セヴェール事件ーディフォンセール・ドゥ・ジュスティス
我が親愛なる臣民の自由と平等のため、朕、国王アンリ=フィリップ・ド・ロアゾンは「高等法院」を設置することを許可する。
これは王権から独立した司法権を行使する機関として機能するべきであり、あるゆる者の公的権能から守られるべきである。
法院の決議権は法院長が有するものとし、国王であれこれに不当に介入することはこれを禁ずる。
司法機関の長、大法官は高等法院からの告訴状を承認する権限のみを有する。
国王は法院の判決が法典と著しく乖離している、もしくは王権を不当に侵害していると認定する場合のみにおいて国王大権に付随する拒否権を行使できる。
拒否権の行使が行われた場合は国王臨席のもと「三部審判」が行われそこでの決定をもって最終判決とする。
ー『高等法院設置に関する特例法』及び『王室慣習法』より抜粋、国王アンリ1世ー
ジャンヌと名乗った貴婦人に導かれるままに俺は宮殿の回廊をいくつか抜けると、やがてこじんまりとした部屋にたどり着いた。
部屋の広さこそベッドが1台置けるような空間だったが、内部は美しい金細工で装飾された庭園のようであった。
「ここは...」
「私の部屋よ。正確に言うと”公妾の寝室”だけれどね」
ん?”公妾”?それってあの...
その疑問を打ち消す様に彼女は椅子に座るよう俺を促し、それに応える。
「とにかく、貴方はあまりここについて知らないみたいだから私が教えてあげるわ」
そう言うと彼女はロゼイユ宮における様々な習わしやマナーについて、重要な部分をかいつまんで教えてくれた。
彼女曰く、先ほどの奇妙なモーニングルーティーンは”黄金王”の時代に制定されたものらしく宮廷貴族は毎日それに出席している。
そしてその儀式で王に認知される事こそが出世する上で重要らしい。
最も本来その役を担うのは国王であるはずだが、陛下が病床に臥せっている今は王権とともにそうした慣習も殿下に引き継がれているのだ。
「...なるほど。噂には聞いておりましたが、あれを毎日とは... ここでの生活は想像以上に大変かもしれません」
「すぐ慣れる。私も最初はそうだったけどね。みんな憧れを抱いて宮殿にやってくるけど、私達を待ち受けているのは不便さと窮屈な毎日... それが嫌なら今のうちに家に帰ることね、坊や」
優雅な笑みを浮かべる彼女は小馬鹿にするような口調でそう告げた。
「いえ...俺は... 殿下に仕えるためにここに来ましたから」
「あら、そう。ところで、殿下直属の従者なんて貴方何者なの?」
探るような訝し気な目線でこちらを見つめる。
「え、いや、それは...」
(まずい、なんて言えばいいんだ? 殿下との関係を直接話すことはできないし)
「む、昔からの友人、です」
やっと考え付いたのがそれだった。
「友人、ねぇ? 殿下は昔から人を寄せ付けないタイプだったと思うけれど。そんな仲の良いご友人なんて聞いたことがないわ」
余計に怪しまれたようだ。だが何を言っても彼女には通じないような気がする。
「まぁ、いいわ、ならご友人ということにしておくけど。少し、私に協力してくれないかしら?」
「......協力、ですか?」
彼女の瞳には何か裏があるように感じて恐ろしかったが、全て知られている様な気がして俺はとても断れなかった。
「そう身構えないで。ただちょっと殿下に私のことを取りついで欲しいだけ」
「はぁ... 俺に、出来る事であれば」
彼女が何を意図してそんなことを願うのかよく分からなかったが、了承する他無いと思いすぐに承諾した。
「本当に?ありがとう。ただちょっと私のことを毎晩殿下に伝えてくれるだけでいいから」
彼女は満面の笑みで立ち上がると部屋を出る前に、振り返って耳打ちする。
「あ、そうだ。何か困ったことがあれば何でも言って頂戴。多少は融通をきかせてあげられると思うから」
それじゃあね侯爵閣下、とだけ言うと彼女は俺を残して風のように消えていった。
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「被告人は当時ロゼイユ市場にて公然と王太子殿下、並びに王族に対する侮辱的発言を行い王威を貶めた。そして、これが国家反逆罪に準ずる行為であると知ってた... これに誤りはないな?」
宮殿の王侯貴族たちがみな公務を終えて戯れに移る頃、20タレランドほど東に離れたサン=ジュヌヴィの高等法院第一小法廷では先日逮捕された共和派の主犯格に対する裁判が行われていた。
一月ほど前から共和派の逮捕が相次ぐようになってから、この法廷ではひっきりなしに裁判が行われるようになった。
