第ニ夜ーラ・ファン・デュ・バル
舞踏会から一日が経ち、再び賓客が訪れる時間になった。
鏡の間に並ぶ料理やワインは昨日よりもさらに豪華なものとなり、装飾もより洗練されたものとなった。
壁一面に飾られた、王位の象徴である青薔薇の外套はまるで今回の主役が王太子ではなく国王だと思わせるかのようだ。
一日目よりもさらに豪華に、とアントワーヌが要望した結果である。
その一方で宰相ら閣僚の面々には緊張が走っていた。
今日こそ昨日現れた謎の青年を捕らえなければ、彼にどれほど怒鳴られるかと考えただけで恐ろしかったのだ。
「まったく、殿下には困ったものだ。なぜあんな青年にそこまで...... まぁいい。我々は殿下の願いを叶えることに集中すれば」
アントワーヌの短い挨拶で再び舞踏の夜が始まる。
舞踏の前の晩餐に奏でられるための前奏曲が弦楽器から鳴り響いた。
近年の流行では弦楽器を主体にした四重奏曲や、ピアノ・フォルテと呼ばれる新しい楽器を取り入れた協奏曲が主流である。
その波はこのロゼイユ宮廷にも押し寄せていたのだが、アントワーヌはあまり快く思っていなかったようだ。
「...っなんだ、この侘しい音色は!今すぐいつものに戻せ!!」
彼は何やら苛立っているようで、大勢の貴族たちの目前でも関係なく指揮者を叱責し始めた。
音楽が急に途絶えたことで皆何事かと覗き見ていたが、一番気まずそうに見ていたのは宰相フィリップだ。
アントワーヌが指揮者に一方的な暴言を浴びせた後、彼は感情を押し殺してその場を離れた。
だがその内面は恐らく悔しさで満ちているだろう。
「おい!フリードリヒを呼べ!このままでは耳がおかしくなりそうだ」
交代するように満面の笑みで現れたのは、ホーフスブルク風の髪型をした壮年の男性だった。
「お呼びですかな? ご心配なく、今すぐ一曲献上いたしましょう」
彼はそう言うなり乱雑な手描き譜を奏者に渡した、チェンバロの豪華な音色が響き始めるとヴァイオリンやチェロも必死になって追いかけた。
誰もが初めて聞く彼の曲だったが、賓客は勿論のことアントワーヌもお気に召したようだ。
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「公爵様もおひとつ...」
「奥様は相変わらず謙虚であられる!」
次から次へと運ばれる料理、豪華な装飾...まさに贅を尽くした舞踏会の光景を見て、いったいいくらかかっているのだろう、などと考える貴族は誰もいない。ただ彼一人を除いて。
(.........二日連続で舞踏会を開くとは,,, しかもこんな大規模な。これだけの食材があればサン=ジュヌヴィの奴らはみんな満腹になれるってのに)
サンドニージュ宮廷近衛兵隊長、ジョゼフは周囲の光景を見て呆れていた。もはや見慣れたことではあるが、今の財務状況を知ってなおこんなことが出来るというのが彼には信じ難いことだ。
「豪勢ですね。そう思いませんか?いやはや殿下の豪快さには感心するばかりです」
「...誰だ。会場ならそこをまっすぐ行けばある」
一瞬警戒するも、口調を変えず淡々と答えた。
だが彼の正体に気づくのに時間はそうかからない。
「私は舞踏会に来たのではないので。”会合”を望まれたのはそちらでしょう?ジョゼフ隊長閣下」
「お前が共和派の... ついてこい。こっちだ」
彼は少し眉間にしわを寄せた後、マントを翻して持ち場を離れた。
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「そこに掛けろ。今水を持ってこさせよう」
「いえ、どうぞお構いなく。こうしてお会いするのは初めてですね。フランソワ=ブルッソーと申します」
宮殿の回廊を進んだ先にある小会議室で二人は向かい合っていた。
以前よりフランソワは隊長と接触しようと文面でのやり取りを重ねてきていたが、今回初めて直接会うことになった。
宮廷近衛兵隊長という立場と、王命で共和派の活動が厳格に禁止されている状況を考えると共和派の幹部と会うこと自体が極めて異例な事と言える。
彼自身もこれが国家への反逆的行為だということは多少自覚していることだろう。
「最初に断っておくが」
ジョゼフはフランソワの目をじっと見据えながら、話始める。
「俺は貴様らの勢力に加わる気はない、ここで会うこと自体が陛下に対する冒涜的行為だ。本来ならば今すぐ貴様を大法官様の元へ連れていくべきだろうがな」
「でも実際会っているということは、今のサンドニージュに疑問があるのでは?」
