表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

介護篇(中)

(介護篇続き)


 父の入居はその日のうちに決まった。準備でき次第入居できるという。私は義弘叔父といったん家に戻り、父の部屋から小さなテレビを運び出した。それから施設の『入居の手引き』にしたがって洗面用具と着替え一式を用意した。手引書には「他の人の所有物と間違えぬよう衣類関係すべて、靴下一足に至るまで名前を記す」よう指示があった。また、「何かご本人の思い出になるような品物(たとえばアルバムや記念品)を持ってくるといい」とあったので、私は娘が三、四歳頃の四切写真を額縁に入れて持たせた。娘の写真は父のベッドの脇に立てかけられた。父はその写真に「おお、かわいいいやぁ、かわいくてしょうがねえいやぁ」と言って頬ずりした。手引書にはタバコを持参していいとは書いていなかったが、一カートンだけ持たせた。現金は事故になるといけないので不要とあったが、何かあったときのために現金二千円を渡した。父はその金をふだんから大事にしている皮製の財布におずおずとしまいながら、

「これだけらか、もっとよこせや。」

と言う。ここにいればそんなに金を使う機会はないはずだからこれで十分と言うと、

「金がねえと、心配でならねえがいや。」と返す。

「そんなに持ってて、いったい何に使うんだよ。」

「タバコらとか何だやらで、いろいろあるろうがや。」

「ないよ、そんなの。タバコだって一箱あるんだから、これでしばらくは持つよ。」

タバコ一カートンは、先ほどの男性職員に渡しておいたのだが、そんなことなどすっかり忘れている父であった。

 父の入る部屋にはベッドが三台置いてあり、それぞれカーテンで仕切られていた。父のベッドは部屋に入ってすぐのところだった。私たちが荷物を運び込んだとき、隣のベッドではよそのおじいさんが口をぽっかりあけて死んだように眠っていた。

 すべての準備を整え、私はさびしげな様子の父に別れの言葉を言った。

「じゃあな、じいちゃん。おれはこれから東京に帰るよ。また来週来るから、それまで何とかガマンしてここですごしてくれ。そうしないと、ばあちゃん心配で病気が治らないからな。ばあちゃんが元通りになったらまた家に帰れるから、それまでの辛抱だから、がんばってくれ。」

さびしげな表情を浮かべながらも父は、

「おう、わかったいや!」

と語気を荒げてさもうるさそうに言った。ガンコでワガママな姿勢を一切崩さなかったわけだが、このときの父の態度は、実は義弘叔父が一緒にいたからだということが後になってわかった。

 この翌週、私だけで見舞ったとき、父はこんなワガママなガンコ者ではなく、気の弱さをそのまま丸出しにしていた。ケンカに負けたガキ大将がちょうどこんな感じだ。ふだん子分の前では威張り散らしているくせに、よそのガキ大将とケンカして負けたりすると、それまでとはまるで別人のように大人しくなってしまう。父は、私の前では心の傷を、破けて中の肉がむき出しになったような心の傷を、あるがままにさらけだしていた。そんな父は、私の言うことすべてをまるで神のお告げか何かのように聞き入れた。そして涙ぐみながら、

「陵輔、ばあちゃんを助けてくれやなあ、お願いします、お願いします。」

などと殊勝なことを言って、私を神様のように拝むであった。そんな父がかわいそうに思えてならなかった。

 しかし、これが私の他に誰かが一緒にいる場合、その人の前では一切弱みを見せないのだから不思議なものだ。よく同行してもらったのは義弘叔父だったが、この人は父の八人兄弟の末っ子で、私とは最も年齢の近い叔父である。もの静かで温和な、誠実な人柄で、昭和一ケタ世代の父とちがい、多分に現代(いま)風なところのある常識人である。父はその末弟の前で兄貴として無様な姿を見せたくなかったのにちがいない。

 父の実家はあの辺一帯の地主だったこともあって、昔ながらの封建的な風土が根強く残っていた。目上の者の命令には目下の者は絶対服従、そのかわり目上の者は目下の者を保護し、かつその威厳を保たなければならない、そんな精神が体の隅々まで、骨の髄から髪の毛一本に至るまで兄弟の血の中に染み渡っていたのだ。


 それから約一月の間、私は毎週末東京〜長岡間を往復した。金曜日、会社が終わるとすぐ東京駅で新幹線に乗り、夜、長岡へ着く。真っ先に母の見舞いに病院へ向かい、翌日の土曜日、父の様子を見に車で施設へ行く、そんな週末が続いた。母は日に日に快方へ向かい、いつでも退院できるほどまでに至ったが、父はますます老い衰えていき、認知症はひどくなるばかりであった。


 入居当初のこと、私は会社で急ぎの仕事に追われていた。突然私の携帯に電話が入った。施設の職員からだった。お父様がぜひ息子さんとお話したいと申されていますので、というのでやむなく変わってもらうと、電話の向こうからしわがれた父の声がする。

「陵輔、俺らいや。もう、嫌らいや、こんげんとこ。へえ首くくって死んでしまいてえようらいや。俺ゃあ(うち)に帰りてえや。」

今にも泣き出しそうな言い方である。そんな父を私は冷たくつき放す。

「なにを言ってんだよ、まったく。いま家に帰ったって誰もいないんだぞ。ばあちゃんが入院して今にも死にそうなのに(当然ウソ)、じいちゃんがここでがんばらないでどうする。じいちゃんがあんまり心配ばっかりかけると、ばあちゃん余計に悪くなってもう病院から出て来れなくなるかもしれないんだぞ!」

「そいがあか、そんげん悪いがあか。」

「ああ、悪いんだ。生きるか死ぬかの境目だ。おれもがんばってるし、ばあちゃんもがんばってるんだ。じいちゃんもそこでしっかりがんばってくれなきゃ。じいちゃんが我慢してくれればそのぶんばあちゃんは早く退院できるんだからさ、もうちょっと我慢しろや。」

「おおや、わかったいや。」

そう言うといったんは引っ込むのだが、その後忘れかけたころにまた電話がかかってくる。出ると、やはり父で、先ほどとまったく同じ内容を申し立てる。

「何度も何度も電話してくるなよ、こっちだって忙しいんだから!」

とたしなめると、

「いつ俺が電話したいや?おめえに電話なんかしてねえよ。」

と言う。

「さっき電話してきたばっかりじゃないか!」

思わず怒鳴るが、相手が認知症であることに思い至る。そう、ここで怒ってはいけないのだ。東京ではつい忘れてしまいがちな《駄々っ子あやし作戦》を改めて思い返す。私は父に言う。

