005 力なき神
その時、寝台の上の小さな身体が身じろぎした。
ゆっくりと瞼が開く。
現れた金の瞳は同じなのに、そこに宿る光は昨夜よりもずっと幼い。
鋭さより先に、剥き出しの感情が見える。
朱雀はクウを見つけるなり、ぱち、と瞬きをした。
「……クウ」
呼び方まで変わっていた。
昨夜よりずっと舌足らずで、年相応の響きがある。
「……はい」
警戒しながら答えると、朱雀はむくりと身を起こす。
その動きは昨夜の滑らかさが嘘のように危なっかしく、寝台の上で少しよろけた。
「……朱雀様……一体、どうされたのですか?」
「なんか、へんだ」
朱雀は自分の手を見た。
「なんか、ちいさい」
その言い方があまりに率直で、クウは返事に困る。
そこで扉の外から、低い声がした。
「失礼いたします」
入ってきたのは、昨夜から控えていた年嵩の神官だった。
その後ろには侍女が二人、俯いたまま控えている。
神官は朱雀の姿を認めるや、さっと顔色を変えた。
だが驚きを飲み込み、すぐに膝をつく。
「……やはり」
「やはり?」
クウが思わず繰り返すと、神官は一瞬だけ迷い、それから慎重に言葉を選んだ。
「朱雀様はまだ目覚めたばかり。力が安定しておられないのでしょう」
「ちいさいの、いやだ」
朱雀がむっとした顔で言う。
神官は深く頭を下げた。
「血が足りていないのでございます」
「血?」
「はい。朱雀様は長き眠りからお目覚めになったばかり。いまだ力は満ちておられず、ゆえに御姿も定まらないのです。昨夜は目覚めにより、一時的に力が満ちたのでしょう。ですが、夜を越えて、その熱がまた失われてしまったようです」
クウは眉を寄せた。
血が足りない。
その言葉はすぐに意味へ結びつく。
神殿に残っていた血の匂い。
石に染みついた黒ずみ。
これまでに捧げられた生贄たち。
神官は続けた。
「新たな贄を選び、血を捧げれば、再び安定なさるかと」
それは、あまりにも当然のように告げられた。
侍女たちは顔を伏せたまま動かない。
クウだけが、その言葉の残酷さに息を止める。
新たな贄ーー。
つまり、また誰かが犠牲になるのだ。
通常の儀式では、手を切り滴る血に反応がないとみなせば、首を切りその体の血を残らず捧げるのだ。
昨夜のクウのように、少量の血では済まされない。
クウは無意識に口を開いていた。
「だめです」
神官の目が上がる。
侍女たちも驚いたように肩を揺らした。
「……何と?」
「新しい贄は、だめです」
自分でも、なぜそこまで強い声が出たのか分からなかった。
だが、口にしてしまえばもう引けない。
「ほかの誰かを連れて来る必要はありません」
神官の眉間に深い皺が寄る。
「そのようなこと、お前が決めることではない」
「ですが」
クウは息を呑み、続けた。
「血が必要なら……俺が出します」
沈黙が落ちた。
朱雀が、ぱち、と瞬きをする。
子どもの顔のまま、じっとクウを見ている。
神官は呆気に取られたように言葉を失い、やがて険しい顔になった。
「一度捧げた血で足りぬからこそ、次の贄が必要なのだ。お前ひとりで足りる道理がない」
「試してもいないのに、どうしてそう言い切れるのですか」
クウの声は震えていた。
「身の程を知れ。お前はただの奴隷だ」
「だからです」
言ってから、クウは自分でも驚いた。
だが言葉は止まらなかった。
「俺がどうなっても、誰も困らない。そうでしょう」
神官の顔がさらに険しくなる。
それは拗ねた言葉でも、悲劇ぶった台詞でもない。
クウにとっては、ただの事実だった。
これまでそうやって生きてきた。
使われ、捨てられ、消えても困らないものとして。
だったら、せめて。
また別の奴隷がここへ連れて来られ、血を流し、消えていくのを見るくらいなら。
自分でいい。
その時、不意に小さな手が伸びて、クウの袖を掴んだ。
朱雀だった。
「クウ」
その声は、昨夜の低い声音ではない。
幼い、むき出しの響き。
「いたいの、きらい?」
唐突な問いに、クウは言葉を失う。
「……好きでは、ありませんね」
「でも、くれるの?」
まっすぐな目だった。
幼子のかたちをしているぶん、そこにある執着と不安が、昨夜よりもずっと露わだ。
クウは少しだけ迷い、それから頷いた。
朱雀は、きゅっとクウの袖を握りしめた。
「ほかの、いらない。クウだけでいい」
その言葉に、神官の顔色が変わる。
朱雀の機嫌を損ねるわけにはいかない。
目覚めたばかりの神が、再び眠りへ落ちるようなことがあれば、それこそ王宮全体の責任問題になる。
「……朱雀様がお望みならば、まずはその者の血で様子を見るほかありますまい」
苦々しく神官が言った。
朱雀はなおもクウの袖を離さない。
子どもの姿になっていても、その手だけは熱かった。




