9 このままずっと
校舎を出た私たちは校門を目指して歩く。まだ午後の授業中だったから周りに生徒はいない。
校門前の馬車止めまで私たちは無言だった。私がというよりレオンス様が会話を避けている様子だったので、私も彼に合わせて黙って歩いていた。
「……もう少し歩かないか?」
階段を下りて校門が見えたところでレオンス様がやっと口を開いた。
学園は王都の中心部に近い土地に建てられているので、王城とその周辺の商会や商店の集まっているエリアへは徒歩でも行く事が可能だった。王城を挟んで学園と反対側は貴族の邸宅が集中している地域なので、低位貴族の男子生徒は徒歩で通学している生徒もいるほどだった。
私はレオンス様と並んで王都の中心街へ向けて歩く。レオンス様は私の速度に合わせて歩いてくれるので、自然と二人で並んで歩いていた。
「レオンス様もギフトをお持ちだったのですね」
ぽつりと私は呟くように話しかけてみる。
「話していなくて、ごめん」
「いいえ、私も自分からはギフトの事を話していませんでしたし、ギフトは親しい間柄でないと話さない事が普通ですから」
「ギフトは家系に関係無く生まれると言われているけれど、ラヴェル家は代々ギフト持ちが生まれる事が多いんだ。そのせいもあって先祖が書き記したギフトに関係する記録や書物がたくさんあるから自然と当主はギフトの事に詳しくなっていく。そして俺の持っているギフトは少し特殊だからあまり人に言いたくなかった」
ギフトは持って生まれる事自体が少なく、持っていてもその能力はひとつなのだが、先ほどの教師との話でレオンス様はギフトの簡易的な鑑定と跳ね返す能力があると言っていた。能力が複数あるというのは私は聞いた事がなかった。
「俺の持っているギフトはイーヴルアイ、魔眼なんだ」
初めて聞く名前のギフトだった。
「このギフトは他のギフトの種類を見抜く能力と、受けたギフトを何倍にも膨らませて相手に返す能力がある。さっきみたいに集中していれば相手のギフト能力の影響を受けずに返す事も出来る。俺の能力は瞳にあるから、父がギフト封じの力を付与したこの眼鏡を掛けている時は能力が中和されて、相手への返しが軽減されるんだ。あの封筒は誰からのものか分からなかったから、適当に返していたらまた送ってくると思ったから全力で返した」
私は歩きながらレオンス様の横顔を見る。表情を消している彼の感情は読み取れないが、少し寂しそうに見えた。
「彼女は友人だった?友人でなかったとしてもクラスメイトを傷つけてしまってごめん」
サラさんは気の毒だったが、私に何も起こらず彼女への返しが無かったらきっとまた私に呪いの込められた何かを送ってきただろう。それに彼女の呪いが成功したとしても、私へのダメージが少ないと彼女が思ったら繰り返していたような気がする。
レオンス様は私を守ってくれようとした。その上で起きてしまった事を理由にして彼を責めるなんて私には出来ない。
私は立ち止まり、レオンス様を見る。表情には出なくても彼の瞳は不安そうに揺れていた。
「先ほどは私を守って下さってありがとうございました。レオンス様ご自身のギフトの事も本当は話されたくない事だったのでしょうが、教えて下さってありがとうございます」
「俺は感謝されるような事はしていないよ、やりたくてした事だ。犯人が学園生であっても、プロの呪術師に依頼していたと思っていたから、まさか本人が直接呪いをかけていたなんて思わなかった」
レオンス様は自嘲気味に笑う。彼の能力は強くても万能ではないのだ。あの時分かっていたのは、誰かから呪いのギフトが私の元に送られてきたという事だけで、その強さも相手も分からなかったのだから、彼は出来る事をするしか無かった。
「俺の能力を話したから気付いたと思うけれど、俺は最初に会った時に自分も魅了の影響を受けつつも、キミに何倍にもして返している。眼鏡も落ちたから掛けていなかったし、突然の事だったから咄嗟に全力で返してしまった」
ああ、やっぱりと私は思った。あの時の彼はぼんやりしていて軽く酩酊しているような状態に見えたけれど、思い返すと私も状態異常を起こしていた。彼の能力を思うときっと私はもっと酷い状態だったのだろう。
