闇夜に響く鐘の音はーフュジオン・ドン・ロブスキュリテ
「殿下!お待ちを...... ここは...」
俺が速足でどんどん前を行く、王太子を追いかけていたらこじんまりとした庭園にたどりついた。
ロゼイユ宮殿にはメインとなるローズ庭園を始めとした大小様々な庭園があることは、誰でも知っていた。
しかし、これは”庭園”というには小さくてまるで公園のようだった。
「...静かだろう? 庭師に命じて作らせた俺専用の庭だ。ここにいるときだけ、全てを忘れて安らげる」
その言葉には含みが感じられた。
「王太子というのは重荷ですか...? やはり」
「お前が想像するよりも遥かに、な。お前に言っても仕方がないことだが、王族というのは常に国のことを、王家の存続を考えなければならないのだ。ましてや、俺は王太子......未来の国王だから、なおさらな」
その言葉の重みは俺というよりも、彼自身に向けられているようだ。今まで一人で苦しんできたのかも知れない。
「私には...殿下のような立場は理解しようがございません。殿下が感じておられる苦しみや重圧は、王家に属する人間のものですから」
理解できるはずがない。国そのものの将来と希望が、幾百万もの民の命が、ひいては大陸全土に対する影響が全て一人の人間に掛かっていることなど。
もし明日からそんなことを強いられれば、俺はとても生きていくことができそうにない。
「ハッ、そうだろうな。......お前は、俺を暴君だと思うか?民に対して何もしない高慢な男だと」
「.........それは」
突然の質問に冷や汗が出る。何故俺に聞くんだ?間違っても肯定はできない。
「正直に答えろ。お前が言うことの一切を俺が許そう」
そう言われて必死に考える。確かにロゼイユ郊外では毎日のように王太子に対する罵詈雑言を聞いてきた。俺の知る限り彼に対して好印象を持っている市民は誰もいない。だが......
「周りの評価はともかく...私は殿下を”悪い人だとは思いませんよ。ひとりぼっちだった私にここまで寄り添って下さったのですから」
「”悪い人じゃない”か......つまり、”暴君”で”無能”な王子だとは思っているわけだ!ハハッ」
彼は屈託のない笑顔で豪快に笑った。広間にいるときよりも安心しているようだ。
「そ、そういうことではなく...... 確かに、改善すべき点もあるとは思いますけど」
「......殿下?」
気付くと彼は安らかな表情で肩をこちらに寄せた。肌が重なり温もりを感じるのが分かる。
「なっ、殿下。これはッ... ん?」
しかし彼の肩が小刻みに揺れているのが不自然だった。
「......泣いて、おられるのですか?」
「ひぐっ、お、俺は...王太子などにはなりたくなかった! 俺なんかよりシャルロットの方が才があるし、賢い。俺のせいで、民たちは日々飢えている... 俺に政治の才が無いからだ! 今だって国政のことは全部フィリップに任せているし...」
その姿はまるで無邪気な子供のようで、その瞬間だけは「王太子」という肩書から解放されたアントワーヌとして見えた。
普段の傲慢な態度は普段から抑圧された感情の裏返しなのかもしれない。
「...殿下は、よく頑張っておられるのですね。毎日公務をこなし、国のことを考えているだけでも素晴らしいではありませんか」
「はは、お前のような者に諭されるとはな。だが......」
「っ、で、殿下!?」
彼は安心したかのように俺の肩に手を回し、抱擁をしてきた。
「...騒ぐな。ただ、こうしていると、落ち着く。昔母上がしてくれたように......」
「......っ、私のようなものに...」
するとやがて彼は、そのターコイズのような碧眼をこちらに向けながら囁いた。
「ロワール家の子息、...エリゼといったか。お前には俺と対等な立場で接することを許そう」
「えぇっ!? しかし...」
王族と対等に?そのイメージがわかず俺は困惑してしまうが、彼は本当に対等な立場の人間が今までいなかったのだろう。
そしてこれは彼の心からの望みだ。
俺はそれを受け入れることにした。
「...分かりました。俺はいつでもあなたの相談相手となりましょう」
「......あぁ」
少し悲し気に見えるのは気のせいだろうか?
相談相手ではいやなのだろうか。
彼は何か迷っているようだ。少し間を置いて何か言おうとしたその時、ゴーンという腹の底に響く重々しい音が鳴り響いた。
宮殿の教会堂に取り付けられている鐘楼の音だ。
(まさか...)
