呪いという名の愛
わたしの顔はいま、ひどいことになっているだろう。
なぜなら泣いているからだ。鼻水と涙でぐしゃぐしゃで、とても人には見せられない。
理由は彼氏にフラれたから。それもひどいフラれかただった。
『僕は別に君のことなんて好きじゃなかった。君がどうしてもというから仕方なく付き合ってたんだ』
『それならなんで、もっと早くに別れを切り出さなかったの?』
『君が馬鹿みたいに舞い上がっているのが面白かったからさ。僕は愛してなんかなかったのに、偽りの愛で君は喜んでいた。それが面白かったんだよ。お前はなんて、馬鹿な女なんだろうっていつも心の中で見下してた。でも、もうあきた。別れよう』
衝撃だった。
あんなことを思われていただなんて、想像すらしていない。
彼・安西孝司と付き合って、四年目に突入した時の出来ごとだった。
高校から付き合い初めて、卒業して、お互い社会人になりたてなのに……これから仕事を覚えて、頑張っていこうって意気込んでいたのに、なんでこうなっちゃったんだろう。
わたしの心の中はからっぽだ。
わたしに残っているのはなんだろう?
付き合っていた時は髪をなでてくれた。ひどく乱暴で、髪が乱れるのはいやだったけど、なでてくれている孝司の嬉しそうな顔が好きでたまらなかった。
それなのに、それもぜんぶ嘘だったの?
めったに笑わない孝司が、口の端をつりあげるような笑い方なのを覚えている。
わたしがからかったとき、子供みたいに口を尖らせるのを覚えている。
いつも仏頂面なのに、穏やかな寝顔を覚えている。
ぜんぶ、覚えている…………
それなのにわたしはからっぽで………
からっぽのはずなのに………
どうして、孝司との思い出だけは残っているのだろう?
それが余計にわたしを悲しくさせる。
ねぇ、孝司。
本当にわたしのこと好きじゃなかったの?
わたしはこんなに好きなのに、ずるいよ。
●
孝司と別れてから一年の月日が流れた。
最初はぼろぼろだった仕事も先輩の助けでまともにはなっている。
孝司のことは、もう引きずっていない……わけなんてない。
やはり、時間があいたときなんかは思い出してしまう時がある。
ふと、孝司のあだ名がアンコウだったことを思い出した。
『安』西『孝』司でアンコウ。なんとも単純だ。
アンコウみたいに太っているわけではないけれど、どこか陰気くささを感じるような男だった。アンコウというよりも深海魚という感じの方が強い。いや、アンコウも深海魚だけど。
アンコウ、アンコウとからかられていたが、一筋縄でいくような男ではなかった。
『僕がアンコウだったら、君らはクソだね。知ってるかい?深海では、上層の生物の死骸や排泄物を食べるらしい。もちろんそれだけではないが、ゴミのようにいる君らクソには十分だろう?いや、さすがにそれは可愛そうか。選んでいいよ、クソか死人か』
わたしの前で笑うときよりも口の端をつりあげ、小馬鹿にするように笑う。
それから喧嘩になって、先生に怒られていたっけ。
思い出すと何故か笑えた。
そうだ、無駄に偉そうで、生意気で、上から目線のくせにどこか子供っぽいやつだった。
なつかしくなって、つい思ってしまう。
あいつ、なにしてんだろうなぁ。
●
家に帰ると、ポストにA4サイズの茶封筒が輸送されていた。
取り出してみると、なぜだか厚みがある。
差出人を見てみると名前は……安西孝司!
急いで家の中に入り、封筒をびりびりにやぶく。
中から出てきたのはカセットテープだった。
なんで、今の時代にカセットテープ? デジカメでも動画が録れるのだから、SDカードで十分なはずだ。せめてボイスレコーダーとかにしてほしい。
カセットテープをじっと眺めると思い出すことがあった。
孝司は確か機械音痴だったはずだ。
付き合い始めたころ、携帯電話を持っていなくて一緒に買いに行った。
それで、孝司が買ったのはメールと電話が出来るだけの機能性などほぼないものだった。
おじいちゃんか、あいつは。
そういえば、新しいものよりアナログなものを好んでいた。
このカセットテープもその名残だろう。
それにこの大きすぎる茶封筒。
この封筒もその辺にあったものか、余っていたもののはずだ。
几帳面そうな見た目の割にズボラな部分もあって、送れればいいという考えだろう。
カセットテープひとつに孝司が存在していて、なんだか切なくなった。
もしかして、わたしはまだ孝司のことが好きなのだろうか。あんなにひどいフラれ方をしても、好きだという心は消えないのか。
しかし、どうしよう。家にはカセットテープを再生するカセットがあるだろうか。
親に聞いてみると、物置に置いてあるらしい。
親ですら『カセット? 今時そんなもの何に使うの?』と言ってきた。そんなのテープを再生するしかないと思うのだが、わたしも同じことを言いそうだ。
別れたとはいえ、古臭い元彼をもっていたことにショックをうける。
建てつけの悪くなった重い扉を開く。
使わないもので埋め尽くされた物置は悲惨な状況となり、プチ樹海となっている。
一時間かけ、ようやくカセットを発見した。
本当に面倒をかける元彼だ。
自分の部屋に入り、カセットテープをセットする。
再生ボタンを押し、カチッという音が耳に響く。
『あー、これ聞こえてる?ああ、後で確認すればいいのか。やぁ、久しぶりだね。回りくどいのは嫌いだから単刀直入に言わせてもらう。僕はもうこの世にはいない』
はぁ?
