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軌跡と行方  作者: ろく
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皇紀648年 雪の月 夕刻

 それにしても、中々に大帝国様は不躾だ。宣戦布告も無しに、蹂躙をおっぱじめるとは。

 杵達きねたつは呆れていた。呆れながら、死にかけていた。

 全く、我ながら情けない。相手が子供だからと油断した。いや、油断ではないか。情けなどというものをかけてしまったのだ。

 馬鹿らしい。杵達が逃がそうとした少年兵士は、泣きながら杵達に剣を向けてきた。

 一瞬のことだった。腹を抉られてしまったのだ。

 ああ、これは駄目だな。

 妙に客観的な頭で、杵達はそう思った。

 杵達の腹の感触に、少年は震えだした。そして結局のところ、少年は多兵衛に討ち取られてしまった。

 多兵衛は殺した後で、兵士がまだ子供だと気がついたようだった。優しい男だ。見るからに衝撃を受けていた。

 だがここは戦場だ。呆けている場合ではない。杵達は恫喝した。

 多兵衛は宗吉に頬を張られ、すぐに自分を取り戻した。そして二人は、杵達の体を助け起こした。

「じじい!」

 多兵衛が叫ぶ。

「……おう」

 しくじったなあ、と思う。情けない。そして馬鹿だ。よくこれで傭兵団の隊長など勤めていたものだと思う。

 まあ、元はといえば村の手習所の師匠である。少しばかり、武芸に通じていただけの。

「お前ら、俺を、置いて逃げろ」

「何いってやがる! ふざけんな、すぐ、すぐ治療してやるから」

 多兵衛はかわいそうなほどに青ざめていた。がちがちと歯が鳴っている。

 多兵衛は腰に下げていた瓢箪を外した。中には気つけと消毒の為の酒が入っているはずだ。

「やめておけ」

 もう助からん。

 そう続けたつもりだった。だがその声は、宗吉の叫び声にかき消されてしまった。

「ふざけるな!!」

 ぱち、と瞬く。宗吉が声を荒げるところなど初めて見た。それは多兵衛も同じだったようで、ぱちぱちと切れ長の目を瞬かせていた。

「助けます。先生、俺たちには、まだあなたが必要なんです」

 宗吉の声は震えていた。

 そう言ってくれるのは、杵達としても嬉しかった。

 だが無理だ。助からない。それは自分が一番分かっている。

 多兵衛が唇を噛みしめ、瓢箪を傾けようとする。杵達は力の入らぬ腕を持ち上げ、それを制した。

 使わぬ方が良い。貴重な酒だ。死に往く者に、使う必要は無い。

 黙って首を振る。多兵衛の目から涙が零れた。

「後は、頼むな」

 何てお約束で捻りの無い言葉だろうか。だが、伝えるべきことだった。

「……ふ、ふざけんじゃねえぞじじい。俺ァ嫌だぞ、隊長はじじいがやれよ。俺ァそんなタマじゃねえよ」

 そんな事は無い。多兵衛は村の子供たちの、まとめ役だった。ガキ大将というやつだ。勝手で乱暴だが、何故だか男連中には慕われていた。まあ、少女達には嫌われていたが。少女達には、物静かで、整った顔立ちをしている宗吉が人気だった。

