結婚篇
妹の倫子が最初の結婚をしたのは私が大学三年の春、倫子は十九歳だった。結婚相手は三十一歳、干支で言うと倫子の一回り上のウサギ年に当たり、私より十歳年上だった。義理とはいえ自分より十も年上の弟ができることに私は妙なとまどいを覚えた。義理の弟は私のことを何と呼ぶのか、そして私は彼を何と呼べばいいのか、想像もできなかった。
義理の弟になる正明は父親が経営する運送会社の重役だった。自分でも中古車販売をはじめ、レンタルレコード店や弁当屋などを多角的に経営しているという。いわゆる地元経済界の名士で、新潟市内の高級ホテルで催された披露宴はまことに豪勢なものだった。
結婚式の司会者は正明のこと「青年実業家」と紹介した。その言葉は当時大学生だった私に卑屈な気持ちを抱かせた。
「あたしが選んだ男性は兄貴なんかよりずっとすごい人なのよ」
倫子が暗にそんなふうに言っているように思えた。来賓には市会議員も来ており、スピーチでは新郎のマイク音が割れるくらいの大声で人間的なすばらしさについて語った。語るというよりどなりまくっている感じで、新郎よりもむしろ選挙演説のように自分を売り込んでいるように見えた。
私は倫子の結婚を喜ぶでもなく悲しむでもなく、披露宴の様子をごく冷ややかに眺めていた。その態度は来賓客に不遜に見えるだろうと思った。会場のみんなが自分を敬遠しているように思われた。
結婚式が始まる前、親戚一同が親族控室で待つ間に軽い地震があった。
「おや、地震らて。」
「結構揺れるねっか。」
「初めっからこんげ地震があるようらと、この先はどんげになることらろの。」
親戚は口々に囁きあった。
そもそもこの結婚には両親、親戚一同、みな猛反対であった。
倫子は子供の頃から大柄で、中学入学の頃には伸張が1メートル75センチあった。足が速くまた運動神経がよかったので、陸上競技部に入部した。これはまた父のたっての願いでもあった。
一年生ながら初めて出場した市内大会で走り幅跳びの県記録を出して優勝した。その後も出場する大会大会ことごとく優勝し、生徒数が千人を超えるマンモス中学校の中にあって倫子はとびぬけて目立つ存在となった。
倫子の入学によって私の生活も変わってきた。さして親しくもない同級生の男達が妙に親しく声をかけてくるようになったのだ。女子達にキャーキャー騒がれるような目立つ男子というのがどの学校にも何人かいるもので、そんな奴らを私は遠くから憧れと羨望をもって見ていた。そんな女生徒のアイドル的な連中までが大人しく目立たない存在だった私に急速に接近してきたのだから、倫子の影響力たるやすごいものがあったのに違いない。
おそらくアイドル男連中はこんなふうに語り合っていたのだろう。
「おい、あの優勝した一年のでっけえ娘、ちっとかわいいねかやぁ。」
「あああいつか、おれらと同じ学年に兄貴がいるれ。」
「ほんとらか、誰ら、それは?」
「五組の長沢らいや。」
「長沢?知らねえなァ・・・。」
そう、私は昔から目立たぬ存在だったのだ。倫子は逆に派手好きで、小学校の頃からけっこうモテていた。
倫子が変にモテてることを初めて知ったのは、小学生の頃、学校のそばの神社のお祭りに倫子を連れて行ったときだ。
倫子が出店で女の子のオモチャを見ているとき、私のすぐそばで年下の男子達が「おい、長沢倫子が来てるぜ」と噂し合っているのを耳にした。その兄が自分たちの目の前にいることを、彼らはまったく知らなかったようだ。
父も若い頃陸上競技をやっていた。父は自分の果たせなかった夢を倫子に託したのかもしれない。倫子を県内の体育系の高校に入れ、大学を出て、末は体育教師になってほしいと願っていたようだ。この結婚でその夢はもろくも崩れ去ってしまった。
高校時代、倫子は東京のW大の陸上部の学生とつきあったことがある。父はそのカレには好感を持っていたようだ。倫子のカレシの話を父から聞かされて、W大受験に見事に失敗した私はやっぱり卑屈な気持ちを抱いた。
しかしそのW大生のカレと倫子は結局うまくいかなかった。三十一歳の青年実業家とつき合い出したのはその直後あたりからだったらしい。
「W大のカレとうまくいかんかったすけ、あんげな男にだまされたがいや。寮になんかに入れねえで、家から通わせれば良かったいや。」
