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生活篇

 二十歳代の中半を境に男性=後半、女性=前半を”結婚適齢期”とする時代はすでに終わった。いまだにこんな考え方を持っているのは親達だけだ。当事者たる若い人達は、これはあくまで理想でしかないと思っている。「そのくらいまでに結婚できればいいナァ」などと口では言うものの、一体どれだけの若者がそのとおりにしているだろう。

 現代ほど”結婚適齢期”がいつかわからなくなっている時代はない。いつだれと結婚しようがしょせんは個人のことであって、結婚するのは本人なんだし、最終的に幸せな家庭を築くことができればいいのだから、周りはやたらと騒ぎ立ててくれるな、というわけだ。

 最近の身近な夫婦の実態を見ていると、ひとつの傾向がうかがえる。あくまで印象にすぎないが、あまりに年若くして結婚したカップルは比較的離婚率が高いのだ。これは”結婚適齢期”の意識が薄れてしまったことと何か関係があるのかもしれない。

 私は三十二歳で結婚したのだが、燃え上がるような大恋愛の末ようやく結ばれたというわけではないし、長い交際期間を経てお互い十分理解しあった上で結ばれたというわけでもない。この女性以外、生涯の伴侶は考えられないというわけでもなく、たまたまその時つき合っていた女性が妻になったというだけだ。そろそろ結婚してもいいナと半ば妥協、半ば諦めにも似た気持ちで結婚したのであった。

 しかしながら、いま現在この妻なくしての家庭生活は考えられないのだから不思議なものだ。これからわかるのは、見合にせよ恋愛にせよ、恋愛感情をまったく抜きにした結婚はあり得ないだろうが、結婚を支配するものが恋愛感情だけではないということだ。結婚には《契約》の要素が切り離せないのではないだろうか。燃え上がるような恋心だけで結ばれた情熱的な恋愛のたどりつく先が必ずしも結婚でないことはあまりによく知られているではないか。

 以前、ある女性とこんな会話をしたことがある。その女性は都内の理工系の大学を卒業して会社に入り、すぐに同期の男性と結婚した。なかなかの美人で、私が彼女に下心を抱きつつ、

「結婚なんて妥協の産物だと思うよ。」

と妻が理想の女性ではないことを漏らすと、

「いいえ違いますよ、結婚って勢いですよ。」

と返してきた。

 しばらくしてその女性は離婚した。いま思えば彼女の結婚生活はそのときすでに破綻していたのかもしれない。彼女を離婚へと追いやった原因についていろいろな人がいろいろなことを憶測で言うが、はっきりしたことは誰にもわからない。仕事が忙しく、家事に手が回らなかったというのがいちばん考えられそうな理由だが、そんな夫婦は他にもざらにいて、みんなそれなりに円満な家庭を築いている。

 結婚するときになぜ結婚したのかを問う人はいないが、離婚するときには、人はその理由をはっきりさせたがる。そして相手の浮気や金銭問題といった夫婦関係の外部に理由を求めてしまう。しかし一番はっきりした理由は、夫婦がお互いに一緒に生活したくないから、という一言に尽きる。結婚の理由をあえて求めるとすれば、いつもその人と一緒にいたいから、一生をともにすごしたいから、ということなろうが、まさにその逆が離婚の真の理由なのだ。


 さて、倫子が親戚一同の猛反対を押し切って駆け落ち同然で結婚したのは十九歳のときだ。早すぎる結婚だった。それでも二十年結婚生活を送り、その間に二人の子供を生んだ。

 結婚当初には、ドラマなどでよくある嫁と姑の確執関係もあったと聞く。

 親戚筋の会合か何かがあって、倫子が晩餐の食器を並べていると、姑がそばを通りかかり、

「倫子さん、お客様にこんなお碗でお出しするのですか?」

と縁の欠けたお椀を手にとって言う。すると母の手伝いをしていた娘のあずさが姑の手からお椀をひったくって、

「あたしがこれで食べたいとお母さんに言ったの!」

と大声で言った。

 あずさは、毎日のようにおばあさまにお小言を言われ、子供たちに隠れて陰で泣いている母を見ていたのだ。その時あずさはまだ小学校に上がる前だったが、幼いながら母の苦労とその原因を本能に近い感覚で嗅ぎ取っていたに違いない。嫁姑の関係で同じように苦労したらしい母の友人が母からこの話を聞いて、思わず涙を流したという。