「じいちゃん、悪いけど、施設の人に代わってくれんか?」

施設の担当者が電話に出る。男性の職員だ。一緒にタバコを吸った彼かもしれない。私は言った。

「すみませんけど、父に電話しないよう措置していただけませんか」

施設の担当者は申し訳なさそうに言う。

「お仕事中に申し訳ございません。あまりにもお気の毒そうだったものですから。」

「何とか電話しないようにお願いできませんか?」

「がんばってみますけど、お父様は電話できなきゃ、もう死ぬ、死ぬとおっしゃいまして・・・。」

あきれてものが言えなかった。私は職員にこうお願いした。

「それじゃあ、もし父が電話したいと言って来たら、私に電話するフリして、『出ません』と言ってやってください。」

「それでよろしいんでしょうか?」

「全然問題ないです。本当にもし何かあった時だけ、私の携帯あてにそちらから電話するようにしてください。」

「わかりました。」

 とりあえずこれで父からの電話は止んだのだが、この父の執拗な電話攻撃に煩わされたのは私だけではなかった。父は、義弘叔父はじめ気軽に声をかけられる親戚には、片っ端から電話をしていたのだ。電話の内容はみなだいたい同じだった。ここから出してくれ、出してくれなきゃ首くくって死ぬ。さもなければ金の無心だった。父をよく知る親戚たちは父が首をくくるなどということは絶対にないとよくわかっていたので、死ぬと言われても慰めて元気づけるだけでこと足りたのだが、金の無心については親戚である手前、果たして持って行った方がいいのかどうか判断つきかねた。私のイトコなどには現金十万すぐ持って来いなどと命じたらしい。当然断られたが、父はそれが相当頭に来たらしく、後になってさんざんそのイトコの悪態をついていた。

「貞夫のやつぁ、ほんに金に汚ったねえ奴らいや。」

 いったい父は金を何に使うつもりだったのだろうか。

 父の金の使い道がわかったのは、約一ヵ月後、この施設を退出するときであった。

 荷物をまとめて車に放り込み、さて最後にごあいさつをと受付まで行くと、例のメガネをかけた男性職員がちょっとこちらへと手招きする。何事かと思ってそばに行くと、私にそっと千円札を一枚手渡す。何の金かと問うと、ひそひそ声で職員は言った。

「このあいだ施設で夏祭りがありましてね、毎年やっているんですが、近所の子供たちがこの施設にいっぱい集まるんです。子供たち、みんなこの暑い中を踊りやら歌やらで一生懸命やってくれましてね、汗だくになっている子供達を見て、お父様、きっとお気の毒にお思いになったんでしょうね。『これで子供にアイスキャンデエでも買ってやってくれ』とおっしゃって、私にこのお金をお預けになったんです。本当にありがたいことなんですが、こちらとしてはこういったお金を受け取るわけにはいきませんので、お返ししておきます。お父様のご好意を無碍にはできませんし、といってご本人にお返しするわけにもいきませんから、これはお父様にわからないように息子さんにお返しさせていただくのが適当だろうと思いまして。でも、本当にいいお父様ですね。」

 確かに父にはそんな一面があった。私が家族連れで長岡に帰ったとき、父がわが子らにこう言っていたのを思い出す。

「一所懸命勉強してくれやなぁ、そうすりゃおじいちゃん、いつでもネラ(おまえ達)に小遣いやるすけんなぁ。」


 父が施設に入ったことによって、とりあえず一月間の猶予ができた。しかしあくまで一ヶ月間である。この間に私達は次の手筈を整えなければならなかった。

 まずしなければならないのは母の入院期間の短縮である。最低二ヶ月は入院してもらう必要があるとのことだったが、果たしてその期間を短縮できないものかどうか。まずは母と医者とに確認するしかあるまい。

 父の入居期間が終わりに近づいた頃、母はすでに集中治療室を出て、一般病棟の六人部屋で寝泊りしていた。

 私が病室に入ると、母は隣のベッドの同年代らしき女性の患者さんと楽しげに談笑していた。私の顔を見ると笑顔がさらに元気になる。隣のベッドの女性が「息子さんですか?まあご立派な息子さんをお持ちで。」などとお愛想を述べる。私は軽く会釈する。母はお見舞いにもらったクッキーの箱を手にして「向こうで話そうて」と立ち上がり、病室を出る。病室への廊下の途中に面会用の広間があった。他の家族が先客にいて、私たちがやや離れたテーブルにつくと、ちらとこちらを振り返る。振り返った黒髪の女性と目が合うが、お互いにあいさつはしない。母は「何か飲むかい?」と広間据付の自動販売機に小銭を入れる。緑茶のペットボトルを手に、空いているテーブルに着く。クッキーの箱を開け、私に勧める。

「アタシゃこんなに食べれねえすけ、アンタ、食べれて。」

クッキーをむさぼりながら、私は懸念していることを母に相談した。

「来週オヤジを施設から出さなきゃダメだけど、どうしようか。ばあちゃんはまだ入院してなきゃだめなのか?そろそろ退院できるんじゃないか?先生は何と言ってる?」

すると先ほどまで明るかった母の顔が急に曇る。母は私にこう言った。

「こんげんことになったからには、もう二度とあの人とは暮らせねえて。これ以上介護が続くなら、とてもじゃない、アタシのほうが先に死んでしまう。実は先生からはもういつでも退院していいと言われてるがあて。だけどオヤジの次の施設が決まるまでの間、もうちっとばか長く入院させてくれって、アタシから病院に頼んでるがあて。明日にでもアンタ、介護士の○○さん呼んで、何とかオヤジをそのまま今の施設に置いてもらえねえか、アンタから頼んでくんねえけ?」

 クッキーを齧る私の手が一瞬止まる。

 これは困ったことになった。母はもう父の介護はコリゴリだと言っているのである。自分がこのような体になってしまった以上、これからの老後を生きていくためには、余計な苦労をしたくない、絶対的な安静が必要だ、そう母は言っているのである。体はそこそこ健康だが一人で生きていけない父と、アタマはしっかりしているものの心臓に爆弾を抱える母。たしかに、母にこれ以上父の面倒を見てもらうのは無理であった。さあどうしたらいいか。誰が父の介護を引き受けるのか。

「とりあえず明日、○○さん呼んで、相談してみるよ。でも、たぶんダメだと言われると思うよ。そん時はどうする?」

「今の施設じゃなくてもいいて。有料でもどこでもいいから、何とかオヤジを引き取ってもらうようにしてくれえて。一生のお願いらて。アタシャ、本当にもう懲りたて、あんげん人。一緒にいると、アタシのほうが先に逝ってしまうて。」

 母は入院している間に二度と父と一緒に暮らさないという決意を心の中に固めていたのであった。

 夫婦が生活を供にしないということ、当たり前のことだがそれは則ち別居である。母がいなくなったらおそらく父はこの先生きていけない。逆に母は父と暮らす限り、長く生きてはいけない。別居せざるを得ないのだ。この別居は、世にありがちな夫婦間の確執とか性格の不一致とかいったいわゆる離婚するときによく使われる理由による別居ではない。むしろお互いの余生を賭けた生存競争なのだ。この競争に勝った方が残りの人生と生きる環境を手に入れる。『離婚篇』で、人は結婚する理由を明確に言い表すことは難しいが、離婚する理由はいくらでもつけることができると記した。理由なんて後からいくらでもつけられるものなのだ。要は、いつもその人と一緒にいたいから結婚するのだし、一緒にいたくないから離婚する、それだけだ。それが真の理由だ。