それはもう、本来見飽きているはずの万引きや窃盗といった事案がむしろ丁度良い娯楽に感じるほどに。
「はい。間違いありません。ですが、我々は決して陛下と国家に対し反逆を企てている訳ではないのです」
「ほう?そうか、だがあの時お前は民衆を扇動するように振る舞っていたそうではないか」
最高法院判事が身を乗り出し、脅すような目つきで被告人に迫ると彼は少し焦りを見せる。
「それは...ただ私の考えを述べていたに過ぎません」
「それが問題だということに気づくべきだな。陛下が統治される国家体制を批判することは『国王至上法』に対する明らかな違反だ。これに基づき、被告は四肢切断刑が妥当であろう」
一瞬、判事席と傍聴席にざわめきが起こる。
君主に対する不敬や反逆に極刑が適応されることは珍しくなかったが、こと共和派に対してはほぼ必ず死刑に準ずる最高刑が宣告されてきた。
行政が高等法院に介入することは出来ないが、法律の制定により実質的にこちら側に圧力をかけているのだ。
「......ふむ」
法院長セヴェールは彼らのやり取りを見て考え込んだ。
これまでの共和派に関する事案に幾度となく死刑判決を下してきた彼だったが、この場面において先日フランソワに言われた言葉を思い出していた。
『勇気をお出しください、法院長様。 あなたの判決は民衆に勇気を与える事でしょう。このねじ曲がった王政に反逆する勇気を』
冷静に考えて彼らの行為は死に値するほどなのか?君主への反逆、民衆の扇動、王政の否定...
いや、しかし今の宮廷が間違っているのだとしたら。このまま放置し続けあの王子が国王となった暁には我が国の未来などないかもしれない。
だが...
(ここで通常と異なる判決を下せば確実に殿下の逆鱗に触れるだろう。今後、法廷の独立を危険に晒すことになるやも...いや、それどころか私の立場さえ......)
保身と正義感の間で揺れ動き、苦しみながらも彼は最後に決断することになった。
「ー以上で弁論を終えます。では、裁判長閣下。最終判決を」
正義を放棄し権力に屈するならば、もはや法廷の価値などない。
覚悟を決めた彼はゆっくりと法廷全体を見渡してから、噛みしめる様にして判決を言い渡した。
「被告人は王太子殿下を公然と侮辱し、民衆を反王政へと扇動した。これは殿下の名誉を棄損することであり王家の品位を低下させることに他ならない。共和主義の蔓延は国家への反逆的思想であろう。
...サンドニージュ王室規範並びに国王至上法の規定に従い、被告は絞首に処されるべきだと解される」
被告人、サヴォワの表情が険しくなりため息を漏らした。死刑判決が下ることは本人を含め全員が分かりきっていたことだったので傍聴していた民衆もさほど盛り上がる様子もない。
だが、しかしながら、と言葉を続けた裁判長の言葉にみんなが静まり返った。
「被告には故意に殿下の名誉を棄損し、王威を貶める意思はなく、その発言によって影響された者もいなかった。被告の行った軽微な言動を加味すれば果たして当法廷は死罪を宣告するに値するであろうか?」
「裁判長閣下、お言葉ですが具体的に危害を加えただけでなくとも王族に対し無礼を働いた者が死罪に処されることは、当法廷過去300年間の判例からも明らかです。その上共和派に属するというだけで反逆者も同然、国王至上法に反します」
判事はすぐさま彼に反論した。このようなことは初めてだったので判事は少々驚いたがあくまで冷静に問い直す。
「それは...判例のみを参照して言っているのかね?それとも王族の名誉を損なったという理由で必ず死刑に処される、という法文書があるから言っているのか?」
「いえ... 慣習法でございます。閣下も知っているはずでしょう」
他のどの地域にしてもそうだが、法律とは成文化された一つの辞典がある訳ではなく野蛮人が跋扈していた遥か昔から紡がれてきた数百もの規定が重なり合って存在しているものだ。
裁判所の判決基準となるのはそれまでの判例というのが高等法院の慣習であった。
それのみを法的根拠として疑うことも無く信じ続けてきたのだから、わざわざ”王族に無礼を行えば死罪”などという至極当然の法律を制定するために王が筆をとる必要など無かったというわけである。
「だがそれは”前例”であって法ではない。この場を借りて私の考えを述べさせていただくと、そもそも成文化されていない慣習を法として崇めることこそが間違いであると考えている」
「そのようなことを急に... しかしそれでは何をもって判決を下されるおつもりで?王族に無礼を働いた者を無罪にせよ、という法律もないと存じますが」
判事は訳が分からず困惑した様子で聞き返した。
傍聴席は今や裁判長がどう切り返すのか、その一言一句を注視していた。
