002 生贄の少年
王宮の最奥、地下にある神殿の空気は、血の匂いでひどく澱んでいた。
これまでにも、何人もの生贄がここへ連れて来られたのだろう。
祭壇の石の隙間に染みついた黒ずみが、それを物語っている。
けれど、朱雀は目覚めなかった。
神官がクウの腕を取り、細い刃で手のひらを裂かれ、遅れて熱い痛みが走った。
血が玉になって盛り上がり、白い石へと滴り落ちる。
「早く捧げよ」
低く促され、クウは眠る朱雀の前へ押し出された。
近くで見ると、それはあまりにも静謐な存在だった。
人の姿をしている。年の頃は、二十前後に見えた。
長い赤髪が流れ、睫毛は影を落とし、白い肌は冷えた磁器のように滑らかだった。
完璧だった。
整いすぎていて、逆に現実味がない。
だが、こんなにも無防備なのに、その眠りの底には、誰も触れてはならない灼熱があると分かる。
「手を」
言われるまま、クウは血の滲む掌を差し出した。
もしこの血に反応がなければ、そのまま首を切られ、体中の血を捧げるのだという。
普通なら、ここで祈るのだろう。
ーー助けてほし、と。
ーーせめて苦しまずに死なせてほしい、と。
けれどクウの中には、そのどれもなかった。
どうせ、誰も助けてはくれない。
願ったところで、何も変わらない。
祈りごときで、何かが変わったことなんてないのだから。
ただ終わるだけだ。
それだけのことだと、静かに思った。
そして、クウの血が、神の祭壇へと滴り落ちた。
次の瞬間、広間の空気が脈打つように揺れた。
祭壇に灯された火がいっせいに揺れ、閉ざされていた神殿の奥で何かが目を覚ます気配がした。
クウは息を呑む。
引こうとした手首を、逆に掴まれる。
眠っていたはずの神の指が、確かな力でクウを捕らえていた。
周囲にざわめきが走る。
熱いーー。
指先から腕へ、胸へ、腹の底へと、焼けるような熱が流れ込んでくる。
ゆっくりと、朱雀の瞼が開く。
金色の瞳が現れる。
太陽そのものを閉じ込めたような、まばゆく焼けるような光。
その目は、まっすぐにクウだけを見ていた。
「……お前は?」
クウの頬を、なぞる。
珍しいものに触れるように。
確かめるように。
朱雀の問いかけに、クウは静かに答えた。
「……私は……クウと申します……」
朱雀の指が、クウの首筋に触れる。
「……これは……俺の……だ」
まるで、小さな子供が宝物を見つけたかのような言い方だった。
李月苑は、静かにそれを見ていた。
自分が何年も血を捧げて起こせなかったものを、この名もない奴隷は、たった一度の接触で目覚めさせた。
神を動かす鍵は、自分の血でも、祈りでもなかった。
たかが奴隷であるということに、無性に腹が立っていた。