 母の場合はどうなのか。まず父と一緒にいたくないのは間違いない。ずいぶん前からそう思っていたらしい。それを我慢に我慢を重ねて、何とかここまで来た。父が介護生活を送るようになっても、それでも耐えて支えてきた。怒鳴られながらも、口汚く罵られながらも、それでも父を見捨てることはしなかった。しかしもやは我慢の限界に来たのである。我慢は限界を超え、母の精神だけでなく肉体までをも蝕んだのだ。このまま父と暮らすことは、母にとって死を意味する。わが家に帰り、余生を静かに生きていけるのは、父か母か。まさに生存競争である。この生存競争に子供たる私はどう対処したらいいのか。

 だいたい夫婦が別居するとき、子供が二人の間に口を挟む余地は、ほとんどないと言っていい。子供がまだ幼く、この子の将来を考えてあえて我慢して別居を踏みとどまるという場合も中にはあろう。しかし、総じて親の離婚に対して子供は何の意見も申し立てることはできない。親は勝手に子供を作り、勝手に育て、勝手に別れる。そして勝手に死ぬ。まこともって勝手なものだ。とはいえ世の中はこんな勝手な親に対し「孝行の道」を説く。孝行息子というものは父にも母にも長生きしてもらい、幸せな老後を送ってもらうよう、決死の努力をしなければならない。親が死に瀕した際は救わねばならない、たとえそれが両親同時であってもだ。何があっても親の幸せを願う、それがあるべき孝行息子の姿というものだ、それが正しい「人の道」なのだ・・・。

 そんなことはいまさら誰に言われなくてもよーくわかっている。できれば私もそうしたい。一人きりになった父を首に縄をつけてでも東京の自宅に引き取ってもよかったのだ。しかし現実はそう甘くない。父を引き取ったとして、家の誰がつきっきりで父の面倒を見るというのだ。妻か?妻に会社を辞めさせ、まったく無報酬で義理の父というだけの赤の他人の世話を焼くよう命令するのか。あるいは来年中学受験をひかえた長女に面倒を見させるのか。いずれも無理な話である。父より先に、私の家庭が崩壊してしまう。

 そもそも母が退院するまでしばらくの間うちに来るよう父に勧めた時、父は「東京なんか絶対嫌らいや、長岡がいっちいいや。」と言っていたのではなかったか。あの大地震の時でさえ一歩も家から出ようとせず、母に見放された父だ。あのときも母は「じゃあんた勝手に死ねばいいさ。」と父を見放した。これを考えると、仮に父の認知症が完治したとしても、母ののぞみは変わらなかったかもしれない。かつて倫子の離婚の原因にゲスの勘繰りを入れたように、私は母の別居に対してもまた「肉体的限界」という作られた原因を想像してしまうのである。生きるか死ぬかという境をさまよった母に対してこの勘繰りはあまりにもひどいとは思うが。

 とりとめもなくそんなことを考える。まだまだ外は暑そうだ。窓から夏の日差しがギラギラ照りつける。向こう側のテーブルにいた家族の一人がまぶしそうな顔をして立ち上がり、ブラインドの紐を引っ張る。窓の日差しが少し弱まり、急に広間全体が薄暗くなった。


 この父母間の生存競争に、倫子はどういう態度をとったか。倫子は私ほどグダグダ迷っていなかった。まるでガタが来た車にさっさと見切りをつけて中古車屋に売り払うように父に見切りをつけ、まだ私達の母親として生き続けることができる母のほうに持てるエネルギーのすべてを注ぐことに決めていた。母の希望を相談すると、倫子は私にこう言った。

「だって、どっちを取るかといえばもう決まってるじゃん。ばあちゃんは治ればまだ自分一人で生きていけるけど、オヤジはもうダメらて。放っておいたら生きてねえし、ばあちゃんと一緒にしたらばあちゃんのほうが先に死んじゃうよ。オヤジをどっかの施設に入れなきゃ、両方死ぬて。両方死ぬか片方だけでも生きてもらうか考えたら、当然ばあちゃんには生きていてもらいたいすけんね。」

それを聞いて、私は父の気持ちを代弁するように言った。

「そりゃあそうだが、オヤジは帰る気でいるぞ。どうすんだ?」

すると倫子はまるで何かを宣言するような口調で言った。

「騙してでも何でもアタシャ絶対に施設に入れるすけんね。」

 このへん女というのはドライである。女の強さというのは、自分ないし自分の愛する者が生きるために必要なことには全エネルギーを注ぎ、これを犯すものに対しては、徹底抗戦して平気でいられるところにある。この女の強さを「生活力」と呼ぶ人もいる。倫子の「生活力」は、これまでの人生で、自分でこうと決めたらどんな障害も乗り越えてやってきた倫子だったからこそ持ちえたというのでは、決してないだろう。これは女性であれば誰にでも満遍なく備わっている力なのにちがいない。やっぱり女は強い、というわけだ。

 なかなか煮え切らない私に対し、倫子は追い討ちをかけるように言う。

「施設に入れる以外に方法ねえろね?うちで引き取るわけにはいかねえし、兄ちゃんとこだって事情はおんなじらろ?夏子さん(うちの家内です)だって、絶対いやらと思うよ。」

そのとおりなのだ。倫子の言葉を補足するように矢野さんが真剣なまなざしで私に言う。

「倫子の言うとおりだと思いますよ。うちもばあさんが寝たきりで、ずっと施設に入ってますが、それまでが一苦労だった。家の中が糞尿臭くって、私の娘が年頃なのに家に友達を連れて来れないくらいでしたから。」


 父をどうするあてもないままに、施設の入居期限は刻々と迫り来つつあった。私達は焦るばかりであった。そんな時介護士が朗報をもたらした。

 後光がよみがえったように見えた○○介護士によると、あくまで有料ではあるが、いま母の入っている病院のすぐそばに大きなケアアウスがあり、今なら空きもあるので、審査次第でいつでも受け入れ可能である、とのこと。いやいや、決して審査次第だけではないだろう、有料なんだから。絶対にそれなりのお金が必要にちがいないと思い、介護士が持ってきた封筒からパンフレットを取り出すと、いきなり豪華な表紙の写真に目をひきつけられる。清潔そうなアイボリー色のレンガ風造りの建物、その周りを豊かな緑の木々が取り囲んでいる。その右上に、きらびやかな金の飾り文字で『天使の庭』と書かれたロゴが浮き彫り印刷されている。中をめくると、おしゃれなシャンデリアのついた洋風の大広間、広々とした散歩道、ピアノやらバイオリンやらの楽器を取り揃えた音楽室、ビリヤード台や囲碁・将棋台を設えた趣味室に、ジャグジー付き露天風呂など、各施設の紹介写真がそれぞれキャッチコピーととも掲載されている。介護施設のパンフレットというより、マンションのチラシだ。

