家族篇
結婚とはつくづく不思議なものである。昨日までまったく見ず知らずの他人同士が身内の一人の婚姻によって、一日にして「親戚」となるのだから。
梨本家との親戚づきあいが始まった。
いつの間にか正明は私を「おにいさん」と、私は「正明さん」と呼ぶようになっていた。倫子の結婚式が始まる直前に梨本・長沢両家親族一同の顔合わせがあった。両家とも相手の家の表情を恐る恐るうかがっていた。こちらが倫子と正明の結婚に猛反対したように、向こうでも同じようなことが行なわれていたのではないか、と私は思った。そのとき向こうが反対した理由は家の格の違いだったのかもしれない。
「あんなどこの馬の骨ともしれない素性の家の娘なんて!こちらは仮にも格式ある梨本家十一代目の跡取り息子なのよ・・・。」
こんな言葉がやりとりされていたのかもしれない。
仲人から一人一人紹介され、そのつど一同頭を下げたが、たぶん誰が誰なのか誰もわかっていなかったろう。今でもわからんが・・・。
私は新婦側・長沢家の長男で倫子の兄として梨本家に紹介された。
「倫子の兄の陵輔です。いま東京の大学に通ってます。よろしくお願いします。」
と挨拶はしたものの、その態度にどこかしら相手を小ばかにした不遜なところが透けて見えたにちがいない。披露宴のとき自分が敬遠されていると感じたのが何よりの証拠だ。
梨本家は新潟市内の旧家である。代々造り酒屋を営んでいて、正明の父の代に運送会社を起こした。これが戦後の好景気に乗じて大当たりした。現在正明の父は県内の運送業組合の理事を任されている。政界とのパイプも太い。正明はその会社を継ぐヤングエグゼクティブというわけだ。
正明には二つ違いの姉がいた。すでに結婚して男の子が一人いる。その夫、すなわち正明にとってもう一人の義理の兄にあたるが、この人もまた何かの会社を経営しているという。姉は正明に瓜二つの顔立ちをしていた。やせ気味の体つきに小ぶりな頭、真っ黒な髪の毛に狭い額。一重まぶたで細長く白眼がちの目は目尻が下に垂れている。鼻は小ぶりだが魔女のように鷲鼻になって先端がとがっている。唇は薄く、口元がへの字だ。笑うとこれらの部分部分が皺の中に縮小され、一層強調される。とても第一印象で好かれる印象の顔立ちではないが、少なくともこの姉と正明とが姉弟であることは、初対面の人でもわかるだろう。
結婚した翌年に倫子が生んだ男の子も彼らと同じ顔をしていた。父は嘆いた。倫子に似てくれれば、長沢家の血がもっと濃ければ、愛くるしい顔立ちになったにちがいないのだ。長沢家は昔から美男美女の家系だ。まず、みな背が高い。色白で大きな二重まぶたの目に筋の通った高い鼻梁を持っている。越後人にありがちなゴツゴツした骨っぽさを持ちながらも西洋人の雰囲気を漂わせるのが長沢家の一族なのだ。
梨本家の顔立ちだとはいえ、さすがに初孫はかわいいのだろう。いざ孫を目の前にすると肉親の愛情には勝てなかったようだ。父は私が家に電話するたびに、さもうれしげに「正道」と名づけられた初孫の近況を語って聞かせた。私にはどうでもいいことに思えたが、父はまだ言葉も話せない赤ん坊に、
「あの子は将来大物になるて。そんげん顔してるて。何せあの梨本の血が入ってるすけな。」
と最大級の賛辞を捧げた。
私が初めて新潟の梨本家へ招かれたのは倫子が結婚して数年経ってからのことであった。正道の小学校入学のお祝いをするからぜひお越しいただきたい、との梨本家からのお誘いであった。ゴールデンウィークの真ん中の春のポカポカした陽気の日で、当時私は高崎で大手メーカ系のソフトハウスで働いており、ゴールデンウィークは会社の仲間達と海外旅行する計画であったが、父母からの再三の要請に折れ、ようやく重い腰を上げたのであった。
父が珍しくスーツにネクタイという姿で出かけようとするので、
「何だい、そんな格好してかなくちゃダメなのかい?」
と聞くと、母が
「当たり前らねかて、よその家にお呼ばれするがあすけん。」
と返す。見れば母もまた小奇麗なスーツを着、安っぽいアクセサリーなどつけて濃い化粧を施している。父の実家へ行くときに二人がそんな格好をしたことはこれまで一度だってない。その旨を二人に言うと、二人とも黙ってしまった。背広など持たず気軽な気持ちで帰郷した私が真っ赤なチェックのオープンシャツに紺のブレザー、薄汚れたジーンズにデッキシューズという姿で出かけようとすると、
