肩慣らし
諸将を前に董卓は辟易とした様な面で座っていた。そして何処か淡々ツラツラと。
「そうか王匡軍は進軍したか。随分と警戒してやがったが。まぁ良い。
はい。じゃあ囮連中が山通って河陰県と平県に行って敵が洛陽に来た辺りで朱将軍と子昌殿達が突撃します。
で、王匡の野郎が逃げて来たら轢き殺すぞ。まぁこっちに来なくても何箇所かには軍を置いてるがな」
諸将が騒めく。そして董卓の顔色を伺う様に見上げた。だがしかし不動の胡軫、沈黙する段煨と徐栄、地図を頭に叩き込むのに必死な牛輔。彼等が黙している事で言葉を発せなかった。
そんな状況を作り出した自分より上か同じ立場の彼等を見て東中郎将の董越が溜息を一つ漏らし董卓へ。
「大丈夫ですかい?」
「何がだよ」
完全にいじけた状態の董卓に非常に言い難そうに。
「何か、いじけてるんで……」
董卓は部下達を見る。聞き辛い事を聞いてくれたと耳を澄ませる様子をだ。酷く大きく溜息を吐露して。
「久々に暴れられると思ったらもう朝廷に帰るの嫌になってな」
「ああ……。そいつぁ本当にご苦労様です」
「おう」
らしくない程ではないが董卓の何処か淡々とした返しに諸将は案じる様な視線を向けてしまう。
昨年に董卓の息子が病で亡くなった。だが正に悲しむ暇もない。そういう状況なのは誰もが知っている。
最大の問題点は理解しているが諸将は軍人であり文官の真似事は不可能。だからこ不安だった。
「大将、酒あるぜ酒」
郭汜がゴソゴソと酒壺を出す。董卓はフッと笑い。
「ああ、景気付けに一杯いっとくか」
そんなやりとりの後に物見が帰って来た。予定通りズタボロにされた敵軍が撤退しているのである。とは言え想定より被害は少なそうで兵の数は多い。
それは敵が迅速な撤退用に敷設した船橋を董卓達が敢えて残していたからで、故に敵は藁に縋る思いで董卓の待つ死地へ兵達が逃げているのだ。
船橋と言うボトルネックがあり敵兵は纏まれない。こうなってしまうと西涼で血で血を洗う戦いを経験した狩人達のお遊戯会場に他ならなかった。そう既に敵どころか獲物とも言えない哀れな玩具。
船橋を渡り気が抜けてその場にへたり込み腰を曲げ膝に手を付く玩具達。また腕が無い者や半身を赤く染めて壊れた玩具。健気にも仲間の血を止めようと布を巻いてやる玩具や添木を集めてる玩具も居た。
そして最後に遠目に見ても分かる茫然自失の愚かな玩具がお馬に乗って渡って来た。鎧こそ御立派だが兜もなく長物も無ければ手首から紐で繋がる環首刀は半ばから折れている。愚かで惨めな玩具の兵隊を前に狩人の大将は嗤って弓を握った拳を上げた。
「突撃」
それは手を振り下ろすと共に発された静だが余りにも届く声。号令一下で悪童の様な笑みの狩人を乗せた馬の群れがドっと弾けた。
最先頭は董卓である。それは指揮官という、それも将と呼称される立場では異常だと思うかもしれない。
だが技術的理由、能力的理由、信用的理由、状況的理由、そしてなによりも董卓の気分的理由で譲れない物だった。
もう政治のゴタゴタに熟イライラしてたのである。此処で鬱憤を晴らさないとやってられない。そして死んだ息子への手土産げに。
「皆殺しだ!!!」
董卓が弓を握る。十数年間握り続けたソレ。常人に引けぬ強弓。
砂塵と嗎の津波に気づいてもカカシの玩具は動けない。それを更に董卓の放つ矢という矢が地面に縫い付けていく。幸いそれを受けずとも別の矢か矛か刀剣か馬蹄に蹂躙された。
蜘蛛の子散らす様に逃げる。そして蜘蛛の子を一匹一匹潰していく。
「さて、郭汜」
「ヘイ!」
「アレで殺さねぇ様に遊んでこい」
屍の大地、臓物の原野、血の池の中から董卓が指を出す先には馬を急かす愚かな玩具の大将。
「ヘッヘッヘ。他は好きにしても?」
「そりゃあオメェ当たり前だろ」
「感謝しますぜ大将。前に出させてくれた牛さんにもだ」
「おう。確り感謝しな。そんで雑魚相手だと手間だろうが気をつけてくれや。殺さねぇ様にな。あれば楽だからよ」
「分かってますよ大将。
さて王匡軍ってなぁ、ちったぁ遊べりゃ良いんだが。まぁ良いや!