12回。間違いない、12時の鐘の音だ。
俺はマダム・フェマレーヌは言っていたことを思い出した。深夜12時を過ぎるとあらゆる魔法は灰に帰すと。
「っ、も、申し訳ありません、でも俺...もう行かなければ」
「な、少し待て!12時を過ぎたばかりではないか! なぜそんなに...おい!」
俺は彼の制止を振り切って駆けだした。回廊を抜け、やがては大広間に出たが服の一部が消えかかっているような感覚がした。急がないと俺の本当の身分が全てバレてしまう。
「はっ、今更逃がすものか......っ! 近衛兵!」
大声で叫ぶ彼の声で瞬時に大勢の宮廷近衛兵たちが集まってくる。
「王太子殿下。何事でしょうか」
「そこの走っていく男を捕らえよ!奴を俺の前に連れてこい!!」
「は、はっ!」
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鏡の間が騒然に包まれていた頃、時を同じくして東側回廊ではペースを無視して歩くシャルロットにローランが追い付こうと頑張っていた。
「王女様ーっ、一緒に歩きましょうよ。俺にだけ走らせる気ですか?」
「だから、言ったでしょう。私は踊らない、と。それとも貴方と話して何か刺激になるものでもあるのかしら?」
彼女の笑みは嘲笑するかのような冷たいものだったが、ローランは優しく微笑み返す。
「これはまた手厳しい... 俺が知ってることでよければー」
二人はしばらくの間会話を交わし、世間の流行や家のこと、はたまた政治に関することまで語らった。
最初の内はつまらなさそうにしていた彼女だが、次第に話に引き込まれるように真剣に聞くようになった。
「なるほど...... 郊外ではそういったものが。 確かに宮中にこもっていては知れない情報ね」
「あれ、この手の話は宮廷貴族の男なら誰でも知っていると思っていましたが...?」
「私が男遊びするような女に見える?」
彼女の目線は依然として冷たい。
庶民の生活様式から断絶された宮廷において、宮廷貴族...とくに女性たちが情報を得る手段は主に郊外を行き来する男性の貴族たちであった。
彼らと恋人や愛人の関係になることで、興味を引く情報を手に入れていたのだ。
しかし、第一王女であるシャルロットにとっては縁のないこと。恋愛に興味がないというのもあったがそのような手段でなくとも情報を手に入れられたからであった。
「意外と経験がないんですね。王女なのに......いやw 失礼を」
「貴方...... はぁ、あなたほど王女に対して無礼な人は初めてだわ。関心しちゃうくらい」
そういいながらも彼女は呆れるというよりも、面白がっている様子だ。
「でも、先ほどの話は面白かった。良ければもう少し...」
「おや?w 俺の話が気に入りましたかー」
彼が距離を詰め、いつものように手を取ろうとした瞬間。向こう側で近衛兵が走っていくのが見えた。
彼らはそのまま鏡の間の方へ去っていく。
何かが起きたのは明らかだった。
「待って、鏡の間で何か...... っ、ごめんなさい」
彼女は彼に一瞥もくれることなくドレスの裾を掴み、彼の手からするりと抜ける様に去って行った。
「あっ! 王女様、明日また待ってますねー!」
彼の声が発せられた時には既にその空間は静寂に包まれていた。
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「くっ、急がないと...」
「いたぞ!あそこだ、捕まえろ!」
「殿下のご命令だ!」
突然現れた数名の近衛兵の乱入により、大広間は動乱に包まれていた。
音楽は止まり、いままで踊っていた貴族たちも今は迫真の表情で見守っている。
俺はそんな中をひたすら逃げ続けた。
なぜ、殿下が俺を必要に追うのかは理解できないが捕まれば終わりだ。俺は今までの全ての身分を失うかもしれない。
(もう間に合わ...あっ!)
もう少しで正面扉から外に出れる、というタイミングで不運にもつまづいてしまう。
身体のバランスが崩れ、その場に倒れ込んだ。
「なっ、この...邪魔だっ!」
俺はとっさに来ていた服を近衛兵めがけて投げつけた。それで逃れられるとは思わなかったが...
「なっ、わっ...」
宙をひらりと舞う黒服は彼らに覆いかぶさり、十分な時間稼ぎとして機能した。
近衛兵たちがたじろいだ数秒のうちに俺は正面扉を抜け、馬車に乗り込む。
「頼む、今すぐ出してくれ」
その言葉を聞いて御者は馬を走らせた。
間もなく光り輝く宮殿は遠ざかり、再び暗闇が辺りを包み込む。
それが再び自分を現実へ引き戻した。
(あぁ、俺本当に舞踏会に行けたんだ)
間違いなく幸せな夜だった。欲を言えば彼と踊りたかったが。
家に着くや否や、豪華な馬車は野菜へと戻り、服装はかなり前の段階でズタボロになっていた。
彼女が言った通り魔法が消えたのだろう。
しかし、こうしてはいられない。まもなく彼らが戻ってくる。急いで迎える支度をしないと......
いや、夜中だし寝ていればいいか。
煌めきの瞬間もつかの間、俺は再び元の生活に戻るようにして家に入ったのだった。