 格式の高い梨本家にあって、倫子は生来の押しの強さとやりくりのうまさを武器に、徐々に頭角を現していったようだ。それを支えたのは二人の子供たち、とりわけあずさであった。

 男の子にしては優しすぎる正道が、周りを気にしてなかなか思ったことをはっきり言えないのに対し、あずさは怖いもの知らずとでも言えそうな果敢さと、自分の信念を主張する強さを持っていた。あずさは倫子の行動的かつ男性的な性格の一部を確実に引き継いでいた。にも

かかわらず、いかに小さくとも女の子だと思わせるのは、優しさを大人たちの前で積極的に表す術を心得ていたことで、大人たちは倫子に似た愛くるしい笑顔を振りまきながら周りを気遣うあずさに、思わず笑みを浮かべずにいられなかった。頑固者の舅は未だに一家の長として君臨しており、我儘三昧でたびたび倫子を困らせたが、あずさに一言、

「そんなわがまま言うおじいちゃんなんて、大キライ!」

などと言われれば、頑なになった表情を崩さざるを得ないのであった。


 しかしながら、格式の高い梨本家における日々の格闘はさすがに気が張るのだろう、倫子はたまに家族で長岡に帰ると、張り詰めていた緊張の糸が一挙にほぐれ、暇さえあれば眠りこけていた。父も母もその大変さが十分にわかっていたのでそっとしておいた。

 倫子はできるだけ私の長期休暇に合わせて長岡の実家に遊びに来た。そこには母と二人きりのさびしい老後をすごす父の意向が働いていた。長い休みの時くらい家族が一同に会してほしかったのにちがいない。私にしてみれば倫子はともかく、十歳も年上の義弟、正明が一緒に来るとなるとどうしても遠慮してしまい、せっかくの長期休暇がもったいないような気になる。

 ある年の夏休み、いつものように私が帰省しているところに、夜になって倫子が子供たちをつれて来た。その日は一泊して、仕事の関係で来れない正明が翌日の昼過ぎには迎えに来るという。

 久方ぶりの実家で思い切り開放された倫子は、父に勧められるがまま晩酌をしはじめた。酔いが回ってきた倫子は梨本家の嫁いびりを愚痴りはじめた。

 昔からの裕福な家庭で育ったせいなのか、義母にはほとんど生活感覚がない。これまでならそれでやってこれたかもしれないが、このご時世、義父に全盛時のような働きぶりを期待できない以上、ある程度生活を切り詰めるのは当然の成り行きだ。いまこそ“庶民の生活感覚”が必要で、自分はそのつもりで上手にやりくりしているのだが、それを姑は非難する。逆に少しでも贅沢なそぶりを見せると、今度は倹約ができていないなどと言って文句をつける。とにかく自分のやることなすことすべてが気に入らず、何か口を挟まずにいられないのだ。自分のことを非難するだけならまだ我慢できる。家の格式まで口にされることもあり、本当に腹が立つ。義父は義母の言うことがすべて正しいと思っている。それゆえ義母が我を通そうとする場合は必ず義父に言いつける。正明にもっと自分の味方になってくれるよう、何度も言っているのだが、やはり育った環境にはなかなか太刀打ちできないようだ。今の自分の味方は二人の子供たちだけだ・・・。

 父も母も倫子の言葉に同感する。そして相槌をうちながら、

「倫子おめえじゃねけりゃ、できん事らいや、それは。がんばれや。話を聞いてりゃあ、おめえの言うことのほうが十分道理にかなってる。もう少しがんばってみれ。そうすりゃ、いつかおめえが梨本の家を引っ張って行かんきゃあならん時代がきっと来るすけえ。」