んじゃあ遊んできやす!」
董卓は見送った。普通に殺しそうだなって思いながら。尚、ちゃんと引き摺ってきた。
〓韓浩〓
クソッ!! なんとか森の中へ逃げ込んだが、黄河を如何渡れば良い!! 千を超える兵達の家族が向こう岸で待っていると言うのに!!
「伯楽殿、何か、何でも良い。何か河を渡る手は無いか!!」
「ああ、もう良い。逃げろ従事殿。これからは俺の仕事だ」
「は、伯楽殿。だが、だが兵も居る!!」
「見捨てろっつってんだ。悪ぃがこれ以上は無理だぜ」
この方もか!! この御方でさえも如何しようも無いと言うのか!! 何という……。
「もう、追いつかれちまった」
なっ……?!
「お前が王匡か」
敵に見つかった!! うお? 伯楽殿なぜ俺の前に立つのだ!!?
いや違う。これは……。
「は、伯楽殿。庇わずとも結構だ! 俺とて戦える! 兵達も無事な者を集めれば……」
「いや従事殿。そんな程度の話じゃあねぇ。アレは拙い」
如何言う。いや、それ程の強いと言うのか? 不利は分かるが……。
「オイそこの将軍さんよ!! 俺ァ王匡軍最強と呼ばれた方伯楽だ!! ッらあ!!」
ッ……何事?! 金属音。矢か!!
「話を聞けや!!」
「……逆賊の一味が何用かな?」
「若ぇな。そんで辛辣だ。吃驚した」
……確かに。
「俺の背にいるのはアンタの飼い主が欲しがってた韓元嗣殿だ。それと兵は戦えるのが千人はいるぜ」
「伯楽殿。何を考えておられる。まさか」
「……黙ってな。
この人を飼い主の前に出しゃあ褒美が貰えるぜ。だが能力はあるが強情なのは知ってんだろ! だからアンタらに捕まったら如何なるか分からねぇ。
そこでだ!!」
……まさか。
「俺と一騎打ちをしてくれりゃあ此の人を説得して見せらあ!! それで俺が勝ったら首はやるが兵達を捕虜にしてくんな!!」
敵の若い将軍。随分と不満そうな溜息を。いや向こうにすれば当然か。
「魅力的な提案じゃあ無いな。ですが、まぁ良いですよ。味方や兵の為に、という貴方の気概を買いました。お名前は?」
「方悦」
「分かりました。では方殿、手短に説得を願います。それと兵には武器防具の廃棄を。もし此方が攻撃されたら皆殺しにします」
「感謝する」
……私は、何と無力な。
「従事殿」
「……何でしょうか伯楽殿」
「もう王匡の親分は駄目だ。袁紹とかいうバカの命令にほいほい従って義弟を殺す犬コロに成り下がっちまった。
挙句にテメェが殺した義弟のガキを抱いて泣いてやがる気狂いに成り果ててる。どっちが泣きたいか何て言うまでもねぇのにだ」
「であれば伯楽殿も……」
「いやぁ、俺はあの人の俠に救われたのは知ってんだろ。だから学がねぇなりに筋を通さなきゃならねぇ。頭の良いアンタなら俺の思いも汲んでくれるだろ? 兵もアンタが居なきゃ困る」
「……承った」
「頼んだぜ。じゃあな」
せめて目に焼き付けよう。あの馬上の広い背中を!!
「すまねぇな!! 律儀に待って貰っちまった!! 有難うよ!!」
「……私の部下になる気は?」
「ッハ!! 無粋な事を言うなや!! 王河内太守麾下武曲将方悦、字を伯楽!!」
伯楽殿が剛槍を構えた。
「行くぞ!!」
敵将が得物を構える。ああ、私でも。私程度の男でさえ分かってしまう……!!
一合。
「成る程、やはり強ぇな!!」
「来い方悦!!!」
一合で馬諸共に伯楽殿が止められた。続くもう一振りを辛うじて受け止める。
ああ、ダメだ。伯楽殿が落ちそうに。いや立て直して距離を取ろうと……。
「オラ!!」
惜しい!! 後少しで槍が届いたのに!!
「大体わかった」
敵将が馬を止めた? それに分かっただと? どういう……。
「馬を止めるたぁな!!」
「来るといい。ああ、死ぬ前に教えてやる。私は奉先、呂奉先だ」
「ナメやがって!!」
槍を脇に挟んで伯楽殿が突っ込んでいく!! 鎧を着た者さえも穿ち貫く必殺の突撃だ!!
馬が走り交差する。お互いがすれ違う。
「……ああ、そんな」
伯楽殿の首が、無い。
「つまらん。期待したけどこの程度か。さて方伯楽殿に敬意を払おうか」
汗一つさえ、かいていない……。
「ああ、兵どもは勝手に失せるといい。向かってくるなら殺すが。さぁ来てもらおうか。韓なんとかさん」
何と美しく何と悍ましい者であろうか。
方悦・伯楽
字は適当。三国志演義オリジナル武将。




