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灰に踊る姫君ードンス・シュール・レ・サンドレ  作者: ミアヒェナー=エレント
第3章ー若獅子の行進
19/19

最後の国王ードュードネ=シャルル・ド・ロアゾン

あの前代未聞とも言える裁判から一夜明け、サン=ジュヌヴィ市民の数少ない憩いであった有力地元紙のロレーヌ新聞社はこの裁判を”高等法院(パルルマン)が共和派を有罪としない判決。結果は保留された模様、法院長は共和派か”といった見出しで報じた。

サン=ジュヌヴィの街ではともかく、宮殿においてはこういった話題は暇を持て余す貴族たちにとって丁度良いものだ。

朝からにわかに囁かれたこの重大な事件は、2時間もかかる昼餉を終える頃に王太子に耳に入った。

「これはどういうことだ!なぜ反逆者どもが生きながらえているんだ。この俺を侮辱しておきながら無罪放免など断じて許さぬ」

アントワーヌは通りすがりの貴族の娘からひったくった新聞を執務室の机に叩きつけ、怒鳴り込んでいた。

このような結末になろうとは誰も予想していなかったため、閣僚たちは黙って聞くほかない。

「今すぐにあの反逆者を捕らえ、再び裁判にかけろ!」

「しかしながら...噂によると、被告人は既に司教座裁判所へ逃げ込んだようでございまして」

大法官ブロンニャール侯は恐る恐る口を開き、進言する。

「ならば、その裁判所から引きずり出せばよいだろう」

「いえ、それはいささか......」

言い淀んで唇を硬く噛んでいる大法官の代わりにフィリップが進み出て言った。

「殿下、恐れながら司教座裁判所はサン=ジュヌヴィ司教の管轄下にあり、容易く介入することは避けた方がよろしいかと」

その言葉はさらに彼を激昂させるだけだった。

「なんだ、司教ごときの権力が王太子の権威を上回るとでもいうのか」

「ノートル=ヴィエージュは聖域。そこへ無断で踏み込むことを世論は快く見ないでしょう。そのようなことせずとも、今の司教そして聖女様は国王に対して協力的です。取引に応じてくれるかもしれませんから」

それを聞いて少しは冷静さを取り戻したようだが、依然として自分では何もできないというのが気にくわないようだ。

「では...司教に被告人を引き渡すよう伝えろ。このままでは終わらせん」

「御意。すぐにでも手紙を書かせましょう」



その後宮廷からの要望書がサン=ジュヌヴィ司教に届くよりも先に、高等法院(パルルマン)参事会は驚きの結論を出した。

法院長セヴェールは罷免されず続投することが決したのだ。そして保留されていた裁判を再開するために一時的に大聖堂へ逃れていたサヴォワは再び法廷に立つこととなった。

この劇的な自体が動いたのはわずか半日の出来事である。

結局のところ、共和派の隠れ蓑となっていた高等法院(パルルマン)には彼らの思想がしみ込んでいて判事達にも影響を及ぼしていたのだ。

あの日弁論に立った判事以外の多くの裁判官たちは、元々法院が持つ独立志向も相まって近年の共和派に対する迫害とも言える仕打ちを疑問視し始めている。

少なくとも今後の共和派関連の裁判で、死刑判決が出されることが無さそうな雰囲気が法廷に立ちこめるようになるようになったことは確かな事実であろう。


**********************************


(......ここは何処だ? 赤い炎?それに...焼けつく臭いが...王宮ではない...のか?)

王は夢を見ていた。

このところ毎晩のように見る夢の続きだ。昨日は王宮に人が雪崩れ込み、狂乱に巻き込まれるところで終わった。絵具が混ざり合ったバケツをキャンバスに広げたような曖昧な光景で感覚も、まともではなかった。

ただずっと以前から何かがこっちを見ているような気がしている。

昨日の夢で騒乱のなか逃げ惑う群衆がいたこの場所にはもはや人気が感じられない。

そのかわりに

(...これは人か!? 血...)

ぼやけた視界の中で地面に横たわるそれらを認識し、思わず倒れ込む。血で満ちている。

あたり一面、昨日見た群衆たちが全員死んでいる。ここがとても王宮とは信じられなかったが、たしかにロゼイユ宮の名残があった。

そして倒れている者の姿も。

(あぁっ... フィリップ... ラーモンド、ドラン...)