あの時の事を思い出したら頭がくらくらしてきた。あんな状態の自分を見せてしまっていたなんて恥ずかしい。
それに自分が魅了をかけてしまったつもりが、まさか魅了をかけられていたなんて、そんな事思いもよらなかった。
「返しを受けたキミの様子が気になって翌日会ってみたら魅了の効果はかなり薄くなっていたようだったのだけれど、キミ自身の事が気になってしまってその後も買い物や勉強に誘っていたんだ。母への誕生日プレゼントにハンカチを毎年贈っていたのは本当だけれど、実は母の誕生日は半年も先なんだ」
「まあ…」
思わず私は両方の手の平を口に当てる。
「俺の誘いにいつも応じてくれていたから、好感を持たれている事には気が付いていたけれど、正直キミの気持ちが魅了の影響からくるものなのか分からなくて、自分でもどう受け止めればいいのか分からなかった」
そう、私も魅了に掛かっていたとなると、彼の事が好きだという前提が崩れてくるのだった。彼は気付いていないけれど、私が彼の事を好きになったのは魅了を掛ける直前で、その後がどうであれ、あの瞬間の気持ちに魅了の能力は関係していない。
「それに魅了に掛けられていたキミはすごく可愛かったから、あの時のキミをまた見たくて、キミの意思で魅了を掛けてくれないかと期待してみたり、でも相手に黙ってそういう事をするような人だったら人間性に問題があると思い直したり。……自分でも情緒が不安定だと分かっているのだけれど、俺のギフトの事を話してキミに嫌われたくないと思うと何も言えなくなるんだ」
彼の話を聞いて私は自分の顔がさらに熱を持つのを感じていた。彼は自分の気持ちがどういう種類のものなのか気付いているのだろうか?
「レオンス様、私は貴方の瞳が好きです」
私は思い切って言ってみたのた。
しかし予想に反してレオンス様は悲しそうに笑った。
「ありがとう、でも俺はこのギフトは返す力が強過ぎるからあまり好かれないだろうと言われて育ったから、気を遣われるよりはっきりと気味が悪いと言われた方が嬉しい」
レオンス様はそう言うと、俯いてしまった。
「いいえ、私の魅了の発動条件のひとつは対象者を強く欲しいと思う事なんです。私はあの時、美しくも深い色をしたあなたの瞳に強く魅かれて無意識に魅了を発動させてしまったんです」
「えっ、そうなのか?」
彼は顔を上げて驚いたような表情を浮かべる。そして忙しなく何事かを考えているようで、瞳がくるくると動き出す。
「それに私だってこれまで自分のギフトを忌み嫌われるものだと思っていました。魅了なんて別名“傾国”ですよ。私の能力なんて弱いのに、知られたら誤解されると思って幼い弟にもまだ隠しているんです」
私と彼は似たような事で悩んでいたが、彼の方がきっと悩みの度合いが深い。そう思ったから、敢えて私は明るい口調で話す。
レオンス様が一歩私へ近づいて、改めて私の顔をじっと見つめる。
胸がドキリと跳ねる。私は彼に見つめられると落ち着かなくなる。
私の気持ちを確認するかのように彼は私の手にそっと触れる。私は彼に応えるように彼の手を握り返した。彼の顔が赤くなり、私に触れている彼の手が小さく震え出す。
「アネット、知っていると思うけれど俺はキミが好きなんだ。魅了された瞬間も、その後もキミの事を好ましく思っている」
それは私がずっと待ち望んでいた彼からの言葉だった。
どうしよう、嬉し過ぎる。
「私で、いいのですか?爵位も低いですし、魅了なんて役に立たないギフト持ちですよ」
「我が家はギフト持ちなら家の爵位にこだわらない」
「ギフト持ちが良かったのですか?」
「ラヴェル家はギフトの研究をしている者が多いからギフト持ちは歓迎されるんだ。自分や家族が研究対象になっているのが普通だったから、俺も小さな頃から家にあるギフトについて書かれた本や記録を読んでいたから、他のギフトへの興味もあって、ギフト持ちの女性にそばにいて欲しいとは思っていた。魅了は祖母が持っていたから記録はあるが、個々の能力差についてはまだ書かれていないから、親族や父から能力の事を少し聞かれると思う」