 これはちょっと父には贅沢すぎやしないか。いま父が入っている施設と比べると、まさに天国と地獄くらいの差がある。

 パンフレットの中に黄色い紙が一枚はさまっており、それに入居等にかかる費用の明細表が載っている。入居初期費用がなんと五百万円、そのほか介護料やら食費やらの生活費だけで毎月十数万円というかかるではないか!まさに地獄の沙汰も金次第。とはいえ、介護士の話を聞くと他にもう施設のアテはないという。一ヶ月空ければいまの施設を改めて予約できるが、やはり短期入居にならざるを得ないらしい。

 介護士は言う。

「一ヶ月ごとに短期入居を繰り返しながら空きが出るまで待つしかないのが現状です。」

「空き待ちって、誰かが出て行かなきゃ空かないんでしょ?出る人なんて実際あるんですか?」

私の質問に介護士は冷静な口調でこう答えた。

「出られる方はみなさん、だいたいが亡くなって出られるんです・・・。」


 人が死ぬのをひたすら願いながら、あてもなく延々と待つ、普通の感覚の人間だったらそんなことできるはずがない。私達はなすすべもなくパンフレットを持って病院に行き、どうするか母と相談することした。すると母も倫子も二つ返事で「絶対に入れる!金は何とでもする!」と言い放った。やっぱり女は強い。

「五百万もかかるんだぜ。そんな金、どっから出すんだよ。」

私が聞くと、母は言った。

「金は十分あるがあて。」

以前倫子の前夫・正明の姉の会社が倒産した時、父は退職金を前借りして、梨本家から土地を買わされたことがあった。その後景気が上向き、梨本家はその土地を買い戻したのだが、母があると言った金は、その時の金だった。

「もともとオヤジの退職金らすけね。自分で稼いだ金を自分で使うがあすけ、オヤジも納得するろうね。」

母は言った。

 膳は急げとばかり、即倫子は『天使の庭』に電話を入れた。今病院にいると告げると、すぐそばだから一度来てもらって中を見学してほしいとのことだった。

 『天使の庭』の場所はすぐにわかった。

 行く前にパンフレットの裏表紙の地図からだいたいの位置を確認すると、母の病室から見えるかもしれないと思われたので、窓からそれらしい建物を探すと、二、三百メートルほど離れた辺りに周りの建物から頭ひとつ飛び出た緑色のとんがり屋根が見えた。パンフレットの写真と照らし合わせて、あれじゃないかと指さして母に教えると、母は前からその建物が気になっていたようで、そうだったのかと納得したように相槌をうつ。

「あの緑の屋根の下に外国風の釣鐘があって、そのすぐ下がでっかい時計台になってるらしいよ。」

パンフレットを手にそう言うと、母は、

「へぇ、ハイカラんがあね。なんだかオヤジにゃもったいねえようらね。」

と言う。考えることはみんな一緒だ。外国風の時計台といい、アイボリーのレンガ造りといい、シャンデリアといいピアノといい、あまりにも父にそぐわないしゃれたものばかりだ。実際に行ってますますその観を強くした。


 『天使の庭』は老人ホームというより、まさに高級マンションだった。

 広い駐車場入口の脇にバンフレットと同じロゴの看板が立っていた。私達の目の前に、パンフレットと寸分たがわない豪華なアイボリー色の御殿が聳え立つ。エントランスを入ると薄茶色のガラス張りの短い通路がある。通路の両脇になじみのない洋風の植物が陽を浴びて並び、私達をお出迎えしているようだ。その先には木目調の扉があり、右脇にヨーロッパ中世の銀色の鎧が立っている。これもお出迎えか。木目調の扉がすうっと開く。とたんにさわやかな冷気が体を包む。軽妙なクラシック音楽が聞こえる。目の前に大きなグランドピアノがある。右手の部屋はどうやら理髪室らしい。左手の廊下の向こうは娯楽室だろうか。いずれもパンフレットと同じなのだが、実物は写真に比べるとやや安っぽく見える。

 倫子が入り口正面の受付で用件を伝えると、若い女性が先ほど電話に出た担当者を呼び出す。担当者を待つ私達の前を、女性職員に車椅子を引かれた品の良さそうなおばあさんが通り過ぎる。おばあさんは、カールした髪の毛を薄紫色に染めて、淵無し眼鏡に厚手の化粧をしていた。私達に笑顔で「こんにちは」とあいさつするので、思わず会釈してしまう。どうも入居している老人もYとはだいぶ趣が異なるようだ。ややあって理髪室の右手の奥からピンク色のユニホーム姿を着た背の高い若い女性が現れた。女性は「長沢さんですか?」と問う。そうですと答えると「こちらへどうぞ」と理髪室の隣のロビーへ通された。

「お暑い中、ご苦労様です。冷たいものでよろしいですか?」

女性はそう言って、ロビー脇のコーヒーラウンジからアイスコーヒーを三つ運んでくる。それから名刺を出して、

「谷崎と申します、よろしくお願いします。」

と頭を下げる。名刺には「天使の庭ケアスタッフ・谷崎美恵」と書かれ、営業マンのそれのように顔写真が貼られている。下のほうには『天使の庭』を運営していると思しき会社名が書いてある。

「だいたいのお話はご担当のケアマネの○○さんからおうかがいしております。」

谷崎さんはこう切り出した。ポニーテールの黒髪と黒目がちな大きな目、色白の肌、人目を引くほどの美人というわけではないが、とても上品な風貌で、好感が持てる。背の高さは倫子と遜色ないだろう。

 谷崎さんは簡単に施設の説明をする。言葉遣いもまたとても丁寧だ。この施設、二階は寝たきり老人専用で、三階から六階までが一般の老人の個室になっているという。一般の老人という言葉にちょっとひっかかる。父は一般の老人ではない、認知症の老人だ。それを言うと、

「認知症の方も入っておられますよ。余りに重い症状の方でなければ、こちらでお世話させていただくことは十分可能ですから、どうぞご安心ください。」

「重い認知症って、どの程度なんですか?」

父の認知症は重い方ではないのか、もしそうならここに入れてもらえないのではないか、そんな心配から、私は質問した。

「ご自分のお名前さえはっきり言えない方も入居されていますよ。車椅子の方もおられますし。こちらでは介護レベル3までの方をお世話させていただいているんです。」

「うちのオヤジは介護レベル2ですね。」

ここに入れてもらえないとなるともう私達には後がないのだ。何とか父を入れてもらおうと、介護レベル2の父に十分入居資格があることを強調するかのように、私は訴えた。藁にもすがる思いなのだ。谷崎さんはそんな私をじっと見て、冷静な口調で答えた。そして笑顔を浮かべた。

「それは存じ上げています。ケアマネさんからおうかがいしておりますから。お話をおうかがいする限り、ご入居できると思いますよ。」

ありがたいことである。谷崎さんに射す後光が○○介護士より一回り大きく輝いて見える。

「こちらにお預けいただければもうご心配されることは何もございません。私どもが責任を持ってお父様のご面倒を見させていただきます。お父様もきっとここの生活をお気に召していただけると思います。」