「何だ、おめえ、背広ぐれえ持って来んかったがあか。」
と、逆に父にたしなめられてしまう始末であった。
倫子はそのときすでに二児の母となっていた。長男の正道を生んだ三年後に産んだ女の子は、ヒラガナで”あずさ”と名付けられた。あずさは倫子に似ていた。倫子夫婦が一家総出で長岡の家に来ると、母はあずさを「みっちゃん」と子供の頃の倫子と呼び間違え、
「アラ、また間違えたてェ。だってそっくりらすけ。」
と笑いながら謝ることがたびたびあった。そのときの母のうれしそうな表情を私は忘れることができなかった。
梨本の家は阿賀野川の支流の小さな川の土手沿いにあった。広い敷地の古い屋敷で、屋敷の周りを楢や栗、ブナなどの様々な樹木が取り巻いていた。庭は十分に手入れが行き届いており、間に石畳の小道が敷かれ、座敷の縁側まで続いていた。石畳の両側に一本ずつ石の灯篭が立っていた。縁側からは、土手を借景した日本庭園を挟んで、奥の左手に大きな土蔵、右手に青々とした竹林が見渡せた。竹林を背に左手、ちょうど屋敷の右にまがったところに小さな中庭があった。中庭には小さな畑が耕されており、野菜の自家栽培を行っていた。この畑の手前にはついこの間まで大きな柿の木が立っていたが、父の転落事故で切り倒してしまったらしい。今は大きな鯉幟が立っている。
父の転落事故の顛末はこうである。気のいい父は孫達に柿の実をとってくれとせがまれ、運動神経のいいところを見せてやろうと、年甲斐もなくこの柿の木に登り、足を滑らせて真っ逆さまに落ちてしまった。落ちた際、柿の木の又に頭を挟まれ、ちょうど頭を支点に木の又の間に逆立ちした格好になり、足をじたばたさせていたらしい。倫子と孫達に何とか救出され、真っ赤な顔で畑に座り込んでぐったりしている間に母が救急車を呼んだ。そのまま新潟市内の救急病院に運ばれたが、幸いなことに軽い打撲で済んだ。今となっては滑稽にも思える話だが、父はそのとき、これで自分は死んだと本当に思ったらしい。母は、
「柿の木から落ちて、かえってボケが直った。」
などと今でも軽口を叩いている。
梨本家の人々はすでに全員座敷に集っていた。みな背広姿であった。倫子は美しい着物姿で出迎えた。私はいまさらながら場違いな自分の格好に気が引けた。広い玄関口から座敷に通された父母と私は、まず梨本家一同に向いて正座し、深々と頭を下げて、
「本日はお招きいただきましてありがとうございます。倫子がいろいろとご厄介をおかけしておりまして・・・。」
と、丁重な挨拶をした。それがこの家の流儀なのだと悟り、私もあわてて同じように頭を下げた。梨本家の親族一同、同様にかしこまって正座していた。甥っ子たちまで正座して頭を下げている。子供の頃からこうやって躾けられるのだな、かわいそうなものだと私は思った。親戚の人たちは結婚式で一度会っているはずだが、私にはほとんど初対面のようなものだった。もうすぐ七十になる正明の父がしわがれ声で父の挨拶に返す。
「こちらこそ、本日はご多忙のところこんなに遠くまでお足をお運びいただきまして、ありがとうございます。先日は正道に過分な贈り物を頂戴しまして、ありがとうございました。」
過分な贈り物というのは、床の間に飾ってある五月人形と徳川家康の兜のことを言っているのだろう。端午の節句に父が正道に贈ったものらしい。その床の間の壁には、なにやら由緒ありげな中国山水画の掛け軸が飾られている。隣の違い棚には大小さまざまな骨董の類が並んでいた。いずれも高そうな品物だ。鴨居には額に入った書が数枚かけられており、そのうちのひとつには、雄大かつ厳格な字で『希典』と銘打たれている。乃木将軍にちがいない。とりわけ目を惹くのは、菊の御紋とともに毛筆で『朝臣 梨本正太郎 従七位下ヲ下賜ス』とか何とか書かれた色紙だ。薄緑色の勲章のようなものと一緒に額に収められている。父はこれを見て、
「梨本のお父さんは天皇陛下の家来か何からろうな。陵輔、おめえ、あれがどういう意味かわかるか?」
と私に聞いてくる。私は適当に答えたが、果たして現代にもこんな律令制の官位制度みたいなものが存在しているのかどうか、見当もつかなかった。
私は梨本家と長沢家とを比較せずにはいられなかった。長沢家はもともと農家の一族だ。確かに戦前は地主であったとはいえ、挨拶ひとつとってもこのような格調高い挨拶が父の実家でやりとりされる光景を、これまでに見たことがない。これが家の格式の違いともいうものなのか。