 そうだ、多兵衛が傭兵団をまとめ、宗吉が補佐をする。それが一番、理想的な形である。

「頼む」

 もう一度、繰り返した。

 多兵衛は喉を引き攣らせるような笑い声をあげた。頬を歪めて、無理やりに笑みを作っている。

「ほら、行け」

 手を離す。多兵衛はぶんぶんと首を振る。涙が飛んで、手を濡らした。

 宗吉が杵達を抱え上げようとする。

「連れて戻ります」

 宗吉の泣き顔も、初めて見た。宗吉は泣かない子供だった。

「置いていきなさい」

 杵達は一瞬、混乱した。自分が言ったのではない。

 では誰が。

「あなた達は、戦いなさい」

 二人は目を瞠り、その男を見やっていた。

 彼は、猫と呼ばれている男だった。辺境公秀元の、獣衆の一員だ。優男だ。優しげな風貌からは、獣の片鱗も窺えない。

「けどよ……っ」

「彼は、私が連れて戻りますから」

 多兵衛の言葉を遮り、猫が言った。どうして、と宗吉が小さく呟く。

「仲間を捨て置けぬのは、獣とて同じです。ほら早く」

 と、猫は戦場を指し示した。周囲は傭兵団も皇国兵士も入り混じり、帝国に必死の抵抗を示している。

 二人は顔を見合わせ、そして、頷いた。死ぬなよじじい。また後で先生。それぞれ叫ぶように声を絞り、雄叫びをあげて戦場へと駆けていく。

 それを見送った猫は、杵達の腕を己の肩に回し、担ぐようにして負ぶった。

 ず、ず、と杵達の足先が地面を掻く。それもそのはずだ。猫よりも杵達はずっと大柄なのだ。

「……置いていけよ」

「嫌ですよ」

「俺は死ぬぞ」

「ええ、そうでしょうね」

「だったら何でだ」

「言ったでしょう。仲間を捨て置けぬのは獣とて同じ。そして、獣とて元は人。あなたは必ず、仲間のところへ連れて行って差し上げますよ」

 先生。

 猫は前を見たまま言った。

「……おう、そうか」

「そうですよ。お久しぶりですね」

「お前、いくつになる……」

「先日三十路を迎えました」

「そうか、そうか……」

 もう、そんなにもなるか。

 彼は、杵達が手習所を開いた際の、最初の生徒だった。あの小さかった子供が、もう三十になるのか。己も年を取るはずだ。

「なあ、頼みがあるんだが……」

「何ですか」

「故郷になあ、手習所、まだあるんだよ」

「嫌ですよ。私は先生なんて柄ではありません。私は、戦う以外にものを知りません。それも、あなたに憧れていたからですよ。ねえ虎殿」

「……相変わらず、可愛げのない……」

 思わず笑う杵達だ。それと同時に血反吐がこみ上げてきて、ごぼっと嫌な音と共に口から零れ落ちた。

 もう、息をするのも困難だ。

 虎と呼ばれていたのは、もう随分前だ。

 杵達はかつて、秀元の側に在った。だが足に傷を負い、以前のような戦働きは出来ぬようになってしまったのだ。

 そして野に下った。手習所を開き、子供を教えた。

 その最初の子供が、今や猫と呼ばれるようになり、無邪気なばかりだった多兵衛や宗吉たちも、戦を知るようになってしまった。

 ひゅう、と杵達の喉が鳴る。

 お恨み申し上げますぞ、などもったいぶった言い回しで大帝国を呪う。

 皇国は景海の碧玉とも呼ばれている。緑溢れるこの島国を、帝国が欲した理由など知りはしない。だが、美しいものを手中に収めたいという欲ならば、杵達のような俗人でも理解できた。

 だからきっと、帝国はこの美しい国を欲したのだろうと、杵達は勝手に理由をつけていた。

 本当の理由は知らぬ。理由などどうだって良い。どんな理由であれ、呑めぬことなど分かりきっている。

 奪われたくなかった。この国を。渡すつもりはなかった。

 もっと戦っていたかった。まさか、戦が開けてこんなに間もなく果てようとは、己自身思ってもいなかった。

 だが己は死ぬ。

「死ぬんだなあ……」

「そうですね」

「置いていけよ……」

「嫌です。絶対に嫌です。あなたは、仲間のもとで死ぬんです。仲間の慟哭を刻みつけながら、死ぬんです」

「……ひひ、そりゃあ、残酷な話だ……」

「ほら、もうすぐ傭兵団の陣ですよ」

 ゆするようにして、猫は杵達を担ぎ直した。

 塞がりかけの杵達の目に、帝国軍の姿が映った。

 兵士達は、弩を構えていた。

 置いていけよ、と思う。こんな死にかけのおいぼれ、置いていけよ。

 なあ、お前一人なら逃げられるだろうよ。

「嫌です」

 猫は紐で杵達の体を固定し、太刀を鞘から抜いた。

「私は猫です。辺境公鬼秀元の獣衆が猫。これしき、造作もありません」

 猫は杵達の手の上に、己の手を重ねた。

「虎に教わった武技、ずいぶんと磨きをかけたのですよ」

 どうぞ、ご覧下さい。

 まるで舞でも披露するかのように軽い口振りで、猫は言った。そして走り出す。

 シャアッと鳴声をあげるその様は、まさしく猫だった。爛々と光る目が、もう機能せぬ杵達の目にも見えるようだった。

 音がした。きっとこれは、太刀で矢を落とした音。血のにおいが立ち込めている。きっと、猫が太刀で頭蓋を叩き割ったのだ。

 お前は死ぬなよ。

 杵達は願った。声にはもう出せなかったけれど、そう祈った。

 死ぬなよ。

 どうか、この国を護ってくれよ。

 なあ、頼むぜ。



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