ちょっと営業トークっぽい口調であるが、こちらは父を入れたい一心なので、その言葉をあるがままに受け入れてしまう。この施設に預けてあえおけば、すべてが丸く収まるように思えてしまう。それで私のほうも都合の悪いことをあえて言わないよう心がける。都合の悪いこと、それは父が単なる「介護レベル2の認知症老人」ではなく、ワガママ三昧なガンコ者で、キカン坊でガキ大将そのままの人間であること、それゆえ普通の認知症患者よりもかなり世話を焼くのが大変だろう、ということである。寝たきり老人のほうがむしろ世話が楽かもしないくらいだ。そんな私の隠し事を察知したかのように、谷崎さんはこう言った。

「ただ、ご入居いただく前に一度ご面会させていただく必要がございますね。お世話できない可能性もございますから。わたくしの方から、今長沢様がご入居されているYの施設へおうかがいさせていただきましょうか。よろしゅうございますか。」

実際に父に会い、父という人間を見定めた上でなければ、最終的な判断は下せないというのだ。まだまだ安心はできない。父だけを会わせるのちょっと危険だと思い、私は聞いてみた。

「私らも同行したほうがいいですか?」

「そうしていただけるとありがたいのですが、お早目のご入居をご希望でしょうから、明日にでもおうかがいしたいと思います。明日は月曜日ですが、ご都合おつけいただけますか?」

「明日ですか、ちょっと無理だな、困ったな・・・」

そう言って倫子のほうをチラと見る。すると倫子はそっけなく

「アタシもダメらよ」

と言う。さあ困った。父は、私達がいなくてもキチンと谷崎さんと応対できるのだろうか?もし変な応対をして、バッテン食らって入居不可の烙印を押されたらどうしようか?『天使の庭』以外、もう当てはないのに。すると谷崎さんは言う。

「ご無理でしたら結構ですよ。ご担当のケアマネの○○さんにご同行していただけるようわたくしのほうから明日にでも連絡をとってみます。」

それは助かる。私は考える。だいたい『天使の庭』だってビジネスなんだから、空き室を作りたくないはずだ。多少父が変な応対をしてもある程度大目に見て、何とか受け入れてくれるのではないか。何せ五百万だからな。いやいや待て待て、ちょっと楽天的に過ぎやしないか?あのオヤジの事だ。入りたくないとか言って駄々をこねるかもしれない。なんだかこの介護相談そのものが、受注できるか失注となるかを模索する営業上の駆け引きのように思えてきたりする。

 そんな打ち合わせの最中、ロビーの窓越しに、足元のふらついたおじいさんが若い女性スタッフに腕を組まれてヨボヨボと歩いていく姿が目に入った。スタッフの女性はまるで自分の恋人に話しかけるようにやさしげな笑顔でおじいさんに話しかける。おじいさんは何度も繰り返しうなづいている。男性がおじいさんでなかったら、どう見ても恋人同士のカップルだ。二人は建物の外へ出、この暑い中、腕を組んだままゆっくり信濃川の土手方面へ歩いて行った。散歩か何かなのだろうか。

 私はそのおじいさんがうらやましくてならなかった。あんなに若くてきれいな女性と腕組みして歩けるなんて。そんな経験は若い時こそ若干あったものの、結婚して以降、ここ最近したことないぞ!なんてうらやましいジジイなんだ。

 そう、この施設は『天使の庭』の名称どおり、まさにこの世の天国、しかも人生の終わり間近に経験できる楽園なのだった。


 さて次の仕事は父に『天使の庭』に入居するよう説得することである。さあどうやって説得するか、果たして素直に納得してくれるだろうか、また散々駄々をこねるのではないか。みんなが心配する中、私には父を説得するだけの自信が十分にあった。何度も父の元へ通いつめるうち、父がどういう言葉に反応し、それをどこまで覚えているのか、いつまで覚えているのか、何となく把握できるようになったのである。要するに父の扱い方を心得たのであるが、それができたのはおそらく私だけだっただろう。先ほど述べたとおり、父は他人の前ではみっともない姿をさらしたくないばかりに居丈高になり、それがガンコでワガママに見られたのであるが、長男の私にだけは一目置いていたようで、私が言うことは何でも素直に受け入れた。とはいえ家に帰りたくてたまらない気持ちは変わらず、もうこんなジジ・ババばかりのところはイヤだ、首をくくるだの、金がないと惨めで死にたいだのと、会話がそこから始まるのは変わらなかったが。私は父のそんな訴えに対して、そのつど新たな理論で臨んだ。ガンコ者である父は、話のスジさえ通れば十分納得するのであった。私はすでにそれを知っていた。『天使の庭』に入ることに対して、私は父にこう話すつもりでいた。

「おい、じいちゃん、喜べ。ここを出られるぞ! あともうちょっとの辛抱だ。ここよりずっといい施設が見つかったんだ。それも、長岡のばあちゃんの病院のすぐそばだ。ばあちゃんの見舞いにもすぐ行けるぞ。ばあちゃんは病気が全然治らないから、まだ入院してなきゃダメだけど、その間どうせ施設に入るなら、今のところよりそっちのほうがずっといい。すばらしいところだ。ただな、じいちゃん、そこに入るには、ちょっとお金がかかるんだ。すごいいい施設だから、それはしかたない。普通の人じゃ金がなくて入れないんだよ。年金が十分なきゃダメなんだよ。だからじいちゃんなら入れる。ホラ、じいちゃん、いい会社に三十年も勤めてただろ?それだけの年金出してくれる会社、そんなにないぞ。さすがだよ、じいちゃん。いい会社に勤めたよなあ。じいちゃん、ぜったいにその施設、気に入ると思うよ。」

 これぞ《じいちゃんでなければ入れない》理論!

 この新理論を実際に使ったところ、以外にも父はすんなり納得したので、かえって拍子抜けしたくらいだった。私の予想はみごとに的中した。谷崎さんが会いに来ることも伝えた。父の興味を引くよう、こんなふうに言ったのだった。

「その施設でじいちゃんを担当する人はね、若くてきれいな女の人だよ。今度その施設に入ったらその女の人が全部面倒見てくれるんだってさ。よかったなあ、じいちゃん。倫子くらい背が高くて、上品な人だよ。その人、じいちゃんに一度会いたいんだって。来週あたり○○さんと一緒にここに来るからさ、一回会ってやってよ。」

父は目を輝かして私の言葉に聞き言ったのであった。


 時が過ぎるのは早い。『天使の庭』への入居は、谷崎さんとの面会後、即決まった。知らせを聞いて私達はほっと胸をなでおろした。これですべての気苦労から開放されるのだ。

 父がYの施設を出る日、私は家族全員を連れて、荷物運びの手伝いをさせた。父は孫達に会って涙を流して喜んだ。父は一ヶ月ぶりに我が家に帰ってきた。家に入るなり大げさに「やっぱり家がいっちいいや。へえおれはどこへも行がねえいや。」と言い、そのまま何をするでもなく座敷の大型テレビに見入るのだった。私はまた『天使の庭』の説明を一から始めなければならなかった。