「”大聖女の法典”を知らんのかね?」
「教会法と何の関りが? ここが王立裁判所だということをお忘れですか」
聴衆の何人かはこれまでの傍聴で得た法律の知識を総動員して裁判長の発言について考えていたが、何せこの法廷で北星教会の成文法が持ち出されることは前例が無かったがために、判事を含めた全員が当惑していた。
「...大聖女の法典第7条第3項の定めによれば、”敬神を理由として国家君主からの不当な要求を拒否した場合に法を執行する場合には司教以上の権限を有する者の助言を聞き入れる必要がある”また、第5項 ”王権もしくはそれに準ずる国家権力による不当な要求を拒否した場合に司法機関が死刑を求刑した時、北星教会及びこれに属する各地の司教座は司法に介入する権限を有する”とある」
聴衆が興味深くこの古い法律について聞き入っていた一方で、判事は馬鹿馬鹿しいとばかりに目を背けだけだった。
「つまり、その”国家君主からの不当な要求”に王への従順が当てはまると?そんなめちゃくちゃな理論がありますか!それがまかり通るなら今までの不敬を犯した者たちも全て審議しなおさなければならないではないですか」
確かにこの1000年近く前に制定された、古代の法律を適応するには強引すぎる導き方かもしれない。
「無論これは被告を無罪にする法ではない。だが、これは少なくとも本件に教会の介入が必要だと立証できるものだ...... 被告人。貴殿は自由を得るため、王による不当な搾取を脱し国家再生のために声を挙げたといったな」
「は、はい」
彼は突然サヴォワの方へ向き直ると目を真っ直ぐ見据えて事実を確かめる。
「1443年のサン=ジュヌヴィ司教座裁判所の判例では同様の事案に対して無罪判決が出ている。
”人間は至高なる女神様の下に自由が保障されており、王権が不当にこれを侵害してはならない”とな」
法律家としてあまりに無理やりすぎる解釈であることは彼も理解していたが、現状共和派の人間を死刑から救うにはこんな方法ぐらいしかなかったのだ。
判事たちは呆れてもはや何も反論してこなかったが、聴衆は久々に見る法廷劇に興奮している様子だ。
後方の席からは拍手も聞こえてくる。
いいぞ、とかその通りさとかいう賞賛の声に混じって共和国万歳、や恥さらしな無能王子といった火種となりかねない言葉も聞き取れた。
ともかく、民意がこの判決に無罪を何よりも望んでいることは確かで、高等法院の自警団がいるとは言え、もし有罪判決なんか出そうものなら判事たちに襲い掛からんとする勢いで法廷ににらみを利かせる市民も見受けられた。
しばらくして、最終判決は訂正され、再び裁判長は判決を述べ始めた。
「....以上、大聖女の法典および司教座裁判所の判例を踏まえ被告人に対し今日の審議において死刑の求刑を行うことは困難であり、判決は一時保留とする」
このどっちつかずな判決を聞いた聴衆からは不満が噴出したが、サヴォワにとっては一日永らえる時間が出来ただけで満足だった。
だがこの行動によりセヴェールの当法廷における権威と信頼は失墜したと言えるだろう。
裁判長としての責務を超え共和派を弁護するような姿勢を宮廷は反逆者として見るに違いないからだ。
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「裁判長閣下。今回のことは誠に感謝申し上げます。ですが、まさかうまくいくとは」
「はっはっ、まぁ、うまくいったとは言えないがな。私が議決権を持っているとはいってもこれはほとんど職権乱用だ。明日にでも私は法院参事会によって罷免されるだろう。だが後悔はしておらんぞ、この国の未来は君たちに委ねよう」
閉廷後、裁判長とサヴォワの二人は廊下の隅で今後について話し合っていた。
彼の言う通りこの一方的な判決を判事達は認めようとしないだろう。彼らが罷免決議を行えば確実にセヴェールは罷免され、新たな法院長が判決を無効とする宣言を出す。そうなれば今日したことは無意味になる。だから
「君は明日にでも”ノートル・ヴィエージュ”に駆け込んで保護を求めるんだ。それからすぐに司教座裁判所に訴え出るといい」
「教会裁判に持ち込むのですか?」
500年程前から続く慣習として罪人が聖堂に逃げ込んだ際に教会は保護を与える、というものがある。
これは王権が今ほど強固ではなかった時代だったために機能したことであるが、現在においても裁判所の判決からのがれる時間稼ぎ程度にはなる。
「ああ、高等法院で無罪の判決は望めん。教会裁判でなら多少望みはあるだろう」
彼はその答えに納得すると最後に堅く握手を交わして裁判所を去って行った。




