婚約者の私を褒めてくれない猫かぶり王子が公開告白する羽目になる話
私はいつだって、たくさんの令嬢から、婚約者の褒め言葉を聞く。
「はああん、さすが殿下ですわ。皆様ご挨拶なされまして?」
「もちろんですわ。もちろん私にも婚約者はおりますけれど、殿下の口から褒めてもらわねば、本日のパーティーにきた意味もございませんもの! あの綺麗なお顔で囁かれたらもう! 本当にセシリア様が羨ましいですわあ」
男性は女性を褒めることが礼儀。
そう教えられるこの国では、婚約者がいようと関係なしに、女性を褒める。
女性がドレスを纏うように、男性が女性をエスコートするように、当たり前のように褒めなければならない。つまり男性から女性への挨拶だ。
「社交辞令とわかっておりますのに、フェリクス殿下のお顔が、まるで本当のことを仰っているかのように見えてしまって」
「そうそう、誰にでも分け隔てなく接してくださるこの国自慢の王子様ですもの。ねえ、セシリア様」
うっとりと頬を染める令嬢たちに向かって、私は綺麗な微笑みを浮かべる。
婚約者の挨拶にへそを曲げるなんてことは、淑女として許されない。
「——ええ、自慢の婚約者ですの」
仕方がないので、ハンカチは心の中で噛む。
私、褒められたことはございませんのよ。皆様、蜂に唇でも刺されてしまえばよろしいんですわ……!
◆
パーティー後はいつも、王宮の一室でフェリクスと二人きりの時間を取るようにしている。テーブルにはティーセットといくつかの菓子が並べられ、お好きにどうぞスタイルだ。
そのテーブルの向こう側で、自慢の婚約者は頭を抱えていた。
「あー無理無理無理無理無理無理無理無理無理むり」
お優しい王子様の顔はどこへいってしまったのか。眉間に皺を寄せて険しい顔をしている。
「何が、きみの瞳はどんな宝石よりも美しい……ティン(グラスの音)なんだよ。みんな王子に夢見すぎでしょ」
うげ、と半開きにした口は、きっと私にしか見せていないのだろうけど。
少し、本当に少しだけども、こんな王子様でいいのかしら、とも思う。
「いや、やるよ? それが礼儀だと言うなら、完璧にやるけどさぁ」
礼節を重んじる王家にとって、素のフェリクスは異質だった。
礼儀を学び始めたばかりの頃は、それこそ手厳しい指導もあったらしい。
だからフェリクスは素を隠し、分厚い外面を手に入れて、完璧に王子業をこなしてみせる。
誰にも文句を言わせないため、とフェリクスは言い、そしてそれは大成功しているのだけれど、その代償が今のこの時間とは、喜べばいいのか微妙なところだ。
二人きりだとはいえ、私はここへ、愚痴を聞かされるために呼ばれていた。
「あーあ、よかったよ、婚約者が君で。僕が礼儀を欠いたからって怒らないでしょ」
「ええ、まあ。小さい頃から婚約しておりますもの。あの頃のフェリクス様はところ構わず文句ばかりでしたし、今更ですしね。怒りはしませんわ」
小さく頷き、本音を口にする。
怒りはしない。本当だ。
「王子らしくない僕を受け入れてくれたセシリアにどれだけ助けられたか。パーティーみたいな台詞を普段も吐かなきゃいけないなんてどんな拷問だっての。しかもさ、だんだんパーティーで僕に挨拶しにくるご令嬢が増えているような気がしない?」
「完璧に猫かぶっておられますからね。皆様も格好いいフェリクス様に一言お声をいただきたいのですよ」
「……あれが? 格好いい? ったく、どんな目をしてんだ、この国の人間は」
吐き捨てるフェリクスを——王子の顔ではないフェリクスを、私だけが知る。
それはそれで、随分と魅力的なことではあるのだけど。