 妻と子供達に父を監視してもらっている間に、私と倫子は『天使の庭』へ入居手続きをしに行った。谷崎さんが私達を出迎え、私達は事務室の奥の会議室に通された。会議室には背広姿の男性務職員が待機しており、私達が入ると深々と頭を下げた。デスクの上には『天使の庭』のロゴの入った書類封筒が置かれていた。封筒の中には入居契約書が入っていた。すでに契約書は出来上がっており、私達はハンコを押すだけだった。契約書を読み上げて、両者確認をするのは谷崎さんではなく、背広姿の男性務職員であった。確認作業が終わると、指示されるがままに契約書のあちこちに印鑑を押した。

 とりあえず『天使の庭』との契約は済ませた。契約金は後ほど指定口座に振り込めばよい。それまでに金を工面すればいいのだ。問題はいつから入居できるかだが、折り悪くお盆休みと重なって、入居は来週にならざるを得ないとのことだった。冗談じゃない、この間谷崎さんははなるべく努力すると言ったじゃないか!こちらは今日明日にでも入れると思って準備をしてあるというのに、明日から四日間、誰が父の面倒を見るというのだ!

 いかにも腹に据えかねるといった口調で、倫子が背広の職員を問い詰める。さすがに強い女だ。倫子はさらに言う。

「五百万も払うんだから、そのくらい融通利かしてくれたっていいじゃないですか!こちらだって都合があるんですよ。今日明日はダメだとしても、あさってくらいには何とか入れないんでしょうか?」

職員は申し訳ございません、申し訳ございません、契約審査の者がお盆休みに入っていましての一点張りで、ペコペコと頭を下げるばかりだった。谷崎さんも隣で申し訳なさそうに頭を下げている。そもそも「何とかご希望通りお早めにご入居できるようがんばってみます」と言って私達を安心させたのは谷崎さんだった。その上品な谷崎さんが深刻な表情で深々と頭を下げている。ここにいるのが男性職員だけだったら私達は絶対に譲らなかっただっただろう。私達は折れた。折れざるを得なかった。代わりの施設のアテがない弱みがあったからだ。さすがの倫子も、ここでいったん契約をハキしてもっと融通の利く施設に変える、と強気で押し通すことはできなかった。

 こうして父が『天使の庭』に入るまで四日の間、誰かが父の面倒を見なければならなくなった。倫子は仕事が忙しくてとてもじゃないが休めないという。矢野さんと再婚した後、倫子は福島の地元の小さな不動産会社で働いていた。勤め始めたばかりでまだ見習社員なのだという。勤務態度と業績がよければいずれ正社員にしてくれるとのことで、ここで休むとこれまでの苦労がフイになる、何とか私にオヤジの面倒を見てもらえないかと言ってきた。仕方がない、ここは長男の私が何とかせざるを得ないだろう。ああ、また会社を休まなければならないのか。急ぎの仕事はたまるばかりだ。いつまでこんなことを続けなければならないのか・・・。

 さすがに申し訳ないと思ったのか、倫子は男所帯で居心地が悪かろうとの配慮から、二日間だけあずさをヘルプで泊まらせると言ってきた。それはとても助かる。家に帰ってわが妻に相談すると、妻もまた私と父だけではとても不安だと配慮してくれ、わが息子を一緒に泊まらせると言ってきた。何だ、おいおい、私は小学一年生より頼りにならないというのかよ。


 あずさはすでに十九になっていた。昨年の暮れ、父の快気祝いで会った時より大人の女性の色気を増していて、座敷の畳の上で短いスカートからスラリと伸びた脚を崩す姿を見たときには、姪とはいえ思わずエロチックなものを感じた。あずさは今、新潟市内にある福祉関係の専門学校に通っていて、卒業したら介護福祉士になりたいのだという。

「それじゃちょうどいいや、じいちゃんで実習すればいいや。」

私はそう言ってあずさを元気づけたが、話によると、どうやら介護福祉士というのにもランクがあるらしく、あずさが目指しているのは「ケアマネージャー」という資格で、これがなかなか取りづらいのだそうだ。この資格を持っている人は、現場で実際に手取り足取り老人のお世話をするだけでなく、その人個々の性格や介護レベルなどに応じて、どのようなケアを施したらいいのかといった介護プランを作成することができるのだそうだ。この通称「ケアマネ」の介護指示に従って一般の介護士は動くのだそうだ。父の担当をしている介護士の○○さん、たまに後光のさす、あの○○さんは実は「ケアマネ」らしい。

 それにしても介護の仕事というのはかなりつらそうに見える。

「じいちゃんが入ってた施設を見たけど、あそこで働いてる人、みんな大変そうだったぞ。だいたい皺くちゃのワガママ老人の面倒なんて、おまえが見れるのか?痴呆でおかしくなった老人もいっぱいいるんだぞ、薄気味悪くないのか?」

正直な気持ちをあずさに伝えると、あずさは私を憐れむような目で見ながらこう答えた。

「そんなことないよ、お年寄りってかわいいって思わない?この間研修でお世話したおばあちゃんなんて、年取ってもうぜんぜん動けないんだけど、とっても可愛いおばあちゃんだったよ。あたし、おじいちゃんおばあちゃんといろんなお話ししてると、とっても元気が出るの。この仕事、ずっとやっていきたいの。おじさんにはわからないかなあ?」

 私には理解できない。あずさがなぜそう感じるようになったのかの理由もわからない。しかし、あずさの話を聞いて思ったのは、介護の仕事、福祉関係の仕事というのは、これを仕事と割り切らない限り、普通の人には到底できないだろう、しかしながらその一方で、これが仕事だからという理由だけでできるものでは決してないということだ。人間、特に老人に対して、海の底よりも深い愛情を持てなければ、そして人のために尽くす行為に誇りが持てなければ、生半可にできるものではないということだ。Yの施設の職員の姿が目に浮かぶ。彼らもまた介護を自分の職業として選んだ人たちだ。彼らも老人達への愛情があるはずだ。彼らは老人を、そして人間をこよなく愛す。彼らに似た職業に保育士さんというのがあるが、彼らもまた手間のかかる幼児相手にまめまめしく世話を焼く。これもまた大変で、やっぱり仕事と割り切らない限りやっていけないだろうが、その一方で職業として保育士を選ぶ人はまず子供が好きでたまらないのにちがいない。

 そもそも人は自分の職業をどういう理由から選ぶのだろうか。

 考えてもみたまえ。いまあなたがやっている仕事、お金をもらさえすれば、別にこの仕事でなくてもいいのですか?いやいや、決してそうではないでしょう。そこには、その仕事に対して何らかの愛情があるはずだ。(かくいう私だって、決して職業と言うわけではないが、ウンウン言いながら苦労してこの小説を書いているが、それは小説が好きだからなんだ!)


