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軌跡と行方  作者: ろく
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皇紀648年 桜の月 明け方


 夜明けが近い。どこからかやってきた烏が、骸に群がっている。

「どけよお前ら」

 それを多兵衛が、力なく追いやっている。

「どっかいけって」

 鞘を振れば、一度は羽ばたき姿を消すも、烏はすぐに舞い戻ってくる。

 やがて多兵衛は諦めて、腕を下ろした。喉を引き攣らせて笑い、烏が仲間の骸を喰らうのを眺めていた。

 その様子を、宗吉は黙って見ている。烏を射る事もできた。そうしたかった。だが、骸の為に使う矢は無い。その余裕は無い。

 圧倒的な物量差だった。流石《蔡》は大帝国と呼ばれるだけある。どれだけ皇国が援軍を募ろうとも、どれだけ辺境公の獣衆が精強だろうとも、日に日に皇国が疲弊していくのを宗吉は肌で感じていた。

 傭兵団も、当初に比べて随分と数が減った。死んだ者もいる。逃げ出した者もいる。正確な数は把握していない。とにかく、数は減った。

 元を辿れば、傭兵団は杵達の生徒であった者達が多い。かく言う宗吉と、多兵衛もそうだ。杵達は親のいない宗吉や多兵衛のような子供たちを引き取り、親代わりとなって育ててくれた。

 その杵達はもういない。死んでしまった。

 磊落な人だった。六十路も近いというのに歳を感じさせなかった。堂々たる体躯と虎鬚は見るからに強面だったが、子供たちと戯れている時はどこか幼さを感じさせる、あたたかな笑顔になった。

 優しい人だった。

 多兵衛は幹に背を預け、長く息を吐きながら、ずるずると滑るようにして腰を下ろした。

 杵達から団を預かって以来、多兵衛は随分と痩せた。いや、痩せたというよりも、やつれた。

 生き生きと輝いていた目は落ち窪み、頬はこけ、顎にはまばらに無精ひげが散っている。

 それが、団を預かった重圧の所為かどうかは分からなかった。ただ、ひたすらに多兵衛は疲れきっていた。

「飲むか」

「……おー……」

 酒の入った瓢箪を渡せば手に取るも、多兵衛は口をつけようとしない。しばらくして重たげに腕を上げて口に運んだが、酒は多兵衛の口の端から零れ落ちて具足を濡らした。

 それを咎める気にはならなかった。烏の羽音がする。ギャアギャアと鳴いていた。

 骸もまた、杵達の生徒だった男だ。二十一になる宗吉や多兵衛より二つほど若かった。弟分だ。年齢よりも若く見える容貌を、彼は気にしていた。その顔はもう烏に食い荒らされてしまっている。

「……ひひっ」

 多兵衛は口元を乱暴にぬぐって、笑った。何故笑ったのかは分かるような気もしたし、分からないような気もした。

 瓢箪がごろんと多兵衛の手から落ちる。それを拾うでもなく眺めやる多兵衛の頬には、未だ笑みの欠片が貼りついている。

 それが妙に悲しかった。宗吉は転がった瓢箪を拾い上げ、己もまた酒を飲む。ただ強いだけの酒精は不味く、舌に苦かった。

 桜の花びらが花風に散り、篝火に舞い落ちる。じ、と微かな音を立てて桜は灰に姿を変えた。

 本来ならば今日の不寝番は多兵衛の番だ。だが宗吉は己もと、手を挙げたのだ。

 多兵衛も宗吉も、今の傭兵団の二本柱だ。だからどちらかが不寝番を勤める時は、必ずどちらかは休むようにしていた。

 だが多兵衛はもう限界だ。いつ崩れてしまうか分からない。皆のいる前では常と変わらぬよう振舞っている(つもりなのだろう)が、彼は見るからに憔悴しきっている。今の彼に、不寝番は荷が勝つだろうと思われた。