全て彼の友人たちだった。

これが質の悪い悪夢だと知りながらも王はこの惨状に耐えかねて大声で叫んだ。

「おい!そこにいるんだろう!私を見ている奴が!卑劣な悪魔め、姿を表せ!」

怒りに奮い立った彼はそばで燃え尽きていた兵士の剣を抜き、闇に向かってゆっくりと進む。

「こんなものを見せて何がしたい!?余の魂を狙っているのか?こんなものは全てまやかしだ!そうに決まっている」

奥まで進んでみたものの、その気配は答えようとしない。

ついに恐怖に打ち勝てなくなり王は鏡の間へと走っていった。

その間も謎の闇は彼の後ろから離れずついて来ていた。

途中で剣を振り回してみるものの、大して意味はない。

とうとう疲れ果てて立ち止まり、ふと目線を鏡に向けた途端、悲鳴が口から漏れる。

「ひぃっ...!貴様は...一体何なのだ!!」

赤黒く血で染まった甲冑がこっちを睨みつけているように見えるそれは、鏡の向こう側で優しく微笑んでいたが、そのほほえみはこの真っ暗で陰鬱した世界では狂気としか映らなかった。


「......驚かせてしまったのでしたら、非礼をお詫びしましょう。陛下」

ゆっくりと丁寧に語り掛けてくるそれはよく見ると女の顔だ。

向こう側の闇に潜むそれは歩き出し少しづつ歩み寄る。

誰もいない静寂につつまれた広間にガシャ、ジャリ、という甲冑がこすれ合う音だけが不気味に響き渡っていた。

やがて鏡面に触れるほどまでに近づいたその女の姿が、崩れた壁から僅かに差し込む月光に照らされて浮かび上がる。

「私はなにも...悪夢を見せている訳ではないのです。これは警告でございますよ」

妖艶でいて芯がある真っ直ぐな瞳に見つめられた王は蛇に睨まれた蛙のように動きを封じられてしまった。

その威圧感からは人ならざる何かを感じる。こいつは人ではない、悪夢の権化だ。そう信じ込み王はもはや対話する気も起らなかった。

「この場所をご覧になってどう思います?ここは紛れもなく陛下の王国なのです。未来のね。宮廷の圧政に耐えかねた人々は一斉に蜂起し、王宮を襲撃するでしょう。彼らが求めるのは...最初はパン、そして仕事。ですが、王がこれを拒むと彼らはさらに熱烈に要求する......」

天井を見上げ童話を読み聞かせるように語り始めた女は、王のことなど気にも留めずに続ける。

(あぁ...《至高なる北星よ、汝はいと尊きものなり...》)

彼はついにその拷問からの解放を願うあまり、普段から唱えている祈りを口にし始めた。

「そして彼らの要求は王の首へと発展するのです! 徹底抗戦を誓う王は全軍を投入し、このロゼイユ宮を戦場として国民どうしがつぶし合う凄惨な戦いを引き起こして最後には...... この通り、皆死んでしまいました。王も王妃も、舞踏会で一夜を愉しんでいた貴族たちも、優秀な兵士たちも、街角でパンを売っていた旦那も花売りも、そして最も惨めな農民たちでさえも...全て貴方のせいで滅ぶのです。サンドニージュ最後の国王よ!」

「...っ!?」

責め立てるような女の口調は彼の祈りを中断させ、意識を恐怖で染め上げるのに十分であった。

王は再びこの地獄のような光景を目の当たりにし、この女の言うことが全て本当のことのように思えてきた。

「さ、最後の国王?この私がか?は、はっ... ふざけるのも大概にしろ!我が王国は揺るがぬ、国民とて私を慕っておる。財政が厳しいことは事実だ。だが、そのような事で王座に刃を向けるようなことをする民ではない」

「ハハッ...!陛下はどうやら現状を御存じないようですから申しておきますが...」

女の姿はいつの間にか後方から前方の鏡へと移り、口角を歪めて笑っていた。

「陛下が病床に臥せられて数年... 王太子殿下の失策と重税によってサンドニージュの民は飢えております。今や殿下が王になる事を望む者などどれほどいますでしょうか」

王家への侮辱ともとれる発言だが、鏡の向こうにいる悪魔に反撃する手段を知らない王は黙って聞いているしかなかった。それに王太子のこととなるとあながち嘘ではないように感じた。

彼自身も王太子のことにはずっと悩まされてきたからだ。

「......アントワーヌは確かに未熟ではある。だが、私が息子に求めることはロアゾンの血を次に繋げることのみだ。あの傲慢で自分本位な姿勢では執政はまかり通らぬであろう。しかしあいつに長子さえできれば問題ない。その子の教育に力を注げばよいのだ」