お気に入りの茶葉で淹れられた紅茶を一口飲み、カップを置く。この時間、テーブルに並べられるお菓子も茶葉も、茶器さえも、いつだって私のお気に入りだけだ。
「——そういえば、フェリクス様は私には言ってくださったこと、ございませんよね?」
婚約者の、王子然とした姿を、他の令嬢の口から聞くばかりなのは、面白くない。いえ、決して怒ってはいないのだけども。
頭を抱えた婚約者は口元を引き攣らせた。
「え。ひ、必要か?」
「いいえ、必要かと言われますと必要ではないのですけれど。どんな感じなのかしら、とは」
言外に気になるのだと伝えれば、フェリクスの眉間の皺は深くなった。むすっとした顔はこの部屋でいつも見る顔だ。
「……他の男とそう変わらないって。セシリアもいろんな男から挨拶されるから聞き飽きてるんじゃない? 急に一体どうしたんだよ」
「婚約者ですもの。フェリクス様からの挨拶を一度くらいいただきたいと思ってもおかしくないでしょう?」
いつもの私なら、こんなことは言わない。いつものことだからと取り合わない。
が、本当の本当にもう、今日はイマジナリーハンカチを取り出したくないのだ。先ほどの令嬢たちとのやりとりが地味に効いていた。
いつもとは違う私にフェリクスもたじろぐ。
「君は僕の素を知ってるんだぞ。……今更、作り笑いの褒め言葉なんか」
だって正直言って、羨ましい。私の目の前で、フェリクス殿下の褒め言葉を嬉々として話す令嬢たちが。
——婚約者の魅力を一番知るのは私でありたい。
そう思うのは我儘なのかしら。いえ、そんなことあるわけない。
うっとりと頬を染めて話す令嬢たちの顔を思い出しては幾度も振り払う。
「それでも、ですわ。素を知っていても、挨拶の褒め言葉をくだらないと吐き捨てる姿を見ていても、それでも褒められてみたいと思ってしまうんですもの。他の方からの挨拶でも嬉しく思いますから、それが好きな方からであればきっと特別、」
「……………………は、他の男からの挨拶が嬉しい……? あの社交辞令の……?」
心の底から、嘘だろ……と思っているような顔をして、フェリクスはぎこちなく首を傾げた。
待って、今の台詞、拾う部分はそこですの?
「……たくさんの令嬢方だって、何度もフェリクス様のところへご挨拶にいらしているじゃありませんか。嬉しいと思わなければ、そう何度もいらっしゃらないでしょう?」
むっとした顔を見せないように続ければ、フェリクスは抱えていた頭から手を離して、憎々しげに溜息を吐く。
注がれた紅茶はまだ一つも減っていない。
「であれば、僕が令嬢たちに囲まれるのは……今後もずっと避けられないと……」
「……………………そうですわねえ」
もの分かりの良い私は少し外れた返答にも文句は言わない。と言いたいところだけれど、反応する元気もなくなってしまっただけだ。
私の好きな人って話はスルーですか。そうですか。この分からずや!
フェリクスの眉間にできた今日一番の皺を眺めながら、私は心の中で泣く。結局ハンカチを取り出すことになってしまった。悔しい。
こうなったら八つ当たりだ。目の前のお菓子をガッと掴んでどんどん口に詰め込んだ。可愛いおしゃれなお菓子なんて消えてしまえばいいのよ。
そんな私を、フェリクスは満足そうに見つめてくる。それすら私をイラッとさせて。
一体誰のせいだと思ってるの!
あっという間に平らげて、鼻を鳴らした。
ちらりと向かいの様子を伺えば、今日もまた、王子らしからぬ顔で私を見るのだ。
あー、もう、羨ましい! 私だって見てみたいわ! 王子様のフェリクス様を!