「じゃあ私がギフト持ちではなかったら興味を持ってはもらえなかったという事ですね」
「それは分からない。俺たちが出会ったのはギフトがあったからだし、俺がキミと関わろうとしたきっかけはキミが俺に魅了を掛けたからだ。俺が返した能力の影響を気にしていくうちにキミという人を知って深みに嵌っていったんだ。キミはギフトがなくても魅力的だと俺は思うし、ギフトがあったから好きになったという事ではなく、ギフトが無かったらキミという人を知ることは無かったから、ある意味キミの言った事は正しいかもしれない。けれども一番大切なのは過程ではなく、今お互いにどう思っているという事ではないのか?」
私たちの始まりは普通とは違う。それぞれが持っているギフト能力に振り回されもした。けれども私も彼も流れや勢いといった瞬間的な感情だけで自分の思いは語ってはいない。
彼の考えが分からないと思っていた時もあったけれど、彼も私と同じように悩んでいたからこれだけの気持ちを込めた言葉を私にくれた、そう思えるだけで私には充分だった。
「眼鏡、外してもらえますか?」
「これでいい?」
そう言ってレオンス様は眼鏡を外す。
私はレオンス様の瞳をじっと見つめる。彼は自分の瞳を嫌っていたが、私はやっぱりこの美しい瞳が好きだ。それに彼の優しさもかわいらしいところも頼もしいところも知っている。
「先ほども言いましたが、やっぱり私はレオンス様の瞳が一番好きです」
「……ありがとう、アネット」
レオンス様は一瞬目を見開いた後、目を細めて柔かく笑い、触れるだけだった手をぎゅっと握ってくれた。
お互いに笑顔を見せ合った後、私と彼は中心街へ向けて再び歩き出した。
途中、彼が前を向きながら小さな声でぽつりと呟いた。
「俺、このままずっとアネットと歩いて行きたい」
「ふふふ、私もです」
それから半月後に私たちは婚約を結んだ。
レオンス様の言葉通り、レオンス様のご両親に私たちの事は反対されず、彼のお父様はメモを片手に私の魅了の能力についてあれこれ聞きたがった。しかし私が魅了の力を使ったのは一度だけなのであまり情報が得られなかったらしく、もう一度レオンス様に魅了を掛けて詳しく話を聞かせて欲しいと言われた時には丁重にお断りをさせていただいた。
サラさんはひと月の停学という罰を受けたが、結局学園へは戻らずにそのまま領地のある地方の学校へ転校して行ってしまった。
レオンス様の婚約者となった私は、週末は彼のお母様から伯爵家の女主人として必要な事を学ぶ日々を送っている。
卒業まであと2年あるので、それまでに高位貴族のマナーと社交、それと伯爵家の家政をある程度覚えて身に付けないといけないし、ラヴェル伯爵夫人に連れられてお茶会へ出掛けたりと忙しい日々を送っている。
レオンス様の婚約者となった事で学年が上がったら私は1組へ移る事になった。私は男爵令嬢だし、高位貴族の中では伯爵家は下位なので、気を遣う毎日になりそうだがレオンス様と同じクラスになれると思うとそれだけで嬉しい。
私を廊下へ連れ出した子爵令嬢たち三人組は、その後も懲りずに私の鞄と授業で使う教本を焼却炉へ放り込むという事件を起こし、一週間の停学と伯爵家からの抗議を受ける事になった。彼女たちを見かけるとレオンス様がとても冷たい眼差しを彼女たちに送るようになり、それが怖いらしくレオンス様の姿を見ると逃げるようになってしまったが、別の令息を狙うようになったようで相変わらず毎日のように1組の教室の前にいるが、先日は侯爵令嬢に注意を受けていた。
婚約者になってからのレオンス様は以前にも増して私に甘くなり、私が魅了に掛かっているのを見たいからと自分に魅了を掛けて欲しいと言ってくるようになってしまった。
もちろん全力でお断りをしているのだけれど、ついにこの間、結婚をしたら魅了を掛ける約束をさせられてしまった。
私が彼にじっと見つめられる事に弱く、彼に見つめられると、ついお願いを聞いてしまうという、ギフトとは違う能力を彼の瞳が持っているという事に彼は気付いてしまったようだった。