父はそう嘆いた。
倫子から私あてに手紙が届いたのはちょうどその頃だ。手紙に倫子曰く、
今真剣につき合っている人がいます。
その人はわたしより一回りも年上で会社を経営しています。
今すぐにでも結婚したいと思っているのですが、お父さんもお母さんも許してくれませ
ん。
お兄さんも知ってのとおり、お父さんは心の狭い人です。
じぶんの思い通りにならないことはすべて反対で、わたしの気持ちを聞いてくれようとさ
えしません。
お母さんは心の広い人ですので、お母さんには正直な気持ちをすべて打ち明けています。
でもそのお母さんでさえ、いますぐ結婚するのには反対しています。
結婚するにしても体育大学を卒業して教員免許を取ってからと言っています。
お兄さんはどう思いますか・・・
私を兄と見込んで、倫子は涙ながらの相談を持ちかけてきたのだ。にもかかわらず私はすぐに返事を出さなかった。あまりに突然の出来事に何も判断することができなかったのだ。いろいろ考えることはあっても、それを言葉に表したらすべてそれに規定されてしまう。また言葉の流れについ従ってしまって、本来言いたい気持ちと違うことが手紙に書かれてしまうように思われる。この世にただ一人の妹のことだけに、事はそんなに単純ではないはずだ。いや、それは単なるいい訳だろう。はっきり言って自分のまとまらない気持ちを書くのが面倒くさかったのだ。
倫子にようやく返事を出したのは、手紙を受け取って1ヶ月近くが経ってからだった。今、私はその内容をまったく覚えていない。ただ、当時ブンガクバカだった私は、自分の複雑な気持ちを何とか伝えるべく、またオレはこんなに勉強してこんな表現ができるんだぞ、どうだ兄貴はすごいだろうと喧伝すべく、やたらに難しい理屈をこねまわして、根本的な問題解決法を煙に巻いてしまった印象だけが残っている。要は、いま自分のことで精一杯でお前の行動を判断できない、ということだったようだ。まこともって冷たい兄であった。
倫子に返事を出してからしばらくして、父から電話があった。明日倫子の結婚の件で親族会議を開くから今日中に長岡へ帰って来いという。
新聞配達のアルバイトでなかなか抜けられないところを店の好意で休暇をもらい、早急に帰長した。真冬のことで、当時まだ上越新幹線が開通しておらず上野駅から特急「とき」に乗り清水トンネルを越えた時、川端康成の小説のすごさを感じたりした。新潟は吹雪であった。墨絵のような新潟の景色が車窓に現れたとき、乗客の間から一斉に「おおっ」というため息が漏れた。つい先ほどまで群馬の山々の上にはカラリとした青空が広がっていたのに。
親族会議には父方の親戚の主だった面々が集まった。みんな倫子を説得しようと必死だった。倫子は彼らの前で涙を浮かべ、うなだれていた。母は泣いていた。父はどなりまくっていた。泣いてはいたが、倫子は誰が何を言っても頑として聞き入れなかった。私はほとんど意見を言わなかった。
話の流れで倫子から私にあてた手紙の件が出た。兄貴に相談したのか、と問われたのだ。私は一瞬どきっとした。倫子は言った。
「だってお兄ちゃん、返事全然くれなかったじゃん。」
私は何も言えなかった。
暗い座敷の大きなテーブルを囲んで、泣きじゃくる倫子、声を荒げる父、鼻をすする母、必死に説得する伯父と従兄達・・・。そんな光景を見ながら、私はまるでテレビのメロドラマのようだと思った。座が静まると石油ストーブにかけられたヤカンから蒸気の噴き出す音がさびしく聞こえた。会議は深夜に及んだ。伯父の一人が言った。
「倫子、そんなに言うがあきゃ、相手の男の本当の気持ちを確かめんきゃならねえだろう。いまみんなに言われたこと、その男に電話してちっと相談してみれ。」
正明への電話を終えて戻ってくると、倫子は
「これからこっちへ来るって。」
と言った。みんな一瞬身構えた。
すでに深夜1時を回っている。新潟市内から長岡までどんなに車でとばしても1時間半はかかる。大急ぎでかけつけた正明は主だった親族一同の前で深々と土下座して言った。
「倫子さんを幸せにします、どうか結婚させてください。」
やはりメロドラマだと私は思った。