宴会が始まった。山海の珍味が次から次へと美しい漆塗りの食器に盛られ、金箔のお膳で運ばれてきた。まめまめしく立ち働く女性達の中に晴着を着た背の高い倫子の姿もあった。正明の父が乾杯の音頭をとった。酒が進むにつれてみな多弁になり、当初梨本家と長沢家とを隔てていた格式の壁が徐々に取り払われていくように見えた。一人だけ場違いな格好をした私は引け目を感じて運ばれた料理を黙々と食べているだけだった。正明の父と私の父は政治談議に花を咲かせていた。隅のほうでは正明が隣の初老の人と楽しげに話している。子供たちは隣の部屋でテレビを見ながら食事をしている。
黒ぶちの眼鏡をかけた男が勺をしに私のそばに来た。赤い顔をしてヘラヘラ笑いながら何度も頭を下げ、ビールを勧める。
「長岡のお兄さん、まあひとつ。私、正明の姉の夫で、田中孝雄と言います。正明と一緒に中古車のディーラー会社をやってます。今日はわざわざ群馬から来ていただいたとか。どうもありがとうございます。」
さほど酒を飲めない私は、帰りの車を運転しなければならないことを口実に断ると、手早くビール瓶を小脇に置いて、
「あ、それじゃあお茶にしますか。おうい正江さん、ここ、お兄さんのところにウーロン茶持ってきて。」
とパンパンと手を叩いて正明の姉を呼ぶ。正明の姉はウーロン茶を持って来、そのまま居座った。私は正明の実姉と義理の兄とを相手することになった。姉は私が倫子に似て美男であると言う。半分は社交辞令だとしてもややうれしくなる。二人ともかなり私に気を使っているのが察せられる。話題は倫子に及ぶ。
「いやあ、倫子さんには本当に感謝してるんですよ。倫子さんはパソコンができるので、私の会社の事務方をちょっと手伝ってもらってるんです。それまではこいつが帳簿をつけていたんですが、なんとかいう会計ソフトを倫子さんに入れてもらったおかげで、かなり楽になりました。何でもお兄さんもコンピューターの会社にお勤めだそうで。」
「はあ、高崎でSEやってます。」
「やっぱりお忙しいんでしょうね、いやあ大変だ。ひとつこれからも末永くお願いしますよ。」
以前、倫子は正明が中古車会社を経営していると話していたが、その会社がこの義兄の言う会社なのだろうか。正明は自分で会社経営してるのでなく、義兄と共同経営してるということなのか。それを問うてみたかったが、あえて避けた。
それにしてもこの孝雄という義兄、なんと腰の低い男だろう。いつもニコニコ笑顔を絶やさず、もみ手をしながら話しているようにさえ見える。まさしくコメツキバッタというやつだと私は思った。もしかしたらこの人も梨本家から嫁をもらう際に格式の違いを思い知らされたのかもしれない。そして家庭内では妻に父の偉大さと比較されて、卑屈になっているのかもしれない。梨本家における彼はいつもこんな態度なのかもしれない。
いやいや、決してそうではあるまい。本当の商売人というのは、押しなべてこのような人たちなのかもしれない。正明の父にもどことなく同じような雰囲気を感じ取ることができる。ここがサラリーマンと個人経営者の違うところだ。
三人の会話は長く続かなかった。夫婦が去って再び退屈になった私は、正道がそばを通ったのをこれ幸いとばかり声をかけた。
「おい正道、おじさんと野球やるか?」
梨本家の庭は子供がキャッチボールをやるに十分な広さがある。正道はピンク色に輝くゴムボールと黄緑色のビニールでできた小さなバットを持ち、顔を輝かせて俊について来た。いそいそと庭に出て行く正道を見て、「あたしもやる」と、あずさまで一緒について来た。まだ小さいあずさを球拾い係の守備に回し、私が下手投げで放ったゴムボールを正道が打つのだが、空振りばかりで、ろくにバットに当たらない。後ろへそらしたボールを正道は何度も追いかける。白ワイシャツに赤い蝶ネクタイを結び、ガーターベルトで半ズボンを釣った姿のまま、大声上げて庭を走回る。
「何だ、正道、バットにかすりもしないじゃないか。へったくそだな。」
「おじさんがもっといい球投げてくれればちゃんと打てるんだよ、おじさんがへたくそなんだよ。」
鼻っ柱の強いやつだ。かなり甘やかされて育てられたと見える。