彼の顔が少し曇る。
「......昔から陛下の決定に関して不平を言う輩はいた。いつの時代でも当然のことだ。だが、今の陛下が病床に臥せり、殿下が執政をを担うようになってから不満の声は徐々に大きくなっている。最近の不作の影響もあるが、やはり戦費の負担が大きいんだろう。度重なる増税に国民はもう耐えられそうもない」
努めて冷静でいるようにしているようだが、声音からあふれ出る怒気は隠せていない。
「だからこそ我々がいるのです。今の宮廷はまともにこの問題に対処しようとしていない。この予算度外視な舞踏会が全てを物語っている。殿下には我が国の惨状を再建するご意思がないのですよ」
「そうかもな。それでもやはり貴様の計画に乗ることは陛下への背信を意味する。賛同できないな。
それにまだ希望がないわけではない」
彼の言葉の端々からは気持ちが揺らいでいることが伺えたが、王、そして国家への忠誠という信念は揺らいでいないようだ。
「今回の協議はここまでとしよう。計画には参加できないが、共和派への支援はこれまで通り行う」
「貴重な時間を頂き感謝致します、閣下」
ジョゼフは表情を変えずに立ち去っていった。
少しずつではあるが彼の気持ちも傾き始めている。共和派と手を携えるのも時間の問題かもしれない、とフランソワは思っていた。
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「結局来てしまったな。昨日あんなことがあったのに」
俺は再び宮殿の門の前に立っている。
舞踏会が二日間あることは知っていたが初めは行く気はなかったので、あまり気にしていなかったが昨日よりも装飾がより豪華になっている気がした。
昨日と同じようにして大広間に入ると、昨日とは趣向が違う音楽が奏でられその中心に自分に酔いしれる様にして演奏している男がいた。
その上のバルコニーに視線を向けると....
(っ、やっぱりここにいる。見つかったらまずいかも)
殿下は穏やかな表情で彼の演奏をしばらく聞いていたが、やがて俺の姿を視線の先で捉えたようだ。
表情が次第に真剣なまなざしに変わり、大階段から滑り落ちる様にして追いかけてきた。
(ま、まずい!)
反射的に俺は走り回廊の方へ駆けていく。
「おい!まっ、待て!エリゼ! なぜ俺から逃げるんだ」
「どうか俺にはお構いなくっ...」
そう言うとさらに彼は速度を増して、ついに追い付かれそうになったが
「うっ、...」
掴もうとする直前で足を滑らしてこけてしまった。
「で、殿下!?大丈夫ですか?」
流石に放っておけず、手を貸して体を起こした。
「大事ない。...もう逃がさんぞ。なぜ昨日は逃げたんだ」
「それは...... 俺なんかと殿下は共には生きれないからです」
俺はとっさにそんなことを口走った。
事実そうだ。一介の下級貴族である俺が王族と共に人生を歩むことは出来ない。
ずっと焦がれてきた宮廷での生活だって実際は苦労することも多いはず。俺みたいな奴は郊外で細々と暮らすのがお似合いかもしれない。
「そんなの...俺が何とでもする。少し、話を聞いてくれ」
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彼の話を聞いて行くうちに王族として生きる事の不安と苦難を思い知らされた。メアリー王女との結婚も本意でないことも。
「つまり.... 王女様も合意の上でお互いに他の相手を?」
「そうだ。この国では普通の事だと思うが? 政略結婚なんて所詮はそんなものだ」
宮廷の慣習には詳しくないがそんな話を聞いたことがある気がする。
「殿下は本当に頑張っていると思いますよ。俺にはとても...」
「お前だけが...寄り添ってくれるな。貴族どもも閣僚のやつらも口にはしないが俺のことを無能な王子だと思ってる。あの目を見れば分かる。父上は......もはや俺を子として見ているのかすら怪しいしな」
数年前に病に倒れてから姿を見せなくなった、国王陛下と殿下の関係はよくは知らないがその口ぶりからしてうまくいっていないらしい。
唯一の王子である殿下を大切にしない訳はないと思うが。
「......それでも陛下の代わりに公務を務められているではないですか」
「できることなら王になどなりたくはない。俺なんかよりシャルロットがなればいいのに」
第一王女、シャルロット様は交渉にも政治手腕にも長けた聡明な方だと言われている。確かに彼女が統治者になれば彼にとってもこの国にとってもいいのだろうが、それは...