 ようやく父が『天使の庭』入居する日がやって来た。

 父が入ったのは六階の角部屋で、入り口にはすでに大きな表札がかけられていた。中に入ると、広さは約六畳、備え付けの家具はクローゼットだけだった。私と妻と、そして倫子夫婦とで家から介護用ベッド、テレビ、応接セット、その他着替えやら洗面具やらの日用雑貨を運び込んだ。前の施設で使っていたものをそのまま持って来ればよかったので楽だった。妻は父のために気を利かせて、応接セットのカバー類を新調した。そのおかげで、家では薄汚く放置されていたアームチェアと丸テーブルが、新品同様になった。これなら父も満足してくれるだろう。窓からは広い中庭の散歩道が見下ろせた。

 父は『天子の庭』を一目見て気に入ったようだった。何より谷崎さんのことをよく覚えていたのには驚いた。谷崎さんと再会して父は言った。

「おお、あんた、この間Yに来た人らったな、バレーボールの県代表になった人らろ。」

どうやらYで面会した際スポーツの話で盛り上がったようだ。どうせまた自分の若い頃と倫子の陸上の話でたっぷり自慢したのだろう。

 Yの施設に入った時とは明らかに異なり、父はすべて納得したうえで『天使の庭』に入った。ようやくすべてが一段落したのだ。私達は見送りにエントランスまで出てきた谷崎さんに再三お礼を言って『天使の庭』を後にした。そして、かねて段取りしたとおり、その足で病院に向かい、母の退院を手伝った。私はいつの間にか母の生き残りの手助けをしていたのだ。私達の手助けによって、母は晴れて我が家でのんびり一人暮らしをする権利を手に入れたのだった。生存競争の勝利者となったのだ。

 とはいえ、母の、そして私達の心配事はすべて解決したというわけでは決してなかった。Yの施設に入ったときとまったく同様、父の電話攻撃が始まったのだ。手始めに父が電話したのは家だった。母が電話に出ると、「俺らいや」と父の声が。母はとっさに電話を切ってしまったそうである。それ以来、母は電話には一切出なくなってしまった。連絡を取りようがないので、私は母に携帯電話を持たせた。

「この電話以外、出なくていいからな。大事な人にだけこの携帯の番号教えておけばいいから。」

母にそう言う私は、やはり母の手助けをしていたのだった。


 しばらくぶりの安息がやってきた。週末をのんびりと家族で過ごすのは本当に久しぶりで、私は平穏無事であることがいかに貴重であるかをかみしめるのであった。

 父が『天使の庭』に入居して二週間ほど経った頃、私は様子見に長岡の家に戻った。母もまた、父のいない平和な毎日を充実してすごしているようだった。社交ダンスの友人たちに電話をし、父のようにボケないように、好きな推理小説を大量に買い込んでいたりした。なんだか、介護が始まる前の若さが母に戻ったように思えた。

 母が『天使の庭』の契約金を払うのを手伝った後、私は父の様子に行くことにしたが、そろそろ大丈夫だろうと判断して、同行させることにした。

「アタシの顔を見て里心がついて帰りたいなんか言うと困るねかて。アタシは行がんほうがいいて。」

母はそう言って同行を拒む。

「大丈夫だよ、むしろ元気になったばあちゃんをここで見せておいたほうがいいんだよ。オヤジには外出を許されるまで回復したけど、またすぐ病院に戻らなきゃダメだ、と言わなきゃだめだよ。」

「帰ると言わないろうかね?」

「まだしばらく入院しなきゃダメだと言っておけば、たぶん平気だよ。Yで俺、さんざん『ばあちゃんが大変な状態だから心配かけるな、じいちゃんがおとなしくここにいてくれれば、ばあちゃんの回復も早い』と言い聞かせてたから、そこまでは本人わかってるはずだよ。」

「そうらろうか。」

母はまだ心配な様子だ。そこで私が新たな作戦を考える。

「もしまた駄々こねるようだったら、これから当分ばあちゃんが遠くの暖かいところで療養しなくちゃダメになったから、お別れに来たって言っておけばいいよ。そうさな、静岡あたりの療養所にしておこうか。医者からそこに入ってないと死ぬと言われたと言っておけばいい。」

これぞ新たな《ばあちゃん療養生活》理論! 私には自信があった。父はこの話を聞けば絶対に納得するはずだ、と。

 『天使の庭』を初めて実物で見た母は、その豪華さに目を瞠り、「アタシが入りたいようらて」と言った。受付で谷崎さんを呼び出し、母を紹介する。

 エレベーターで六階に上がる時、入居者のおじいさんと一緒になった。銀髪で縦縞のワイシャツにチェックのベスト、ゴルフパンツといういでたちの、紳士然としたおじいさんである。谷崎さんがおじいさんに話しかける。二人は楽しげに笑う。おじいさんは五階で降りた。エレベーターが開くと、いつものとおりすぐ正面に監視の女性職員が二名座っており、私達の顔を見るとやや驚いた様子で「いらっしゃいませ。」と声をかける。谷崎さんが「長沢さんにご面会です。」と職員に言う。


 二ヶ月ぶりに母に会う父は、どことなくウキウキしていた。うれしくて仕方ないのに違いない。そのくせ母の顔を見たとたん、

「なんだ、俺の部屋に勝手に入って来るないや!」

などと威張ってみせたりしている。すっかり自分の部屋だと認識しているようだ。もう安心だ。

 このクソ暑い中、父は、冬物の毛糸のセーターを着ていた。私が中学生の頃、母が手編みで作ってくれた群青色と灰色の横縞のセーターだ。あまりにセンスが悪いので、学生服の下以外に着たことがなかったやつである。三十年以上前の服をまだ持っているとは、さすが、昔の人は物を大事にするなあ、と改めて感心する。同時に、世の中のことに無頓着で、また世の中から置き去りにされた一組の老夫婦に哀れみとたまらない愛おしさが感じられてならない。

 その毛糸のセーターの襟から、これもまた私のオサガリと思われるボロボロのワイシャツの襟が片方はみ出ている。それを見て母は、

「まぁ!この暑っついのに冬物のセーターなんか着て。」

と言いながら、まるでおいたのすぎる子供をしつけるようにワイシャツの襟を直す。その仕草に私は、お互いを知りつくした一組の男女のカップルを感じ取って、ちょっと目をそむけたくなった。老いたとはいえ、また、すでに一緒に暮らすことはできなくなったとはいえ、二人はやはり夫婦なのだ。そして私をこの世に送り出してくれた親なのだ。

 世話焼きな母は、普段の生活と何ひとつ変わらない調子で小言を言いながら父の身の回りを片付け始めた。

「まぁ!靴下片っ方だけこんげん所置いて」

「これ洗濯するがあろ?洗濯物はここに入れておくがあけ?」

その様子には、久しぶりに世話を焼くことに対するうれしさが垣間見えた。父もまた「ナァは黙ってれいや!」だの「勝手に人のもんに触るないや!」などと怒鳴ってはみせるものの、二ヶ月ぶりに妻に会えたうれしさにこみ上げる喜びを隠し切れず、怒鳴り声の中にも笑みが混じって、ついウワついた調子になる。

