006 丹
クウは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに頷いた。
「……お願いします」
神官は小さく息を吐き、侍女へ合図する。
だが刃が差し出される前に、朱雀が首を傾げた。
「ちがう」
ぽつりと、呟く。
神官の手が止まる。
「……朱雀様、どうかなさいましたか?」
「ちがう。それじゃない」
朱雀はクウを見つめたまま、言った。
「ここじゃない」
指先が、ゆっくりと上へ移る。
手首から、腕へ。
肩へ。
そして、胸元へ。
衣の上から、心臓の位置に触れる。
どくん、と脈が跳ねた。
「……ここ」
朱雀の声は、昨夜とも、今朝とも違っていた。
「ここから」
神官の目が細くなる。
「……まさか」
わずかに息を呑む気配。
だがその言葉を最後まで言うことはなかった。
朱雀が、クウの顔を覗き込む。
「いい?」
クウは戸惑った。
何をされるのか、正確には分からない。
だが――拒む理由も、なかった。
「……はい」
朱雀は、ゆっくりとクウに顔を寄せた。
二人の距離がグッと近くなる。
そっと唇が触れた。
柔らかい感触と同時に、息が浅くなる。
(苦しいーー)
何かを吸われている。
身体の芯にある何かが、すくい上げられていく。
「……っ」
力が抜け、倒れかけた。
だが、倒れる前に、月苑の手がクウを支えた。
しばらくして、唇が離れる。
朱雀は、ほっとしたように息を吐いた。
月苑が突然現れたことで、神官も女官も驚いた。
「月苑皇太子殿下、お越しでしたか」
「あぁ。ところで、これはどういう状況だ?」
「それが……朱雀様は、丹から力を得られようとしているようでございます」
月苑の視線が、唇を離したばかりの朱雀と、ぐったりと力の抜けたクウのあいだを静かに往復した。
クウの身体は、自分でも驚くほど熱を失っていた。
ただ、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような、妙な虚脱感だけが残っている。
とても立っていられない。
月苑の腕が背を支えていなければ、そのまま床へ崩れていただろう。
「……丹、だと?」
問い返す月苑の声は低く、感情を抑えていた。
神官は膝をついたまま答えた。
「はい。古い記録には、ごく稀にそのような例があると――守り神が完全に目覚めておられぬ間は、血ではなく、人の内にある精気――丹を糧とされることがある、と」
「“ことがある”とは、随分曖昧だな」
月苑の言葉は淡々としていた。
「伝承の域を出ぬ話にございます。なにぶん、神が目覚めた例そのものがあまりに少なく……その、まして、こうして幼子の御姿となり、丹を求められるなど……」
「つまり、お前たちにも分からぬということか」
「……申し訳ございません」
月苑は短く息をついた。
その間にも、朱雀はクウの顔をじっと見ていた。
その表情からは、満ち足りたような安堵と、まだ足りないという飢えが見えた。
そして、朱雀はクウの背を支えていた月苑の手をはたき、「クウに触るな!」と言って鋭く睨みつけた。
「クウ」
朱雀が名を呼ぶ声はやわらかい。
「……クウ、大丈夫?」
答えようとしたが、うまく声にならなかった。
月苑がそれに気づいたのか、支えていた腕に僅かに力を込める。
「今は喋るな」
そう短く言うと、クウの顔を覗き込んだ。
冷たい瞳だ。けれど、クウは月苑のその瞳を、美しいと思った。




