こんな事があったってさ
韓遂は焦燥で身を焼き、練策で頭を沸騰させていた。何か気付いたら馬騰が軍勢を壊滅させられていたのだ。馬騰の強さは涼州往々が認めるところである。
よく分からないが、よく分からない内に馬騰の軍が壊滅した。であればよく分からない儘に自身も殺されるのは確定的に明らか。
「しかし儂等の、特に儂の主力は騎兵。馬騰と同じ轍を踏む訳にもいかん。追撃に来た敵を討つが上策。地の利は此方にある」
韓遂は考えを整理する為ではなく己を鼓舞する為に言う。涼州天水と司隷扶風は渭水が接続する地形で周辺は山々が連なっていた。要は大通りを封鎖して足止めをし小道を使って山や丘を迂回し騎兵で側面を突けば勝てる。
「そう。常道じゃ。必勝の道よ」
韓遂は羌人との関わりが強い涼州軍閥でも群を抜いて異民族との協力関係が堅固だった。即ち特質して騎兵戦力を用いる事の出来る立場にあるのだ。数とは即ち力である。
「上ケイにて……。いや、それでは警戒されるか? しかし」
韓遂は黙考して決断した。
東西に流れる渭水と南北に流れる長離水の合流地点。そこに立つ上ケイ県へ盧繁は向かっていた。先陣は涼州出身で地勢に明るい段煨が率いる涼州騎兵である。また盧繁は相談役として側に賈詡を置いていた。そんな訳で。
「じゃあ上ケイを包囲すれば敵が来ると?」
「はい。と、言うより此処で堰き止めねば敵は兵糧を失います。
西から馬騰が来たのであれば物資集積地は規模を鑑みて冀県以外にございません。であれば上ケイにて我等を抑え兵糧を運び出す時間を欲しましょう。地勢も露骨な程に適している。
敵には後がなく余程の名将か怯懦でなければ陣を張り決戦を挑んでくる事は間違いないかと」
賈詡が淡々と語る。それに頷いていた盧繁がふと西方へ視線を向けた。そして賈詡へ感嘆の表情を向け。
「あらー。後者みたいですね。流石は賈さん」
賈詡は困惑である。思わず首を傾げて。
「……? 閣下。それは、どう言う」
「音的に段将軍が接敵しました。急ぎましょう。騎兵は勢いで圧倒するしかない。賈さんは今の話を後方の部隊へ通達してください」
賈詡は耳の良さに驚愕したが盧繁の指示に従い馬を走らせた。馬群が奏でる数千の馬蹄に逆らう様に。
「こりゃあ凄い」
一方の盧繁は馬を進ませながら笑う。進む先は左右に聳え立つ山間を流れる渭水が奥まで続く。右手の山の切れ目からは長離水が渭水へと流れ込み合流地点の少し奥には上ケイ県。
上ケイ県を始点に渭水を横断し長離水を水堀の様にして敵軍が布陣していたのである。上ケイ県と渭水の合間に樊稠が突っ込んで敵を壊乱させていた。
『俺達も続くぞ!!!』
号令一下馬群が鏃となり濁流の様に進む。今は馬に乗って突撃すれば大抵は止められない時代だ。柵と弩という手段もあるが盧繁は柵も人を飛ばすから、まぁ、うん。
そもそも樊稠が突っ込んで抉じ開けた穴から敵の側面に襲い掛かって人間を叩き飛ばしながら轢き潰す簡単なお仕事である。もう最近は切りもしない。飛ばした方が良いと学んだ。やってる事ほぼ戦車。スローラム射出。
『オフラハーン!! 追撃を!!』
「任せロ!!」
盧繁の指示により離散した敵への攻撃が何時もの様に始まる。騎兵は枝分かれし蛸の足の様に畝って蹂躙を始めた。盧繁は十騎ばかりを引き連れ渭水の船橋を進んで陣幕へ。
「あ?」
そしたら縛られたオッサンを見つけた。オッサンは盧繁を見上げて滂沱の汗。盧繁の顔に青筋が浮かび上がった。
それはあたかも顔面に遡る雷が迸り亀裂が入った様。
「死に晒せ王宏!!!!!!!」
