支柱
太保盧植は書簡を捌いていた。宮中の事、軍事の事、裁判の事、税収の事、様々な政務の確認作業。だが盧植の仕事で重要なのは決裁では無く様々な折衝だった。
盧植の立ち位置は独特である。袁隗が担っていた朝廷の各部署を繋ぐ役割を継いだ為にそうなった。分かりやすいのは軍事で董卓と朱儁が協調できるのは盧植あってこそ。
また政治でも朝廷の実働を最も担えるのは盧植であった。何せ袁隗の派閥をそのまま引き継いでいるのだ。また董卓が率いれた名士なども盧植の麾下にある。
「忙しい……」
必然こうなった。蔡邕や丁宮などの味方は居るが最近は身体が重い。それは老いである。
「だが隠居は無理だな」
長安への遷都は完遂された。だが問題が皆無という訳ではない。寧ろ山積していた。
例えば人手の集中による田畠の振り分けなどは未だ未だかかる。耕すべき荒れ田は幾らでもあるが肥沃かどうかや城の遠近による諍いが起きていた。それを種籾の配分や税などで飲み込ませる訳だが矢張り高い立場の人間が出張った方が話が早い。
当然だが農地以外にもそんな話が万と積み重なっていた。盧植は天下と息子達の為。
「さて、次だ」
手を休めない。
「太保殿」
その背に声が掛かる。
「何用でしょうか司徒殿」
その声は同僚であり警戒対象の司徒王允。気骨のある男だが獣を前にした様な恐々と探る様な声。盧植の怒りを見て以来の対応。
盧植は務めて平静に確認した竹簡を置き手を差し伸ばして着席を促した。盧植の補佐をしていた袁隗の息子達や高誘が従者に茶を用意させる。それを受け取った王允は即座に飲み干してから。
「太保。陛下と話がしたいのです。出来れば内密に」
「理由をお聞かせ願おう。役職上それも必要ですので」
「であれば申し上げ難いが陛下の後継の話で御座います」
盧植は白けた。
「不其候の御息女が居られる。あと五年は待つべきでしょう」
「それが道理なれど劉氏の嫡流を得るのは急務です。弘農王が帝位に就かれてはまた世が乱れる。劉寵や劉焉の思うがままになってしまう」
「殿下に無礼でしょう。宗族にも、だ」
「連中の肩を持つのですか!!」
「喚かれるな」
王允が狼狽える。溜息を一つ。
「失礼した。しかし……」
逡巡。
「賊に与した宗族は如何にかせねばなりますまい」
「そこは否定致しません。しかし其れを判断するのは私達ではなく、また話すべき時でもない。
加えて言えば他者の家庭に余計な事をするべきではありませんぞ」
「しかし御子息は既に四人の女子と婚約を結んでいる。陛下にもその程度の気概は必要と心得ますが?」
「息子の苦労を思えば頷きかねる」
盧植は数日置きに全員と必ず一対一の時間を作り、贈り物をする時は差が出ないように調節し、各家の出して来た侍女や従者に気を使い、各家にも手紙を用意する息子を思い起こし。
「絶対に頷けん」
「……何があったのですか。御子息に」
盧植は目を閉じ大きく息を吐いた。
「色々と」
王允は、何も言えなかった。その後は田畑の話や税の話を交わす。王允の付く司徒とはそういう役職で今最も働くべき立場だ。
話す事は多く宵闇が迫る窓の外から洛陽よりも早い長安の寒風が部屋を突き抜けた。
〓盧繁〓
「で、風邪を拗らせた。と?」
いや父上。顔の赤さ増してますよ。何をガキみたいに顔逸らしてんですか。
「……まぁこればっかりは仕方ないんで確り休んでください。代理は義父の蔡殿が担ってくださいますので」
「ゴッホ……!」
「陛下や董殿も心配しています。食べられそうなら卵粥を。せめて白湯は御飲みください」
頷いたな。父上は。よし。口を布で覆う事は徹底させたし。熱殺菌もまぁウチの中なら大丈夫だろ。
さて来年になれば橘の収穫時期だから手に入るんだが今はなぁ。バカ高いが蜂蜜でも白湯に入れておくか。
父上付きの従僕やら侍女以外h部屋に近づかない様に徹底させてるし嫁さん達にも伝えたから大丈夫だな、よし。
「んじゃあ父上。陛下の護衛に行って参りますので。確り休んでください」
まぁ風邪はアレだが父上が休めるのは良い。しゃーないとは言え最近あまりにも働き過ぎだったしな。状況によるが治った後も適当ぉいて確りと身を休めて貰うか。
「兄上」
「お、毓。父上の事か」
おっと口を覆ってた布を取るのを忘れねぇようにしなきゃ。
「はい。御加減の程は」
「良くねぇな。喉を痛めてる。それに随分とふらついてた」
「大丈夫でしょうか……」
「まぁ医者には診てもらったし休んでれば問題なんざねぇさ。だが俺が出てる間は家の事を頼むな」
「はい!」
「あと高先生に確りと教えて貰え。あんなんでも凄い人だ。あんなんでも」
「……ええ。ハイ。それはもう、はい」