「あぁ、分かってる。国王になれるのは王子だけ、つまり俺しかいない」
大きなため息を吐く。かなり重圧になっているようだ。
そんな彼の様子を見て俺はある提案をした。
「殿下。せっかくの舞踏会ですから、こんなところで座ってないで一曲踊りませんか?」
「はぁ? お前な... 俺はダンスなんて...」
怪訝な顔を見せる彼の手を引っ張った俺は、大広間の方から聞こえる微かな音楽に合わせ踊り始めた。
社交界で一般的なダンスは教養として習っていた。体を動かすうちに昔父と練習した記憶が蘇ってくる。
「......こんなことの何が楽しいだか」
そうは言いつつも、彼の表情は少しづつ色味を取り戻してきている。
「お前はどうなんだ。その、外の暮らしは」
「それはもう大変ですよ、家の雑事を一人でしてるんですから。毎日の食事も作らないといけないし買い物だって...」
「だが、少なくとも俺よりは自由だろう?」
曲の終盤に差し掛かったところで彼が問う。確かに王族の暮らしに比べたら自由かも知れない。俺は貴族だが暮らしぶりは庶民とあまり変わらないだろうし、家に対する重圧もない。
「そうかもしれませんね」
曲が終わり、俺達も手を離した。
「あの、殿下...」
顔が近い。改めて見ると男とは思えないような美しい顔が目に映る。
ガラスの彫像が人になったかのような、透明感のある顔立ちは直視するには明るすぎる。
「アントワーヌと呼べ。貴様には名を呼ぶことを許そう」
さすがにそれは抵抗があったが、その口調から彼の感情が伝わってくる。
彼の手がゆっくりと伸び、自分の身体に触れる。
白鳥を抱きかかえるように優しく。
「っ、なりません、殿下!これは...」
許されざる行い。そんな考えが思考を巡り、俺は半ば突き飛ばす様に彼の手を引きはがした。
俺の感情と彼のものは同じなのだろう。しかしそれは一般社会はまだしも宮廷においては特に罪深い感情なのだ。彼もそのことは理解しているはずだ。
「っ、...嫌なのか。ならばせめて宮廷にいろ。王太子専属の従者として召し抱えてやろう」
だが彼も諦めきれないようだ。どうにかして俺をとどめたい気概が伝わってくる。
確かに宮廷で暮らすのはずっと憧れていたことだが、こんな形でというのは...
「そのようなこと許されるのですか?俺はただの下級貴族の召使ですよ?そんな身分のものが...」
彼が反論しようとした時、宮廷礼拝堂の鐘楼が鳴り響いた。大時計は12時を指している。
すぐに戻らなければ。全ての魔法が解ける時間だ。
「っ、申し訳ありません、殿下。行かないと...ッ」
俺は彼の表情を見る間もなく、その場から逃げだした。この二日間はただの夢物語に過ぎない。終わればすべてが元に戻るのだと自分に言い聞かせた。
王子と自分が一緒に歩むことなど叶わないのだから。
「ッ、近衛兵!!!この者を決して逃がすな!何としてでも捕らえろ!」
遠くから彼の怒号が聞こえる。すぐに昨日の倍以上の衛兵たちが集まってきた。
今回ばかりは逃げきれるか分からないな。