何を言っているのかまったく理解できない。
一年前の彼はどこも具合が悪そうになんてみえなかった。
『君のことだから、とても人には見せられない顔になっているだろうね。最後に君とあったときから僕は直らない病に侵されていたのだけれど、間抜けな君はそんなことにも気付けないだろうと僕は予想していたよ。実際、僕がこうして死んだことを伝えるまで気付けなかったのだから、反論なんてしないでくれよ』
そんな馬鹿にする言い方にいらっとする。
その人を馬鹿にするような物言いはまさしく孝司だ。この物言いのせいでわたしたちはよくけんかをしていた。
その口調からは体調の悪さは感じられない。だから、わざわざカセットテープに録るようなまねをしたのだろうか。わたしに具合の悪い所をみせないように。
別れを切り出したのもわたしを傷つけないようにするためではないかと、どこか期待してしまう。
『そうそう。勘違いしないでもらいたいのだけれど、僕は君のことを思ってこのテープを送ったわけではないよ。そんな期待はしないでもらいたいな』
孝司はこちらの考えなど見透かしたようなことをよく言う。
今だってこうして、テープごしなのに考えを見透かしてくる。
『僕はやっぱり、君のことが好きではないんだ。いちいち僕につっかかってくるのがウザイし、髪をなでるたびに乱れるって嫌がるのもむかついた。だから別れた、それだけだ……』
孝司はわたしの期待を裏切るようにあの時と同じようなことを言う。
あの時の再現みたいで、胸が痛んだ。
けれど、最後の言い回しはあの時と違ってどこか苦しそうだった。
『こうして僕がテープを送ったのは、何かを期待しているのかもしれない。君が僕にまだ好きでいると期待したように。僕も何かを期待しているんだ。といってもこのテープは、僕が死んだら送られるのだから、期待しても無駄なんだけれど。だから、このテープは僕が死んだことを伝えるだけのものだと、思ってほしい。僕のことなんて気にせずにさっさと新しい彼氏でもつくればいいさ。それが唯一の情だと思ってくれ。君のことが嫌いな僕からの一度だけの情だ。ああ、最後にこのテープは捨ててくれないか? 僕が君に期待するのはそれだけだよ。じゃあね、せいぜい幸せになってくれ』
その続きはなく、代わりにテープが無音で回り続ける。
本当にこれは自分が死んだことを伝えるためだけだったのだろうか?
じゃあ、なんでそんなにわたしのことを理解しているの?
なんでそんなに見透かしたことをいうの?
どうしてこんなに苦しいの?
わからないよ。
理解出来ない。
だって君は生きていると思っていたのに、もういないだなんて信じられない。
現実感がない。
生きていればこんな気持ちになることなんて無かったのに。
わたしはまた、からっぽになった。
●
それからのわたしは、仕事が手につかなくなり、また先輩に迷惑をかけることになった。
「あんた、一年に一回は必ず使えなくなるつもり?」
「すいません」
先輩の言葉に謝ることしかできない自分が情けなかった。
「あーもう! 今夜、空いてるでしょ?話きいてあげるからしっかりしなさい」
その優しさに思わず涙が出そうになる。
この人は入社当初からよくしてくれた先輩だ。
だから溜まった思いを吐き出したかった。
●
そこは落ち着いた雰囲気のあるバーだった。
「大丈夫、ここのマスター口かたいから。ていうか何も喋らないし」
マスターの方を見ると無言でえしゃくする。
どうやら本当に何も話さないようだ。むしろ一言くらい話してもいいような気がするけど。
「それで、どうしたっていうの?」
わたしはすべて話した。昔付き合っていた孝司のことも彼から送られてきたテープのことも。私の思いも。
「ふ~ん。で、あんたはそのテープが気になってるんだ」
「えっ?」
そんなことは一言もいってないのだが。先輩にはそう聞こえたらしい。
「だって、そのテープからは海のことを気にかけるような何かを感じたんでしょ?」
そうだ、わたしはあのテープが気になった。嫌いな相手に彼氏を作れだの、幸せになれだの言うだろうか? テープを送ったのは、わたしに気にかけてもらいたかったから?テープを捨ててもらいたいのは自分のことを忘れてほしいから?
彼はわたしに何を期待しているのだろう?