あの人ウチの蔵書見て奴僕になるから住まわせてとか言って来たもんなぁ……。何なら毓の教育してない時間は飯も食わずにずっと蔵書の写本してるし。一応は受け入れてる毓がガチでスゲェよマジで。
「まぁ気持ちは分かるけど確りな。じゃあ行ってくるわ」
「はい兄上。御気をつけて」
「おう」
さて、出来る事を出来るだけってな。
「そうです陛下。政ってのは数字に目が行きますけど実際の所は人間を見た方が分かりやすく何より早い。数字で分かるのは結果だけです」
「結果だけ、か」
「ええ。例えば塩税が飛躍的に伸びた。その報告を纏めた竹簡からわかる事です。
ではそれが何故なのかと言えば長安に人が増えたが故にと言うのは誰だって分かる」
「そうだな」
「ですが俺は市場に行った結果、細かい理由がわかりました。人が増えて塩の需要が増えたのは答えですがその答えに内包される物がです」
「ふむ」
「例えば長安の遷都は早期に決まっていた為に需要が増えると見越した商人や異民族達がいたのです。また洛陽よりも長安は軍事的な色が強く塩はあっても困らず何より腐らない。その為に違法であれなんであれ大規模な塩の取引が行われ続けている」
「それは、大丈夫なのだろうか?」
「御心配の通り良い事とは申せませんが余りにも高騰するよりはマシです。塩は陛下であろうが私であろうが奴僕であろうが牛馬であろうが誰にも必要。飢餓と同じく朝廷存亡の危機となりえますから」
「その対処は……?」
「朝廷の存亡が掛かっているなら安めに塩を放出すれば良い。鉄と塩の専売は財源としては極めて惜しいですが今は特に民の不満を抑えねば。また人手は有りますので官営の塩を作る人足を増やす御振れなども効果があるかと」
「成る程な」
「政など解決出来る事の方が少ない。それならば解決出来る事、少なくとも状況が良くなる事は率先して進めるしか御座いません。まぁ父上の受け売りですが」
「至言だな」
頼まれたからやってるけど俺が陛下の教育係ってどうなんだコレ。いや陛下直々の頼みだから断れんけど。まぁ暇つぶしっちゃそうだし。
「そうだ盧繁。また指南をして欲しいのだが。頼めるだろうか」
……えぇ。まぁ良いか。
「んじゃあ行きますか」
抜け道カビ臭いんだよなぁ……。
「盧繁、盧繁。あの店は?」
「羊の漬け肉とか馬の羹、馬乳酒って俺の軍の人達だなあの店やってんの……」
「えぇ……」
「いや全員が戦える訳じゃないし土地の整理もあるんで手持ち無沙汰な連中が稼げる様に世話をしたんですが。……規模広いな」
肉屋みたいな事もしとる……。
「さぁさ出来たぞ!! 北中郎将にして絶世の勇士が作った馬肉の水餃子だ!! 匈奴の連中が捌いた羊肉を使った饅頭もあるぞ!!」
俺を宣伝に使うなよ恥ずかしい……。いや繁盛してるし止める気は無いけど。
「盧繁は料理もするのか……」
「まぁ戦場に出ますんで。あと食っても直ぐに腹が減るんで作って食わないと動けなくなるんですよね。まぁ力の代償でしょう」
話してたら腹減ったわ。もうここで良いか。お忍びってのは、察してくれたっぽいな。
「確かに盧繁は良く食べる。あの剛力と等価と言われれば少ないくらいだが。あ、あと背も大きいしなぁ」
「まぁ、いつもは抑えてますし」
「……え?」
「馬くらい食いますよ俺は」
「……成る程?」
「馬はだいたい人の十倍食べます」
「えぇ……」
「食おうと思えば馬の五割増で食えます」
「……天に蚩尤旗が翻ったのは盧繁が居たからかもな」
「そいやあ先月だか先々月に赤い彗星が降りましたね。たしか呂氏春秋ですっけ? 蚩尤旗が現れると王者が四方を平定するとかなんとか。でも何で俺の大食いの話が?」
「いや、盧繁に腹一杯食わせたら賊供を如何とでも出来そうだなと思ってな」
「ブン殴って物事が解決するなら自信はあるんですがねぇ」
「そう上手くはいかないか」
「何事もそうですね。さて、コレで出せるだけ」
銭束を纏めて店をやってる部下に渡す。
「鼎ごと頼むわ」
「へ、へい。でも目立ちますよ? と言うか目立っちまってますよ」
あ。
「……確かに。まぁ良いや。腹減っちゃってしゃーないから椀をよろしく」
「へ、へい」
ゴッと濛々と白煙を上げる鼎が置かれた。
「御好きにどうぞ。熱いんで火傷だけ気を付けて頂いて。食いたいだけ食って頂けば後は俺が浚えるんで」
「う、うむ」
あー腹減った。お、やっぱ匈奴は血抜き上手ぇな。上手い美味い。
「これは、野味が凄いな。だが、うむ美味い」
「そりゃあ良かった。塩も確り入ってる。こりゃ思った程には混乱してなさそうだ。杞憂だったかな?」
陛下の息抜きも大丈夫そうだな。あ、父上と毓に何か買って帰るか。今年は寒いな。
幽州程じゃねぇけど。