斧が地面を抉り砕きながら進み王宏をカチ上げ空へと飛ばす。盧繁の瞳孔が開ききった目が落ちてくる王宏を射抜いた。ズっと長大重鋭な斧を羽を広げる様に振りかぶる。
「董殿の分!!!!!!」
盧繁の怨恨込めた咆哮と共に落ちてきた王宏へ斧が振られた。それは刃を寝かせた打擲であり爆竹を鳴らした様な音と共に王允の軌道を変えて横に飛ばし天幕を引き連れながら垂直に飛んでいく。幾つかの天幕を倒壊させおそらく兵糧を入れていた天幕に叩きつけられた王宏。
ゆっくりと進む盧繁。道すがら雑に大斧を振り兵を切り払いながら向かう。憤怒の双眸が煌々。
日驥が大地を踏み締めて進めば兵が瞬く間に刈り取られて消えていく。それをコヒュコヒュと浅く短い呼吸をしながら見る事しか出来ない王宏。死そのものが迫るが諦念を抱く事も忘れて曲がった四肢をのたうさせた。
「待て!!!!!」
横から吠えられるが無視して斧を落とし首にする。そして大斧を担いで振り向けば同年代程の男。盧繁は溜息を一つ漏らして。
「誰?」
王宏の首を愕然と見ていた男がバッと顔を上げて。
「馬寿成の子、馬猛起!!!」
「そっか、馬超……」
盧繁は少し惜しい様な顔をしてから日驥を撫でて正面に捉える。二つの敵を見定めた目が馬猛起を射抜き心の臓を掴んだ。
「あ、うぁ」
馬超は震えた。感だ。死。
ただ己を見下ろす死の直感に。
閻彦明でも感じなかった。
「王宏を匿った逆賊の子は、まぁ極刑って感じになるかな」
盧繁は、だが馬超を見ずにいた。そのさらに奥へと鋭い眼孔を向ける。ゆっくりと手斧を握り投げる。
馬超の後ろで肉と骨が断ち切られ血が炸裂する鈍い音と鉄が落ちる音がし馬超は察した。
直感的に弓を握った父の亡骸が落ちる事を。
「……っ」
ガシャンと無情に無常。馬超は大きく息を吸い槍を握って耐え。
「盧ハァアアアアアアアンン!!!!!」
激昂そのまま槍を抱えて前へ進みブッ飛ばされた。
バチコーンって。
盧繁は振り切った斧を肩に戻し。
「次は韓遂だ!!!」
〓韓遂〓
アレ馬騰の倅か? エゲツない勢いで飛んでったが。死んだなアレは。
さて。
……どーしよっかのコレ。柵は薙ぎ倒されとるし奇襲した筈の側面攻撃は轢き殺されたし。ホントどーしよっかの。
「急げ!! 直ぐに上ケイに撤退だ!! 韓御老、気を確り保たれよ!!」
「あ、ああ。ああ。そうじゃの閻行……」
「段煨、あれ程とは。どれだけの兵が撤退出来るかも分からない……。拙い。御老!!」
敵の攻勢は怒涛。濁流と見紛う馬群。歩兵は淡々と進み壁の如く。放たれる弩は整然。槍は長く三段に重なり隙がない。
如何足掻いても逃げられん……。今の最良手は全てを捨てて逃げる事。だがそれをすれば涼州からも逃げねばならず、一族は捨てた羌族に縊り殺されよう。それだけは避けねば。
今からでも降伏の手立ては無いものか。羌族と漢朝の橋渡し役として、いや今更であろうな。であれば……既に手遅れか。
「な……橋……早く……逃げて……御老……御老!! ッチ……おい痴呆!!」
ん? 今なんつったコイツ。いや、それよりも撤退じゃ!! だが、自ら檻に入らねばならんのか……!!
……待て、何か忘れ。しもうた!!!
「閻行!! 船橋は!!?」
「幾度も呼びかけたが御老が呆けて居られる間に取られました!!」
……あ。来た。来てしまった!!!
「ック!! 早い!! 殿は俺が!!! 勇有る者は此の閻彦明に続けェ——え?」
何だ。急に暗——?
?
黒い影が閻行の顔を鷲掴みにして吊るしとるのう。……うん? 何コレ。夢?
「お前、韓遂?」
影に浮かんだ二つの白い丸が儂を見下ろしおる。夢かの。きっと。
「えっと、うむ」
何かが落ちて、く、あ。斧——。