彼は冷静にこう答える。300年に及ぶロアゾン王朝の治世の中で全ての王位継承者に王として完全な素質がある訳ではなかったことは善王アンリの第一王子がそうであったように至極よくあることなのだ。

つまり、アントワーヌは以前より王の素質が無いと思われていたということである。

だから彼の役割はあくまでも”種馬”。ロアゾン家という王家の血を繋げるならばそれで良いと王は思うことにしていた。

「間に合うならばそれでも良いでしょうがね。果たしてそんなにうまくいくでしょうか」

「ど、そういう意味だ」

王は悪魔を睨みつけて威圧する。

「言ったでしょう。この光景は間もなく現実となる......そう遠くない未来ですよ。殿下の...ご子息が成長なされるまでにこの国は崩れ去る。これは避けられない運命なのです」

天を仰ぐような信心深い仕草で語る女に彼は迫りくる焦燥感を覚えた。この血に沈む光景が現実に......?

そんなことはならぬ、とここにきて初めて王はその女を正面から見据えた。

顔と仕草は聖者の面持ちでいて、醸し出す雰囲気は悪魔であるその姿に目をそむけたくなる誘惑にかられつつも彼は救いを求める様に口走った。

「......どう、すればよい?ならば、どうすれば我が王国を救えるのだ」

悪魔に救いを求めたのである。

「......あぁ、陛下。今のままでは確実に滅亡の道をたどるでしょう。しかし....その運命の裁きから逃れられるとするならば...... ただ一つしかありません」

もったいぶって結論を引き延ばす女に王はそれはなんだ、と詰め寄る。

「殿下を、アントワーヌ王太子殿下から王太子の身分を剥奪し、追放なさいませ」

「な”っ!?」

耳を疑うような発言に思わず言葉を失った。

当然だ。サンドニージュにおける唯一の王位継承権を有するアントワーヌにそんなことをすれば、王位を継ぐ者がいなくなり王国は滅びるということは誰でも分かる。

「では、誰が次の王になるというのだ!?」

やはりこの悪魔は王国を滅ぼそうとしているのか?と彼は猜疑心を隠し切れなくなっていた。

「それは紛れもなく陛下御自身にございます」

「何?私が....? 何を言う、お前も知っているはずだろう。私にはもはや時間が無いのだ」

王は悟ったような表情でそう述べる。数年前から進行している彼の身体を蝕む病巣はもはや手の施しようがない所まで到達している。国中の医者が診ても神に委ねるほかないと言われ、あと1年生きるかどうかも定かではないことは自分が一番理解しているつもりだった。

そんな状態で公務に戻れと?そんなことに意味はない、と彼はあざ笑う。


「ですが、もし命を長らえさせることが出来るとすれば......陛下は国王として再び執務に戻るおつもりはありますか?」

予想だにしない質問に彼は固まった。女の言っていることが理解できないといった様子で。

「命を長らえさせる....?そんなことが出来るはずがないだろう」

「いいえ、どうか私を信じてくださいませ。もし......陛下が殿下に代わり再び王として統治してくださるならば、その寿命を引き延ばしましょう。この国が安定するまで陛下は決して死ぬことはないでしょう」

彼女は手を広げて取引を持ち掛ける様に笑みを浮かべる。

そんなことは不可能だと分かってはいても僅かな希望に縋りたいという気持ちがあるのも確かだった。

「如何ですか?全てはこの国を救うためにございます。どうかご英断を」

彼女はどこからともなく古びた羊皮紙を出現させるとそれを王の目前に滑らせた。

それは不可解な言語で書かれていて、どうやら契約書のように見える。

「.....悪魔と取引をせよというのか」

確かに彼自身が再び統治すれば幾分か現在サンドニージュが抱える問題は解決するかもしれない、だが結局その後王となるアントワーヌの思想が変わらない限り国の未来は絶望的だろう。