 父の部屋の手洗いを出て、ふと洗面所を見ると、白い洗面台の上に新品の歯ブラシが二本、ブラシの部分が紫色に染まって転がっている。だらしないな、しまってやろうと思って一本取り上げ、水で洗うが、紫色のハミガキ粉が全然落ちない。おかしいなと思って親指の腹でゴシゴシやるが、それでもなかなか落ちない。ブラシの先は紫色の物体でガッチリと固まったまま、びくともしない。ようやく取れたと思ったら、塊のままボロボロ零れ落ちる。この物体は絶対にハミガキ粉ではない。これが何かわかったのは、うがい用のマグカップの中に立てられたチューブ状の薬品を見たときだった。その薬品は歯ブラシについていたのと同じ紫色の外装をしており、見た目こそハミガキ粉とそっくり同じだが、何を隠そう総入歯安定剤だったのである。これで歯を磨いたのにちがいない。何でこんなもので歯を磨いたのか。

 わが妻はきちんとハミガキ粉は歯ブラシといっしょにし、入れ歯道具とは別に用意しておいたはずだ。そう思って洗面台の引き出しを開け、歯磨きセットを取り出すと、まったく手付かずでビニールの封さえ空いていないハミガキ粉が出てきた。これを手にしたとき私はガテンがいった。なるほど、そうか、そうだったのか・・・。わが妻が用意したハミガキ粉は太くて丈の短いキャップを下にして置けるタイプのものだった。わが家はこのタイプのハミガキ粉を使っているので、わが妻は父も同じものでよかろうと思ってこれを用意したのだろう。しかしながら父の脳内にあるハミガキ粉は、この総入れ歯安定剤と同じ形状の、細長いチューブ型のものなのだ。たしかに昔からハミガキ粉というのは細長いチューブ形のものだった。子供の頃ずっと家で使っていたのはこの型だった。父はこの細長いチューブの形状をハミガキ粉と判断したのにちがいない。それにしても、よくまあこんなもので歯を磨いたものだ。どこかおかしいとは思わなかったのだろうか。

 紫色に固まった歯ブラシを母に見せると、母は大笑いして父に言った。

「アンタ、こんげんので歯みがいていたがあけ?これは入れ歯をとめる接着剤らねかて。よくこんげんので歯みがけたねえ。わからんかったがあけ?」

すると父は烈火の如く怒り出すと思いきや、意外にも何にもしゃぺらない。追い撃ちをかけるように母が言う。

「アンタ、ハミガキ粉はけれられね。これは入れ歯を止めておく接着剤んがあよ。」

そう言われてもまだ答えない。

「アンタ、聞いてがあけ?なんか答えれさ!」

それでもなおダンマリを決め込む父である。気に入らないことがあると、母に何も言い返せない父は《ダンマリ作戦》で口をつぐんでしまうのにちがいない。呆れ返って母は私にもう帰ろうかと促す。

「そうだな、勝手に俺の部屋に入るなってんだから、帰ろうか。」

すると父は、

「ちと待ていや、下でコーヒー飲んでいげいや」

と、突然口を開く。


 倫子夫婦と初めて来たとき通された一階ロビーのすぐ隣が小さなコーヒーラウンジになっている。でかい書棚の真ん前だ。近くの職員に言えばすぐに熱いコーヒーをいれてくれる。時間があれば、長い長い老人の話し相手にもなってくれる。父はもうすっかりお馴染みさんらしく、私達がエレベーターで一階に下りると、髪をちょっと茶色に染めたきれいな女性が笑顔で声をかけて来る。年の頃は二十代後半か三十代前半といったところだろう。実を言うと私の好みのタイプの女性で、赤ワインのよく似合いそうな大人の女性といった感じの人だ。

「長沢さん、今日はお客様ですか?まあ、ご家族のかたですか、いいですねぇ、みなさん来て下さって。」

父はさも自慢げに

「俺んセガレらて。東京から来たがあて。」

と私を紹介する。母のことにはまったく触れない。私は美人の職員にちょっとだけドギマギしながら軽く会釈し、

「父がお世話になってます。」

と言う。その脇から母が

「ほんとにお世話になってまして、こんなワガママ者をねぇ、まったく。ご迷惑おかけしてなかったでしょうかね?」

「奥様でいらっしゃいますか。迷惑だなんてそんな。こちらこそお世話になっています。」

美人職員はそう言うが、迷惑をかけていないわけがないのである。その迷惑の張本人が怒鳴って言う。

「ナァは余計ん事言わんでいいっや!」

私達は父を真ん中にして小さなカウンターに腰掛けた。美人の職員はカウンターの向こうからコーヒーを三つ出した。

「おめさんはYの生まれらったかの?」

「いえ、Nなんです。やだなぁ、長沢さん、忘れないでくださいよ。」

幾分媚びたような、女性特有のあの調子で美人職員は返す。

「ああ、そうらったねぇ。仕事でおっ()のそばで働いてたがらったねぇ。」

「ええ、三丁目の設計事務所で働いていたことがあるんですよ。」

三丁目にそんな設計事務所なんてあったか?私はちょっと首を傾げる。

 しばらくすると、いつもの父の自慢話が始まった。例の若い頃の陸上競技の話である。美人の職員は、父の話の合間合間に「へえ、そうなんですか」とか「すご〜ぉい」とか、いかにも初めて聞かされたように相槌を入れるが、この話を何度も繰り返し聞かされていたのにちがいない。いずれにしても、父がこの私好みの女性とすっかり仲がいいのが、ちょっとくやしかったりする。

 美人職員の前で得意満面に語る父を、母は笑顔を浮かべながらも冷ややかな目で眺めていた。その笑顔は、美人職員を前にしたお愛想もあったのだろうが、ようやく訪れた心の平安と、父と別れて新たな人生を送ることを改めて決意したといった、どこか満足げな勝利者の笑顔だった。ほっとしたようでもあり、しかしどこかさびしげなところのある表情だった。

 じゃあそろそろ帰るから、と母を促して外へ出る。エントランスで「じゃあ、またしばらくしたら来るから。あんまり迷惑かけないようにな。」と言い、手を振って別れようとすると、父はトコトコ外までついて来る。なんだ、やっぱり帰ってほしくないんじゃないか。その様子を見た美人職員はすかさず父の手を持って、

「さあさあ長沢さん、外はまだ暑いですから、中へ入りましょうよ。」

と父を促す。美人職員、私達のことを気遣ってくれたに違いない。父は、

「そうらのぉ」

と言いながら、美人職員に恋人のように腕組みされて『天使の庭』に戻っていった。私は父と美人職員が建物の中に見えなくなるまで見送った。母は一度も父を振り返ることなく、ただすたすたと帰りの車に向かうのだった。


(介護篇・下に続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