一晩を徹して行われた親族会議の結果は、結婚は許可する、ただしすでに体育大学の推薦入学が内定しているのだから大学を卒業するまで待つ、その間二人がつき合うことは認める、という至極妥当なものだった。
倫子が正明に連れられて帰った後、父は私に言った。
「どうせ東京出ればあいつのことなんか自然に忘れるいや。他にいい男もいっぱいいるろうしな。まあ4年もあるすけな。」
この結果に落ち着かせるのに最も貢献したのは、隆治伯父だった。隆治伯父は六人いる父の兄弟の上から二番目で、長岡のはずれのYという小さな町で郵便局長をしていた。他のみんなは理屈で説得しようとしていたが、この人だけは倫子と正明の感情にうったえかけたのだった。
「倫子、お前たちの考え方がまじめらということは、おじさん、よおくわかった。こんな誠実な人を選んだお前は立派らこてや。正明さんはお前を絶対に幸せにできる人らとわかった。本人もいまみんなの前でそう誓ったねかや。お父さんもお母さんもその気持ちよくわかったすけ、もう結婚に反対しねえろう。本当に好きなもん同士結婚するのが一番みんなによろこばれるこてや。
だけどお前達ももう大人んがあすけ、もうちっと考えてみてくんねえか。お前はもう体育大学に推薦が決まってがあろ?推薦取るために先生やお父さんお母さんがどれだけ苦労したかわかるか? いま結婚して大学行かんかったらお前、お父さんやお母さんが一生懸命に働いて育ててくれたお前の人生を、お前が自分から壊すことになるねかや。おんなじに結婚するがあきゃあ、みんなに迷惑かけて結婚するよか、ちゃんと大学を卒業して体育の先生になって、みんなから祝福されて結婚したほうがよっぽど幸せらこてや。大学の四年間なんてすぐ終わる。伯父さんは陸上であれだけがんばった倫子だったら四年ぐれえ我慢できると信じてる。
正明さん、悪りィろも四年だけ待ってやってくんねえか。その間ぜったい会っちゃだめらてわけじゃねえし、もうちっとしたら新幹線ができる。そうすりゃ東京と新潟なんかすぐらこてや。いつでも会えるねかて。」
隆治伯父は、新潟弁特有の歌うようなやさしい口調で倫子と正明氏に語りかけた。隆治伯父の言葉に感銘した二人がようやく折れた頃はすでに長い夜が明け始めていた。
その隆治伯父は、倫子が無事体育大学に入学したその年の春に死んだ。ガンだった。父の兄弟の中で、戦死以外で亡くなった初めての人であった。
隆治叔父の葬式は、暖かくなったとはいえまだ日陰に汚れた残雪が残る頃にしめやかに執り行われた。喪服すら持っていない私は、大学通学用の一張羅のカラーシャツにジャンパー、ジーンズに汚れたスニーカーといういでたちで葬儀にかけつけた。倫子も来ていた。さすがに隆治伯父への感謝とお詫びの気持ちがあったのだろう。
「お前、今日だけは一日家にいてくんねえか?」
一通り葬儀が終わった後母がそう言うと、倫子は言った。
「実はこれから正明さんと会うことになってるんだわ。せっかく新潟まで帰って来たんだしね。明日、試験なんよ。今日中に東京に戻らんばなんねんだわ。」
「あきゃ〜、そいがあけ。じゃあ、お兄ちゃんはどいが?」
「おれも明日からまた新聞配達あるんで、今日中に帰るよ。」
「そいじゃあ二人で一緒に帰ればいいねかね。倫子は新潟から電車に乗るがあろ? お兄ちゃんに自由席、取っといてやればいいねかて。たまには兄妹二人、じっくり話しながら帰ってみれさ。」
倫子が帰ってしまうと、母はこっそり私に言った。
「お兄ちゃん、倫子と二人で話してみて、後でどんな様子らか知らせてくれね。あたしらには言えねえこともあんたには言うかもしれねえすけ。」
東京へ向かう電車の中、私は倫子と隣合わせに座った。隣の派手な洋服の女が自分の妹だとは到底思えなかった。兄妹らしい会話はほとんどなく、倫子の心がすでに正明に占領されていることが感じられた。倫子が急に大人びたように感じた。一緒にいると倫子の立派さに比べて自分がいかに卑屈な存在であるか、身にしみて感じられた。もしかしたら倫子は、私の体からじんわりとにじみ出る卑屈なにおいを嗅ぎ取り、兄というより男として自分のそばにいたくないのではないか、そんなふうにまで思われて、私は悲しかった。
