げながら担がれて連れて行かれる一刀を眺めていた。