皇帝 劉宏
洛陽の近くにある狩場の一つでブクブクとウシガエルのように太った中年男がべっとりと汗を流しながらのろのろと走り回っていた。
「霊帝様~?どちらにおゆきになられましたか~?」
そして、その男が必死に走り回っているのを物陰に隠れながら見ている一人の少女。
彼女が身に着けている着物は動きやすいようになっているが、見る人が見れば飛び上がるであろう程だ。
彼女は男が遠くに行ったのを見計らうとすぐさま林を駆け抜ける。
彼女が林を駆け抜けるとそこには野原が広がり、その真ん中に幕舎が幾つも張ってあった。
少女はそのままその幕舎の集落まで駆け寄ると、周りを見張っていた男達が青年に気がついた。
「おっ、劉宏か。ちょっと待ってろ、今すぐ隊長を呼んできてやるからな」
その見張りをしている男たちを指揮していた肌の浅黒い男が見張りの一人に命令する。
「僕がそのまま向おうと思ってたのに」
「いいってことよ。それよりも劉宏が一人で隊長の幕舎を尋ねて見ろ、俺達の首が飛んじまう」
男は豪快に笑いながら劉宏と話していると、白い服を着た男が慌てて駆けて来た。
「悪い蒼香っ、昼寝してて気がつかなかった」
「本当ですよ隊長。劉宏様を待たせるなんて漢の臣に知られたら隊長の首じゃ済みませんよ?」
そんな男に彼の後ろを一緒に駆けてくる副官が顔をしかめ小言を言う。
「いいよ、いつも忙しいのに僕のために時間を割いてくれてるんだから」
劉宏、蒼香がそう言うと男達はみなして隊長と呼ばれている男に目をやる。
「本当に忙しいですよね、隊長?」
男達の中で副長と呼ばれている男が冷えた目で隊長を睨み付ける。
「いや~、忙しいんだよ?俺にだっていろいろとやる事が」
「はぁ・・・。釣りに行ったり、昼寝をしたり、それのどこが忙しいんですか?」
「・・・・・・・・・」
「はは、それは僕でも弁護できないよ一刀・・・・」
蒼香は苦笑しながら隊長を見ると、隊長は思いっきり目をそらす。
「あ、そうだ。蒼香、調練を見に行こうぜ」
「あ、話を逸らした」
「逸らしたね」
「逸らしましたね」
その場に居た全員が冷めた視線を送ってくるのに耐えられなかった隊長はくるりと背を向ける。
「さぁ行こう!!そういえば俺も今日は調練担当だったっけ?急がなきゃっ」
わざとらし過ぎるほど大声でそう言った隊長は全力疾走で自分の黒い大きな馬まで近づくと、その背に鞍を乗せて準備する。
「ふふっ・・・・、じゃあ頼むよ一刀」
「お任せを、姫様」
蒼香を引き上げ自分にしがみ付かせる様に乗せ、隊長が馬の腹を蹴るとその名馬は矢のような速さで野を駆ける。
「やっぱり一刀の馬はすごいねっ」
「神様から貰った馬だからな、何十年一緒にいるがぜんぜん衰えないんだ」
「それは一刀もだよっ。君と会ってから十年経ったけど、一向に老けないじゃないか」
「ああ。それは神様から俺への迷惑代金だってさ」
「いいなぁ、その不老はこの世の全ての女性の夢だからね」
「へぇ、やっぱり蒼香の一番の願いも不老不死になることなのか?」
隊長がそう興味本位で聞くと少女は顔を真っ赤にしてうつむくとぼそぼそとつぶやき始める。
「僕の一番の願いは君にそばにいてもらうことだけど・・・・。そんなこと言えないじゃないか・・・・」
「え、なんて言ったっ?」
「なんでもないよっ、それよりももう着くんじゃないかっ?」
風鳴りの音でまったく聞き取れなかった一刀が聞くが蒼はめいいっぱい誤魔化す。
「まあいいや。ほらっここからなら良く見えるだろ?」
「うわぁ・・・」
丘の上から下を見下ろすと、丘のふもとで騎馬隊がすさまじい勢いで一直線に伸びたり、散ったり、小さく固まったり二つに分かれたりとさまざまな動きを続けている。
最後にその騎馬隊は広い野の端から端を一瞬にして移動すると、速度を緩め兵士たちが馬から下りる。
そして彼らはそのまま馬を引き、隊長がいる丘まで移動してきた。
「隊長、お疲れ様ですっ」
「おう、お疲れ。新兵の動きはどうだ?」
「まあ、もう少しで実践に出してもいいでしょうね」
「えっ!?今のが新兵だってっ!?」
「ああ、今のは入って一年くらいかな?」
一刀はそう言うと男達に蒼香の護衛を任せてそのまま何処かに馬を走らせ行ってしまった。
「・・・・?」
不思議そうに首をかしげている蒼香に調練を任されていた男が声をかける。
「劉宏様、これから本隊の調練がありますけどご見物なされますか?」
「うん、これよりすばらしい動きをする騎馬隊があるならぜひ見たいね」
一刀が率いる騎馬隊がどれほどの動きをするのかわくわくしながら蒼香はうなずく。
「ではこちらへ」
男についていくと、少し後に蒼香の居た場所をを何かが通り過ぎていった。
「っ!?」
「劉宏様、これが我が隊の隊長率いる最精鋭の黒騎兵です」
誇らしげに言った男から目を移して眼下を見下ろすと、先ほどの騎馬隊とは比べ物にならない存在感を纏った大きな黒い獣が縦横無尽に野を駆け回っている。
「これが・・・・」
それは流れる水のように形を変え、次々と違う陣形に移っていく。
「これが・・・・・・・」
「突撃っ!!」
「「「「「おおぉおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」」
先頭に立ち一人だけ白い服を纏った男が声を上げると、それに続くように地が鳴り響くような大声で男達が吼える。
黒い獣は一気にまとまると速度を上げて突き進む。
「これが一刀の騎馬隊か・・・・・」
蒼香は日が暮れかけるまで、麓で一つの芸術のように動きまわるその騎馬隊を目を輝かせて見続けていた。
日が傾いたので蒼香は途中まで一刀に送られ、あの男がいる場所まで戻っていった。
「心配いたしましたぞ霊帝様っ」
「心配をかけたな」
急いで一刀に送ってもらった蒼香は駆け寄ってくるブクブクと太った中年男にそう受け応えしながらも内心嫌悪感を抱いていた。
彼らが心配したのは彼女のことではなく、彼女に何かがあったときに責任を取らされることだったからだ。
「朕は帰るぞ、馬車を持て」
「はっ」
感情も無く馬車を取りにいく護衛を見て蒼香はため息を吐く。
あの護衛が一刀達だったらもっと楽しいのだろうなと思うと自然に呟きが出てきた。
「つまらない」
少女の助けを求める声を内包したその呟きは誰にも聞き取られずに消えていった。