などと激励する。調子付いた倫子はさらに酒をあおる。私と違い父の血を濃く引いた倫子はけっこういけるクチだ。父もいっしょになって、さもうれしそうに酒を飲む。私はテレビを見ながら寝転がって倫子の話を聞くだけだ。父も母も私より倫子と話しているほうが楽しげに見える。

 そのうち倫子は「ああ、疲れた」と言って畳の上にごろりと寝転がると、そのまま大の字になって大いびきをかきはじめた。その脇で正道とあずさが、

「おかあさん、ねえ、おかあさん、起きなよ。」

と大きな体を揺らすが、一向に起きる気配はない。仕方なく私と父とで持ち上げて奥の寝室まで運び出すことにした。何しろ大きな女だ。持ち上げるだけで一苦労だ。

「おめえ足のほう持てや。おれは手持つすけ。」

父が倫子の両手を持ち上げると、腋の下から真っ黒な剛毛が表れた。手入れくらいしろよなと思いながら、やっとの思いで丸太のような太い足を両脇に抱えると、水色のワンピースの裾がめくれ上がって、白いパンツが丸見えになった。股のところが浅黄色に汚れている。濃いスネ毛が掌の中でざらつく。私は思わず苦笑し、父に言った。

「こいつはもう女じゃあないな。」

 倫子は翌日の昼ごろになってようやく起床した。正明は昼前に来、皆にさんざん愛想を振りまいて帰っていった。


 当時倫子は新潟市内で弁当屋をやっていた。正道とあずさだけで初めて長岡に泊まったとき、倫子が子供たちは二人とも弁当屋の方に連れ帰ってくれというので、車で妻と母を連れて行ったことがあった。

 『万代橋亭』と名付けられたこの弁当屋は、郊外の比較的交通量の多い通りに面して、ひっそりと立っていた。ラジオCMを流したこともあるというが、そのわりには地味な作りで、甥っ子達に教わらなければすぐには見つけられなかっただろう。この店がかろうじて弁当屋だとわかるのは黄色地に赤文字で店の名を書いた小さな看板と埃にまみれたノボリがあることだけで、これがなければ一体何をやっている家なのか誰にもわからなかっただろう。

 店の入り口は薄暗くて狭く、アルミサッシの扉を引くと、いきなりガラス張りの陳列棚がある。そのすぐ奥が厨房になっている。陳列棚にはほうれん草のおひたしやら煮豆やら鶏のから揚げやら焼豚やらフライやらが、アルミ製の四角い大皿に盛られ、お客さんからお声がかかるのをだらけた雰囲気で待っている。どうやら客が好きな惣菜を選び、店がオリジナル弁当として組み上げる方式の弁当屋らしい。日替り特製メニューもあるらしく、陳列棚の上のレジスターの隣に厚紙にマジックペンで



   本日のお勧め 鯖の味噌煮弁当 ¥600円

    ・鯖の味噌煮

    ・厚焼玉子

    ・きんぴらごぼう

    ・ポテトサラダ

    ・みかん


などと書かれたメニューが金メッキのスタンドに挟まれて立っていた。

 店はアルバイトの主婦が手伝っていて、裏口から出入りしていた。この主婦がたびたび店から晩のおかずをちょろまかしているのを倫子は知っていたが、安い賃金で働いてもらっているだけに文句を言えなかった。裏口は二階に上がれるようになっていた。二階は二間の住居部屋になっていて、子供たちがそこで母を待つ間のオモチャやら絵本やらが雑然と置いてあった。店の奥はアパートになっていた。