根本的な解決にはならない、なによりもこんな悪魔と契約を交わすなど許されることではない、と決意したように目の前で契約書を引き裂いて言った。

「悪魔と契約など交わしはしない。アントワーヌの問題は私が解決する。貴様の助けなど必要ない」

「......誠にそれは正しいご判断でしょうか」

女は険しい表情で説得しようと試みるが、王の意思は固いようだ。

「王は誤ることなどない。私の決断は国家の意思。どうするかは自分で決める」

「そうですか.......残念です」

威厳ある王の姿に彼女は小さくそれだけ呟くと手に力を込める仕草をした。次の瞬間、王の身体がふわりと宙に浮き向かい側の大鏡に激しく打ち付けられた。


「が、はっ.....な、何を....する」

吐血しそうな勢いで辛うじて言葉を紡ぎ、反抗しようとするがその努力も意味をなさずどれだけもがいてもその不可視の力からは逃れられない。

「やはり....サンドニージュの王というのは幾世紀経とうと変わらないものなのですね。傲慢で....己の利益だけしか考えない」

「何を....言っているのだ。私は...民のために...」

「でも、結局自分の血統が、血族が愛おしい。そうでしょう?だから殿下を追放しようとはしない」

彼女の指摘通り、アントワーヌを宮廷から追放しないのは王位継承者がいないという理由だけではなく自分の息子に王位を継いでほしいという思いが無いという訳でもなかったのは確かだ。

「あの時の陛下と何も変わらない......」

彼女の瞳に暗黒の炎のような怒りが煮えたぎるように見えた。それに従って王を拘束している力が徐々に強くなり呼吸が苦しくなってきた。

「がっ、は.....私を...王を殺す気かっ?」

「......悪く思わないでくださいね。私も祖国の王を殺すなんてことしたくないんです。私はかつて何よりも忠義な騎士だったのに。文句があるならご先祖に言ってくださいね」

彼には女の言っているいみが理解できなかった。口ぶりからしてこいつも同じサンドニージュ人かもしれない、と思うほかにはもう余裕がなくなっていた。

「何故、このような、ことを....くっ..」

「あぁ、ご心配なく。あなたの王国はわたしたち(魔女饗宴)が正しく導いてあげましょう」

「まっ、魔女...? 貴様は..まさ、かっ.....んぐっ...」

最後に正体に気づいたような素振りを見せたが、間もなく床に転げ落ちて動かなくなった。

アルデバランに名をはせる大国を歴代に渡り統治したロアゾン家の王と言っても最後は凡人と変わらないものである。

「......サンドニージュの王ともあろう者がこんなにあっさり逝くとは。しかし、これで残る血縁者はあのアントワーヌだけ....ふふっ、はははッ!!!」

死体が転がる虚空でその魔女は狂気に満ちた声で笑った。

虚無に響き渡る声を残して彼女は鏡の裂け目へと戻っていった。


************************************


大法官がサン=ジュヌヴィ司教に共和派の被告の身柄引き渡しを要求しに派遣され、アントワーヌが午前の公務を終えたころ、宮殿内の中央に位置する国王の間に侍女が様子を伺いに行こうとしていた。

最近は起きられることも少ないため、消火に良い食事を持っていき着替えをさせる程度になっている。

「国王陛下、シルヴィアにございます。お召し物をお持ち致しました」

宮廷の慣例に従ってドアを爪で音を立て返事を待つ。しかし、いつもは眠っていて彼女の声ですぐ起きる国王からいつまでたっても返事が無かった。

最初は単にまだ眠っているのかと思い、1時間後に再び訪問したがやはり返事が無かった。

さすがに妙だと思って彼女は侍女長のキャロリンヌ侯爵夫人に相談すると、彼女の指示で部屋に入ることになった。

本来、神聖不可侵である国王の住居に許可なく立ち入ることはご法度であったが何かあってはと思ったのだろう。

「陛下はいつもすぐに起きられるもの。これだけ時間が経っても起きないのはおかしい... 陛下、失礼いたします」

そう言うとドアを開き中へと入った。

そこにはいつもと同じ安らかな表情の国王がベッドに横たわっていたので、彼女たちは呼びかけてみたのだが

「陛下。お召し物をお持ち致しましたよ。もう昼にございます」

ここまで至近距離で呼びかけても一切反応が無い。それどころか寝息すら聞こえない。

「......陛下?」

キャロリンヌは近づいて顔の筋肉と皮膚の状態を確認するや否や、直感的にこう叫んだ。

「っ、シルヴィア!今すぐお医者様を呼んで頂戴!陛下が...もしかすると...!」

青ざめた表情で訴える彼女にシルヴィアは礼儀作法も忘れて、廊下の方へ走って知らせに行った。


この日は後に全国民にこう記憶されるようになった。”サンドニージュにおける最後の国王が死んだ日”と。



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