 その見解は宗吉だけが抱いているものではない。宗吉が己もと言った際、口を挟む者は誰もいなかった。

 限界だと知らぬのは、きっと多兵衛ばかりだ。

 多兵衛は腕も脚も投げ出し、ぼんやりと篝火を眺めていた。炎に舐められ花弁が灰へと姿を変える様を、ただじっと眺めている。

 多兵衛の手のひらに、ひらりと花弁が舞い落ちる。

 多兵衛はゆっくりと花弁を握った。小指から薬指、薬指から中指。一つ一つの指をゆっくりと折り曲げて、まるで抱きしめるように桜の花弁をそっと握りこんだ。

 薄い唇には僅かな笑みが刻まれていたが、きっとそれを多兵衛は知らない。ただ、宗吉だけが知っていた。

「……ちょっと小便行ってくらあ」

 どっこいせ、と気の抜けた掛け声と共に多兵衛が立ち上がる。丘へと向かうその背を、宗吉はじっと見つめる。

 花弁を握っていた多兵衛の拳がほどける。ほどけて落ちる。花弁が土へと舞い落ちる。

「多兵衛」

「んあ?」

 思わず宗吉は呼び止めた。自身でも驚くほどの強い声音だった。

 その手のひらを掴み、行くなと懇願したかった。

「……いや」

 だが宗吉は首を振った。何だよ、と多兵衛は眉を寄せて苦笑する。久方ぶりに見た、多兵衛らしい笑顔だった。

 そうだ。彼は昔、こんな顔でよく笑っていた。昼飯を忘れた生徒に、仕方ねえなと笑って己の握り飯を分けてやっていた。闇夜に震えて厠へ行けぬ宗吉の手を引っ張って、仕方ねえな、と。

 多兵衛の足音が遠ざかる。宗吉は、長く長く息を吐いた。

 きっと多兵衛は戻ってこない。理由は知らない。直感だ。

 だが、それも良い。それで良い。もう良いよ多兵衛、どこへでも行けば良い。もう、苦しまなくて良い。

 山の稜線が明けに染まり始める。空を覆っていた夜が薄まり、次第に朝へと色を変えていく。

 桜の木々の隙間から、暁光が零れ落ちる。朝風に舞う花弁が、光りを生み出し始めた空を目指して流れていく。

 薄紅の花弁は、朝に焼ける空を祝福しているかのようだ。歓喜し歌い、枝葉を揺らして花弁を散らす。

 宗吉は立ち上がった。篝火を消す。馬蹄の響きが大地を揺らしていた。

 気がついたのだろう団員たちが、緊張した面持ちでやってくる。

 宗吉の周囲に集った傭兵団は怪訝な顔をした。多兵衛の姿を探しているようだった。

「小便だ」

 すぐに戻ると告げれば、ほっとした面持ちを見せる団員たちだ。しかし数名は、何かを察した様子だった。

 宗吉が何も言わずとも、皆は装備の点検を始めた。宗吉もまた太刀を佩き、合印を兼ねての鉢巻を強く巻く。

 木々の隙間から、平原を見下ろす。騎馬兵は少ない。歩兵が主の部隊だ。

 平原には昨夜の戦闘の爪あとが残されていた。あの屍の群れの中には、連れ戻れなかった仲間達もいる。

 帝国兵は屍を突いて、生死を確かめていた。そして相手が屍だと分かるなり、身ぐるみを剥ぎ始める。

 残された丸裸の屍は、烏の餌食となるばかりだ。ギャアギャアとやかましい鳴き声がこちらまで届いた。

 宗吉は舌を打った。無意識だった。背後に感じる仲間達の怯えすらも、どうにも疎ましく感じるようだった。

「怯えるな」

 視線が背に集うのを感じる。

「帝国は暴虐に飼い馴らされた家畜だ。家畜に怯える必要がどこにある」

 宗吉は太刀を抜いた。太刀風が春を撫ぜ、花弁をくるりと舞い上がらせる。

「行くぞ、総員駆け足!」

 切っ先で帝国軍を指し示した。帝国軍が警笛を鳴らす。

 身を隠していた樹から躍り出る。白兵戦となるだろう。

「皆殺しだ! 存分に屠り尽くせ!!」

 ひび割れる声が興奮を連れ来る。応える叫びが血を湧き立たせる。

 ツァイ・ナル・ワン・イー。叫ぶ兵士の喉を目がけて突きを繰り出す。窪みを突いた刃を薙ぎ払った。

 割れるようにして首が削げた。頬に飛んだ血の生ぬるさを感じる暇も無く、宗吉は次の死体を作り出す。

 双方の血を吸って、大地が赤黒く染まっていく。照らす暁光はただひたすらに眩い。横切る桜花は疎ましいばかりだ。

 多兵衛、お前は生きろ。どうか生きて、笑って過ごせ。もう戦わなくて良い。それは、俺がするから。

 だがもし俺が生き延びて帰れたら、その時はまた酒を飲もう。心から笑って酒を飲むんだ。

 そんな日を迎えられる事を、俺は祈るよ。

 願うよ。



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