◆
社交のため、と定期的に開かれる大抵のパーティーは、王家主催のものだ。
そのため、フェリクスが参加する機会が多く、その婚約者である私もパートナーとして参加した。その各所で、一人になれば必ず、挨拶のためと人が集まってくる。
「おや、星の輝きと見間違うほどでした。いつ見てもお美しい。ご機嫌はいかがですかなセシリア嬢」
「いやはや星空からやってきた妖精のごとき可憐さで。お久しぶりですな」
私の立場を正確に理解してフェリクスとのパイプ役にしようと画策する人間は多くて、その輪は途切れることはない。ただ誰しも礼儀は守って、接してくる。
「ありがとうございます。ご挨拶いただけて嬉しいですわ」
決して嘘じゃない。嘘じゃないけれど。
ただ、一番言ってほしい人にはお世辞ひとつ貰えない。それが少し切ない。
パーティーホール中央、ちらりと婚約者を見つめれば、今日も今日とて令嬢たちに囲まれている。そのせいもあって、余計に男性たちは私に近づくのだ。
お淑やかに微笑んだまま、挨拶をしてくれた令息紳士たちを見ていつも妄想をする。
——これがもし、フェリクスだったなら。
太陽の光を思わせるふわふわの金髪を靡かせて、ブルートパーズのような青い瞳を少し細めて目を奪う微笑みを浮かべながら、それから聞き取りやすい低音が、まるで耳元で囁いているかのような幻想を見せて。
そうして言われた褒め言葉はずっと耳に残り、思い出すたび胸をときめかせ、他人の婚約者だろうと自分に婚約者がいようとお構いなしに、虎視眈々と次の機会を窺うようになるのだろう。
こんの思わせぶりの猫かぶりめ!
ぎりりと自分の親指を握りしめた途端、
「——セシリア」
耳元で、猫かぶりの声がしてどきりとした。
次いで肩に置かれた手も、耳元に聞こえる熱を帯びた声も、入場以外でこんなに近づいたことさえ、パーティー会場では初めてのこと。
「え、」
驚いて振り返れば、儚げに目を伏せるフェリクスがいた。
今まで私を囲んでいた男性たちは、フェリクスの心象を悪くするわけにはいかないと、紳士的な顔を引き攣らせながら慌てて距離を取る。
フェリクスにくっついてきた令嬢たちもまた、私たち二人を囲むように、息を潜めて見守っていた。
「すまなかった。他のご令嬢に挨拶をしていて、すっかりと遅くなってしまった。これまでもずっと挨拶が終われば、君の元へ駆けつけようとしていたのに」
「……まあ。本当に?」
肩に置かれた手は震え、耳元で聞こえる声が僅かに上擦る。全部近くにいる私だからこそ気づくこと。
「ああ。驚いたよ、まさか君が他の男の言葉に惑わされているなんて、考えもしなかったから……どこにいても美しい君に、誰もが寄ってきてしまうのは当然のことなのだろうが」
そう言いながら、持ってきた二つのグラスの内一つを私に押し付けた。
フェリクスの瞳のような青いカクテルだ。
「銀糸のような髪、ルビーのような瞳、白い肌はどこにいても目を惹いて、本当はこんなところに連れてきたくもないんだ。できるなら私だけの側で、片時も離さずにいたい。そんな君の可愛らしいお願いならば、いくらでも聞き入れたいところだけれど、困ったことに君の魅力を他の男に教えたくもないんだ」
聞いていた王子様はこんな感じだったかしら。
ブルートパーズの瞳が私を覗き込む。
「そんな愚かな私に免じて、機嫌を直してくれないか。セシリア——私の宝石、私の唯一、愛おしい婚約者の君に、今宵、祝福が舞い降りるように」
ティン……、と私に押し付けてきたグラスとフェリクスが持つグラスを合わせ、音を響かせた。
わあ、これが噂のティン。
驚きと感動で一瞬呆けてしまったけれど、これが噂の王子様なのね、と目線を上げれば、そこには王子様さながらのフェリクスが見えた——のは一瞬だけ。