長岡を発ったのは夕方だったのに、窓の外はすでに真っ暗になっていた。窓ガラスに張り付いた水滴が流れ出し、くねくねと黒い筋を作っていた。東京へ着くまでの間、倫子は窓の手摺にほおづえをつき、顔を傾けて黒い筋の向こうに見える暗い景色をずっと眺めていた。正明との思い出にでも耽っているのだろうか。兄らしい言葉の一つもかけてやらねば、という使命感のようなものから、私は倫子に聞いた。
「おい、正明さんって、何の会社をやってんだ?」
「いろいろ手広くやってんだわ。お父さんの運送屋も手伝ってるし、自分で中古車のディーラーもやってるし、あとレンタルレコードと弁当屋。あたし、高校時代にレンタルレコード屋でアルバイトしてたんよ。」
倫子がレコードを探していると正明のほうから声をかけてきたという。
「会社のほうは景気いいのか?」
「あの人、けっこうお客さんとケンカするんだわ。それで損すること多いがあて。」
「商売人にしちゃ器用なほうじゃないのかもな。」
「まあ、そういう人らっけんね。」
正明がお坊ちゃん育ちで我慢が苦手なのではないか、経営者としてはちょっと不安だ、ということを私は暗に倫子にうったえたのだが、倫子は欠点も含めて正明のすべてを肯定しているのだった。すでに倫子をこちら側に引き戻すのは不可能で、倫子にとって正明以外の男は、兄である私を含めてみな同じに見えるのにちがいない。親族会議では二人の間に肉体関係は一切ないと強調していた倫子であったが、私にはとても信じられなかった。
倫子はその後、誰に相談することもなく勝手に大学を中退し、1年近くの間われわれから行方をくらました。翌年の冬ようやく見つけ出した時、倫子はすでに妊娠していた。どうやら倫子は新潟市内にアパートを借りて、正明と二人で暮らしていたらしい。倫子の陸上部の旧友から母がこっそり居所を聞きだしたのであった。
「倫子、お前という娘は!」
母は嫌がる倫子の手を引っ張り、アパートの前で何度も平手打ちを食わせたそうだ。母は涙を浮かべて一部始終を私に語った。
「そのときに気がづいたがあて。倫子、お前なんだかお腹大きいがねえけ、と聞いたら素直に白状したて。まあほんっとに思い切ったことをする娘らて。こうなったらもう結婚させんきゃだめらねえ。」
私は倫子のメロドラマのような生き方をうらやましく感じた。倫子くらいの意思と行動力が自分にあれば、何でもできるように思った。
結婚式はつつがなく終わった。父は親戚一同を引き連れ、逃げるようにマイクロバスに乗り込んだ。その際、運転手に五千円のご祝儀を手渡した。運転手が固辞すると、
「いや、お祝いらすけ、受け取ってくんなさい。」
と言った。母が
「そんげ、関係ない人にまでお金やらんたっていいねかて。」
とたしなめると父は、
「バカ、こんげん時に金をけちってどうする。みみっちい女らいや、ナ(おまえ)は!」
と自分で自分を納得させるように答えた。
結婚した年の夏、倫子は長男を生んだ。正明の家は初孫の誕生を盛大に祝ったそうだ。生まれてきた子を見て、父は私に
「ぜんぜん倫子に似てねえがいや。」
と報告した。子供の頃の倫子のような愛くるしい顔立ちを期待していたのだろう。そうは言うものの、さすがに初めての孫の誕生はよほどうれしかったものと見える。たいそう立派な祝いの品を贈り、孫のためと言ってたびたび倫子に少なからぬ小遣いを渡していた。倫子は大いに喜んだが、父は私にこうこぼした。
「正明、倫子に小遣いやってねえみてえらな。旦那様の家らすけ、嫁に小遣いは要らんてがあろかな。」
「ああいう家は逆に金勘定にはうるさそうだよ。会社経営してんだろ? 資金のヤリクリとかで大変なんだよ、きっと。人を使ってんだから、給料もはらわなきゃいかんしね。嫁なんて人件費なしで働くいい社員みたいなもんじゃないの?」
私はそう答えたのであった。
三年後、倫子は女の子を産んだ。この子は倫子そっくりで、母は倫子が家族で来るたびその子の名前を「倫子」と呼び間違えていた。
結婚して二十年めになる昨年の春、正明の借金が原因で倫子は離婚した。そしてその半年後、まったく別の福島出身の男性と再婚した。どうやらその男性も私より年上らしいのだが、新しい弟となるその男に、私はいまだに会っていないのである。