「もう一度テープを聞いてみれば、続きがあるかもしれないよ?だって、その彼もなにか期待してたんでしょ? だったら何か残されてるに決まってるじゃん。だいたいさ、死んだって言われて、確かめもせずに諦めるの? それでいいの?まだ好きなんでしょ?好きならとことん求めていいんだよ。それが好きってことなんだから」
はっとしたわたしは、すぐに荷物をつかむ。
「先輩、ありがとうございました」
「はいはい、これが先輩の役目だからね」
そうしてわたしは、店から出ていく。後には先輩だけが残された。
「ほんと、良い彼女だねぇ。あなたが生きてたら、あの子が妹になってたんだよ。楽しそうだよね。ねぇ、孝司……」
そうして酒に口をつける。
「マスター、もうひとつ同じお酒」
マスターは無言で女の隣に酒を置く。
「孝司も、もう二十歳になるんだね……カンパイ」
カチンと音がして一気に飲み干す。けれど、隣には口をつけられていないグラスが残された。
●
急いで家に帰り、とってあったテープを再生する。
けど、一時間たっても声が聞こえることはなかった。
早送りしても、一言も聞こえてこない。
「なんで? どうしてなにも聞こえてこないの?」
焦燥感がわたしを追い詰め、もどかしさで息苦しい。
テープを取だし、よく見てみる。するとあることに気付く。
カセットテープにはA面とB面があり、ひっくり返すと違う音声が再生される。
わたしが再生していたのはB面で、A面の方はまだ試していなかった。
普通、入れるならA面でしょうが……。
ここでもズボラさ全開である。
A面のほうをセットして再生した。
再生してから5分が経過する。その時間は長く感じられ、5分どころか5時間にも感じられた。
もうだめかとあきらめかけたその時、声が聞こえてきた。
『はぁ、君もなかなかにしつこいね。正直、これを聞くとは思ってなかったんだけどな』
ようやく孝司の声が聞こえた。その嬉しさからか、思わず泣きそうになる。
もしかしたら、わたしの聞きたかった声が聞こえるかもしれないと。
『5分も喋らなかったのは、海にはこれを聞いてほしくなかったからだよ。まず初めに言っておく、僕は謝らない。海を傷つけたことも、このテープを送ったことも。だって僕は期待していたんだ、僕の病気が治ること、海とまだ付き合ってるという未来を、僕は期待していた。一番期待していたのは海がまだ、僕のことを好きだと言ってくれることだけどね』
孝司が私の名前を呼んでくれた。別れたあの日から呼んでくれなかった名前を。
この言葉で理解した。こっちが孝司の本当の思いなのだと。
まるでテープのように正反対の思いが、込められていた。
『ねぇ海、君は気付いてないのかもしれないけど、僕はその名前が好きだった。アンコウと言われ続けて憎まれ口を叩いたけど、意外と気に入っていたんだ。だって、海がいなければ生きていけないのは同じだからさ。さすがの海も気付いたよね。僕が、死ぬかもしれないから海のことをふったんだって。僕を忘れて、幸せになってほしいからこのテープを送ったんだって。でも、僕にはそれが我慢できなかった。だからつい期待してしまったんだよ』
━━━━まだ僕を愛してくれることを。
なんで信じられなかったんだろう。不器用で素直じゃなくて意地っ張りで、でも本当は優しい彼のことを。
海だって、生き物がいなければ存在する意味なんてないのに。
『僕がさ、この面のテープを聞かせたくなかったのは、もうひとつ理由があるからなんだ。人の最後の言葉って、呪いになると思う。もう会えないんだって感じさせると、一生その言葉が心に残ってしまうんだ。だから僕は、海にこれ以上きいてほしくなんてない。まぁ、もう遅いかもしれないけど、時間をあげるから考えてくれ』
それでテープはまた、音なく回り続ける。
わたしはもうためらうことなんてなく、手を伸ばすこともしない。
続きを聞く覚悟なんてとうに決まっている。
1分が立ち、声が聞こえてきたことに安心した。
もう、聞こえなかったらと少し怖かった。
『やっぱり海は馬鹿だなぁ。馬鹿で馬鹿で仕方がない。でも、そんなところが僕は好きだったのかもしれない。
さて、話を続けようか。僕につっかかってくるのがうざいっていったけど、それは本当。けれど、僕にはっきりと言ってくるのは海だけだったし、正直にぶちまけてくれた。むしろ、そういう考え方もあるのかと、はっとさせられたよ。そういう意味では嫌いじゃなかった。
それに、髪をなでたときの話もしたね。髪をなでたら、髪がぐしゃぐしゃになるって君は怒った。それにいらついたのも本当。それでも君は、しょうがないなぁって言ってなでなせてくれた。僕にはそれが嬉しかったんだ。
言いたいことは言い終わったし、そろそろ終わりにしようか。僕は君に呪いをかける。それは一生とけない呪いだ。もう覚悟は決まっているみたいだから言うよ。
海が……死ぬまで、僕を愛してくれ』
声が震えていた。泣いているのか、涙をこらえているのかは分からないが、心を貫くような声だった。
辛いのだろう。わたしを縛ってしまうことが、辛くて仕方ないのだ。
自分を見捨てれば、別の幸せがあったのかもしれない。
そう理解しているから孝司は泣いている。
そう思って、わたしは笑った。
「どう? わたしだって孝司の考えていることくらいわかるんだから」
テープはそこで終わっていた。もう孝司の声は聞こえない。
だからわたしは孝司の聞きたい言葉、好きな言葉をささやく。
しょうがないなぁ、これからもずっと君を愛してあげるよ。