あっという間にその完璧な顔が、照れたように目線を泳がせた。
ざわりとどよめきが上がったのは、令嬢だけでなく紳士の皆様からも。
「え!!!!!!?」
観客と化している令息令嬢の小さくない悲鳴のような驚きの声に、フェリクスの眉が寄った。
「ここは人が多いな。今は君の可憐な姿を大勢に晒したくない気分だ。いつもは自制できているのだが……少しの間だけでいい、君を独り占めさせてくれないか」
婚約者だからこそ誰からも許される、とっておきを吐く。
そうしてパーティーの最中、堂々とバルコニーへと歩いていく。
ざわざわとしたどよめきを背中で感じながら、私をエスコートする手が震えているのに愛を感じながら。
にやけてしまいそうになる顔を引き締めながら、だ。
◆
「ど、どうだったよ?」
バルコニーから見た空は、無数の星が輝いていた。
もう少しでパーティーはお開きだという時間帯。
「ええ、正直に申し上げて……王子様ではありませんでしたわね」
「くっ、言わせておいて!?」
なんせギリギリだった。
人前で、照れたこともなく、眉を顰めたこともないあの猫かぶりフェリクスがやらかしていた。
バルコニーに出た瞬間、崩れ去った王子様の顔は見ものだった。
「ですが、表情だけは素晴らしく満点でしたわ!」
「もう二度とやらん!」
ぷいっと顔を背けるフェリクスにそっと顔を近づける。
鉄壁の王子の顔が崩れた姿で——私だけが見慣れたフェリクスは、他の人は初めて目にする姿で。
あの照れた一瞬、一斉に視線を集めたその姿を、少し惜しいと思ってしまった。
「ええ、二度とやらないでくださいませ。——その顔を、私以外の人に見せてほしくありませんから」
「ふん、だろう?」
満足そうに口端をあげるフェリクスは、やはり、私の前では王子様になってくれない。
「ええ、自慢の婚約者様ですわ」
「……君の前ではどうも礼儀ある顔を保てないんだ。満足したなら、もうやらないから」
「そうですわね。他の男性からの褒め言葉も嬉しいことですし」
「ちょっと待て!」
「ほほほ、みんなの王子様が見られること、心待ちにしておりますわ〜!」
「だから! セシリアの前ではできないんだって……!」
あ、また照れてる。
みんなの王子様には程遠い。そんなフェリクスにときめいて。
私だけの気取らないフェリクスを、私は愛しているのね。
満たされた心のまま、そう改めて認識した。
一方、残された参加者たちはというと。
しばらく経ってもまだ、ざわめきが収まらなかった。
「見ました? 見ました? あの殿下のお顔! まさに私のものだから手を出すなと言わんばかりの!」
「ええ、ええ! 普段は分け隔てなく接してくださる王子様、その裏の顔、といった感じでグッときましたわ。推せますわ~~!」
「フェリクス王子殿下とセシリア様のお二人といえば美男美女! いつも分かれて参加者のお相手をされていますから、お二人揃った今回は貴重なお姿でしたわ……! ふああ、眼福でした……良いことありそう」
とそんなやりとりが繰り広げられていたことなど、私たちは露知らず。
ただ、この日を境に、パーティーに行けば「今日はお二人でお話しされないんですか?」と突かれるようになった。
フェリクスは相変わらず、裏で無理無理無理と言っているのだけれども、臣下の要望をずっと無下にはできず、ごく稀に公開告白する羽目になっている。
私を褒めるその表情は、まだ王子様になりきれていない。
私は少しだけ頬を膨らませて、それを嗜めたりするのだけれど。
愛だけは毎回溢れんばかりに感じるので、怒ったりはしない。ほら、淑女ですからね。
そんな私たちを見られれば幸運が訪れるのだと、根も葉もない噂が飛び交っているらしく、フェリクスは今日もまた苦手な公開告白をせがまれている。