ふと見ると、小学生用の学生服に身をつつんだ正道の姉の子が玄関に出てきていて、キャッキャとはしゃぐ正道とあずさを、さもうらやましげに眺めている。私は気を聞かせて
「君もやるかい?」
と声をかけたが、黙って首を横に振る。ずいぶん暗い子だと私は思った。この子はその後、登校拒否児童になった。現在は二十歳をとうにこえているはずだが、いまだに定職につかず、いわゆる“ヒキコモリ”の生活を送っているとのことだ。
庭が騒がしくなってきたせいか、大人たちが縁側に出てきた。その中にいた母が、
「まあちゃん、おばあさんと野球やろうて。」
と言って、そそくさと玄関から外へ出てきた。母は宴会の間中、ずっと猫をかぶっていたようだ。私同様、できるだけその場にいたくなかったのにちがいない。しばらく正道とキャッチボールをしたが、そのあまりのへたくそさに
「やっぱりおじさんとやる。」
と愛想をつかされてしまった。仕方なしに母はあずさを連れて土手に上がり、道端に咲くシロツメクサやすみれなどを摘んでいた。すでに春の陽は傾きかけ、川面は黄金色に輝いていた。
洋服に着替えた倫子と正明が外に出てきた。久しぶりの運動でかいた汗をふきながら、私は野球ができるほど広い庭があることがうらやましいと褒めた。すると正明は言った。
「いや、これだけ広いと手間ばっかりかかって、どうしょうもないですよ。オヤジの趣味だから何も言えないですけどね。ずいぶんと金もかかってますよ。」
「庭もすごいですけど、座敷の骨董品とかもすごいですね。」
と私が言うと、
「あれよりすごい宝物がこの蔵ん中にたくさんありますよ。」
と正明は言う。
正明の言によると、自分は梨本家の十一代目に当たるが、この土蔵は江戸時代の初代からあるもので、中にどんな宝物が納められているのか、父でさえはっきり把握していないとのことである。その中でも伝説とされる珍品がある。それは、ダイヤモンドやらルビーやらで目いっぱい装飾を施された純金製の王冠で、何代か前の先祖が借金のカタに巻上げたものらしい。正明の祖父が盗難に合わないよう、どこかに隠してしまったのだが、現物を見たことがあるのは、今や正明の母以外いない。それも何十年も前の話で、まさに伝説の一品というわけである。
「きっと、じいさんこの辺のどこかに埋めたに違いないんですわ。」
以前に一度、宝探しと称して家中隈なく探したが、結局王冠は見つからなかった。そのときこの蔵の中に入ったことがあるが、蔵の中の土は江戸の昔から何百年と変わらずずっとそこに在り、庭の他の土と明らかに色合いが違っていてどす黒く湿って、なにやら薄気味悪いという。まるで生き残って後世に何事か教訓めいたものを伝えようとしているような土なのだそうだ。
他にも梨本家にはこんな伝説がある。
家の主が死ぬと、この庭の樹木のどれか一本必ず枯れるのだそうだ。正明がまだ小さい頃竹林の前に大きな楓の木があったが、曽祖父の死と同時に枯れ果ててしまった。
「たぶんうちのオヤジが死ぬと、必ずどれか一本、枯れますわ。植物も生きていて、自分と同じ時代を生きた人と一緒に一生を終えるんですね。」
鬱蒼と生い茂る梨本家の庭の樹木の中、私は不思議な感覚に捉えられた。時空を超えたいけとしいけるものの性を目の当たりにしたというか、何かこう梨本家にいまも息吹く土地の霊とでもいったものに私の存在が認知されたような感覚だった。私は現在の梨本家だけでなく、その土地の霊にさえ卑屈にされたのかもしれない。
帰り際、筍をお土産に持って行けというので、正明と竹林に行った。筍はまだ小さく、赤茶けた土の上からすまなそうに可愛らしい頭をのぞかせていた。
「放っておくとここまで全部竹になっちまう。」
と言って、正明は地面に勢いよく鍬を突き立た。そして、まるで人の首でも狩るかのようにざっくざっくと根元の奥のほうから筍を掘り起こした。切り離された筍はみずみずしい薄黄色の素肌を空気にさらし、次から次へと地面に放り投げられた。両手いっぱいにかかえた筍からは、淡い精液の匂いがした。
帰りの車の中、私は梨本家の伝説のことばかり考えていた。わが一族には果たして伝説らしきものがあるのだろうか。そもそも伝説とは次から次へ世代を超えて伝えられる言葉たちだ。梨本家の伝説に対抗するには、これから自分が新たな伝説を作り上げるしかない、と私は思った。まさか自分がこの十数年後、まったく同じ伝説に不意打ちされようとは、そのとき想像だにしなかった私であった。