「たいしたもんだな、これだけの店をやりくりするなんて。おまえの料理の腕が上がった理由がこれでわかったわ。」

 久しぶりに母に会ったうれしさに狭い厨房の中をはしゃぎまわる甥っ子達を尻目に私がそう言うと、倫子はさも得意げな顔をする。

「店は繁盛してるのか?もうかってんのか?」

「それがさ、トントンになればいい方なんだて。でもまあこれやっていれば、とりあえず自分達の食べる分だけは何とかなるすけんね、それが精一杯らて。」

 自分達の食べる分だけは何とかなる? それはどういうことだ? この店がなければ食うものもないというのか。聞けば、正明は義兄の経営していた中古車販売会社が倒産して以来、家に生活費をまったく入れていないのだという。


 正明の義兄には梨本家での正道の小学校入学祝の宴会で一度会っている。物腰のやたら低い、相手に卑屈な感じさえ与えかねない商人然とした中年男だったが、その義兄の会社が数年前に不渡りを出して倒産した。そのとき倫子は会社の経理を手伝っていた。義兄、義姉そして夫の正明はその会社の役員に名を連ねていて、倫子は単なるアルバイト、しかも嫁ゆえの薄給で奴隷にも似た境遇でしかなかったが、彼らは毎日のように殺気立って押し寄せる債権者の応対をすべてこのアルバイト兼嫁に押し付けたのであった。義兄は家族そろって夜逃げし、正明は自分の経営する会社のほうが忙しくなったという理由で事務所に姿さえ表そうとしなかった。会社の負債は億を超えていた。


 倫子は事務所に鍵をかけ、表で乱暴にドアを叩きながら口汚く怒鳴りまくる債権者達を相手に、一日中無言を押し通したという。私にはその倫子の姿を容易に想像することができた。己の信じる道を貫き通す強烈な意思を持つ倫子でなければ到底できることではなかった。

 精神的にへとへとになって帰宅する倫子であったが、家に帰ると今度は幼い子供達が容赦なく母親に甘えて来る。いらついて、つい邪険に扱ってしまう。そんな毎日が続いた。ある夜倫子が寝ていると、誰かが布団にもぐりこんでくる。夫が遅く帰って来たのかと思ったが、どうもそうではない。小さな手が倫子の乳房をまさぐる。やわらかく滑らかで温かい懐かしい感覚が乳房に蘇る。それは、とうの昔に乳離れを終えた小学生の正道が半分眠りつつ泣きながら母の乳房を吸っているのであった。あまりに強い衝撃を受けた倫子はこの一件を母に相談した。母は倫子に言った。

「そりゃあお前、小学校上がったと言ってもまだ子供らねかて。おかあさんに甘えたくて仕方ねえ年頃んがて。お前が毎日つらい思いをして大変なのはわかるろも、子供達の気持ちもよく考えて見れて。」

 倫子夫婦の生活に微妙な変化が起きたのはその頃かららしい。まず正明が生活費を入れなくなった。以前はたまにまとまったお金を持ってくることもあったが、それも徐々に少なくなり、弁当屋の仕事が主になる頃にはまったく途絶えた。

 義兄の倒産は長沢家にも影響を及ぼしていた。梨本家から債務の弁済のために新潟の土地を買ってくれと申し入れがあったのである。本来ならば坪十万は下らない土地だが、親戚なので坪五万でいい。四百坪で二千万円。梨本家を助けると思ってぜひ買ってくれないか、とのことだった。

 一度その土地を見てほしいというので、正明に連れ添われて、私は父と母とで下見に行った。乾いた春風の吹きつける日で、車を降りると地面から舞い上がる埃が目に入って痛んだ。土地は白鳥が飛来するので有名な瓢湖のそばにあった。周りにはのどかな田園風景が広がっていた。倒産した中古車会社が使っていたらしく、もはや鉄クズとしてしかこの世に存在し得ないような赤錆まみれのひしゃげた車の残骸が山に積み上げられ、所狭しとその醜さを人目に晒していた。ようやっと人が歩けるのは両側の鉄クズの山の谷間になった小径しかない。

「あんな土地買ってどうするんだよ。何かに使おうったって、あの車の鉄クズを処分しなきゃ使い道がないじゃないか。それだけで結構金がかかるぜ。」

 私が言うと、父は梨本家からの提案を教えてくれた。土地の名義だけが長沢家になり、土地自体は正明の父の運送会社がそのまま使う。つまり長沢家が大家になって、梨本の会社が店子というわけだ。賃借料は月二十万円。これが安いかどうかは分からないが、父はそれで手を打つことに決めた。

「まったく悪いところに嫁にやったいや。でもこれで少しでも倫子が楽になればそれでいいがいや。」

 父は私にそうこぼしながら退職金を前借してその土地を購入した。父の退職後の夢は好きな釣りをしながら退職金で寺泊の海のそばに小さな魚屋を開業してのんびり余生を過ごすことだった。父の夢はまたもや倫子によって打ち砕かれたのだった。

 正明はあの厳格な父親と二人で長沢家を訪れ、安月給のサラリーマンである父の前に土下座し、深々とこうべをたれた。

 この土地は決して梨本家を助けるために買うのではない、あくまで倫子を助けるために泣く泣くの思いで買うのだ。このことを十分心得てほしい。この金で倫子を決して不幸にしないように、そして子供たちを泣かすことのないように改めてお願いする、と父は子供を叱るように正明に言った。正明が父の前で土下座したのは結婚のお願いに続いて二度目だ。正明は死んだ魚のような目をして唇をぎゅっとかみ締め、さらに続く父の容赦のない言葉に、何度もうなづいていた。

 月々梨本の会社から支払われる賃借料はほとんど父のパチンコ代に消えていた。母は言った。

「自分の退職金でもらってるお金らすけ、オヤジが何にどう使おうと、わたしゃ何にも言わんでおくが。」


 正明が父の言葉を裏切って生活費さえ家に入れないことを知った時の父の激昂ぶりはすさまじかった。もっと早く知っていれば賃借料の二十万円で倫子を扶助するなり子供たちの学費を払ってやるなりして援助できたはずなのだ。

 父は早急に正明を長岡に呼び出し、大声で怒鳴りつけた。正明はひたすら平身低頭し、謝罪の言葉を述べるだけだった。

「おめさん、お父さんの会社からもらってる給料もあるがあろ?それはどうしてるが?家にも入れないで、何に使ってるが?」

父が聞くと正明は答えた。

「給料って、役員報酬のことですか。いや、実はまだ借金を全部返し終わったわけじゃねえんですわ。それでオヤジの方の会社もかなりきつくて、私はほとんどタダ働きなんですて。」

 それを聞いて私は思った。それじゃあ正明は弁当屋の倫子に食わせてもらっているだけの、ただのヒモではないか。結婚式の新郎紹介で司会者の言った『青年実業家』が聞いてあきれる。金がなければ座敷の骨董類なり蔵の宝物なり売り払えばいいではないか。結構な金になるはずだ。まさかあれはすべてニセモノで、一文にもならないというわけではないだろうな・・・。父もあきれてものも言えなかったという。


 梨本家に買わされた土地は数年後、購入した価格のまま梨本家に買い戻された。一割でも二割でも高くして売りつけるべきだと私と母は主張したが、義理と人情を重んじる父は梨本家の言うなりの価格で売ってしまった。

 今から考えれば、おそらくあの時点ですでに梨本家の新潟の家屋敷は抵当に入れられていたのだろう。そして残りの弁済額を何とか融通しなければならないが、これ以上どこからも融資が見込めなくなって、やむなく親戚を頼ったのだろう。その親戚は実直さ以外何のとりえもないサラリーマンが適任だったのだ。まじめに勤め上げれば数年後には退職金が入るし、その土地を利用して何か新たな事業を立ち上げるといった冒険心をサラリーマンが起こすことはまずない。結局のところ、一時的にまとまった金を作るためにうまい具合に親戚関係を利用されたわけだ。あまりに当初計画どおりで、まさに商人あきんどたる梨本家の面目躍如ではないか。そのことを私が皮肉たっぷりに父に言うと父は顔を赤くして

「わかってるいや!そんげんこと!倫子を放っておけんかったがいや!」

と怒鳴った。


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